目覚め
しんと静まり返った部屋。
陛下たちがいた場所には今は誰もいない。偏に日の光が射し込むのみ。
多少の暑さを感じて開けた窓からは、心地よい風が入ってきている。風に併せて、窓の脇のカーテンがふわりと舞う。
デュナー伯爵邸の二階にある客室。備え付けられたベッドには、リディが横たわり、静かに眠っている。
私のほかに付添う者はいない。
私の専属侍女のイルマは、スヴェンデラ領の宿場町からこちらに向かっている最中だ。ヴェルフを迎えに使わしたから、夜にはこちらに着くだろう。それまではリディの側にいるつもりだ。
ただ、二人きりなのは淑女としていかがなものかと思わなくもない。
とはいえ、リディがこの状態なので醜聞にはなりにくいはず。
吹聴する可能性のある騎士たちは忙しく動き回っている。リディの許を訪ねたくてもなかなか来られないのが現状だ。
手持無沙汰は私だけ。
かといって、騎士たちの手伝いに行くつもりはない。向こうとしても迷惑だろうし、何より私がリディの側を離れたくない。
「リディ……」
軽く腰を浮かせてリディの様子を窺う。
そっと頬に手を添えて声をかけるが、リディは眠ったままだ。
いつになったら目覚めるのだろう。太陽のような黄色い瞳を早く見たい。今か、今かと心が急く。
逸る気持ちを落ち着かせるために一旦座り直し、ふ、と小さくため息を吐く。
頬から離れた手は、そのままリディの手に重ねた。
*
それからどのくらいの時間が経っただろうか。何気なく窓の外を見る。
真上にあると思っていた太陽は、今や随分と傾いていた。濃い青だった空もいくぶん黄色みを帯びている。どうりで肌寒くなってきたはずだ。
すぐに席を立って窓を閉める。
寒さが和らいだのを感じつつ再び席に着けば、途端に部屋の扉が叩かれた。
「ティナ様。副団長のご様子はいかがですか?」
やってきたのはアマーリエ。
彼女は部屋の隅に片付けられていた椅子を持ってくると、私の隣に静かに置いた。
「変わらないわ。眠ったままよ」
椅子に座るアマーリエを見ながら、淡々と答える。
その際に、前日のお礼をまだ言っていないことに気付いた。すぐさま頭を下げて礼を言う。
「アマリー。昨日は本当にありがとう。あなたのおかげで大事なものを失わずに済んだわ」
「あ、頭を上げてください。私、ティナ様を尊敬していますが、大切な友達だとも思っているのです。友達なら正気に戻ってほしいと思うのも当然ですよね?」
「……ええ。ありがとう」
アマーリエの言葉が嬉しくて、再度お礼を言ってから頭を上げる。
改めて見たアマーリエは、にこっと微笑んでいた。
「それにしても意外でした。ティナ様があんなに取り乱すなんて。本当に副団長がお好きなんですね。副団長のどこがお好きですか?」
「え?」
アマーリエの言葉に目をぱちぱちと瞬かせる。
リディのどこが好き? どこだろう? たくさんあるけれど、一言では言い表せない。そうかといって、一から十まで話していたら夜になってしまう。
多分アマーリエが求めているのは、『代表的なものを一つか二つくらい』のはず。
それはわかるけれど、リディの好きな部分を一つに絞るのはやはり難しい。『好き』に優劣なんてつけられないのだから。
なら、どう伝えたらいい?
考えながらそっとリディの手を取る。
「まさか……ない、のですか?」
アマーリエが目を見開き、驚いたような顔をする。
そんな顔をされると、悪いことをしているような気分になる。
でも、仕方がないじゃない。絞れないのだもの。
「あ、あるにはあるのよ? それもたくさん。ただ『どこが?』と言われると、挙げるのが難しいわ。リディと出会って三年、もうすぐ四年になるかしら。聖騎士団の仕事以外で彼と行動をともにした回数は、実はあまり多くないの。でも、いつだってリディの前では自然体でいられた。それが当たり前になっていたから、リディがいないとその……息苦しく感じるのよ。心の支えになっているというか……。あぁ、もう何を言っているのか自分でもわからない。とにかくリディの側は居心地がいいの。そのままの私を受け入れてもらえるから。まあ、ドキドキして冷静ではいられない時もあるけれど……」
「へぇ。初耳、だな」
掠れ気味の声が耳に届く。その瞬間、勢いよく声の主を見た。
「リ、ディ……? ……ま、待ってて、今お水を!」
言い終えるが早いか、急いで席を立つ。
近くのテーブルに置いてあった水差しを手に取ると、コップの中程よりも少し多く水を注いだ。
「あ! 私、副団長が目覚めたって知らせてきます!!」
「待って、アマリー! まだリディが目覚めたことを内緒にしていてほしいの。告げるのは陛下、ゼイヴィア殿下、将軍だけ。終わったら戻ってきて。お願い」
「? わかりました。とりあえずゆっくり報告してきます」
アマーリエが歩いて部屋を出ていくのを横目に、椅子に座る。それからリディの顔を見た。
「リディ、お水を持ってきたわ。起きられる?」
私の問いにリディがこくりと頷く。返事を受けて、リディの体を支え、起きる手助けをする。
リディが完全に起き上がるのを待ち、彼の前にコップを差し出す。
リディはゆっくりとした動きでコップを受け取り、中の水を飲み干した。
空になったコップは、ベッドの脇にあるサイドテーブルの上に置く。
「調子はどうかしら?」
喉が潤ったと判断して、声をかける。
リディは考えるように一瞬だけ下の方に視線をやると、すぐにこちらに向き直った。
「少し、体が重たい、か……。だが、意外と悪くはない」
リディの返答に心底ほっとしたのも束の間。みるみる胸が締めつけられ、涙が込み上げてきた。
言葉に詰まり、なかなか返事ができない。
「…………そう」
やっとのことで返した言葉はそっけなく、くぐもった声だった。とにかく胸が苦しい。
「ルティナ!? よ、よせ、泣くな。頼むから」
「誰がこうさせたのよ」
一筋、二筋と頬を伝っていく涙をハンカチで拭うと、涙声で言う。
「すまない。俺だ。悪かった」
「まったく、心臓が止まるかと思ったわ。陛下にも叱られたのよ」
陛下たちが帰る前のこと。「それはそれとして」と前置きをした陛下から、小一時間程説教を受けた。
自分が思うよりも魔法の威力が凄まじかったらしい。陛下に『地形が変わるどころじゃない! 隣国もろとも滅びそうだったわ!』としこたま叱られた。
しかも、「あとでしっかりと罰を与える」と言われてしまい、戦いた。魔力を暴走させた私が悪いから嫌だとは言えなかったけれども。
結局、ゼイヴィア殿下がとりなしてくれるまで陛下のお説教は続いた。殿下にはあとでしっかりとお礼をしなくては。
「うっ……それは、その、申し訳ない」
「本当に悪いと思っているの? もう最後だと思って、私、みんなの前で公開告白までしてしまったのよ? あぁ、恥ずかしくてもうみんなの前に顔を出せない。お嫁にもいけないよ~。誰ももらってくれない~」
あの時のことを思い出して、さめざめと泣く。
もう口調がめちゃくちゃだ。時折『ルディ』が顔を出してくる。止めようと思っても止まらない。
「なんでそうなるんだ! 俺のところに来てくれる約束だろ!? 頼むから一旦落ち着いてくれ……」
リディがあたふたしながら私の方に身を乗り出し、手を延ばす。けれど体が言うことを聞かないのか、リディの動きは緩慢だ。
それでもなんとか届いたリディの右手が、私の左頬を包む。
思うところはあったものの、リディの手に自分の手を添えて、彼をじっと睨みつけた。
私は本当に怒っているのだ。たとえ本人であろうと、リディの命を粗末に扱うなんて許せない。
とはいえ、リディにも言い分くらいはあるだろう。そう思って訊いてみる。
「何故あなたはあんな無謀なことをしたの?」
「そ、それは、その…………」
リディが途端に口ごもる。私は何も言わず、リディが話しだすのを待った。
「…………二度と失いたくなかった。護りたかったんだ」
だいぶ間を置いたあと、リディが躊躇いがちに口を開いた。思ってもいなかった返答だ。
「護る? だって私は、常に風の魔法を体に纏わせていたのよ? それはあなただって知っていたはずだわ」
「わかってる。頭では多分そうなんじゃないかと思っていた。だが、体が勝手に動いた。もう、あんなことはごめんだったから」
「あんなこと?」
リディの言葉に首を傾げる。
すると元の姿勢に戻ったリディが口を開いた。
「そうだな。何から話せばいいか……」
再び躊躇う姿を見せたリディは、しかしすぐに決意のこもった目でこちらを見てきた。
「抑々、俺は侯爵家の跡取りではなかった。兄がいたからな。まあ、一応スペアとしてさまざまな知識は叩き込まれたが、それだけだ。兄上程に徹底されたものじゃなかったし、剣の道に進みたかったからスペアの地位は願ったり叶ったりだった。それが三年前、一変してしまった」
それからリディは、三年前の出来事を静かに語り始めた。




