情報収集
「な?可愛いんだから問題ないだろ?いい加減了承してくれよ」
「嫌だね。それに可愛いって言われて君は嬉しい?」
「俺なら屈辱だな」
「でしょ?だからやらない」
「そう言うなって。別に減るもんじゃねえだろ?」
「いいや、減るね!僕の中の大事なものがごっそりと削り取られるね!」
村長の邸のとある一室。二人の攻防は今まさに熾烈を極めていた。
***
時は遡ること数刻前。
王都の南に位置するグラティア伯爵領。その北側に存するイェル村に到着した我々は、村長から詳しい話を聞いた後、正式に依頼を受けることにした。
その際、村長のご厚意で部屋を用意してもらえることになり、それに甘えることにした次第だ。
どうやら部屋は一室ずつあてがわれたらしい。メイドに案内されて部屋に入り荷物を置くと、そのまま邸をあとにする。
村長には予め調査をすると告げていたこともあり、案内係として役所の一人を派遣してくれていたようだ。邸を出たところで声を掛けられ、そのまま三人で村の東側に位置する旧聖堂へと向かうことにした。
聖堂はもう二十年程前に移築されて、それ以来旧聖堂に足を運ぶ者はいなかったという。そのためだろうか、廃れた聖堂へ続く道は鬱蒼と草が生い茂り、あまり手入れがされていないようである。
少しでも手掛かりとなり得る情報はないか、役人――フランツさんと言うらしい――と世間話を交えつつ十分ほど歩いたところで件の旧聖堂へと辿り着く。
もう誰も足を踏み入れることのない聖堂は大分老朽化しており、白い壁が薄汚れ、蔓に覆われ、そして所々崩れかけていた。
だが話にあった巨大な爪痕らしきものは、ぐるっと一周見て回っても何一つ見当たらない。
「本当にあったのか?」
「ええ、この目でちゃんと見ましたよ」
「どこら辺にどんな感じであったんですか?」
「確かここら辺にこのくらいの大きさでこんな感じの…」
フランツさんは壁のとある一部分を指し、身振り手振りで形状を伝えてくれた。なるほど、フランツさんが示したのを想像するに、かなり大きく歪な痕だったようだ。
しかし肝心の痕がない。試しに彼が示したあたりに手を当てて魔力の痕跡を辿ってみる。
(うーん。何も感じない。でも何かひっかかるのよね)
爪痕が幻覚だったのか、消えたのが幻覚だったのか、二つのうちどちらかだと思ったのだが結果はどちらでもないようだ。
やはり『女神の御業』と言うものなのだろうか。
いや、でもなんだろう。先程から何かが引っかかるのだが、それが何なのかがわからない。あと少しで掴めそうなのに。
「どうした?さっきから黙り込んで」
「え?ああ、ちょっと……」
どうやら大分考え込んでいたようで、俯いていた私にリオンが声をかけてきた。
その声にのろのろと顔を上げ、今感じていることをリオンに告げる。
「なんかわかったのか?」
「いや……。なんか引っかかるんだけど良くわからなくて」
「考えるなら立っているよりどこかに座った方がいいんじゃないか?中に備え付けの椅子くらいあるだろう」
「んー。中より外の方がいいかな。天気がいいし風も心地良いしね」
「そうか?ならそこら辺にでも座るか」
リオンの言葉に素直に従い座ることにした。
リオンは最初聖堂の中に今も残っているであろう椅子を提案してくれたのだがそれを断ると、近くにあった崩れた壁の一部、平たく座りやすい瓦礫に腰を下ろす。
肌にひんやりとした冷たさが伝わり跳ね上がりそうになったものの、それもすぐに慣れた。
爽やかな風が頬を撫でて快い。
周囲を見渡すと木々が手入れされていなかったために伸び放題で、今にも聖堂を覆い隠さんばかりである。実際聖堂に着くまで木以外何も見えなかったので、歩いていたらいきなり聖堂が現れたように見えてちょっと驚いたのはここだけの話だ。
何の気なしに遠くへ遣っていた視線をもう少し手前の外壁へと移す。
外壁は聖堂の比ではないくらいに崩れ落ちていて、今私が座っているのもその崩れ落ちた瓦礫の一部だ。本来の機能を疾うに失い、壁の外側に生えている草花まで見ることができる。草花は風に優しく揺れていて、そこに日が当たっていた。
それを心穏やかに見ていた次の瞬間、急速に私の目が開く。
「……!!」
「ルディ?」
「どうかなさったのですか?」
私の表情に気付いたリオンやフランツさんにどうしたのかと尋ねられたが、それに答えることなく不意に立ち上がると、ある場所へ足早に向かった。
ああ、やはりそうだ。とするとここら辺にあれがあるはずだ。
首を左右に動かして辺りを探ると、すぐに思っていたものが見つかった。なるほど、そういうことだったのね。
私の突然の動作に驚いたリオンとフランツさんだったが、私がある一点で立ち止まり、何かを見つけたことに気づくとゆっくり近づき再び問う。
「ルディ、どうした。何かあったのか?」
「うん。わかったよ。もうここに用はなくなったから帰ろうか。ああ、でも一応中見てく?」
「中に入るならどうぞこちらへ」
私たちの会話を受け、フランツさんが腰に吊るしていた鍵束の中から聖堂の鍵を取り出し解錠すると、扉の取っ手に手をかける。聖堂の扉は番いの部分がすっかり錆ていて、ギィィィと軋むような音を立てながらゆっくりと開いた。
フランツさんに「どうぞ」と促されて入った旧聖堂は、未だに霊験あらたかな気が満ちて、ぴんと張り詰めた空気のようなものが感じられる。
入口の真正面奥にある祭壇に置かれた、石膏でできた大地の女神ヴェルテディアの巨大な像は、今もなおその美しさを湛え、まるで私たちを見守ってくれているかのようだ。
埃をかぶり腐敗してしまった木の椅子、明かりを取り込む窓は辛うじて罅もなく原型を留めてはいたが、天井は所々穴が開いており、そこから太陽の光が射し込み、恰も宗教画のような神秘的な情景を創り出していた。
「あそこか」
「そうみたいだね」
リオンの視線の先にある祭壇を見て、紙に書いてあった生贄の少女を連れて来る場所を確認する。
尤も、彼女を危険な目に遭わせるわけにはいかないので、代役を用意するつもりだ。ある程度戦える村の見習い騎士か新米騎士あたりがいいだろうか。
今はまだリオンにすら話をしてはいないので、後ほど十分に話し合う必要があるけれど、恐らくリオンはこの案を考えているとは思うので割り方あっさり受け入れられることだろう。
軽く聖堂の中を見渡し大体の間取りを頭に入れた後、来た道を戻る。村までは、木々や草花に覆われてはいても分かれ道すらない一本道なので、迷子になることはない。
村へと続く一直線の道を三人でてくてく歩いていると、南西の方角に木々の合間から空へと立ち上る一筋の煙が見えた。
今いる位置から少し離れているだろうか、煙が立つ辺りはここの規則正しく並ぶ木々とは違い、完全な森になっているようだ。
「フランツさん、あれ火事じゃないですよね?」
「どれですか?ああ、あれは恐らく野宿する人が熾した焚き火の煙でしょう」
「野宿?」
「ええ。旅費を抑えたい方が村には泊まらずあの辺りで野宿するんですよ。隣町へ続く街道があの辺りにありまして、少し脇道に逸れると川と、野宿するのに丁度良い開けた場所があるんです」
「なるほど。なら心配する必要はないですね。ところで野宿する人って多いんですか?」
立ち上る煙が火事ではないことにほっと胸を撫で下ろす。だがそこで話を終了とはせずに、何気なく続けて振ってみた。
「そんなに多くはないですね。ここは村ですので宿泊費は高くないですし。あれ?でも昨日も煙が上がっていましたね。連日なんて珍しい」
「いつもはどのくらいの頻度で?」
「詳しく調べたわけではないので大まかにですが、一週間に一回……多くても二回くらい見る程度じゃないですかね」
「おい、ルディ」
「うん。あ、フランツさんここでいいですよ。案内ありがとうございました」
有力な情報を引き出そうとしたわけではない。私としてはただ単に世間話をしたつもりだった。
だから事前に何も知らされていなければ、その話はただの世間話で終わっただろう。
けれど今回の事件を調べていた私たちには、調べる価値がある情報として齎されたのだ。世間話はやはりしてみるべきである。
話しながら村の入り口まで来ていたことに気づき、フランツさんにお礼を述べると、彼とはそこで別れてリオンと二人で聞き込みに入る。
入口から広場にいた村人に片っ端から例の煙について尋ねてみると、面白いことがわかった。
曰く「三日前に見たわ」とか「俺は五日前くらいだったかな」とか、煙についての情報が出るわ出るわ。それで得られた情報を照らし合わせたところ、毎日煙が上っていたのだ。
「当たりだな。今からそこへ行くか?」
「やめておこう。数がわからないし危険だよ」
「慎重だな」
「まあね。それじゃあ、そろそろ戻ろうか」
「そうだな。戻ったら話すが俺に一つ案がある。色々考えたが、単純明快で誰もが納得できる策にしようと思う。成功する確率は高い」
「多分僕が考えているのと同じかも。実にシンプルで確実なやつ。あとは村長さんと所々の打ち合わせを密にすれば更に確実になると思う」
こうして、満足のいく回答を得られた私たちは村長の邸へと戻った。
戻ってきたら調査の内容がどうあっても報告してくれと村長に言われていたので、出迎えてくれた執事に村長への言伝を頼む。すると執事は二つ返事の後、傍に控えていたメイドに幾つか指示を出し、その場を去って行った。私たちはその場に残っていたメイドに案内され、先程の応接間へと通され再び同じ席に着く。
暫く待つかと思われたが、村長は存外早く執事を連れて部屋にやってきた。村長が私たちに労いの言葉をかけつつ席に着く。
腰を下ろしたのを見て、リオンが旧聖堂に行った時の詳細や、帰る時に見つけた煙の話を事細かに説明した。しかし、爪痕の件は邸に来る道すがらリオンに説明したが、多少扱えるとは言え彼は魔法については専門外だ。私が説明する方が早いだろう。なので私が解りやすく説明した。
全てを説明すると、村長も魔力持ちのためかすんなりと理解してもらえ、これからの対策へと話が移っていく。それらは全部リオンに一任だ。
「色々調べはしましたが、当初の予定通り護衛をする方向で行こうと思っています。但し生贄は代役を立てましょう」
「では娘が贄になる必要はないんですね?」
「ええ。ご令嬢を連れて行くよりは戦える者の方がこちらもやりやすいですしね」
「提案なんですが代役は見習い騎士か新米騎士辺りが体格的にいいかと。一番はベテランで小柄な騎士がいればその方がいいのですが……」
「いや、下手に代役を見繕うよりも身近に適任がいる」
「え?」
「適任、ですか?」
リオンがこちらに顔を向ける。
あ、なんかイヤな予感……。
「ルディ。お前が生贄の少女になれ」
「やっぱりぃぃぃぃっ!!!なんで僕が!断固拒否するっ!」
「そう言うな。下手な代役よりお前の方が戦えるし、武器がなくても魔法で何とかなるだろう?魔力持ちも条件に合うしな」
「だからって嫌なものは嫌だ!」
「安心しろ。心配することは何もない」
「そう言うことじゃないんだってば!」
予感は見事に的中し生贄役に抜擢されるが、こちらは性別を偽って逃げている状況である。万が一私の正体がバレてしまえば速攻で公爵家に送られてしまう。殿下とのことだってどうなっているのかわからないし、下手したらそのまま拘束されてしまうかもしれない。冗談ではない。できるものならば回避をしたい。
なんだか押し切られそうな雰囲気だけれど……。でも、例え最適解が私であったとしても、そう簡単に折れてなるものですか。
――そして冒頭に戻るのである。
「なあ、お前だってわかっているんだろ?これは依頼だ」
「うぐっ……。わ、わかっているけど」
「わかっているなら話は早い。勿論俺が興味本位で言っているんじゃないってことも理解しているな?」
「う、う、……。」
「他に代替案があるなら聞くが、今の案より成功率高いんだろうな?」
「…………」
「さてルディ、もう一度聞こう。生贄役をやってくれるな?」
「あーもうっ!わかったよ!やればいいんでしょ、やれば!その代わりやるからには徹底的にやるからね。決行の日まで時間もあるから存分に使わせてもらうよ。それと村長さん」
「は、はい」
「一人こちらに呼びたい人がいるんですけど部屋を用意してもらってもいいですか?できれば近い部屋がいいです」
「でしたらルディさんの隣の部屋を用意しましょう」
「ありがとうございます。それと後で手紙を書きたいのですが」
「わかりました。執事に命じておきましょう」
「重ね重ねありがとうございます」
最初から私以上の適任者などいるはずがないとわかってはいた。でも、そう簡単に折れたくもなかったのだ。
それに避けられるものならば避けたかったし。だから抵抗したのだが、私にしたら粘った方ではないだろうか。押し問答を始めて三十分は経過してるもの。
だが、結局押し切られてしまった。仕方がない、人助けだと思って諦めよう。そして、リオンのお望み通り女装をして差し上げようではないか。
それに、回避したい気持ちは本当だが、もう一度だけあの姿になりたいとも思ってしまった。
しかし、私だとバレてしまう恐れがある。危険を冒してまですることなのだろうか。色々と思案する。
幸いこの村に私の存在を知っている者はいない。決行は夜なので遠くの人にまで面が割れる恐れはそれ程ないと言ってもよいだろう。もし見つかったとしてもすぐに化粧を落とし、ルディの姿で堂々としていれば誤魔化すことも可能ではないだろうか。
他にも考え得る事態を想定し、一つずつ解決策を用意する。そうして、出来得る限りの想定をし終えて漸く考えが纏まった。
あの姿をしましょう。彼女を呼び寄せて、誰が見ても完璧だと言うような『女装』をいたしましょう。
人を呼ぶと言った時、リオンが「呼ぶって誰を?」と不思議そうにしていたが、そこら辺の事情を詳らかにするつもりはない。何れ彼女が来れば姿などはわかることだし「その道のプロだよ」と言って誤魔化しておいた。
まあ、彼女のことを多少知ることができても、公爵令嬢には辿り着けないようにするつもりだが。
村長に挨拶をすると各々あてがわれた部屋へと戻る。
するとさして時間を置かずに執事がレターセットを持ってきてくれた。礼を述べて執事が出て行ったのを確認し、すぐさま手紙を書く。
必要なことだけを書いたつもりだったのだが、封蝋をし終えてみればその分厚さは異様なものだった。
(警戒されて受け取ってもらえない、なんてことないわよね……)
少し心配になった私は、封筒の裏側に当初書くつもりはなかった私の名を書くことにした。但し本名はまずいので、見る人が見れば私だとわかる抽象的な名ではあったのだが。
書き上がった手紙は執事がすぐに届けてくれると言うので、至急と告げて届けてもらうことにした。
その手紙は用心に用心を重ね、且つ迅速に王都にあるとある男爵家へと届けられたのだった。
そうして、国中を揺るがせた王太子殿下と公爵令嬢の婚約白紙事件から三日後の夜遅く、王都ヴェルテのタウンハウス街の外れにある、とある男爵の邸に一通の手紙が届けられた。
その手紙は男爵家には縁もゆかりもない王都近くの村の者からで、手紙の裏に書かれた『白金の妖精』と言う名を見なければその分厚さゆえに確実に突き返していたことだろう。
だが翌日、その手紙は遠回りをしながらもレーネ公爵邸に届けられた。正確には、男爵に送られた手紙の中に入っていたもう一通の手紙の方が、男爵本人の手によって、だ。
男爵本人が手紙を持って公爵邸を訪れるなど異様な光景であったことだろう。だが、手紙を受け取ったレーネ公爵家執事のハンネスは非常に優秀な人物で、男爵が手紙を携えて訪れたことに大方の察しを付け、そしてその手紙はすぐさま目的の人物に手渡された。
それは太陽が天高い位置からやや傾き始めた昼過ぎのことであった。
イルマパパはマルティナに指図されて動いたわけではないです。
マルティナが手紙に「イルマに連絡したいのに、私の周りを探る輩が手紙まで追跡しようとするの~。何か良い案はないかしら~?」とそれとなくイルマパパにアドバイスを求めたら、イルマパパが勝手に「よっしゃー!おじさんに任せろー!」と一人で張り切ってしまったのです。
その後もいろいろありまして、最終的には単身で公爵邸に乗り込んじゃいました。
よく門兵に捕まらなかったですね……。
という設定だったんですが、おっさんで一話もどうかと思ったのでここに載せておきます。
それにしてもマルティナさんってば、手紙同封しているくせにわざとらしい。策略家ですねぇ。
誤字修正いたしました。皆さまありがとうございます。