決別1
パーティー会場近くの談話室。
以前私がリディを待つ際に使用した待機部屋よりも広く、華やかな部屋だ。
その部屋の中央に置かれた質のよいソファに座し、目の前の少女――アデリンデに目を遣る。
彼女は、しばらくの間黙ってこちらを見ていたが、やがて口を開いた。
「マルティナ様。一体どういうことでしょうか?」
「どう、とおっしゃいますと?」
『どうか』と訊かれても、主語がないため正確に答えることができない。とりあえず無難な返しをする。
すると、アデリンデが表情一つ変えず淡々と語り出した。
「マルティナ様は先程陛下のお取り計らいで、レーネ公爵領に戻られていたとされていましたけれど、あれは方便でございましょう? わたくし、卒業パーティーにおりましたのでその時の出来事は目にしておりますもの」
ああ、そのことか。
漸く彼女がなんの話をしているのかがわかった。
しかしそれだけだ。彼女の真意がわからない。慎重を期してどちらとも取れるように曖昧に答える。
「なんのことでしょうか? たとえ領地にいたとしても、アデリンデ様は満足なさらないでしょうから、わたくしからは『ご想像にお任せします』とだけお答えいたしますわね」
「では、質問を変えましょう。マルティナ様は殿下との婚約を白紙に戻されたと伺っております。それは、裏を返せば交渉の余地があったということです。その交渉は決裂してしまったのですか? そうでなければ、マルティナ様がイストゥール様とご婚約なんてありえませんもの」
矢継ぎ早に返ってきた彼女の言葉。
あらかじめ準備してきたかのように彼女の口から淀みなく発せられた。
けれど何故彼女がそんな話をするのか。彼女には関係のない話だというのに。
疑問を抱きながらも、彼女の真意を引き出すべく言葉を返す。多少刺を含ませて。
「ふふ、面白いことをおっしゃいますのね? ですが婚約は王家とレーネ公爵家の話です。わたくしが口を挟んでよいものではございません。お答えしかねますわ」
「あれ程両陛下に可愛がられていらっしゃいますのに、マルティナ様のご意見は一つも通らなかったのですか? マルティナ様が望まれれば再び婚約も可能でしたでしょうに」
「……何がおっしゃりたいのでしょうか?」
先程とは打って変わり、張り詰めた空気が辺りに漂う。
その代わりではないが、彼女の真意が読めてきた。
だが、リディは私の魂胆に気付いていない。だから私の言動が挑戦的に見えたのだろう。彼が私の手にそっと己の手を置いてきた。まるで『抑えろ』と言わんばかりに。
直後、場の雰囲気を変えるかのように、コンコンと扉をノックする音がした。
アデリンデが返事をすると、一呼吸置いて扉が開く。そして――
「遅れてすまない。話を中断させてしまったかな」
「で、殿下!?」
意外な人物の登場に驚き、図らずもリディと声を合わせてすくっと立ち上がる。
そこにいたのはクリストフォルフ殿下だった。
アデリンデの真意が見えてきたとは言え、呼ばれたのが殿下だったとは……。
驚く私たちを置いて、アデリンデが殿下に淑女の礼をとる。
「いいえ。お待ち申し上げておりました。どうぞ中へお入りくださいまし」
アデリンデに招き入れられ、殿下が部屋に入ってくる。殿下の侍従も一緒だ。
殿下はそのまま私たちの前に来ると口を開いた。
「レーネ嬢、エリオット。二人とも久しいな。何故私が呼ばれたのか不思議でならなかったが、話の内容はおおむねわかった。私が呼ばれた理由もな」
「申し訳ございません」
「いや、構わないよアルニム嬢。レーネ嬢とはもう少し話がしたかったからね」
殿下はにこやかな表情を浮かべながらそう言うと、アデリンデに向けていた顔を再度こちらに向ける。
それを合図に淑女の礼をとった。
「殿下、ご無沙汰しております」
「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません、殿下。本日は……」
「ああ、いい。堅苦しいのはなしで頼みたい。今は私とレーネ嬢の婚約の話、で相違ないかな?」
私たちの挨拶を制すると、殿下がアデリンデに尋ねた。その間に姿勢を戻す。
「さすがは殿下。ご慧眼です」
「この顔触れを見ればさすがにわかるよ。しかし、アルニム嬢は何故その話をしたいのだろうか? 私に約束を取り付けるまでしてしたい話とは思えないが」
「それは……。とりあえず、そちらにおかけくださいませ」
アデリンデは言葉を濁したかと思うと、自身の隣の席を殿下に勧めた。一人掛け用の椅子だ。
その椅子に殿下が腰をかける。上着の裾を巻き込まないように、ゆっくりかつ上品な所作で。
今日の殿下は金色の髪を軽く後ろに流している。
身に纏う衣装はいつもよりも装飾と刺繍が豪華だ。さすがは王子、といったところか。
「それで?」
殿下は席に着くや、アデリンデに話を振る。さっそく本題に入るつもりのようだ。
「はい。いらして早々に申し訳ありません。殿下にお伺いしたいことがございます。殿下はマルティナ様のことをどのようにお思いでしょうか?」
「レーネ嬢のこと? いいパートナーだった、とでも言えばいいか。同じ夢を抱く同志だったよ」
「同じ夢……でございますか?」
「ともに国を良くしていこう、そう話していたか。だが、私は彼女を裏切った。あなたには酷い仕打ちをしたね、レーネ嬢」
急に話を振られて内心驚くも、それをおくびにもださずに「とんでもございません」と真顔で返す。
すると、殿下が苦笑した。
「あなたはそうやって涼しい顔でなんでもこなす。いや、そうさせたのは私たち王家か。だからこそ私はいまだに諦めきれない。あなたがほしい。手放すにはあなたに魅力がありすぎる」
「殿下……」
突如殿下に求められ、直視できずに視線を落とす。
すると視界の端で、リディの手がきつく握り締められているのが見えた。その姿はまるで何かを堪えるかのようだ。
それに気付いたら、途端に胸が苦しくなった。
しかしだからといって彼に手を差し伸べることはできない。彼の手は自身の膝の上にあるため、体を傾けないと手が届かないからだ。
まして殿下との話の最中にそんな失礼な真似はできない。執務室の時とはわけが違う。
それに今は殿下への返答の方が先だ。
そう考えていると、ふとアデリンデに名を呼ばれた。
「マルティナ様はここまで殿下に望まれていらしても、殿下のご希望に沿おうとはなさいませんのね? あなたは国母に相応しい方ですのに」
少し前に私たちを寿いだその口で、ほぼ真逆の言葉を放つアデリンデ。
その言動に困惑を覚えつつ、自分の意思をきちんと告げる。
「申し訳ありません。わたくしにはもう、殿下とともに歩んでいく未来が見えないのです」
「そうやって、恋に逃げるおつもりですか?」
そう見られても仕方がない。
為政者の道を歩き続ける殿下を一人残して早々に離脱するのだから。
かといって、殿下の許に残るつもりはない。私には殿下を隣で支えていけるだけの力はないと自覚したのだ。それに……。
「……情けないことに、わたくしは彼を切り捨てることがどうしてもできないのです」
「マルティナ様は、わたくしたちを……民をお見捨てになるのですか? でしたらあまりにも無責任です。失望いたしました。
わたくしは以前からずっとマルティナ様を尊敬しておりました。わたくし以上に語学を習得なされ、領地経営にも覚えがおありで、国母としての教育ばかりか帝王学にまで触られている。そのうえいつも殿下を引き立てられ、半歩後ろをお歩きになる姿勢も素晴らしいと常々思っておりました。けれど、それはわたくしの思い違いだったのですね」
民を引き合いに出されると途端に迷いが生じてしまう。
私だって、姿を隠していた間ただ浮かれていたわけではない。
逃げている最中もあれこれ考えていたつもりだ。
それはもしかしたら自分本位の考えだったのかもしれない。けれど、それでも私は悩み抜いたのだ。
そして悩んだ結果、一つの答えを見つけ出した。私は――
「ええ。わたくしは民を見捨てます」
「なっ!?」
私の言葉が余程意外だったのか、アデリンデや殿下だけでなくリディまでもがぎょっとした顔でこちらを見てきた。




