来訪者
私室に戻るやドレスを脱いで、ここ最近では当たり前となったいつもの格好になる。令嬢の姿をするよりも手慣れたものだ。
地毛で作ったかつらを取り、肩まで伸びた琥珀色の髪をイルマに三つ編みにしてもらう。
単に庭に行くだけなのでこれだけでもよいが、心許ないので腰に男ものの剣を佩く。これでどこからどう見ても少年だ。
鏡の前で最終確認をし、イルマを伴いお母様と約束していた場所――庭に行く。
「まあ、もうこの花が咲いていたのね……」
長い間留守にしていたため、庭はすっかり様変わりしていた。
私の背丈よりもある木に、紫と白の二色の花が咲き誇る。
「来たのね。こちらですよ」
「お待たせいたしました、お母……」
『お母様』と言おうとしたところで、お母様が口元に右人差し指を添え、口を噤むよう指示してきた。
その動作を見て、考えるよりも早く口を閉じる。
「私のことは『アルベルタ様』と。あなたはその姿の時になんと名乗っていたのですか?」
「ルディ、ですけれど……」
「では私は『ルディさん』と呼ばせていただくわ」
「ま、待ってください、お母……いえ、アルベルタ様。一体何をなさろうと……」
お母様の意図がわからず、訊いてみる。
だがお母様は「そのうちわかりますよ」と言うだけで、結局意味を教えてはくれなかった。
「とにかく、座って?」
わけがわからないまま、勧められて席に着く。
イルマが後方に下がり、お母様の侍女が私にお茶を淹れてくれた。そのお茶を口に含み、こくんと飲み込む。ほのかな甘みと酸味がある、私好みのお茶だ。
「どう? 気に入って?」
「ええ、とても。私の好きな味です」
「ふふ、ルディさんが好きだと聞いて用意したものです」
私の好きなお茶にお菓子。
お母様に明言されたわけではないけれど、なんとなく私が帰宅するのを待ってくれていたかのようで嬉しい。お礼が口を衝いて出る。
「ありがとうございます……なんだか騒がしいですね?」
嬉しさに浸る間もないまま俄に辺りが騒がしくなり、音のする方へ顔を向ける。あっちは公爵邸の玄関だが……。
しかし席を立つわけにもいかず、そのまま向き直る。
「何があっても素を出してはいけませんよ?」
「アルベルタ様……?」
お母様が優雅な仕種でカップを口に運びながら言う。その落ち着いた様子から、何が起こっているのかを把握しているようだ。
ただし、私に話すつもりはないらしい。
疑問には思えど、いくら尋ねたところでお母様は話してくれないだろう。諦めて再びお茶に口をつけた。
「奥様」
不意に声をかけられ、そちらを見る。すぐ側に侍女頭のカーヤがいた。
「どうしたのです、カーヤ? 言ってちょうだい」
「はい。実は、……たいと……が……」
「わかったわ。こちらにお通しして」
「かしこまりました」
「?」
カーヤが一礼をしてこの場を去っていく。
二人はなんの話をしていたのだろう。耳打ちだったためうまく聞き取れなかった。
話の内容から察するに、誰かが来ているらしいが……。
いや、それ以前に私はここにいていいのだろうか?
少しだけ不安になり、ルディの口調でお母様に訊いてみる。
「アルベルタ様。先程から一体何が起こっているのです? 僕はここにいてもよろしいのでしょうか?」
「もちろん。あなたがここにいないとあの方はご納得しないわ。先程言ったことをくれぐれも忘れてはなりませんよ?」
お母様が真剣な表情で再び釘を刺してきた。これは余程のことではないだろうか。
そう感じたため瞬時に気を引き締めて、ゆっくりと首を縦に振った。
それから待つことしばし。戻ってきたのはカーヤではなく、執事のハンネスのようだった。
『ようだった』としたのは、私が彼に対して背を向けていたからで、ハンネスだと思ったのは「奥様、お連れいたしました」という彼の声を聞いたからだ。
お母様がハンネスの声を受けて立ち上がろうとする。つられて私も腰を浮かしたが、それはハンネスとは別の声で制された。
「いえ、そのままで。客人とお茶をしていたところを、申し訳ありません、夫人」
「!!」
その声に、ありえないくらいどきりとして、思わず浮かした腰を落とした。
そこからどんどん鼓動が速くなる。
遂には呼吸が浅くなり、それに気付かれぬよう必死に堪える。
……どうしてここに!? いつもはもっと遅い時間だってお父様が言っていたわ。それなのに何故……。
一瞬にして平静さを失い、何故、何故と同じことを頭の中で何度も繰り返す。
そんな私の様子を知ってか知らでか、お母様が私の後方にいる人物に恭しく頭を下げた。
「まあ。お心遣いを賜りましてありがとう存じます、殿下」
そう、この声は紛れもなくこの国の王太子殿下のものだった。お母様も『殿下』と言っているので間違いない。
ただしその姿は私の後方にあり、視認できない。
逆に言えば殿下も私に気付いていないということだ。ゆえに即座に頭を下げてその姿勢のままでいれば、この場をやりすごせるかもしれない。
しかしすぐに頭を振る。私には関係がない人だと背を向けたままにするには、あまりにも殿下の身分が高すぎた。
覚悟を決めて恐る恐る、かつ不自然にならぬよう振り返る。
「頭を上げてください。いくら暗黙の了解になりつつあるとは言え、先触れも出さずに来てしまったこちらが悪いのです。ですから……え?」
話の途中で殿下と目が合った。口を噤んだ殿下に、深々と頭を下げる。
正直、逃げ出したい。それをひた隠して殿下の反応を待つ。
「君……いえ、夫人、彼は?」
殿下は初め私に話しかけたが、すぐにお母様に話を振り直した。お母様からなら更に詳しい話が聞けると踏んだのだろう。
「この子はクルネールの血を引く者ですわ。それゆえわたくしに似ているのです。ただいろいろございまして、この子の存在を知る者は限られております」
「それは……込み入った話のようですね。気を害したのであれば、謝罪します。私はただ、マルティナ嬢に会いたいだけなのです」
「ええ、毎日いらっしゃるのですもの、承知しておりますわ。娘に会いたいという殿下のお気持ちも大変光栄にございます。
しかし、殿下がお会いになりたい娘はここにはおりません。邸の中をあらためましても、月の妖精はおりませんわ」
完全に言葉遊びだ。殿下はそれに気付いているのだろうか? もっとも気付いたところで、殿下がお母様を罰することはできないが。
というのも、お母様は殿下に何一つ嘘を吐いていないのだ。謀ろうとしたわけではなく、事実を述べたにすぎない。
ゆえにお母様が『殿下を謀ったつもりはない』と言ってしまえば、殿下は一切お母様に手出しできなくなる。
お母様も人が悪い。でも、話を振られていない私がそれを指摘するのはもちろん、話を遮るわけにもいかないので、そのままの姿勢で二人の会話を聞く。
その間に動揺する心を落ち着けることにした。
まず鼻からゆっくりと息を吸い、静かに口から吐き出す。それを何度か繰り返していくと、次第に動揺が収まってきた。
「彼女は留守、ですか……。あ、頭を下げさせたままだったね。すまない、もう上げてもいい」
殿下のお許しを得て、すっと頭を上げる。
久しぶりに会った殿下は、心なしか痩せたように見えた。
卒業式の前日から今日までの間、殿下に何かあったのだろうか? ユリアーナと別れたから、というわけではなさそうだけれど……。
「本当に公爵夫人にそっくりだ。名はなんと?」
「ルディと名乗っております」
「もしや先のグランデダンジョンで貢献をしたという冒険者で相違ないか?」
「はい。かような姿でお目にかかることを、ご容赦願いたく存じます」
「それは構わないが、まさかここで会うことになるとは……。今日は非番でここに?」
どうしよう。もう辞めてきましたって言った方がいい? それとも、団長に丸投げしてもいいかしら? 判断に悩む。
「実は……」
「わたくしが無理を言って、ここに来てもらったのです」
内心慌てていると、横からお母様が口を挟んできた。
「そういうことでしたか」
殿下がお母様の言葉に納得したようで、こくりと頷く。
嘘は言っていないものの、真実を隠して話すのはなかなかに骨が折れる。
とは言え、殿下はよそ行きの笑みを満面に張り付け頷いている。気付いたうえで話を合わせているのだろう。
いろいろと思うところはあるものの、今はそれでいい。
詳しい話はマルティナとして殿下と対面した時だ。
「あら、まあ。わたくしとしたことが殿下に席も勧めず……」
「大丈夫です、夫人。そちらの侍女に既に遠慮すると告げています。マルティナ嬢がいないのでしたらすぐに帰りますので」
殿下がお母様の話をやんわりと遮った。元から長居する気はなさそうだ。
と言っても、また明日来るのだろう。これからのことを思うと憂鬱になる。
「そうでございましたか。殿下」
「どうしましたか、夫人?」
「毎日いらっしゃらずとも、数日のうちに娘と相見える機会がございましょう。それまでは王城でお待ちいただくのがよろしいかと」
……は!?
思いがけないお母様の言葉に、私や殿下は勿論、近くに控えていた者たちまで目を丸くした。だって要は『もう来るな』ってことだもの。先程の言葉遊びとは違う、ともすれば『不敬』と取られかねない。けれど――
「殿下、これはそのままの意味でございます。数日の誤差はあれど、近日中に必ず娘は殿下のお許にご挨拶に伺いますわ」
「……そうですね。私ばかりが先走っても仕方がありません。無理強いもよくありませんし……数日中に彼女に会えるというのであれば、その機会を待ちましょう」
そう言って殿下はよそ行きのものとは違う、私が今まで数度程しか見たことのない笑みを浮かべた。
それから殿下は、後ろに控えていた護衛たちとともにお城に帰っていった。
*
「お母様……」
「あら、だめじゃない。名前で呼びなさいと言ったでしょう?」
「ふざけている場合ではありません! どうしてあのようなことをおっしゃったのですか! 一歩間違えれば不敬罪となる可能性だってあったのですよ!!」
殿下が帰っていき、お母様と二人きりになったところで、先程のお母様の発言について厳しく言及する。
するとお母様は、にこやかな表情を崩さずに口を開いた。
「いやだわ。私がそんな失態を演じると思ったの?」
「え……?」
お母様の意外な返答に思わずきょとんとする。
「殿下は少なからずご自身が非常識な行動をとっていることに気付いていらしたわ。でも我が家の者は、軽い苦言は呈しても、一度たりともその行為を咎めたりはしなかった。本当ならば殿下を詰ってもおかしくはないはずなのに。殿下はますます申し訳なく思われたでしょうね。それでも殿下は、あなたに会うまでその行動をやめようとなさらなかった。……意地だったのかもしれません」
何が殿下をそうさせたのだろう。私のことなどただの婚約者としか思っていなかっただろうに。
……いや、違う。今は有益な存在くらいには思っているのかもしれない。逃したくないと思うくらいには。でも、もう私は……。
「ふふ。そう心配しなくても、もうこのような歪な状態は終わりです。だってあなたが帰ってきたんですもの。きちっと線引きをしなくてはなりません。あらぬ噂を立てられでもしたら厄介ですしね」
「……裏の意味がないような話し振りでしたのに」
「あら? 裏の意味なんてありませんよ? 殿下が私の言葉をどうお捉えになるかはわかりませんけれどね。ただ、殿下も心のどこかではほっとなさっているのではないかしら。だからこそ意地を捨て、素直に頷かれたのだと思いますよ」
にっこりと微笑んだお母様がすっとカップに手を伸ばし、綺麗な所作でお茶を飲む。まったく、お母様には敵わない。
苦笑しながら私もカップを取り、口に運んでお茶を楽しんだ。
それから四半刻程お母様とお話をして、お茶会は終了となった。




