思いがけない再会と気付いた心
「ティナ?」
エーデルブルーメを出たところで、突如愛称を呼ばれて振り返る。
そこにいたのは、ブルネットの長い髪をハーフアップにし、淡い紫色のハイネックワンピースに身を包んだ一人の女性。いや、少女だ。
彼女はガーネット色の瞳をこちらに向け、弧を描くように口の両端を上げている。その口の左下には黒子があり、羨ましい程の姿態も相俟って、艶やかな大人の雰囲気を漂わせている。
その人物こそ私の幼馴染みで大親友、エミーリエ・パウラ・ローエンシュタイン。侯爵令嬢だ。
「まあ、エミィ!久し振りね」
「ほんと久しぶりね、ティナ。元気そうで何よりだわ。それにしてもどうしてここに……って、まあ!ティナと一緒にいらっしゃるのはイストゥール様ではないですか?」
私から隣に視線を移したエミーリエが口元に右手を添えて、僅かに目を見開く。
どうやらエミーリエはリオンと知り合いらしい。
でも変ねぇ……。彼女からはリオンと知り合いだという話を聞いたことがないわ。
「……ああ、ローエンシュタイン嬢でしたか。挨拶が遅れてしまい申し訳ありません」
「いいえ、こちらこそ。この間はありがとうございました。困っていたので本当に助かりました」
「とんでもない、お役に立てたのなら良かったです」
私を置いて二人が会話を始める。当たり障りのない挨拶程度の話だ。
でも……そうだというのに何故か少し落ち着かない。もやもやとした何かが私の心を支配していく。
それはとても形容し難い不快感。
置いてけぼりを食らった子供のような、そんな焦燥感が私の中を駆け巡る。
特に二人が笑顔になる度にそれが顕著になった。
だからと言って、どうやったらそれがなくなるのかが全くわからない。
仕方がないので、とりあえず表情を取り繕ったまま黙って二人を見ていることにした。
そうして、何もせずにリオンの横に突っ立つ。その間二、三分くらいか。
「イストゥール様、ティナと少しお話してもよろしいですか?」
エミーリエがちらりとこちらを見たかと思うと、突如私の名前を口にした。それに少しばかり驚き、目をぱちぱちと瞬かせる。
「え?ええ、それは構いませんが」
「では少しお借りしますね」
エミーリエはリオンが頷くなり私の左手をそっと取って、そのまま少し離れたところに移動する。
そして、私たちの会話がリオンに聞こえない辺りにまで移動すると、漸く彼女がこちらを向いた。
「ティナ、今までどこにいたの?あの日、あなたが家を出ると言うから協力したけれど、そこから数か月も音沙汰なしだなんて思わなかったわ。それに、その姿はどうしたの?」
やや身を乗り出して私に詰め寄るエミーリエに対し、申し訳ない思いが湧き起り眉尻を下げる。
「ごめんなさい、エミィ。私、全部あなたに押し付けて、一人充実した日々を送っていたわ……」
「それはいいのよ。だって私はあなたが幸せになるのを願っていたのですもの。それよりも、あなたがいなくなってから今までの話を聞かせて?」
その言葉にどうしようと思ったのは一瞬だ。すぐに話が長くなると判断し、あとで話をすることにした。
「ええ、わかったわ。ここではちょっと長くなるから、別のところで話すわね。
そうね、職人街の西側に商店が建ち並ぶ大きな通りがあるでしょう?その大通り沿いにグリューンヴィントという宿屋があるんだけど、そこの二〇二号室を今日一日貸し切りにしてあるの。だからそこで待っていてもらえないかしら。部屋には私の侍女のイルマがいるわ。『二〇二号室のジルに会いに来た』と言えばページボーイが部屋まで案内してくれるはずよ。
それと、今日は早めに戻るつもりだけど、遅くなったらごめんね。でも遅くとも夕方になる前には戻るわ」
「ふふ、それじゃ美味しいお菓子を買って、先に部屋で待ってるわ。イストゥール様との関係も話してくれるのでしょう?」
「え? ええ、まあ……」
エミーリエが目を細めたかと思うと、裏がありそうな妖艶な笑みを浮かべてきた。
それを見て(あ、これは根掘り葉掘り訊かれる)と瞬時に悟った私は、頬をひくっと引き攣らせた。
「イストゥール様、わたくしはここで失礼いたします。どうぞごゆっくり」
リオンの許に戻るなり、エミーリエがにんまりとしながらリオンを見て言う。
口調は丁寧なのに態度はそこまででもない。親しいのか親しくないのかいまいちわからない距離感だ。
「ありがとうございます、ローエンシュタイン嬢」
一方のリオンは、嬉しそうに顔を綻ばせてエミーリエに礼を述べる。その表情は今まで目にしたことのない、幸せそうなものだった。
あ……。
そのリオンの顔を見るや、何故か叫びたいような、泣き出したいようなわけのわからない感情が込み上げてきた。
それを、口を真一文字に引き結び、歯を食いしばることで表に出てこないよう必死に堪える。
するとその感情は、必死に堪えたかいあってか私の中からすうっと消えていった。
……一体何だったのかしら?
内心首を捻ったものの、あの笑顔の何が引き金となったのかがわからない。
気にはなったけれど考えるだけ無駄だと早々に判断し、先程から気になっていたことを彼に訊くことにした。
「ねぇ、リディ」
既に小さくなっていたエミーリエの後ろ姿からリオンへと視線をずらし、彼の名を口にする。それに反応してリオンがこちらに顔を向けた。
「どうした、ルティナ?」
……訊いてもいいよね。
「あなたはエミィと知り合いだったのね。それに彼女を助けたって何かあったの?」
私の問いにリオンが目をぱちりと瞬かせる。
でもすぐにいつもの表情に戻って口を開いた。
「あー……二か月程前にヴァイス公爵家で夜会が催されていたのは知っているか?」
「いいえ。多分お父様がお断りしていたと思うわ」
「そうか。実はローエンシュタイン嬢がその夜会にどうしても参加しなくてはならなくなったらしいんだが、パートナーが見つからず困っていたんだそうだ。それで父親経由で話が入ってきて、俺がパートナーを務めたんだよ」
成程、二か月前なら知るはずもないか。だって私はその間一度も邸に戻っていないものね。
「まあ、そうだったの。イストゥール侯爵はエミィたちのお父様と懇意にしているのね?」
「ああ。元々家同士、それなりに交流があったんだ。互いに侯爵家だったこともあってな。だから顔を合わせたことは何度かあったんだが……」
そこまで言ってリオンが言い淀む。どうしたというのだろうか。
「リディ?」
「いや、パートナーだけかと思ったら、その後ローエンシュタイン嬢との婚約話が浮上してきてな。まさかそんな話になるとは思わなくて驚いたんだよ」
「え?」
苦笑しながら言ったリオンの言葉に、体がぴしりと固まった。
(どういうこと?リオンはエミィと婚約するの?だって私とこれからも会ってくれるってさっき……)
……違う。彼は『これからも会ってくれるだろう?』とは言ったが、『婚約してくれるだろう?』とは言わなかった。なら、あの言葉はどういう意味だったのか。
もしかして、彼はエミィと婚約するつもりだった?だから私に婚約の話を振らなかった?
……いや、そんな不誠実なことをリオンがするはずない。彼がそんな人間でないことは、私が一番よくわかっているもの。
けれど、なんだろう……。胸騒ぎがする。この先を聞いてはならないような、そんな気がするのだ。
しかしそんな私を置いてけぼりにして、リオンが満更でもないような顔で話を続ける。
「しかも俺たち以上に互いの父親が意気投合してまって……。酔った勢いもあってその場で正式な婚約を交わそうとした時にはさすがに焦ったわ」
「……そ、の場で?」
「そう。仮に両思いであったとしても、酔った勢いで婚約させられるなんていい気持ちしないだろう?ローエンシュタイン嬢にも悪いから『早急すぎないか』と父親たちに言ってやったら『なら仮の婚約でもしてみればいい』とか返してくるし……」
――いやだ!
「その話も進んだものだから……」
――これ以上聞きたくない!
「もういい」
「え?ルティナ?」
私のものとは思えないくらいとても低い声が出た。その声でリオンの話を遮ると、リオンが不思議そうな表情でこちらを見てきた。その表情に苛立ちを覚える。
(何よ、すっとぼけた顔しちゃって!最初からそういった話があったんじゃない。とんだ茶番だったわ)
そう、本当に茶番だ。
私一人だけが何も知らずに勝手に浮かれていたのだから。
婚約できると、殿下から逃れられるとそう思っていたのだから。でも……。
(何が『親が何も言わないから自分で見つけるつもりだった』よ。思い切り干渉しているじゃない!)
今回の話は侯爵がリオンを放任しているという話だったからうまくいっていたのだ。その前提が崩れたら、婚約話自体が立ち消えになる可能性だってある。彼とこうして会うこともできなくなるかもしれないのだ。
それに、いくらリオンが私と婚約したいと言っても、イストゥール侯爵が……侯爵家当主が婚約に頷かなかったらそれまでだ。
事実、侯爵はエミーリエを推している。私の存在を知らないのだから当然なのだけれども。
加えて、彼の気持ちがどこを向いているのかがよくわからない。もしエミーリエを向いていたら……?
いや、それは先程否定したではないか。彼は不誠実な人間ではない、と。
ただ、恋情なんてわからないものだ。一瞬にして燃え上がる。
そう、殿下とユリアーナのように。だからリオンも――
(はっ。まさかさっきのあの笑みって……)
……ああ、そういうことか。実に馬鹿馬鹿しい。乾いた笑いが出てしまいそうだ。
これ以上表情を取り繕うのも馬鹿らしくなって、不機嫌な顔を隠さずにキッとリオンを睨みつける。
「用事を思い出したので帰ります。送ってくださらなくて結構よ。さようなら、エリオット様」
「えっ!?あ、おい!ルティナ!」
くるりと向きを変えるとずんずんと歩き出す。
後ろで私を引き止めるリオンの声がするけれど、その一切合切を無視してやった。
――けれど。
けれどもし、私が冷静であったのならば。
また、リオンの話をきちんと最後まで聞いていたのならば。
そして、私の『周りが見えなくなる悪い癖』が出てこなければ。
そうしたら、いろんな人に迷惑をかけることも、私があんな目に遭うこともなかったのだと思う。
***
リオンと別れて職人街の中央広場の方に向かう。
その足取りはぐんぐん凄まじい速度で進んでいるかと思えば、途端にのろのろと遅くなる。
頭の中では先程のリオンの言葉がぐるぐると回っているが、ただぐるぐる回っているだけで、思考の方は靄がかかっているらしく何も考えられない。
もう何が何だか……。
どうして私は、リオンとエミーリエが婚約すると聞いただけで、こんなにも衝撃を受けているのだろう。
彼とは仮の婚約でいいと思っていたはずなのに。それで十分だと思っていたのに。それなのに……
どうしてこんなに胸が苦しいの?
……わからない。
この胸の張り裂けそうな痛みも、気を抜いたら零れてしまいそうになる涙の意味も全く……。
ただただ苦しい。
「リディ……」
ぽつりと漏らしたその声は誰の耳にも届かず消えて行く。
そう、まるで私の想いのように。
だって私はこんなにも――
……?
こんなにも?……何?
「あ……」
それに触れてしまい、これ以上開かないのではないかというくらいに目を目一杯見開く。同時に足が止まった。
私『こんなにも』のあと、何を思った?思ってしまった?
……ううん、考えてはだめ。
でも、これ以上考えてはだめだと思うのに、こういう時に限って頭の靄が晴れて行く。そして――
あぁ……あぁ、そうか……。
――私、リオンのことが好きなんだ。
気付いてしまった。
ちょっとおどけた姿も、私を手のかかる子のように構い倒す姿も、悪戯がばれて少年のようににっと笑う姿も、一人の女性として優しく私に接してくれる態度も全部ひっくるめて彼のことが……。
(……っ!)
そう思った瞬間、無意識裡に押し止めていた想いが泉のように湧き上がり、そして一気に溢れ出た。
その想いは、今まで抑制していたこともあって次から次へと噴き上がる。こうなってはもう、誰にも止められない。
なんて愚かなことだろう。
恋の危険性は被害者である私が一番良くわかっていた。
だから私はそんな危険を冒さぬよう、無意識のうちに心に蓋をしていたのだ。愛し愛されたいという二律背反な思いを抱きながらも。
だというのに、その蓋をあろうことか私自らが開けてしまった。折角今まで気付かぬ振りをしていたというのに。
そして、一度開けてしまった蓋はもう二度と締め直すことができない。
私に残された道は、彼を諦めるか、最期まで身を焦がすかのどちらかしかないのだ。
その事実に気付いて、力なく項垂れる。
何故このタイミングで気付いてしまったのだろう。まるで道化ではないか。
だって彼への想いに気付いた瞬間、失恋してしまったのだ。これを笑わずして何を笑うというのか。
「……っ」
喉が引き攣って乾いた笑いさえ出てこない。
再び頭に靄がかかったみたいでうまく考えることもできない。
この先どうしたらよいだろう。どんな顔をして彼の前に出ればよいのだろう。
再び歩みを進めながら考える。
わからない。わかりたくない。
(リディ……)
私の脳裏に浮かぶのは、にかっと笑う彼の顔。
その彼に向って決して届くことのない右手を伸ばす。
ああ、今すぐ彼に会いた――
――ドッ!!
「……うぐっ!」
突如鳩尾のあたりに衝撃が走り、くぐもった声が漏れるのと同時に意識が遠のき始める。
痛い、苦しい……。
立っていられなくて膝をつきかけたところで誰かに支えられる。
一体誰だろう。薄れゆく意識の中で徐に目を動かせば、薄暗い路地と朝に会った二人の男、それからごろつきのような男たちの姿が目に映った。
「……ったく散々手間をかけさせやがって」
「でも手に入ったんだからいいではないですか」
「まあ、そうだが……にしてもこの女も馬鹿だな。一人でのこのここんなところに来るなんて……おい、連れて行け」
男の声に併せてざらざらとした布が頭から被せられる。
……リ、ディ…………
そこで私の意識は完全になくなった。
更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
空いている時間を見つけてなるべく早く更新したいと思いますが、しばらく更新が遅くなるかと思います。




