公爵令嬢と魔法師団師団長と1
あのデートの日から数日が経ち、私は日常の生活に戻っていた。
と言っても、全てが以前のままというわけにはいかない。
リオンを見る度にあの日のことを思い出してしまい、気恥ずかしさから僅かに目を逸らしてしまうのだ。
ただ、幸いにもリオンは私の微妙な変化に気付いていないため、私に対する彼の態度は何一つ変わらない。実にありがたいことだ。
よって今日もいつも通り机に向かって、リオンと一緒に内務をこなす。
「ふぅ。終わったー!」
「まじかー。こっちも手伝ってほしいんだが……」
「無理。それはリオンしかできないでしょ?僕はこの書類を団長に引き継いでくるね」
リオンの頼みを撥ね付けて立ち上がると、そのまま部屋を後にする。
リオンはそれに対して何も言わず、一つ頷いて私を送り出してくれた。
すぐ隣にある団長室の扉の前まで来ると、いつもの如くノックをし、応えと同時に中に入る。
すると、部屋の主は今まさに席を立とうとしていたようで、私に顔を向けるなり「どうした?」と急くように尋ねてきた。
「こちらの書類に目を通していただきたいのですが」
「ああ、わかった。机の上に置いておいてくれ。後で見る」
団長は机の上にちらりと視線を向けて私に指示すると、即座に側にあった書類を持って歩き出す。
「どこかに行かれるのですか?」
「ああ、ちょっとな。ほかにも用があるのか?」
「いえ、特にはありませんが、ただその書類を渡すだけなら僕が持って行きますよ?」
丁度一段落したところだし、リオンは暫く書類にかかりきりだろうしでする事がないため、なんとなく親切心で申し出てみる。
すると、団長は少しだけ眉尻を下げて困った表情をした。
「だがなあ、これは魔法師団師団長に置いてくるものだからな……。
ルディ、君はエリオットに魔法師団の区画に行かないように言われてるんだろう?私もエリオットに、君を魔法師団の区画に近づけるなと釘を刺されている」
「大丈夫ですよ!一回だけじゃないですか。しかも置いてくるだけ。長居をするつもりはないし、さっと渡してさっと帰ってきますよ!その書類を師団長に渡して来ればいいんですよね?」
「ああ、まあそうだが……。うーん、なら頼むか」
「はい、行ってきます」
団長から書類を受け取り、団長室を飛び出す。向かうは魔法師団区画の師団長室だ。
何故リオンが、私を魔法師団の区画に近づけたがらないのかはわからないけれど、ちょっと行って書類を置いて来るくらいなら別に構わないだろう。命が危険に曝されるというのも大袈裟だろうし。
そんな安易なことを考えながら、塔の中央にある会議室の脇を通って、魔法師団の区画へと向かった。
***
(そういえば魔法師団の区画って初めてだわ)
初めて訪れた魔法師団の区画は、聖騎士団と造りが同じだというのにどこか不思議な雰囲気が漂っていた。
目に見えない、あえて言うのならば『薄い膜のようなもの』が辺りにぴんと張り巡らされており、それが肌に直に伝わってくるのである。
そして、その感覚には覚えがあった。我が家の訓練室だ。
そこではお父様の結界が幾重にも張り巡らされており、魔法が思い切り放てるようになっている。それはつまり、我が家の訓練室に張ってあるお父様の結界と同じものがここにも張ってある、ということにほかならない。
恐らくほかの区画、延いてはこの塔を魔法から守るためだろう。
何せここは魔法師団の本部、魔術師の総本山だ。一階には訓練場もあるので当然の措置と言えよう。
そんなことを考えつつ廊下を歩く。
すれ違う人たちはあまり私に関心を抱いていないらしく、皆何か思案……というか自分の世界に浸っているようだった。
師団長の部屋に着き、扉を数回程ノックする。……何の応答もない。
試しにもう一度ノックして少し待ってみるも、やはり反応はなかった。どうやら留守のようである。
(さて、どうしようかな)
ここで待ってみたところで師団長がいつ戻ってくるかわからない。ならばいっそのことそこら辺の魔術師にでも尋ねてみようか。
そう思い辺りを見回そうとしてふと気付いた。ここは師団長室がある四階で、言ってしまえば殆ど人が通らない場所である。探したところで誰も見つからないのではなかろうか。
(仕方がないわね。下の階に行って誰かに聞いてみましょう)
そう判断して踵を返そうとした瞬間。
「いっ!?」
右手首に痛みを覚えて思わず顔を顰めた。
一体何事か。突然のことに混乱する。
そんな私の耳に、場にそぐわない歓喜の声が届いた。
「ああ、やっと会えた!思いの外聖騎士団のガードが固くて君に会うことができなかったんですが、まさか君自身がここに来てくれるとは!これも何かの縁ですね」
「は?」
慌てて振り返ると、そこには探していた人物、魔法師団師団長がいた。
師団長は私の右手首をぎゅっと握りしめ、満面の笑みを湛えている。
いやあの、その笑みにしてその手はおかしくないですか!?
半ば半眼になりつつ、彼の姿をじっと見る。
言動はともかく、折り紙付きの美しさだ。
天使の輪ができる程に艶めく濃紺の長い髪は、後ろで一つに束ねられ、輪郭に沿って湾曲を描くサイドの髪は、彼の動きに合わせてさらりと動く。
顔のつくりは素晴らしく、白皙のそれに映えるのは、仄かに赤みを帯びる唇。
氷のように透き通る秘色色の瞳は、切れ長の目と相俟って一見冷たく見えるものの、いつもにこやかに微笑んでいるために微塵も冷たさを感じさせない。寧ろ笑みだけ見れば温和な印象すらある。
そんな彼の笑みにくらっとくる婦女子は多いと聞く。
何でも、皆一様に『ギャップが!ギャップがー!』と言って胸を押さえながら倒れ込んでいるらしい。
これはさぞや彼の隣の座を狙う者が多いのだろうと思えば、予想に反してその座を狙う者は少なく、皆親衛隊に加入して素行よく追いかけているのだとか(ご令嬢方談)。
けれど、当の本人はそのことに関して一切反応をしていないらしい。黙認しているのか面倒なのか……。
それに対してご令嬢方は『絶えず微笑んで、皆様が仲違いしないようにお心を砕いておられるのですわ。何とお優しいのかしら』と都合の良い解釈を述べていた。返す言葉がなかった私は曖昧に微笑んでやり過ごしたのを覚えている。
また、ご令嬢方は『魔法師団の漆黒のローブを纏うお姿と、冷たい印象のご容貌には、怜悧という言葉がぴたりと当て嵌まりますわね。それなのにあの笑顔なんですもの。謎めいておりますわ』という話もしていた。
あの時だけは私も同意見だったために、皆の輪の中に入って話をしたのよね。
ただ、その後全員が恍惚の表情を浮かべて明後日の方向に視線を向け始めたものだから、その場の雰囲気が異様なものになってしまい収拾するのが大変だったわ。
まあ、今だから笑って言える話なのだけれども、それはさておき。
彼女らが言うように確かに目の前の彼は、怜悧な印象も、にっこにこな笑みも相反することなく両立しており、均衡でありながら実に不自然である。
現に、今も何を考えているのか全くわからず、なかなか不可思議だ。
「あ、あの。団長から書類を預かってきました。こちらを……」
「ああ、ありがとうございます」
師団長に書類を渡すため、さりげなく師団長の手を解こうと試みる。実は掴まれた手が痛いので離してほしいのだ。
だが、師団長はやや痩躯の体に似合わず意外と力があって、私のささやかな抵抗ではびくともしなかった。さすが男性の力である。
更に師団長は、私の持っていた書類を空いている手でひょいと奪い取ると笑顔のまま礼を述べてきた。完全に作戦失敗である。
とは言え、力づくで解くわけにもいかない。下手な騒ぎは命取りだ。
(どうすればいいの……)
今更ながらにリオンが言っていた言葉の意味を理解して、途方に暮れた。その時である。
『今すぐその汚い手を妹から離せ』
突如私の真横から、怒気を孕んだ声が発せられた。
それは知っているけれど知らない声。
いつもは私を甘やかすようにかけられる優しいそれが、今はとても恐ろしいものに思え、どうしてもそちらに顔を向けることができなかった。
けれどそうも言っていられない。腹をくくって、先ずは視線をちろりと、続いて顔をゆっくりとそちらに向ける。
そこにいたのは紛う方無き我が麗しのお兄様。
相も変わらず完璧な容姿のお兄様は、現在師団長を睨め付けている。
それにもかかわらず隣の師団長は、怯えるのではなく怪訝そうな表情を湛えてお兄様の方を向いていた。
「妹?ルー、どこに女性がいるのです?彼は男性ですよ。それにあなたの妹とは似ても似つかない」
「あなたの目は余程節穴のようですね」
(ちょっとお兄様!?相手は上司ですよ!)
先程の暴言といい、お兄様は自分の立場を理解しているのだろうか。
ついお兄様が心配になりおろおろとしていると、お兄様の後ろに控えていたヴェルフと目が合った。
ヴェルフは私にぺこりとお辞儀をしてこちらにやってくる。
「ルディ様、ご無沙汰しております」
「ヴェルフ、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!早く二人を……」
「大丈夫ですよ、ルディ様。いつものことですので」
ヴェルフは、私が二人の口論に驚いていると思ったのか、焦った様子もなくのんびりと答える。
しかし、私が気にしているのはそこではない。
「そうじゃないから!早く二人の口を止めないと僕の方がまずいんだってば!」
「あ、無理です。二人を止めるなんて私にはとてもとても……」
「ヴェールーフー!」
いくら人通りが殆どないと言っても、どこで誰が見ているかわからない。急いで二人の口を噤ませてこの場を去らないと、私の話が団長やリオンどころか殿下の耳にも入ってしまう。私はまだ殿下に会いたくない。
だからヴェルフに二人を何とかしてもらうように頼んだのに、あっさりと断られてしまった。裏切者!
ほとほと困り果てて口論する二人に顔を戻す。
すると、お兄様が私の手首を掴んでいる師団長の手をはたき落として、自由になった私の手を引っ張った。
その勢いでお兄様の胸に飛び込む。かなり勢いがついていたと思うのだが、お兄様はよろけることなく私を受け止めてくれた。意外と筋力があるのね。
ただ、気の所為だろうか。がっちりと押え込まれているこの状況。まるで捕らえられたグレートベアである。
助けてもらっておいて何だが、何とも言えない気分だ……。
そんな複雑な心境の私に、お兄様は顔を向けることなく、耳に届くか否かくらいの声量で話をしてきた。
「ティナ、手首大丈夫?私の部屋に行ったらすぐに魔法をかけてあげるよ」
お兄様は私をマルティナとして見ておりそのように接してくるのだが、非常にまずいことに私は今男装中である。だからこれ以上下手に喋らないでほしい。
それに、いくらお兄様の言を戯言だと思っている師団長でも、ここまできたらさすがに勘づくはずである。
そう思いちろりと師団長の顔を窺えば、師団長が未だお兄様の言葉を信じていないような面持ちで、目を眇めてこちらを見ていた。鈍い。
でもこの様子なら誤魔化しが利くだろうか……。
「ティナ?僕はル……」
「とにかく私の部屋に行こうか?」
「ひゃっ!?」
何も知らない令嬢が見たら頬を染めてお兄様を見つめることだろう。何しろお兄様は満面に、誰もが見蕩れるような笑みを湛えているのだから。
だが、私は知っている。この笑みの瞳の奥底には、怒りという感情が眠っていることを。私にとってこの笑みは、恐怖以外の何物でもないのだ。
そしてこうなったが最後、私は精神衛生上お兄様の指示に従うほかない。
そんなわけで、私はお兄様に連行されて、お兄様の部屋とやらに向かった。
誤字報告などなど、いつもありがとうございます。
※怜悧 意味は【聡明】【賢い】【判断力がある】【頭の回転が速い】など。
頭が良いという意味合いだと思っていただければ幸いです。




