ギルド
貴族のタウンハウスが建ち並ぶ地区を南下すると、タウンハウスよりもはるかに小さく、慎ましやかな家々が見えてきた。庶民街だ。その名の通りこの王都に居を構え、庶民が暮らす地区である。
そこをてくてくと通り過ぎ、更に南下すること邸を出てから40分余り。
そろそろ馬車が恋しくなってきた。ああ、楽したい…でも初っ端からこれでは先が思いやられる。それにあまり人目に触れたくはないから、今現在人気の少ない場所を歩いているのだ。よって乗合馬車に乗ることもあきらめた。
近くの大通りで乗合馬車が走っているのが見えるが、それを恨めしい思いで眺める。だがそれも目的地に辿り着いたため漸く終わりを迎えた。最終目的地はここじゃないけれどね。
そこは先程の庶民街よりも賑やかな一画だった。
それもそのはず、ここは商店や職人が集う地区――職人街――なのだから。
職人街には貴族御用達の高級店などが並ぶ区画もあるが、私がいる場所はそことは違い、時折喧騒も聞こえてくる。だからと言ってそこまで不快ではない。また、夕食の買い出しなのかあちこちのお店に人の姿が見え、そんな人たちに接客や集客のために声を張り上げる店主もいる。商魂逞しいものだ。
明日は卒業パーティーのため、本日は授業らしい授業がなくお昼過ぎに学院が終了している。
お妃教育や誰かとのお茶会もなく、例のあの出来事があったので直帰していた。なのでお母様との手合わせと湯あみの時間があったとしても、未だ日は傾いてはいない。
お目当てのお店の前で中の様子を窺うと丁度客が出てくるところだった。
「ありがとうございました!……おや、お客さんいらっしゃい、見かけない顔だね」
「ええ、たまたま王都に来たんですよ。…魔獣との戦いで髪のリーチを見誤ってね、ここだけバッサリいっちゃったんだ。整えてもらいたいんですけどいいですか」
「もちろん。それが仕事だからね。さ、中へどうぞお客さん」
客を見送った後、入口で突っ立っている私に気づいた店主が声を掛けてきたので、適当に理由を述べて中へ入る。
店内は生活感があり壁や柱が少し痛んではいるが、隅々まで掃除が行き届いていて不快な感じは全くなかった。中央よりもやや壁側に椅子が三脚程置いてあり、そのうちの二つに客とみられる男性が座り、その客の後ろに従業員が一人立っている。
店主に空いている席に案内されコートと鞄を預け座ると、従業員が椅子に掛けられていた布を首に巻いてきた。店主はすでに鋏を手にしていて準備は万端のようだ。
他の客が先ではないだろうかと不思議に思ったのだが、よくよく耳を傾けるとどうやらもう既にカットは終わって雑談しているようだったので、そのまま店主に任せて髪を整えてもらう。
「綺麗な髪ですね、全く傷んでいないですよ。まるで毎日手入れしているような…」
「髪どころか兄ちゃん自体綺麗な顔してるじゃないか。どこかのお貴族様だったりするのかい?」
「まさか。ただの冒険者ですよ」
「そうなのか?冒険者にしておくには勿体ねぇな」
店主が髪に言及すると隣で喋っていた中年のおじさん2人が会話に交じってきた。
身バレするとまずいので適当に笑ってごまかす。貴族らしい所作はやはりごまかしきれていないようだったが、性別まではバレていないようだ。他愛のない話にさり気なくシフトチェンジし、その間に髪を整えてもらった。
(わぁ…本当に男の子だわ。随分短くなっちゃって、誰も私だって気づかないだろうなぁ)
仕上がって鏡を見た第一印象はそれだった。
襟足に届くかどうかくらいの長さで首元が少し涼しく感じる。癖のある髪は、短くなって重みがなくなったためにあちこち跳ねてはいるが、みっともなさは微塵も感じられず、寧ろ態々跳ねるようにセットしたかのようだ。うん、短い髪形も悪くないわ。貴族社会じゃ無理だけど、庶民や騎士の女性は短い人もいるし。
この世界の殆どの国では、貴族女性は髪を伸ばすのが常識だ。
貴族女性が髪を短くするのは罪人に堕ちた場合であり、普通なら短くするなんてことは絶対にありえないことである。そう、本来ならありえないことなのだが、私はあの人に見つかりたくはなかった。だから今を逃げ切るためにこうして髪を切ったのだ。けれど、これからは少しずつ伸ばそうと思う。いつかはあの世界に戻らなくてはならない。それは初めから分かっていたことだから。
店の主人に支払いを済ませながら礼を述べてお店を出た。
まだ高い位置にあった日が少しずつ傾いてきてる。それ程時間が経ったつもりはないが急がなくては。ここからそう遠くはないので日が暮れる前にはなんとか辿り着きそうだ。
不自然な髪型じゃなくなったため今度は堂々と表通りを進んでいく。
商店が建ち並ぶ通りを過ぎ、人通りが少ない路地裏へ入ると、奥まったところに大きくて飾り気のない、機能だけを重視した石造りの建物が見えてきた。私の最終目的地だ。
いつもなら近くまで馬車で来ていたが、歩いてくるとそれなりに距離があるのだなと、お疲れ気味の足を労わりながら重厚な扉を開けて中へ入る。
その建物の中は想像していた通り陽気な声と喧騒であふれていた。
入って正面にカウンターがあり、左側には何台ものテーブルが置かれていて、いかにもと言う体な風貌と武器を持った荒くれ者たちでごった返している。その荒くれ者たちはまだ日が高いと言うのに、皆思い思いに酒の入ったグラスを傾け胃の中に流し込んで上機嫌だ。
どこからか私を小馬鹿にする声も聞こえるが、ここは一先ず無視してカウンターに控える女性のもとへ向かう。
今の私ほどではないがおかっぱくらいの短めの髪に、年齢不詳の顔立ち、少々露出度が高めの服で、恐らく私より5歳は上だと思われる女性がこちらに笑いかけてきた。
「いらっしゃーい!久しぶりねぇ、ルディ君」
「こんにちは、ギーゼラさん。今日も綺麗ですね」
「やだー、うまいんだからぁ!褒めても何も出ないわよ?」
「そうだぞ、ルディ。ギーゼラはがめついから何も出してはくれないぞ」
「失礼ねっ!そろそろツケを払ってもらおうかしら」
「うぐっ…じょ、冗談だよ冗談!」
「どうかしら」
いつものように始まった、受付嬢のギーゼラと荒くれ者たちのやり取りにほっとする自分がいる。いつ来てもここ『冒険者ギルド』は、自分を飾る必要がないから心が落ち着く。みんなとの会話も最初は戸惑ったけれど、3年も経てばすっかり慣れて居心地がよくなるから不思議なものだ。
ちなみに私を小馬鹿にした冒険者は見たことがない。初めて会うと皆同じように小馬鹿にしてくるけれど、次第に打ち解け合って冗談を言い合える仲間に変わってくる。きっとこの人もそうなるだろう。
そうそう、ここでの私はルディと名乗っている。本名に近い方が咄嗟の時に反応しやすいかなと思って、バレそうでバレないあたりの名にした。一応ファミリーネームを考えたんだけど3年経っても未だ名乗る機会を得ていない。名乗らないに越したことはないけれど。
そうこうしているうちにみんなのやり取りが一段落したようなので口を開く。
「今日はどんな依頼がありますか?」
「それがねぇ、今はちょっと少ないのよ。ダンジョンの依頼は一旦ストップ掛けられてるし」
「ストップって一体誰がしてるんです?」
「聖騎士団の方よ。なんでもちょっと不穏な気配がするとかで」
「それなら我々に探索協力を要請した方が早いんじゃないですか?」
「そうなんだけどね…」
ギーゼラの話ではなんでも、王都のすぐ外にあるグランデダンジョンで不穏な気配がするらしい、と我が国の魔法師団師団長様が仰ったために、聖騎士団が配置されて警備に当たっているとかなんとか…。そこまで大人数ではないらしいのだが『冒険者は騎士たちの邪魔をしないように探索を控えてね!』と、お達しがギルドに来てしまったとのこと。なのでダンジョンでの採集や討伐などの依頼が全てできない状態なのだそうだ。
「それじゃあ依頼は後でまた見るとして、とりあえず空いている部屋をチェックインしたいんですけど大丈夫ですか?」
「あら、珍しい。ルディ君が泊まるなんて。ちょっと待ってね。ええと…部屋は2階の右から3番目の部屋なら空いているわ。ああ、リオンさんのお隣の部屋ね」
「リオン?彼が今日ここに来てるんですか?」
「ええ、あ…とほらそこに」
彼女の視線を辿って左後方を見ると、一人黙々と飲食をしている青年がいた。
青年は真っ直ぐで艶のある燃えるような赤い短髪に、同色で縁取られた長い睫毛、そこから覗くは太陽のように明るいシトリンを彷彿とさせる金色の目、スッと通った鼻梁、形の良い唇、それらが絶妙なバランスで配置され、正に美形と呼ばれる類いの容貌だ。一見すらっと細身に見える姿態だが、よくよく見ればしっかりと鍛え抜かれた筋肉が付いていることが窺い知れる。だがムキムキと言うわけでもない。必要な筋肉が必要な分だけ付いていると言えばわかるだろうか。だからむさ苦しさは全くない。率直に言えば、好きとかそう言った感情関係なく彼は恰好良い。
ルートヴィヒお兄様が麗しいタイプなのに対し、彼は爽やかな好青年と言えるタイプで、二人は違ったタイプの美男子と言えるだろう。
歳は本人曰く22歳だそうだが、それよりは幾らか若く見える。彼が嘘をついているようには見えないが、3年の付き合いの中であまり風貌が変わっていないのも事実だ。
斯く言う私も、彼からすれば身長も顔つきも微々たる変化しかないので、とても不自然に見えるだろう。でも彼がそんなことを気にするような性格じゃないことは、この3年でよくわかっていた。
冒険者は色々な事情を抱えている者も多い。そのためプライベートに口を挟まないという暗黙の了解が存在しているのだ。
懐から以前依頼を受けた時の報酬の入った袋を取り出すと前金を払い、鍵を受け取りすぐさま踵を返してリオンと呼ばれた青年のところへ向かう。すると向こうも私の姿に気づいたのか、ニッと笑みを浮かべ、片手を上げて挨拶を寄越す。
「よぉ、ルディ。久しぶりだな」
「ああ、まさか君がいるなんて思わなかったよ」
「それはこっちのセリフだ。まあ、座れよ」
勧められてリオンの向かいの席に座るととりあえず飲み物を頼んだ。
すぐに運ばれてきたそれを口に含み一息つくと、あらかた食事を終えたリオンが果実酒の入ったグラスを手にしつつこちらを見る。
「随分短くしたなー。丁寧に編んでいただろう、どういった心境の変化だ?」
「…どうしたもこうしたもないよ。ただ必要なくなったからバッサリと切ってやったんだ」
「ま、そう言うことにしてやるよ。それで、珍しく部屋を取ったと言うことは暫くギルドに居座るつもりか?」
「まあね。自由な時間ができたから思い切り羽を伸ばそうと来てみたらこれだよ。やってらんない」
「しょうがないだろ。諦めて聖騎士団の用が終わるのを待つか、別の依頼探せばいいさ」
「それはそうなんだけどさ。久しぶりに派手にやりたかったなぁ」
肩を竦める彼を横目に少し口を尖らせる。お子様だと思うなら思え、今の私は15歳の少年だ。多少の子供っぽさは、ある意味大人と子供の境目の男の子らしい仕種だと思っている。ギルドの中に幾人か貴族の子息らしい人も見かけるので、私だとバレないようにするため徹底的に演じきらなければ。
目の前のリオンも恐らくは貴族だと思う。貴族にしては砕け過ぎた口調だけれど、一つ一つの所作はどうみても貴族のそれなのだ。先程の食事を摂ると言う動作一つとっても、素晴らしく洗練されていて、一朝一夕で身につくものじゃない。私だってこうして庶民の少年を演じていても貴族らしさが抜けきらないのだから、22年生きてきたリオンには呼吸するようなものだろう。
貴族の中でリオンと言う名前の青年は記憶にないけれど、馬鹿正直に本名を使う人はまずいない。アナグラムかなんかなのだろう。
「ああ、そう言えばこんな依頼もあったわよー?」
「何々?………………はぁ!?…えっ…ちょ…『生贄の護衛』って何だコレ!?」
私たちの話を聞いていたのか、ギーゼラが依頼の書かれた紙を持ってきたのでそれを受け取って見る。が、次の瞬間その衝撃的な内容に思わず二の句が継げず、口を開けたまま固まってしまった。
そんな私の手から依頼書をひょいと奪ったリオンが「…穏やかじゃねえな」と、依頼書を見るなり眉間に皺を寄せる。
「ギーゼラさん、これ…」
「私も詳しくは分からないのよ。ちゃんとした説明は依頼人から聞くしかないみたい」
「締め切りは5日後、それから2日後までにイェルの村に行けばいいみたいだな。イェルの村はここからそう遠くない。半日もあれば辿り着けるがどうする、ルディ?」
「内容が内容だからなぁ。後味悪そうだし…抑々生贄ってこの国じゃあまり聞かないよね?」
「ああ。生贄は基本神に奉げるものだからな。国教は女神ヴェルテディアを崇めるヴェーデ教一択だし、あの村も王都が近いから神官が布教しに行きやすくヴェーデ教信者が多い。女神が生贄を欲するなんて話は聞いたこともないな」
「だよね…。あーもう、謎が多いけど話聞いちゃったら引き返せないよね、コレ」
「まあそうだろうな。まだ締め切りまで時間があるから考えてみればいいんじゃないか?」
「そうだね。ありがとうございます、ギーゼラさん。もうちょっと考えてみます」
依頼書をギーゼラに返すと早めの夕食を摂りそのまま部屋で休むことにした。
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同国某所――――
「上手くいっているようだな?」
「はっ!これもあなた様のお力添えの御蔭故」
「それは重畳。では誰にも気づかれないうちに行くとしよう。何か必要なものがあれば遠慮せずに言うがいい、あの方の力となるのなら喜んで助力しよう」
「重ね重ねの謝辞を」
二人の会話は誰にも聞かれることなく、片方がその場を立ち去ることで終了となった。
ファミリーネームのくだりの「寂しい。何れ名乗れる日が来るといいなあ。」を「名乗らないに越したことはないけれど。」に変更いたしました。
職人街に関しての記述を大幅に変更しました。
誤字修正いたしました。
感想、ブクマ、評価などありがとうございます。
「こんなのが読みたい」「ここのサイトの形式で自分の文字を見てみたい」「ただ書いてみたい」と言う考えと、読んでくださる方が一人でもいてくれれば嬉しいなと言う軽い気持ちでアップしましたが、予想外の反響にありがたく思いつつもとても震えています。
また、ご指摘いただいた点は今後お話とうまくすり合わせて行きたいと思います。