公爵令嬢デートをする2
イルマを部屋に残し、ショルダーバッグを斜め掛けにして元気よく宿を飛び出す。
いつもならイルマにはしたないと怒られるところだが、今はこの姿なので構いはしないだろう。
殿下の婚約者だった頃はどこで誰が見ているかわからなかったので、お忍びと言えば男装が基本だった。
まあそれはそれで楽しかったのだけれども、本当は女の子らしいお店に行きたくて仕方がなかったのよね。
でも素の姿で行けば、お母様によく似たつり目の所為であらぬ噂をたてられる恐れがあったし、今のこの姿は拠所無い状況に陥った時にしようと考えていたためにすることができなかったしで、結局今まで行けなかったのだ。
だが、婚約解消によりもうそんな事態にはならないと判断し、この姿を、延いては女性の姿を解禁した。
だから女性の姿でのお出掛けは今回が初めてで、その分余計にわくわくするのである。
そんな私に気付いたのか、部屋を後にする際イルマに「くれぐれも羽目を外しすぎませんように」と釘を刺された。解せぬ。
待ち合わせの広場に着いたのは約束の十分前。
きょろきょろと辺りを見回せば、噴水の前に燃えるような赤い髪の男性が佇んでいた。リオンだ。
彼は噴水の土台である石垣に背中を預けて、周囲を見回している。恐らく私をさがしているのだろう。
白いシャツに、少し濃度を抑えた樺茶色のベストとトラウザーズ姿の彼は、遠目に見ても実に格好が良い。
ただ、色味を抑えた庶民らしい格好であるにもかかわらず、気品が漂い過ぎていて貴族のお忍び感を微塵も隠せてはいない。
周りにいるお姉さんたちは皆そんなリオンに目が釘付けで、通り過ぎる瞬間ちらりとリオンを見ては頬を赤く染めていた。モテモテですね、リオンさん。
因みに私に向けられる視線は、先程までの人のとは違うものだ。それになんだか増えているような気もする。
とは言え、素人のそれなので気にしなくても大丈夫だろう。
とりあえずリオンの許へ行き、まだ私に気付いていないリオンに声をかける。
「あの、副団長様ですか?」
「…………」
(……ん?)
リオンがこちらを向いた瞬間固まって動かなくなった。
何、どうしたの?私がルディだって気付いてしまった?
そんなことを考えながらおずおずと声をかける。
「あ、あの?」
「っ!?す、済みません。あまりにもお綺麗だったので」
「まあ。ふふ、お上手ですこと」
口元に手を添えてくすくすと笑う。
普段こんなやり取りをしないため、いざ綺麗だなんて面と向かって言われるととても面映ゆい。
そんなむずがゆさを覚えながら笑っていると、再びリオンがぴしっと固まった。調子でも悪いのかしら?
「……もしかしてどこかお加減がよろしくないのでは?」
「え?あ……コホン、失礼いたしました。体が丈夫なことだけが取り柄ですのでご心配には及びませんよ。
ああ、そうでした。まだきちんと名乗っておりませんでしたね。私のことはルディから聞いていますか?」
「ええ、少し」
リオンの言葉にこくりと頷いて答える。
聞いているも何も、私がルディなのだけれどね。
「なら改めて自己紹介を。私はエリオット・ディーター・イストゥールと申します。ルディには『リオン』と呼ばれているのでそれでも構いませんが、そうですね……私のことは『エディ』と呼んでいただけませんか?」
「エ、エディ様?」
「はい。実は家族にはその愛称で呼ばれているんです。一応お忍びですので、本名ではなくそう呼んでいただければありがたいです」
成程、リオンは侯爵家で『エディ』と呼ばれているのか。エディね。うんエディ、エディ……何かいつもの癖でうっかり『リオン』と呼びそうで怖いわね。気を付けなくては。
「わかりましたわ、リ…………エディ様」
「……」
まずい。思ったそばからやってしまった。
リオンは見る限り嫌な顔をしていないようだけれど、代わりに口を噤んだまま一言も発さない。
(どうしよう、リオンが絶句してる。そうよね、完全に失礼よね。とにかく謝らなくちゃ)
「あの、申し訳ありません」
丁寧に腰を折って謝罪をする。
もしこれが王妃様に知られたら……ってもう叱られることもないのか。
いや、だとしてもこれはない。
頭を少しだけ上げると、恐る恐るリオンの様子を窺い見る。
彼は無言のまま肩をふるふると震わせていた。それ程怒っているのだろうか。
内心びくびくしながら中途半端な姿勢でリオンの動向を窺っていると、突如頭上から「くっ」と声が降ってきた。
その声に驚いて顔を上げる。
見ればリオンが右手で口を覆い、必死に笑いを堪えていた。
「くっくく……。いえ、失礼しました。く……私は別に気にしておりません。何ならリオンでも何でもお好きなように呼んでください」
「あ、ありがとうございます」
リオンに笑われて多少むっとしたものの、もとはと言えば私が悪い。
ここは一つ気持ちを切り替え、彼の言葉に甘えて好きに呼ばせてもらおう。
そうねぇ、何て呼ぼうかな。
『リオン』だとルディの襤褸が出そうだし、『エディ』だとまた間違えそうで……。
彼の名前はエリオット・ディーター・イストゥールだから……そうね……よし、決めた!
「ではお言葉に甘えて、『リディ様』と呼ばせていただきますね」
そう言った途端、笑いから回復したリオンの頭ががくりと落ちた。
あら?おかしいわね。リオンの『リ』とディーターの『ディ』、更に『エディ』の響きも入れた渾身の愛称だと思ったのに。
「……なんだか女性の愛称みたいですね?」
「確かにエリオット様をリディと呼ぶ者は私のほかにいないでしょうけれど、その方が特別だと思いません?とても素敵ですわ」
微笑みながら思っていることを伝えれば、リオンがばっと右手の甲を口元に当ててそっぽを向いてしまった。余程気に入らなかったのだろうか?
心配になって声をかけようとしたらリオンがぼそりと呟く。
「……くないな」
「え?」
「いえ、何でもないです。呼び方はそれで構いません」
あ、何故だか許可が下りた。気に入らなかったわけではないみたい。
「それと、私もあなたの名を伺っても?」
ほっとしたところで名を尋ねられ、緊張が走る。
実は未だに考えあぐねていたのである。
さて、どうしたものか……。
もし彼がこのまま私のパートナーになってくれるのならば、必然的に本名を知られることになる。だから本当なら本名と名乗るのが無難なのだろう。
但しそれがだめだった場合、本名は私の足を引っ張る重石となってしまう。
それに今の私は庶民の格好をしている。
この姿で『マルティナ嬢』呼びは明らかに変だ。愛称、若しくは偽名が妥当だろう。
だとしたらティナと名乗るか、それともほかの名にするか。
だが考えとは裏腹に、心は『リオンに嘘を付きたくない』と告げていた。
私は彼に沢山の嘘を付いてきたのだ。もうこれ以上の嘘はつきたくない。私の名前はマルティナだ。そう彼にぶちまけてしまいたい。
ただ、それはリスクを考えると躊躇われた。
ならばやはり『ティナ』と名乗るのが妥当なのだろうか。
でも、なんとなく私も別の愛称で呼ばれたい。
「どうかしましたか?」
リオンの声に思考から離れる。
いけない。今は彼と話をしているのだ。思い耽って沈黙するのは彼に失礼である。
「いえ、何でも。私は……」
どうしよう。早く何か言わなくては。
「私はル……」
――!?
そのままぴしりと体が固まった。
その一方で頭が忙しく回転する。
(何てこと!まさかここにきてルディと言いかけるなんて。いくら切羽詰まっていたからと言って、ルディの名はないわ)
有り得ない名前が自分の口から出てきて、心中大混乱である。
だが、今は混乱している場合ではない。この言い間違いを何とかしなくては。
とりあえず、ここは一旦冷静になろう。
そうね、こういう時はお妃教育や諸々の辛かった時の記憶を引っ張り出して……。
……余計心にダメージを負ったわ。
でもそのお陰で少しは冷静になれたみたい。
尤も、表情は微塵も変わらず微笑んだままなので、リオンは私が混乱していたとは思っていないだろう。
それに今なら『ルディ様からの紹介で参りました』とか言えば誤魔化すことも可能だと思うし。
「ル?」
えっ!?何追い打ちかけちゃってんの?
普段言葉をつかえたり二の句を躊躇っていたりしたら、こちらが言葉を発するまで黙って見守ってくれるあのリオンが、事もあろうに突っ込んで来るだなんて。
で、でもまだルディの名で……。
「まさかここで『ルディの紹介で~』とか言いませんよね?」
あ、駄目だこれ。完全に詰んだわ。
意地でも訂正させまいとリオンがぐいぐい攻めてくる。
彼は意外と勘が鋭いから、『ル』が本当の名に近いと悟ったのだろう。
私もそこでさり気なくカバーできれば良かったものを、言い淀んでいる間に先を越されてしまった。
そして、こうなってしまった以上もう誤魔化しきれない。
抑々ちゃんと決めていなかった私が悪いのだ。
ならば本名は無理だとしても、ちゃんと名乗るとしよう。
「……はい。私の名は『ルティナ』と申します」
「ルティナ嬢……とても綺麗な響きですね」
その言葉に息を呑む。
リオンから発せられる一言一言がいつもとは違っていて戸惑いを隠せない。
「ルティナ嬢、もしよろしければ敬語と敬称をやめませんか?」
「敬語と敬称を、ですか?」
「はい。その方がこの場に馴染んで周りから浮くこともないと思います。だめですか、ルティナ嬢?」
「構いません。わかり……わかったわ、リディ。私も好きなように呼んでね」
そう言って彼ににこりと微笑みかける。
ルディの口調にならないように気を付けながら砕けた口調にするということは、素の自分でもよい、ということかな?
「何だ……反則……い」
「え?」
リオンがまたもやぼそりと呟いていたが、上手く聞こえずに聞き返す。
だがリオンは「何でもない」と言いながら首を左右にぶんぶんと振った。
「それより、ここにいても何だしどこかへ行かないか?行きたい場所はある?」
行きたい場所かぁ。令嬢の姿であちこち回れないと思ったから、この姿でここに待ち合わせしたけれど、特にここに行きたいというのはなかったわ。
「ううん、ないわ」
「そうか……なら折角職人街にいるし市を見て回らないか?」
「市?とっても楽しそう!」
「決まりだな。さあ、周りのやつらに声をかけられないうちに行こう」
声をかけられる?
不思議に思って周りを見れば、確かに男性も女性も関係なく皆こちらをちらちらと気にしていた。私たち浮いていたのかしら?
ま、別にいいか。すぐにここを離れるし。
「ええ、行きましょう……え?」
私が肯くや否や、私の前にすっと手が伸びてきた。
その手を辿って顔を上げると、そこにはダンスを申し込む時のようにこちらに手を差し出しているリオンの姿。その顔には爽やかな笑み。
「お手をどうぞ」
「ありがとう」
促されるままに彼の手に己の手を載せる。
すると、ぎゅっと手を握りしめられた。
(――っ!?)
ぎょっとしてリオンの顔を見れば、彼がにっこりとこちらに微笑む。
「人込みではぐれないように、な」
「え、ええ」
(何これ。いつものリオンと違ってなんか……)
そう言えば女の子扱いされたのは初めてかもしれない。
あまりの照れくささに頬に熱を帯び俯く。
何だろう、凄く居たたまれないというか、気恥ずかしくてどこかに隠れてしまいたい気分だ。
こんなふうに家族以外に手を握られたのは初めてで、先程から心臓がばくばくと動いている。
私このまま死なないよね?
そんな馬鹿な事を考えながらもリオンに微笑み返し、彼とともにこの場を後にした。




