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公爵令嬢と従兄3

「ティナ、殿下が君を何としても捜し出そうと、あちこちに手を回している」




その言葉を最後に、部屋の中はざあっとバケツをひっくり返したような雨の音だけになる。


(ハルト兄様?何を言ってるの?私の聞き間違い?)


ハルト兄様をじっと見るが、彼の目は嘘を言っているようには見えない。本当なのだろう。


「私を……聖騎士団の皆が、探す?殿下の命令で?」


茫然としながら紡いだ言葉は、悲しいかなハルト兄様の言葉を反芻しただけだった。

それでも声を出したことにより頭がすっきりしたようで、状況を理解しようと回転を始める。

すると今度はハルト兄様の言葉の意味を理解して、みるみる血の気が失せて行く。


「ティナ……」

「大丈夫、大丈夫ですわ」


すっかり冷たくなった手をぎゅっと握りしめると、憐憫の目を向けてくる兄様に平静を装ってそう答える。

いつまでもみっともない姿を曝しているわけにはいかない。落ち着かなくては。

徐に目を閉じ、大きく深呼吸をして気持ちを切り替え、ゆっくりと目を開ける。


(それにしても、殿下は一体何を考えているのかしら)


気持ちが落ち着いてくると、今度は殿下への憤りが湧いてきた。

だってそうだろう。皆暇ではないのだ。

たかが公爵令嬢一人捜すのに聖騎士団の皆を使うだなんて公私混同も甚だしい。

余計な仕事を上の立場である殿下が増やして良いものではない。皆いい迷惑だ。


私だって殿下の前に突き出されるなど真っ平御免である。

ありとあらゆる可能性を探り、周到に対策を練って万全の状態でパーティーに臨むのと、何の下準備もなく殿下の前に突き出されてしまうのとでは、月と鼈、天と地程の差がある。

だったら当然前者がいい。


それに何より……。


皆に正体を知られたくない。

今まで築き上げてきた関係が壊れてしまいそうで怖いから。


ただ幸いなことに、アマーリエ以外に『公爵令嬢マルティナ()』の素顔を知る者はいない。

だから、上手くやれば期日まで逃げ切ることも可能である。

それには先ず情報収集が必要なのだが、さて、どうやって情報を探ろうか……。


そう黙々と考えていたら、気遣わしげな表情を浮かべたハルト兄様が、「ティナ」と再び私の名を呼びながら顔を覗き込んできた。

ああ、いけない。ハルト兄様を心配させてしまった。

慌ててふわりと微笑んで、何でもないと態度で示す。

すると、ハルト兄様はますます心配そうな顔をして、私の目をじっと見つめてきた。


「ティナ、大丈夫かい?顔色が悪いよ。この話を聞いて平気でいられるわけがないのはわかるけど……」

「はい、大丈夫です。情報を教えてくださってありがとうございます。それより、ハルト兄様の方こそ大丈夫ですか?私に情報を教えたりなんかして」


ハルト兄様は殿下の直々の命だと言っていた。それをこんなに簡単に話して良いのだろうか。

まあ、私も一応聖騎士団の事務員ではあるけれど……。


「どうせすぐに周知されるから私が今言ったところで何の問題もないよ。それよりティナはこれからどうするんだい?」


その言葉に、視線を左上へと遣ってどうしようかと思案する。

だがすぐにハルト兄様に視線を戻した。


「とりあえずは何も変わりません。私はここが好きなので、情報をかき集めつつここに留まるつもりです」

「わかった。本当は伯父上たちに報告した方がいいんだろうけど、ティナのことだ。伯父上たちには自分から話すつもりなんだろう?それまでは黙っておくよ。でも伯父上たちは本当に心配しているんだから早いうちに帰るんだよ」

「はい、何から何までありがとうございます、ハルト兄様」

「私は昔から君にとっても甘いからね」


そう言うとハルト兄様は、私を甘やかす時のような優しい笑みを浮かべて、私を腕の中にそっと囲った。

そして何度も「大丈夫だよ」と言って、ゆっくりと頭を撫でる。


「兄様、私は子供ではないですよ」

「わかってるよ」

「……全然わかっていないです」


昔からハルト兄様は、私に辛いことや困ったことが起こると、『大丈夫だよ』と言ってこうして抱きしめてくれる。きっと私を猫かなんかだと思っているに違いない。

……というのは冗談だが、とにかく、そうされると心が落ち着くのであまり強く言えずにいる。

今回も案の定何も言えずに、おとなしく撫でられ続けることとなった。



それからどのくらい経ったか。

兄様の腕の中で、ほぅ、と一つ安堵の息が漏れる。

すると頭上からクスクスと笑う声がして、反射的に顔を上げた。


「もう大丈夫だね」

「ハルト兄様?」

「気付いていなかったようだけどずっと震えていたんだよ?」

「震えていた?私が?」

「そうだよ。そんなに殿下が嫌い?」


兄様が苦笑しながら尋ねてきたので、ふるふると頭を振る。


「いいえ。でも、もう以前の様に見ることはできません。私も殿下も、もうあの頃とは違うのです」


殿下は別に嫌いではない。ただ、信じられる人ではなくなった。

今後殿下に会ったとしても、今までの様な態度で接することはできないだろう。思ったことをずばずばと言ってしまいそうだ。

そう言ったらハルト兄様が肩を竦めて「それは仕方ないよね」と同意してくれた。


「そう言えばティナ、副団長補佐官になったんだよね?それって副団長室に二人きりなの?」

「……は?」


私を解放しながらハルト兄様が口にする。

その言葉に一瞬だけ目を丸くし、だがすぐに細めて兄様を見た。


兄様それ言っちゃいます?知らないうちに兄様が扉を閉めていて、今正にその状態なんですけれど?

それに私は今この恰好をしているのよ?ありえないわ。


そう、今私はルディの姿をしている。だから私たちの間にそういった空気が流れるわけがないのだ。

だと言うのに……いや、わかっていても聞かざるをえなかったのだろうな。


とは言え、むっとしたのも事実だ。

ゆえに、貴族らしい心配をするハルト兄様に、わざと貴族らしい口調で答える。


「まあ、嫌だわハルト兄様。彼といるのは『ルディ』という名の少年ですわ。若い男女がこのように(・・・・・)密室にいるわけではないのですから、何も疚しいことなんてありませんのよ?」


そう言ってころころと笑って見せたら、ハルト兄様の頬がひくついた。


「ならいいんだ。ごめんごめん、そんなに怒らないで。髪の話は不問にしてあげるから。

 それじゃ私は下の訓練場を覗きつつ帰るとするよ。見送りはここまででいい。下手に長いと訝しがられるだろう?」

「でも……折角ハルト兄様にお会いできたのに」

「その折角会えた私を、素知らぬ振りで見送ろうとしたのはどこの誰だか」


ハルト兄様がそう言って笑い、釣られて私も笑った。



それから一頻り笑った後、部屋を出るために静かに扉を開けて、そうっと二人で顔を出す。

私が右でハルト兄様が左。

部屋の外には誰もいない。あれ程轟いていた雷も遠ざかっており、辺りはしんと静まり返っている。


「よし、誰もいない。行こうティナ」


ハルト兄様の指示で急いで部屋を出る。くるりと周りを見回すが誰にも見られていないようだ。

ほっとして兄様の顔を見ると、兄様がゆっくりと頷いた。


「それじゃ行くね、ティナ」

「はい、兄様。どうかお気を付けて」

「うん、またね」


ハルト兄様が何事もなかったかのように凛と歩き出す。

兄様はそのままこちらに振り返ることもなく去って行き、私は兄様の後姿を只々黙って見続けた。




***

「さて、僕も行くかな」


ハルト兄様の姿が見えなくなって、漸く私も歩き出す。

そう言えば書類をリオンに押し付けたままだったな。

そんなことを考えながら黙々と廊下を歩く。

だが、不意に兄様の話が頭を過り足を止めた。


何故殿下は私を捜しているのだろう。

私に恨み言でも言うつもりだろうか?いや、殿下に恨み言を言われるようなことをした覚えはないし、抑々そんな筋合いもないはず。寧ろこっちがあれこれ言ってやりたいくらいだ。

だとしたら何だろう?私を見つけ出して再び婚約するとか?

いやいやいやいや、そんなこと……。でも、ないって言い切れる?殿下でもないのに?


「……」


廊下の端に移動して、僅かな可能性も含め深く考える。


現在殿下はユリアーナと縁を切っていて、恋人もいない。

そうなると浮上してくるのがお妃問題である。

殿下の妃ということは、未来の国母になるということ。当然未来の国母にはそれなりの素養が必要になり、必然的に素地がある者が選ばれやすくなる。この場合侯爵家以上の令嬢か。

では、侯爵家以上の令嬢は誰々いるのだろうか?家ごとに思い浮かべる。


先ず、ローエンシュタイン侯爵家のエミーリエとアマーリエ。

彼女らは……いや、ローエンシュタイン侯爵家はレーネ公爵家に返し切れない程の恩がある。そのため、婚約の打診を受けても何らかの理由をつけて断ると推測される。

また、訳あって彼女ら自身も、強制されない限り王太子妃の話を受けないはずだ。エミーリエに至っては、卒業パーティーでさんざっぱら暴れているので先ず受けないだろう。


とは言え、王命で婚約もあり得る。

もしそうなった場合どうなるか。

ただでさえ私を裏切った殿下を快く思っていない双子だ。十中八九血の雨が降るだろう。

それは侯爵も予想するはずだ。何せ自分の娘たちなのだから。

従って、侯爵は大惨事を避けるために全力で事に当たるだろう。

胃薬は沢山送ってあげるべきかもしれない。

……話が逸れたので元に戻そう。


では次にスヴェンデラ侯爵家のベアトリーセ様。

彼女は何かと問題を起こしているので候補にすら上がらないと思われる。侯爵は厳格な方なのにな。

ほかの侯爵家には殿下と年の近いご令嬢がいないので、あとは公爵家だ。


ブルノー公爵家は殿下より五歳程年下のご令嬢がいる。ただ、ユリアーナの件があるため恐らく辞退するだろう。

ヴァイス公爵家のご令嬢は既に婚約者がいるので、自動的に候補から外れる。

となると、アルニム公爵家のアデリンデ様が最有力候補かしら。


だが、ここで私の存在が出てくる。

いくら素地があるからとは言え、お妃教育をこれから始めるアデリンデ様と、もう既に教育を修了している同じ公爵家の私。

婚約は白紙となったが私に瑕疵があってそうなったわけではない。

更に、私には陛下を凌ぐ程の魔力がある。再び婚約者に選ばれたとしても何ら不思議ではない。


そう考えると、殿下が私と元の鞘に納まり再び婚約を結ぼうとするのは、至極当然なことなのかもしれない。

私を必死で捜している理由もそう考えれば辻褄が合う。


今回公開捜索に至ったのは、もうすぐ王家主催のパーティーがあるためか。

私との仲を何でもなかったと周囲――特に他国に見せつけるには、うってつけの場だと言えよう。

ほかの者には痴話喧嘩だったとでも言えばいい。

多少王家の醜聞だと囁かれるだろうが、そのくらいの醜聞でお妃教育を終わらせた私が手に入るのならば殿下にとって安いものだろう。


でも、婚約が白紙となっているのに私を相手に選ぶだろうか?……うん、殿下なら間違いなく選ぶわ。

そうなると、殿下のことだからもう既に魔の手はこちらへ伸びていると考えてよい。今回の場合は聖騎士団への要請……。


「あ……」


その結論に至り、再び血の気が失せ体が冷たくなった。

今度は自分でもわかるくらいに足が震えている。

こんな人通りがある場所で震えていては怪しまれてしまうというのに、足が全く言うことを聞いてくれない。

それでも、すぐに崩れてしまいそうになる足を叱咤して、何とかその場に立ち続ける。



何か策はないだろうか。殿下が諦めてくれるような何か。

お父様に相談すれば即座に断ってくれるだろうが、これ以上お父様に迷惑をかけたくない。かと言って一人で対処できる自信もない。

殿下は頭が切れる。私程度の頭では到底敵わない。

ならばほかに誰か協力者を探す?エミーリエやアマーリエとか?


確かに二人なら協力してくれるとは思う。だが、それだと侯爵家も巻き込んでしまう。

いくらお父様に迷惑をかけたくないからと言って、ほかの人に迷惑をかけたのでは意味がない。

やはり私は誰にも頼らずに、一人で殿下に立ち向かわなければならないのだろうか。


段々気持ちが沈んでいく。

もう既に殿下の手中のような気分になる。

私は端から詰んでいたのだろうか。

考えれば考える程悪い方向に考えてしまう。

このままだとあの堅苦しい場所に逆戻りだというのに。

でもそんなの嫌だ。戻りたくない。


嫌な想像を振り払おうと、頭を左右にぶんぶんと振って無駄な抵抗をする。

すると、私の脳裏にふと一人の青年の姿が浮かんできた。

燃えるような赤い髪のその青年は、太陽のような黄色い瞳をこちらに向け、『大丈夫だ』と言ってにっと笑う。実に彼――リオンらしい。


ああ、そうだ。彼に思い切って告げてみようか。もしかしたら私を庇ってくれるかもしれない。

そんな突拍子もない思いが湧いてくる。が、すぐに頭を振る。

私の正体を彼に告げて上手くいくとは限らない。

彼が家や功を取って殿下に告げてしまえばそれまでだ。

それに、彼が殿下の意志に逆らってまで私を助けてくれる利点が何一つ思い浮かばない。


どうしよう、気持ちは少し楽になったけれど、ほかに良い案が出ててこない。いつまでもここで震えているわけにはいかないのに。


最善策を求めてついつい気が急いてしまう。

それを落ち着かせるため壁に凭れて目を閉じて、一つ大きく深呼吸する。

壁に預けた背中が冷たくて、失くした感覚が戻って来る。


(大丈夫。もう私は殿下の婚約者ではない。ここの皆は私を公爵令嬢だなんて思っていないもの)


そう無理矢理自分に言い聞かせるとゆっくり目を開け、預けていた体を戻して片足をそっと前へ出す。

思っていたよりも普通に動く。

更にもう片方の足を前に出して一歩一歩確実に床を踏みしめる。


当然ながら気分は(すこぶ)る最悪であり、余計に足取りは重い。

それでも懸命に足を繰り出し続け、やっとのことで団長室の前に辿り着いた。

いつもご覧いただきありがとうございます。

今回気落ちするお話なので、分けずに一つに纏めました。



以下は、ローエンシュタイン侯爵家がレーネ公爵家から受けた『恩』についての補足です。


マルティナたちが小さい頃、ローエンシュタイン侯爵が新規事業を立ち上げようとして失敗し、爵位を手放さなくてはならない程の窮地に陥りました。

ですがその際、レーネ公爵(マルティナの父)が無償で手を差し伸べ、侯爵家は何とか窮地を脱しております。


その後もレーネ公爵は助言などを繰り返し、侯爵家は事業を立ち上げる前より発展。財も増えました。

そのため、侯爵は受けた恩を公爵に返そうとしたのですが、公爵はそれを拒否。

なおも食い下がる侯爵に根負けした公爵は、謝礼を受け取らない代わりにエミーリエとアマーリエに、娘であるマルティナが困った時に助けてくれるよう、そしてマルティナを裏切ることなく味方でいてくれるよう、口上で約束させました。


しかしその話を聞いたマルティナはそれに甘んずるのを良しとせず、積極的に二人と信頼関係を結びました。

そしてマルティナと双子は現在親友と呼べる仲となったのです。


そんなわけで、双子はマルティナを裏切った殿下を快くどころか、思い切り嫌悪しております。

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