公爵令嬢と従兄1
「あっ」
「どうした?」
書類の不備に気付いて思わず声をあげる。
すると、右前方の執務机に向かっていたリオンが声をかけてきた。ゆえに素直に報告する。
「ちょっと不備があって……んー、団長のところに行かなくちゃだめか。この段階になってから気付くなんてちょっと弛んでるのかな」
「お前最近上の空が多いよな」
「そんなつもりはないんだけど……」
いや、嘘である。
リオンが指摘する通り、最近私は上の空が多い。
この間届いたお父様の手紙の所為だ。
今度王家主催のパーティーが催されるから、一度邸に帰って来るように、といった事などが便箋数枚に亘って書かれてあったのである。
その手紙を読んだ時私は『可能ならばパーティーを欠席したい』とそう思った。でも、それは早々に思い直している。
それと言うのも、王家主催のパーティーを欠席するなど到底無理な話だったからだ。
欠席する、それは即ち貴族の役目を放棄することにほかならず、ただでさえ役目を果たしているとは言い難い状態の私には、些か具合が悪いものだったのだ。
それに加えて、丁度『殿下とちゃんと向き合わなければいけないな』と考えていたところでもあった。
よって思い直して以降は、参加する心積もりでいたのである。
ただ、即座に邸に戻るのは躊躇われた。ぎりぎりまでここに残っていたかったのだ。
そのため、最終的には戻るとお父様に伝え、渋々ながらも了承を得てここに留まっていたのである。
そんなわけで、真っ先に上の空の原因と考えられそうな、『邸に戻る』、『パーティーに参加する』といった要素は、上の空の原因たり得なかった。
閑話休題。
抑々私がこうして上の空なのは、お父様の手紙の最後についで とばかりに添えられていたある一文……追伸の所為である。
そこにはこう記されていた。『今回ルートヴィヒはお前をエスコートすることができない。パートナーは自力で探すか、早々に帰宅して私と一緒に探そう』と。
頭を抱えたのは言うまでもない。
今回お兄様はとあるご令嬢のパートナーになったと手紙に書かれてあった。付き合いがある家のご令嬢だから下手に断れなかったとのこと。
仕方がない、私にもお誘いの手紙がちらほらと舞い込んで来ているみたいだし、そちらから選ぼう。そう思ったら、お父様が悉くお断りを入れていて、そっち方面は悲しい程に絶望的だった。
いくら私にさっさと戻って来てもらいたいからって、お父様のそれはあんまりである。
それでつい私も意地になってしまい、自力で探す方を選ぶという暴挙に出てしまった。
その結果、気付けばいよいよもって危機的状況で、かと言って今までのパートナーに頼むわけにはいかず、ずっと悩んでいたのである。
(あれ?でもそう言えば……)
そこまで考えてふとあることに気付き、リオンに声をかける。
「ねえ……リオン」
「ん、なんだ?」
「……ううん、凄い雨だよね」
「え?ああ、そうだな」
パートナーがいるのかリオンに訊いてみようと思ったものの、途中で思い止まり話を逸らした。
彼にまで『パートナーがいる』と言われたら、いないのは私だけになってしまう。そんなの辛すぎる。というか卑屈になる。
でも、一人で参加なんてしたら何を噂されるか……。
そう悶々と考え込んでいたら、リオンが突然「あっ!」と声を発した。
何事かと見れば、彼が眉間に皺をよせて書類とにらめっこをしている。さては何かやらかしたな。
「ルディ、俺も団長に用があるからその書類持って行ってやろうか?」
「ううん、これ団長に頼まれたものだし、少し特殊なやつだから直接団長に指示を仰ぐよ。逆に、リオンの用事は僕じゃだめなの?」
「ああ、これは俺しか処理できないからな。……仕方ない、効率は悪いが二人で行くか」
「そうだね、こういうのは早い方がいいもんね」
そう言うなり席を立ち、二人で隣にある団長室へと向かった。
廊下に出て数歩程歩けば、すぐに団長室である。
リオンが扉をノックし、応えとともに中に入ると、私もその後に続いた。
「団長、今ちょっとい、い……」
「リオン?」
リオンが中に足を一歩踏み入れたところで、ピタリと動きを止めた。
不思議に思って彼の名を呼ぶが、彼は私の声が聞こえなかったのか、正面を向いたままで動かない。
そのため、リオンを押し退けて部屋に入ろうと、彼の背へ手を伸ばした。その時。
「ハル?ハルじゃないか!久し振りだな。今邪魔だったか」
「エリオット!久し振りですね。私の方こそお邪魔していました。でももう話し終わったんで大丈夫ですよ」
(え?)
その声に今度は私がピタリと動きを止める。これは非常にまずいかも。
リオンが『ハル』と呼び気さくに話しかけているその人物は、丁寧な口調ながらも親しみを感じさせる声音で、リオンと話をしている。
ただ私の位置からは、リオンの背中に遮られてその姿を窺うことができない。
けれども、私はこの声の主に心当たりがあった。
(どうしよう、このままこっそり隣に戻ろうかな)
リオンの背中にかけようとした手をそっと引き戻すと、ゆっくりと利き足を後ろへ遣り、重心をそちらにかける。物音を出さぬよう慎重に……。
「ルディ?どうした?」
(なっ!?……ああもうっ!リオンのばかっ!)
リオンが不意にこちらに振り返り声をかけてきた。そんな彼に向って、心の中で盛大に悪態をつく。
誰にも気付かれないよう慎重に行動したのに、勘の良いリオンにいち早く気付かれてしまい、却って皆の注目を浴びる破目になってしまった。何ともしてやられた気分である。
まあ本人にそんな思惑などなかったのだろうけれど……でも、やっぱりなんか悔しい!
……なんて言っている場合ではなかったわ。とにかくこの状況を何とかしないと。
「ん?」
「……」
リオンに隠れて見えなかった人物が、体をやや傾けてリオン越しに顔を覗かせると、こちらをじっと見据えてきた。
その視線に表情を崩さず小首を傾げて見せるも、一体どこまで通用するだろうか。
そこにいたのは、漆黒の長い髪を後ろで一つに束ね、お母様と同じ新緑の瞳を持った、均整の取れた容姿の青年だった。
その優しそうな容貌と穏やかな口調から、おっとりとした人物だと思われがちだが、一度剣を持てば途端に豹変して、一人の精悍な剣士となる。
その人物こそ我が従兄殿、ハルトヴィヒ・テオ・クルネールだ。
彼は辺境伯家の跡取りで、その名に恥じない素晴らしい剣の腕を持つ。恐らく、リオンと互角くらいだろう。
そんなハルトヴィヒ兄様は現在、私の顔をじっくりと見つめている最中である。
見つめられている私は、悟られまいと引き攣る顔に鞭打ち、にっこりと微笑む。
「……この子誰です?見かけない子ですね?」
(……あれ?)
彼の第一声は、私の想像していたものとは違った。
もしかして私だと気付いていないのだろうか……いや、思慮深いハルトヴィヒ兄様のことだ。何か考えがあるのだろう。
そう考え、注意深くハルトヴィヒ兄様の様子を窺う。
「彼は数か月前から聖騎士団で雇っている臨時の事務員だ」
「俺の補佐官なんだぜ!」
リオンは声を弾ませて、団長の言葉の後に役職名を付け足す。
それを聞いたハルトヴィヒ兄様が私から視線を外し、リオンに目を向ける。
「つまり、エリオットは補佐をつけて楽をしていると?」
「楽じゃなくて助けてもらってるって言ってくれ。こいつがいれば残業も少なくて済むし、空いた時間を使って団長の仕事も手伝えるしで凄く助かってる。最高のパートナーさ」
それを聞いた途端、ハルトヴィヒ兄様の目が眇められ、再び私を捉える。
え?やだ、怖い……。
「へぇ……で、君名前は?」
「ルディと申します」
「ルディ、なんていうの?」
「……マーレです」
ああ、これは完全にばれている。その上で、あえてこの茶番に付き合ってくれているのだろう。
でもそれは逆に、兄様の匙加減一つで危機に陥る可能性もある、ということ。十分に気を引き締めて対応しなければ。
「ルディ・マーレ……ね。うん、覚えた。私はハルトヴィヒ。ハルトヴィヒ・テオ・クルネールだ。よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
ハルトヴィヒ兄様が私の前に来るなり、すっと手を差し出してきた。
ゆえに、その差し出された手に己の手を添えて、ぎゅっと握手を交わす。
その間も、私の正体がばらされたりはしないかと、ひやひやしっ放しだ。
そんな私の心情など知る由もないハルトヴィヒ兄様は、握手の後ぱっと私の手を離し、横目で団長の方を見る。
角度的に、兄様が斜め後方にいる団長を見るのは不可能だったが、その一連の動作に、私は兄様が二人にばらすのではないかとかなり焦った。
その所為で一瞬表情が崩れかかる。
幸い、何とか堪えることができたものの、今度は気付かれていないか心配になった。
(今の見られていないよね?)
確かめるようにちろりと兄様に目を遣ると、兄様は口を一文字に引き結んで、さっとこちらから目を逸らした。
わざとだーっ!!きっと兄様は心の中で笑っているに違いない!
抗議の意を込めて、きっ、と睨むようにハルトヴィヒ兄様を見る。
だが兄様はこちらに目もくれず、リオンたちの方を向いて口を開いた。無視か!
「……さて、と。それじゃ、用も済んだことだしそろそろ私はお暇しますね。団長、彼女の事お願いします。エリオット、油を売るのもいいですが下の者が大変ですから程々にしてくださいね」
(え?)
もう少しここにいるのかと思われたハルトヴィヒ兄様は、唐突に暇を告げると私たちにふわりと優しく微笑んだ。
一方肩透かしを食らった私は、意外な展開に目をぱちくりと瞬かせたのだった。
ブクマ、評価、誤字脱字報告など、いつもありがとうございます。
今回は長くなりそうだったので、とても中途半端ではありますが、途中で区切らせていただきました。




