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公爵令嬢と元子爵令嬢2

「嘘……ですね。あなたは顔面に笑みを貼り付けているけれど、心の底から笑っていない。あなたの本心はどこにあるのですか?」


そう言った途端、彼女の目がこれでもかというくらい見開かれた。

かと思うと次の瞬間には顔がくしゃりと歪み、今にも泣きださんばかりの表情となったのである。



彼女は会話の最中、絶えず虚勢を張って必死に真意を悟られまいとしていた。

でも、そんな張りぼての表情が私に通用するはずがない。

彼女の笑みは徐々に綻び始め、話の端々で微かに崩れて、笑っているのにちっとも笑顔に見えなかったのである。

悪女を演じる度に彼女の心が悲鳴を上げていることに気付き、それからは見ていられなかった。

きっと彼女は……。


「殿下のことが好きなのでしょう?だから殿下に迷惑がかからないように自分が悪者になって、人々の関心を自分に向けようとした。違いますか?」

「……なん、のこと?違うって何度も言ってるでしょう?」


殿下への想いを否定し、最後まで悪女ぶろうとする彼女。

そんなに片意地を張らなくてもいいのに。


「もう演じなくてもいいんですよ」

「――っ!」


見兼ねた私がそう告げるや否や、彼女の手からするりとフォークが滑り落ち、床に当たって甲高い音を立てた。

だが彼女はそれに一瞥もせず、諸手で顔を覆うと激しく肩を震わせて泣き出したのである。


そんな彼女にかける言葉が見つからない。

視界の端では団長が突如響いた音に反応したらしく、前のめりになってこちらを見ていた。そのため団長の方を向いて、何事もないのだと頭を振って彼を制する。


そう、何事もないのだ。彼女が本当の姿を見せてくれただけ。

私は泣き崩れるユリアーナ嬢に鉄格子の隙間からハンカチを差し出すことしかできず、ただ黙って彼女を見続けた。






幾許の時が経ったか。

ユリアーナ嬢は大分落ち着きを取り戻したようで、もう肩を震わせてはいなかった。

これなら話をしても大丈夫だろう。彼女を刺激しないように気を付けながら優しく話しかける。


「ユリアーナ嬢。僕は恋愛がどんなものかわかりません。ですが、あなたの話を聞くことはできます。今ここに、僕たちの会話を聞くような不粋な者はおりません。ですから、本当の気持ちを聞かせてはもらえませんか?」

「……もう令嬢じゃないわ。だからユリアーナって呼んで」


彼女はゆっくりと顔を上げ、私の顔を見てふわりと微笑んだ。その笑みはとても柔らかく、心からの笑みに感じられた。


「わかりました、ユリアーナ」

「ありがとう、えっと……」

「ルディ、とお呼びください」

「ありがとう、ルディ君」


ユリアーナは憑き物が落ちたかのように、和いだ表情をしていた。時折浮かべる表情も作ったものではなく、自然な感じだ。

やがて彼女はぽつり、ぽつり、と自分の気持ちを言葉にし始めた。


「私ね、本当は王妃なんてどうでもよかったの。彼の隣に居て愛し愛されたかっただけ。

 でもね、ダメだった。彼は私のことを愛してくれたけど、彼の一番になることはできなかった。だって彼の隣にはいつも完璧なあの人がいたから」


彼女の言う『あの人』とは多分、私……。

好きな人が別の女性と一緒にいる、その光景を見るのは辛かっただろうな。


「あの人は彼を引き立てて半歩後ろを歩く奥ゆかしい女性だった。何も言えなそうなか弱くて儚い印象なのに、いざという時ははっきりものを言う、私にはない強さを持っていた。正に彼の隣に立つべき人。

 羨ましかった。彼は私を側妃として傍に置くと言ってくれたけど、正妃の座も、世継ぎを生む権利も、公での彼の隣もみーんなあの人のものだった。

 唯一、プライベートの時だけは私の隣にいてくれるって、そう約束してくれたのよ、彼。でも公務で城を空けてしまえば、その間たった一人で彼の帰りを待たなくてはならない。彼女と一緒だとわかっていて一人彼を待たなくちゃいけないだなんて、気が狂いそうだと思った。そう思ったら彼女のことが次第に憎らしくなったの」


そう言って悲しそうな表情をする彼女。

彼女がこんなにも苦悩していただなんて、何とも心苦しい。

気付けば「ごめんなさい」と謝罪の言葉を口にしていて、彼女に「えー?何で君が謝るの!?」と笑われてしまった。

私がマルティナだから、とは言えなかったので笑って誤魔化しておいたけれど。


それにしても、ユリアーナが私のことを羨ましいと思っていたとは意外だった。私はいつも、殿下に愛してもらえるユリアーナの方が羨ましいと思っていたのだ。

だって私が誰かを好きになっても、その人とは一緒になれなかったはずだもの。たった一人、殿下を除いては。

かと言って、殿下を好きになっていたらそれはそれで悲惨なものだっただろう。いくら好きになっても、彼女がいる限り彼は振り向いてくれなかっただろうから。


それを踏まえると私はまだ良かったのかもしれない。

思いを寄せるような人は今も昔もいないしね。

でも……。


彼女の話を聞いて漠然と思う。

恋愛に関する知識は、小説や観劇などによって得たものが多少あるのみで、言ってしまえば全く知らないのと同じである。そんな中でもし、思いを寄せるような人が現れ、そして彼女のような状況に陥ったら、私は彼女みたいに恋に狂ってしまうのだろうか、と。


だが、すぐに頭を振る。

所詮もしもの話だ。相手もいないのに不安がっても仕方がない。

そう思い、気を取り直して彼女の方を見れば、彼女は微笑みつつも僅かに目線を下げて口を開いた。


「お父様の命令なんて本当はどうでも良かった。でも、彼女を排除できると知って、お父様の言うとおりに行動したの。馬鹿ね、私。ばれてしまったらもう彼の隣にいることはできないとわかっていたのに。

 ……カミル様とアンゼルム様には本当に申し訳ないことをしたと思ってる。でも、もう遅いよね」


彼女は話をしているうちに段々吹っ切れてきたのか、今では淡々と語っている。口調も先程より更に砕けていた。


「ルディ君、ありがとう。私、誰かに話したかっただけなのかもしれない。君に聞いてもらえてほんとに良かった」

「僕でお役に立てたのならよかったです。それで、あの、ユリアーナ。これから先はどうするんですか?もし、良かったら刑が執行された後に少しだけあなたの手助けをさせて……」


――え?


自分が発した言葉に自分が一番驚いた。

彼女に手を差し伸べてどうしたいのだろう。確かに私は彼女を怨んではいないし、生きていてほしいとは思っているけれど。情でも移ったのだろうか。

困惑する私を余所に、彼女がふるふると頭を振って私の申し出を断る。


「君の気持ちは嬉しいよ、ありがとう。でもいいの。だって私もうすぐ処刑されるもの」

「あなたは処刑にはならない。僕がさせないから安心して?あ、でも刑罰はちゃんと受けてもらうけど」

「うん、わかってる。自分がやったことだもん。自分の尻拭いくらいちゃんとするよ」


そう言って彼女が笑う。その姿は年相応で可愛らしいものだった。

彼女は自分の刑罰が何であれ粛々と受け入れるつもりだったらしい。彼女だって十分強いではないか。


「あなたはきっと国外追放になると思います。この国を一歩でも出たら、二度とこの国に足を踏み入れることはできないし、庶民として他国で生きていかねばなりません」

「うん、大丈夫。問題ないよ。今日のことを胸に刻んで頑張って生きていくね!」

「ならば僕は女神に祈りましょう。どうかこれから先、あなたが幸せでありますように」


彼女の門出を印を結んで女神に祈る。

それを見ていた彼女が座ったままぺこりとお辞儀をした。


「何から何までありがとう。あ、トレイ返すね。……もうお腹も胸も一杯だからこれ持って帰っていいよ」


ユリアーナは落ちたフォークを拾いつつ頭を上げると、ハンカチを受け取る際に自分の脇に置いていたトレイを手にして立ち上がった。そして、トレイを専用の小窓に入れて私に差し出す。

食事がまだ残っている状態のそれを受け取り、これで最後かもしれないと彼女を見れば彼女と目が合った。


『ふふっ』とどちらからともなく声が出る。

その声があたりに広がりやがて消えて行くのと同時に団長の方へと足を向けた。


「ねぇ」


右斜め後方からがちゃりと鉄格子を鳴らしてユリアーナが話しかけてきたので、顔だけ振り返る。彼女は鉄格子を握りしめてこちらを向いていた。


「私たち、こんな出会いじゃなかったらお友達になれたかな?」


その問いに口角を上げる。だって今……。


「僕も同じことを思っていました。きっと別の出会いだったら友達になれたのかもしれませんね」


それだけを言うと再び正面を向いて歩き出す。すると私の背中に再び声が投げかけられた。

しかし、今度は立ち止まらずに歩く。


「またね、()()()()!」


彼女の言葉の意味を正しく理解する。

ああ、彼女は気付いていたのか。

本当に彼女とは別の出会いをしたかったものだ。


右手を軽く上げるとひらひらと振って、私の後ろ姿を見ているだろうユリアーナに別れの挨拶をした。

もう彼女に会うこともないだろうと万感の思いを込めて。


結局彼女の口から、私に対する謝罪の言葉が出ることはなかった。

でも私は何の不満もないし、彼女の真意が聞けたので満足もしている。だからこれで良かったのだろう。そう思うことにした。


「団長……」


団長のところまで行き、階段脇の壁に背中を預けてこちらを見ている団長に声をかける。

団長は壁から離れると、真っ直ぐ私を見据えた。


「もういいのか?」

「はい。蟠りを解消してきました」


力強く頷いて団長の顔を見る。団長もそれに応えるかのように小さく頷いた。


「すっきりとした顔をしているな。大いに結構。それじゃ戻るか」


そう言って団長は私に背を向け、階段を上り始めた。

それに続いて階段を上る。来る時とは違いなんの煩いもないためか、階段を一段抜かしで上れそうな程足取りは軽やかだった。


階段を上り切ると団長が正面にある扉を叩く。すると外側からかちゃりと解錠する音がした。

それからゆっくりと扉が開き、ギィ、という音とともに光が射しこむ。地下牢の暗さに目が慣れていたため、あまりの眩しさに目を閉じた。


目を瞑って数秒程待ってからゆっくりと目を開け、外の明るさに慣らす。

そうして漸く慣れてきた頃に周囲を見回せば、見張りである二人の騎士以外にも人がいることがわかった。

誰だろう、とその人の顔をじっくりと見る。


「大丈夫か?」

「リオン!?どうしてここに?」


そこにいたのはリオンだった。

彼には『団長のところに行く』としか告げていない。それなのにどうしてここがわかったのだろうか。


「あー……お前が少し心配だったからな。あちこち聞き回ったら、囚人の食事当番を代わってもらったってやつがいて来てみたんだ。まあ、杞憂だったようだがな」

「心配?」

「気付いていなかったのか?大分深刻そうな顔してたんだぞ?」


首を傾げる私に、リオンが呆れたと言わんばかりの表情でこちらを見てきた。

そんなに深刻そうな顔だっただろうか。表情を表に出しているつもりはないのに。

そう彼に言ったら「お前のことは何となくわかるんだよ」と返された。

その殺し文句に思わず絶句する。


「どうしたんだ?」


黙り込んだままの私に、リオンが不思議そうな顔を浮かべた。


「リオン。その言葉、絶対に好きな女性以外に言っちゃだめだからね?」

「なんでだよ」

「うわぁ、気付いていないとかどんだけ……さすがリオン」


リオンの返しに思わず半眼になってしまった私は悪くないと思う。だってあんなこと言われたら誰だって吃驚するに決まっているもの。

それなのに言っている本人が気付いていないだなんて、余計に質が悪い。

私だからまだいいものの、同じ言葉をほかの女性に言えばどうなるか……。きっと顔がいいだけに七面倒なことになるだろう。


「はぁ?何だそりゃ。それよりそれ置きに行きつつ飯にしようぜ」

「そうだね。お腹ペコペコだよ。

 団長。我儘を叶えてくださり本当にありがとうございました」


リオンの誘いに応じた後、団長の方を向いて深く、深く、それはもう直角になるのではないかというくらいに腰を折って礼を述べる。


「頭を上げてくれ。こちらも礼を言わねばならんからな。一体何を話したのかは知らんが、君のおかげで彼女が害となることはもうないだろう。それとこれを返す」


団長の言葉に反応して頭を上げれば、団長が一振りの剣を私に差し出してきた。先程預けた剣だ。

トレイをリオンに持ってもらうと、剣を受け取り腰に佩く。それを見計らってリオンが「んじゃ行くか」と声をかけてきたので、短く頷いてトレイを受け取った。


「団長僕たち先に行ってますね」

「ああ、それ持って転ぶなよ」


団長が悪戯っぽい笑みを湛えて言うので「そこまで子供じゃないですよ」と軽く口を尖らせて返した。

そこにリオンが割り込んでくる。


「二人して楽しそうだな。まあ、いい。さっさと行くぞ」

「うん。あ、待って」


リオンに短く返事をしながらも、一度振り返り彼女のいる牢屋を見る。

だがすぐに前に向き直り、たたっと駆けて先を行くリオンを追いかけた。



それから程なくして、ユリアーナは隣国へと旅立って行った。

ブクマや評価、誤字脱字報告などいつもありがとうございます。


話が進むにつれて敬称がなくなり、多少砕けた口調になっています。

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