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兄と腕輪と変装と

訓練室を出て2階まで上がったところでお母様と軽く挨拶を交わし、お母様は左に、私は右の廊下へと別れた。それに伴い侍女たちも左右に分かれ自分の主の後ろへと付く。


私付き侍女のイルマが後ろにいるのを確認し、この後湯あみをしたいと告げると「すぐに準備に取り掛かりますのでこちらで失礼します」とその場を去って行った。

ひっつめた茶色の髪に紺色のお仕着せを着て足早に去っていく彼女の後姿をちらりと見送ると、一人自室へと向かう。

すると、私の部屋の扉前で、今まさにノックをしようとしている一人の男性の姿が見えた。


「まあ、どうなさったのお兄様。随分と早いお帰りですわね?」

「随分な言い様だね。まるで私が毎日遅いみたいじゃないか」

「あら、事実ではなくて?お会いできる日の方が少ないですわよ。それはともかく、おかえりなさいませ、お兄様」

「ただいま、ティナ」


そう言って微笑むのは私のお兄様、ルートヴィヒ・ザシャ・レーネ。

短いサラサラストレートのプラチナブロンドに、お母様譲りの緑色の瞳と、スッと美しい線を描く鼻梁、白い肌にアクセントだとばかりに存在する形の良い赤い唇、それらがバランスよく配置されたお父様似の麗しいかんばせは、道行く人が皆振り返るほどの美貌だ。身長もそこそこ高く、程よく筋肉も付いていて手足も長いとかどれだけ嫌がらせなのよ。

社交界でもそれらや次期公爵であること、おまけに婚約者も恋人もいないと言うこともあって、年頃のご令嬢たちからの人気はかなりのものだ。

お兄様は私の3つほど年上で、従兄のハルトヴィヒ兄様と同い年。もちろん小さい頃からずっと私を可愛がってくれていたことは言うまでもない。

学院を3年ほど前に卒業してからは、ずっと魔術機関の研究員として研究室に入り浸りで帰宅も遅く、ここ最近では顔を合わせることも少なかった。そんな研究一筋であるお兄様がお休みでもない今、私の目の前にいることが俄かには信じられない。

とりあえずお兄様を部屋に招き入れ、部屋の向かって左側に設えたソファへ座るように勧める。しかしお兄様はすぐ終わるからと部屋へ入ったところで話し始めた。


「明日には卒業だろう?ティナにプレゼントを用意したんだ。ちょっと早いけどすぐに渡したくて。手を出してくれないか?」

「もう卒業証明をいただいてきたので正確には明日は卒業パーティーのみ、ですわね。手を出せばよろしいのですの?」

「あぁ。シンプルなデザインで申し訳ないけど」

「腕輪?」


お兄様が懐から何かを取り出したかと思えば、差し出した手を掴まれてそこに細めでシンプルな腕輪を嵌められた。鈍い銀色で光沢もない。手首を目線まで上げてじっくり見るが、特に何の変哲もないただの腕輪である。

それがかえって不思議でならない。だってお兄様なら宝石が鏤められていたり、緻密な細工が施された腕輪を用意していてもおかしくないのに、この腕輪は全く飾り気のない良くいえばシンプル、率直に言ってしまえば地味な物だったのだ。

どうしてなのだろうと、僅かに首を傾げてお兄様を見ると、お兄様は私の意図を理解してくれたらしく、苦笑しながら説明してくれた。


「それは少量だけど魔力を補ってくれる腕輪だよ。まだまだ試作段階だけど漸く納得のいくものができたんだ。腕輪には私の魔力が貯めてある。ティナは広範囲の爆撃魔法を得意としているだろう?もしこの先、爆撃魔法を放つことがあって、ティナの魔力が少なくなった時にきっと役に立ってくれるはずだ。私とティナの魔力の質はほぼ同じだから反発しあうこともないはずだしね。まあ、そんなこと起きないに越したことはないけどね」


お兄様を見つめたまま思考が一時停止する。

私のことを思ってプレゼントしてくださったのは嬉しいけれど、この腕輪めちゃくちゃすごい物じゃない?ていうかかなりまずいんじゃ…。

実験段階とはいえ自分の魔力を他人に分け与えるなんて芸当、一体どれだけの人が人生を捧げてこっそり研究してきたと思ってるのよ。

今まで成しえなかった『魔力を分け与える』という秘術が確立されちゃったら、魔力を持っていない人でも簡単に魔法を放てちゃったりするし、魔力持ちであるがために得られた特権とかが有耶無耶になってしまう。そう言った人が出てくれば国どころか世界中で大混乱は間違いないわ。

だがそれゆえにタブーとされているジャンルではあるのだけれど、何故か公に禁止されているというわけでもない。しかしそんな研究してますって言っちゃうと命狙われちゃったりして色々とまずいのも確か。

そんなすごいものぽーんと妹にあげちゃっていいのですか、そうですか。


「お兄様…ありがとうございます。肌身離さず大切にいたしますね(いろんな意味で)」

「ああ、そうしてくれると嬉しいよ。ついでに着用した意見とかももらえると嬉しいんだけれど」

「やっぱりそういう魂胆だったのね。お兄様ったら!」

「ごめんごめん、冗談だよ。卒業おめでとう、ティナ」

「ふふ、ありがとうございます。ってそうじゃなくて!お兄様、これ公にしたら世界中が大混乱に陥ると思いますわ」

「はは、そんなことしないよ。だってこれはあくまで私の趣味だからね。他人に見せびらかしたりしないさ。納得のいくものが完成したら発表しないで資料は全部破棄するよ」

「・・・・」


あ、そうだった。これがお兄様だ。興味があればとことん突き詰めるけれど、それを自己の利としない正真正銘の研究者。小さい頃よくお兄様の実験に付き合わされたっけな…。主に被験者として。

あれ?でもちょっと待って。もしかしてこの腕輪着けることによって私も研究に手を貸してしまったって捉えられてもおかしくない状況?腕輪の存在が明らかになったら私も命狙われちゃうとか?やーめーてー!ただでさえ今人生の危機真っ只中だっていうのにそんなの嫌よー。こうなったら誰にも知られることのないよう、腕輪の存在をひた隠しにしないと命がいくつあっても足りないわ。

ま、誰かに知られるってことは暫くないと思うけどね。

気を取り直し改めて腕輪を見たけれど、シンプル過ぎて見た目からは凄いものだっていう実感がいまいち湧きあがらなかった。



せっかくだしお礼も兼ねてお茶にとお兄様を誘ったのだけれど、お兄様は部屋に籠ってアイディアを纏めたいと早々に部屋を去って行った。そんな研究バカ…もとい研究一筋のお兄様が、とんでもないものだということは置いておいても、私にプレゼントを考えてくれていたことと、プレゼントを渡すために早く帰宅してくれたことが何よりも嬉しい。今会えなければもう暫く会うことは適わなかっただろうから。


今夜夕食時に私がいなくなっていることに気づいた時、お兄様は一体どんな表情を浮かべてくれるのだろうか。

でも、ふと思う。それはきっと私以外の人にとってはとても酷なことなんじゃないかと。そう思ったら罪悪感が湧いてきたけれど他に方法が見つからない。私はこれで本当にいいのだろうか…。ううん、今更引き返せない。



お兄様と入れ違うようにイルマが湯あみの支度が整ったことを告げに来たので、それに返事をして湯あみをする。湯に入り髪を洗いお母様との手合わせによってかいた汗を流すと、とてもさっぱりして気分が良くなった。このままベッドに入って眠ってしまいたくなるくらい気持ちがいいが、髪も乾かさずに寝てしまえば風邪をひいてしまうし、何よりイルマが目くじらを立てるので油断は禁物である。

バスローブに身を包み浴室をあとにすると、イルマが待っていましたとばかりに髪にこれでもかというくらいの香油を付けて手入れをしてくれた。


「ありがとうイルマ。あとは一人でできるから夕食の時間まで下がっていていいわ」

「何かお飲み物でもお持ちしますか?」

「ううん、結構よ。少し休みます」

「…お嬢様、何か私に隠し事をなさっておいでではないですか?」


うぐっ、鋭い。さすがイルマだわ。

でもまさか今日あったことを包み隠さず話すわけにはいかないし、これから家を出ますなんて以ての外だわ。なんて誤魔化せばいいかしら。


「隠し事なんてしてないわ。ただ、明日で卒業だと思うとこれから先のことがちらついてしまって落ち着かないのよ」

「…そうでございましたか」

「それよりイルマ、今日は随分他人行儀じゃないの。あなたの方こそ何か隠してないでしょうね?」

「と、とんでもないです!ティナ様、私は侍女です。そろそろ自分の立場をはっきりさせないといけないと思ったんですよ」

「ならその必要はないわ。あなたは今まで通りでいいの。私がいいって言うんだから変えちゃだめよ?」

「ふふ、ありがとうございます。それでは私は下がらせていただきますけど、何か御用がおありでしたらすぐにお呼び下さいね」


…行ったようね。

イルマが部屋を後にして遠ざかったのを確認すると寝室へ行く。その奥にあるクローゼットからとある服と一本の剣を取り出す。服は少しヨレた雰囲気漂う生成りのシャツに、庶民が好むような普段使いの藍鉄色のベスト、それから体のラインがわからないよう誂えた、ベストと同じ色のスラックス。それらを身に纏い、千歳茶(せんさいちゃ)色のシンプルで男性らしいデザインのブーツの中に余分なスラックスの裾を入れ、象牙色のコートを羽織ると、そこにいるのはもう立派な庶民の少年だ。

もちろんこんな格好をするからには完璧に。努力して理想の大きさにしたバストは不要なので、服を着る前にしっかりと布を巻きつけてなるべくフラットにした。

それから、ウェーブのかかったプラチナブロンドは後ろに一つに括ると、そこから三つ編みをして最後をまた紐で括る。これでいい。

机の引き出しから短刀を取り出してバラバラにならないように結び目に留意して頭に近い部分に刃を当てる。そして一思いに!


――ザク、ブツッ!


ぱらりとサイドの髪が顔にかかるが結わえた三つ編みは解けずに手元に残る。

さあ、これで本当に後戻りはできない。

髪を特殊な染料でさっと琥珀色に染め鏡を見る。先ほどまでふわふわと腰まであった、手入れの行き届いたプラチナブロンドはもう影も形もない。そこにあるのは琥珀色の無造作に切られたクセのある髪に、お父様譲りの透き通るアメジストの瞳とお母様似のキッとつり上がった大きな諸目、自分で言うのもなんだけど整った容姿の少年。年齢はおよそ14~15歳くらいかな。


大きな鞄に以前魔物退治で稼いだお金をありったけ入れ、その他必要なアイテムを詰め込んで、切った髪も証拠隠滅を兼ねて鞄に詰める。

最後にブーツと同じ色合いの革の手袋を嵌め、鏡台の前に立てていた剣を腰のベルトに佩く。剣はお母様と手合わせした時の女性らしい装飾が施されたものではなく、それとは別の実用的な飾り気のない男性が好みそうなデザインのものだ。もちろん鞘も男性用として特別に誂えた物。3年前から愛用している。


ぐるりと部屋を見渡し感傷などすぐに吹き飛ばし気合を入れると、そっと廊下の様子を窺う。誰もいなさそうだ。そろっと顔を出し左右を確認して急いで部屋を飛び出した。そのまま家の者に見つからないように気配を殺しつつ、全神経を集中させながら早歩きで階段まで辿り着くと、それを一気に駆け下りて物陰に隠れる。

丁度2階の執務室の扉が開かれ、中からハンネスが出て来て階段を下りてくるのを、息を殺してやり過ごす。すると彼はそのまま1階にある執事室へと消えて行った。

ゆっくり、けれど深く息を吐き出すとあたりを見回して目的地へ足を運ぶ。調理場や洗濯室、その他諸々家事動線が揃っている一画に、使用人用の通用口がある。今の時間は夕食の支度で調理場が戦争だろうが、他の使用人は休憩部屋で休んでいる時間だ。それを利用し、調理場の扉の前を一瞬で駆け抜け通用口から外へ出る。これで第一段階クリア。


第二段階はこの広大で警備の行き届いた敷地から外へ出ること。

私は公爵令嬢だからどんなお忍びだって堂々と表門から出る。エンブレムのない質素な馬車に乗っていたとしても、少年のような恰好をしていたとしてもね。だけど今日のはお忍びじゃなくて、はっきり言ってしまえば家出だ。だから誰にも見つかってはいけないのである。

警備に配置されている騎士の数はすでに把握済み。周りを見回して邸の外壁まで駆け抜けると膝丈くらいの茂みに身を寄せた。

そっと壁の外へ耳を傾けると、近くの警備兵数人の会話が聞こえてくる。


「おい、さっきの話本当か?」

「ああ、お嬢様が剣を持って奥様と手合わせしたってやつか?」

「俺、それ見てきたぞ!もう感動したわ」

「感動?なぜ感動なんだ?」

「奥様の剣技が素晴らしいのは知っていたが、お嬢様がその奥様とそれなりにやり合ったんだよ。その速さと技術と言ったら…」

「えー!俺も見たかったなぁ」

「んで結局どちらが勝ったんだ?」

「それがな…」



・・・・・・・・・。ちょっと警備兵!仕事しなさいよ!



ちらっと顔を出して様子を窺えば、あたりに気を配ることもなく会話に華が咲いていた。その話の内容が先程のお母様との手合わせだと言うのだから、恥ずかしいにも程があると言うものだが、そのおかげで警備の隙がつけたことには変わりない。何とも複雑な気分だ。


気を取り直して外壁に手をかける。凹凸があるので指をかけやすい。そのまま指先に力を込めて体を浮かせると、音を立てずに懸垂の要領で壁の頂を乗り越える。周囲を気にしていない警備兵の目を盗んで壁を越えるのは造作もないことだった。さっと外壁の外側に降り立つと、もう一度辺りを見回して見られていないことを確認する。よし、誰にも見られていない。例の騎士たちは今も話に夢中のようだ。

あとはいかにも関係ありませんよ風な体でその場をあとにする。


暫し歩いてから一度だけ振り返り遠くにある我が邸を見た。

こんなことをして怒られることくらい百も承知だけれど、…と言うかお父様はきっと私の髪を見たら卒倒なさるわね。でも何もせずに学院で断罪されて、そのまま公爵家から勘当コースよりははるかにマシよ。

私は真っすぐ前を向くと、気を引き締め直して庶民街へと足早に歩いて行った。

評価やブクマ等々ありがとうございます!とても嬉しいです!


誤字脱字報告ありがとうございます。修正いたしました。

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