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公爵令嬢

グレンディア国の王城は、王都ヴェルテにある丘の上に聳えたっている。

北側は崖になっており、かなり高低差があるため、侵入者はおいそれと上ることはできない。

そして城から一定の距離を置いて扇状に囲むように、貴族たちが社交シーズンに合わせて訪れるタウンハウスが並び立つ。そこは高級住宅地で城に近いほど邸の大きさも半端ないくらい大きいものになる。故に年中そこに住んでいる貴族も少なくない。

レーネ公爵家も西側の一画に邸を構えている。

本邸は王都の西隣に位置するレーネ公爵領にあり、タウンハウスからは半日もあればたどり着ける距離だ。領地はお祖父様に任せてあるのでお父様は王陛下の側で力を揮っているのだが、毎日目に隈を作り、「朝早くから夜遅くまでこき使われている」とぼやきながら国のために尽くしていることは陛下には内緒である。



さて、ここで一つ、我が家のお話をいたしましょう。

我がレーネ家は歴史ある公爵家だ。初代公爵はずっと昔の王弟殿下だった人物で、そこから幾度か王女を妻に迎えつつ今に至る。血筋も確かなので公爵家から王家へ嫁いだ者も数多くいるのだとか。かく言う私もその中の一人になるわけだ。

そこら辺は王妃教育によりしっかりと頭に叩き込まれている。あの先生は怒ると怖いのよ。覚えてないと何されるか…今思い出しても背筋が凍るわ。

そんなわけでレーネ公爵家と言えばこの国一番の貴族とされている。王への忠誠を強く誓っているので王家からの信頼が厚いのも一因かもしれない。


何かあった時のためにすぐに城に上がれるよう王城に一番近く、周囲の中でも一番大きい区画がレーネ公爵邸だ。庭がとても広くて森も小川も小さいながらあり、邸も大きいため使用人の数も数十人で足りるかどうか。警備や護衛の騎士を含めると更に人数は何倍にも跳ね上がる。そのためある程度の使用人の名前は知っているけれど、最近入っただとか私に関わることのない使用人たちの名前までは申し訳ないが覚えてはいない。


学院へは寮から通う生徒と自宅から通う生徒に分かれており、私は王城に頻繁にいかなくてはならないこともあり、自宅から通学している。自宅から学院までは馬車で10分程度で着くので不便さも感じてはいない。事実、先程学院を出て一つ二つ考え事をしていたらもう我が邸の前だ。


馬車は公爵邸の門を抜け更に進むと邸の前に停まる。

馭者が馬車の扉を開けて手を差し出してくれたので、その手につかまり優雅に馬車から降りると開かれた扉から邸の中へ入った。

玄関ホールには執事のハンネスと私付き侍女のイルマが恭しく頭を下げて私を出迎えてくれている。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

「ただいま、ハンネス。特に変わったことはなくて?」

「そうですね、今日は旦那様にお客様がいらしたことくらいでしょうか」

「ああ、ヨハン叔父様ね。まだ私の事を未来の辺境伯夫人にする夢は潰えないのかしら?」

「はい。ご子息であるハルトヴィヒ様はそのお話に呆れていらっしゃいましたが、ヨハン様はまだ諦めていらっしゃらないご様子です」

「もう、叔父様ったら」


その光景を思い浮かべてつい苦笑する。

ヨハン叔父様はお母様の弟にあたる方で、クルネール辺境伯家のご当主だ。

クルネールは国の北側に位置し、隣国のガルイア国と隣接しており、軍事国家と呼ばれるガルイアにある程度対抗しうる程の軍事力を保持している。軍事面はこの国最強とも言われ恐れられてはいるが、ヨハン叔父様は軍事に関することがなければ至って普通の御仁だ。いや、寧ろ穏やかな性格過ぎて実は双子なんじゃないかと思う時もある。

そんな叔父様が是非嫡男であるハルトヴィヒ兄様の婚約者にと、幼少よりお母様に鍛えられていた私に目を付けていたのは、私が殿下と婚約する以前の話で、その話も概ね整いつつあった頃、私が6歳になり突然未来の国母にと王家に強く望まれてしまったために流れて行ってしまったのだ。そのため、事あるごとに婚約解消をして辺境伯夫人へと強く望まれているが、私より三つ年上の従兄、ハルトヴィヒ兄様は当時まだ子供だったこともあり、あまり実感がわかなかったらしく、父親であるヨハン叔父様みたいな執着は全くない。寧ろ実の妹のようにとても可愛がってもらっている。

しかし叔父様、婚約破棄しろってとても不敬なので、いくら我が家内だけだと言ってもあまり口にしないでほしい。命大事に。


(それにしても叔父様も全く諦めないなぁ…)


本当はクルネールも逃走先の候補地であったけれど、この調子だと「ならば息子(ハルト兄様)の妻に!」としつこく迫られることは想像に難くないので、さっさと候補地から外しておくことにした。


「ところでお母様は?」

「奥様は先ほどデュナー伯爵夫人のお茶会から戻られて、今はお部屋にて寛いでおいでです」

「そう、わかったわ。ならお母様にこの後ご指導賜りたいから時間をいただけないか聞いてきてもらえる?」

「かしこまりました」


ハンネスの後ろに控えていたイルマを従えて、玄関ホールから2階にある自室へと向かう。お母様のお部屋も2階にあるのでハンネスが返答を携えてくるのもすぐだろう。

部屋へ入り制服から動きやすいシャツとすらっとしたズボンに着替え、髪を後ろにひとつに結わえると愛用の剣を腰に佩く。既にお母様からの了承を得ているのでいざ訓練室へ。


訓練室には王都の邸を守るために連れてきた公爵領の騎士たちが各々鍛錬していて、入ってきた私を見ると一部の騎士たちが目を瞠り、驚いた表情を浮かべていた。その反応は仕方がないものだ。いくらお母様に指導を受けているからと言ってもあまり他の騎士たちの前で剣を振るうことはしてこなかったのだから。それこそ小さい頃からの私を知る騎士でなければ私が剣を握ることすら知らないだろう。

とりあえず訓練室を見回して、既に来ていた目的の人物に頭を下げる。


「遅れて申し訳ありません」

「いいえ、大丈夫ですよ。おかえりなさい」


私とは違い、真っすぐ艶のある黒髪を後ろに一括りにして、騎士たちと同じような訓練着を身にまとっているのは私のお母様だ。背筋をピンと伸ばし凛とした佇まいでこちらを見ている。

白雪のようなかんばせに映えて輝くのは、壮大な草原を思わせるかのような緑色の目。その色は美しく見る者を惹きつけてやまない。それをお母様自身も十分にわかっていて、社交界では大いに活用なさって名を馳せているため『黒薔薇の華』と呼ばれている。勿論それだけで勝ち得た称号ではなく、日々の努力を怠らず聞き役、話し役のなんたるかもしっかり学んだ上でコミュニケーションへと生かし、身だしなみのため自分自身を美しく磨くことも忘れない。ファッションセンスは生まれ持ってのものらしいが、それ以外は精進を重ねての今であり、他の貴族の女性たちからは一目置かれている。現在は王妃様でさえお母様を認めており、彼女の右に出る者はいないと言わしめているのは私の自慢だし憧れだ。


お母様は壁際に用意されていた模擬剣を手に取ると、数回軽い素振りをする。

そして徐にこちらへと振り返り、私に目配せをすると部屋の中央へと歩き出したので私もそのあとに続く。


「ティナ、あなたは自分の剣を使いなさい。私はこちらの模擬剣で行きます」

「でも、……はい」


お母様の使用する剣は、先が丸くなっているために殺傷能力が全くない練習用の剣なのに対して、私が使用するよう言われたのは、正真正銘本物の剣である。

少し躊躇いはあったのだが、お母様の剣の腕は確かで私では到底敵わない。

なので私がどうこうできるものでもないと思い直し素直に頷くことにした。


「「お願いします」」


お母様と向かい合うと互いに頭を下げ、私は剣を構える。いろんな型の中でも個人的に正眼が戦いやすく、つい正眼に構えてしまう。

一方のお母様はただ切っ先を下に向けたまま微動だにしない。私を侮っているわけではなく、本当に強いがゆえの構えなのだ。さすが女性でも剣を握る辺境伯家の出だけある。


意を決して地を蹴りお母様の懐へと狙いを定めるが、寸でのところで躱され、逆に逆袈裟斬りで払われたのでそれを後方へ飛んで避ける。するとすぐにお母様が反対側からの袈裟斬りを繰り出し、それを私がギリギリのところで身を捩って躱すとそのまま横一文字に薙ぎ払いながら私の間合いへと入り込み、私がそれを後ろに飛び避けるのを見越して上から剣を振り下ろす。その速さに何とか食らいつきながら隙を窺うが、上、横、袈裟、突き、と多種多様な攻撃の中で一向に隙が見えてこない。

剣と模擬剣との差を以てしても縮まらないレベルの差。それに加えて、私のどこが甘いのか攻撃によって指導してくるのだからもう笑うしかない。私ができることと言えば全力でお母様に挑み指導されることくらいなので、体力の尽きぬ限り剣を振るうことにした。

もしかしたら勝機が見えるかもしれないし。あり得ないけど万が一、億が一にもね…なかったけど。

そして10分近くが経った頃、あっさりと勝敗が決した。


「…負けました」


最後は私の体力がなくなり動きが鈍くなったところで、お母様に強烈な一撃を打たれ、躱しきれずに私の手から剣が離れて、くるくると円をかきながら後方へと飛んで行った。

肩を上下させて全身で荒い呼吸を繰り返しながらお母様を見上げると、お母様はほんの少しの呼吸の乱れのみで、涼しい顔でこちらを見ている。


「ティナ、無駄な動きが多々あります、注意なさい。それと総体的にもう少し体力をつけなさい。それでは政務ですら乗り切れませんよ」

「はい。お母様。私もだいぶ力を付けてきたつもりでしたのに、やはりお母様には遠く及びませんわ」

「あなたには魔法があるでしょう。魔法を放てる者が剣のみで戦うことなんて命の取り合いのない手合わせくらいですよ」


そうなのだ。この世界には魔法と言うものが存在する。

魔力と呼ばれる見えない力、それを持つ者だけが扱える術、それが魔法だ。魔法を扱う者を魔術師と呼ぶ。

魔法は極少数の者たちしか扱うことができない貴重なものであり、王族を始め上位の貴族に魔力持ちが多く見られる。何故上位貴族が多いのか。それは昔魔術師の流出を避けるために、当時の王が魔術師の優遇政策を施したためだ。だが今でも時折庶民の中から魔力持ちが生まれてくる事象が報告されており、そう言った者は当時の施政に倣い、国の魔法騎士団員または魔術機関の研究員として好条件好待遇で乞われ、場合によっては準爵位を与えられることもある。魔術師はそれ程に貴重な存在で、戦争ともなると魔術師の数で勝敗が決することもあるのだ。



お母様は辺境伯家の長女として幼い頃よりずっと剣を握りしめてきた人で、驕ることもせずただ偏に己の限界に挑み続けて自身を鍛えぬいていたらしい。隣国の脅威と隣り合わせで育ったせいか、結婚せずにずっとクルネールの剣として留まるつもりだったのだとか。抑々結婚するにしてもクルネールを守れる強さを持った人が良かったらしく、お母様よりも強い人などそう見つからなかったことも結婚を望めなかった一因だったのだろう。

だが例外がいた。

マティアス・ノア・レーネ。私のお父様だ。

お父様は我がレーネ家の歴史の中でも1、2位を誇ると言われるほどの魔術師で、剣の腕はからきしだが、類い稀なる魔法の才のおかげでお母様を難なく打ち負かすことができたと聞いている。


そして、お父様程ではないけれどお父様譲りの強い魔力を持って生まれたのがこの私だ。お母様直伝の剣術も合わせればそれなりに戦えるご令嬢と言うわけ。

お兄様も私と同等の魔力を持っているけれど、本人は魔法を放つよりは魔術機関の研究員として日々研究する方が性に合っているらしく、そんな研究一筋なお兄様ゆえ剣の腕は人並みと言ったところだ。「運動楽しいのに」とお兄様に言ったらきっと「お前は脳筋だからだ」って一蹴されるので絶対に言わない。私だってちゃんとお妃教育の傍ら殿下の政務を手伝ってきたのに。



それはともかく、私は魔法が使えるのでお母様と本気で手合わせをすればどちらが勝つかわからない。それこそ戦があれば私は、私の得意な大爆撃魔法を放って剣を交えることなく相手を屠るだろう。だけどやっぱり剣術も好きだ。あの剣と剣が交わる瞬間の高揚感がたまらない。

なのに、最近ずっと政務・教育・政務・教育時折学校、とただ只管部屋に閉じこもってばかりだったので、そのストレスを発散する目的も兼ねて今日お母様に手合わせをお願いした次第だった。そして改めて実感。すごく楽しかった。もっと体を動かしたい。

政務ばかりでにこやかに笑っているだけの国母になんてなりたくない。抑々端から王太子妃、つまり未来の国母になんてなりたいとも思わなかった。希われたから仕方がなく殿下の婚約者となったのだ。そんなものなりたい人がなればいい。甘い考えだと笑われてもかまわない。私はただ、お父様やお母様のように愛し合い笑い合える夫婦になりたかっただけなのだ。



だから私は逃げる。冤罪を回避するために、そしてできれば幸せな未来をこの手で掴むために。

と、大袈裟に表現したけれど、正直な話私の中でクリストフォルフ殿下のことが信じられなくなったことが逃げる一番の要因である。ただでさえ恋愛感情が全くないのに、信頼関係まで崩れたら私はこの先死ぬまで生き地獄だ。だったら逃げ出したって強くは言われない、と思う。…多分。

殿下たちが事を起こせば王陛下と王妃陛下の耳にも入るはず。寧ろ既に把握していてもおかしくはない。と言うことは公爵家から婚約破棄の申し出をしても否やは唱えられないはずだ。それまでの間、罪を擦り付けられないように隠れる必要がある。

冤罪まで起こしてしまったら、クリストフォルフ殿下の立場が危うくなってしまうだろう。いくら恋愛面で心が通じ合っていないと言っても殿下とは幼い頃からの付き合いだ。家族のような愛情は多少ある。不穏分子を勢い付けないためにも、今の私は重要ではあるが必要ではないのだ。

だから私はこの家を出る。我儘ばかりでごめんなさい、お父様、お母様。


「ご指導ありがとうございました」


いろんな思いを込めてお母様に頭を下げる。

優しく微笑むお母様とともに訓練室を出ると、ずっと静かだった騎士たちが「うおー!すげー!」だとか「感動した!お嬢様ー!」だとか叫んでいて、仕舞いにはなんだかよくわからない雄叫びまでもが邸中にこだましていた。

キリが良いところまでは頻繁に更新したいと思ってますが、それ以降はゆっくり更新する予定です。

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