公爵令嬢と魔術師の青年2
リオンが部屋に戻ったのを見届けてから部屋の中に入り、防音の魔法を展開する。一瞬魔術師の青年がびくっと肩を震わせて顔を強張らせたが、すぐに何の魔法かわかったようで安堵の表情を浮かべた。
部屋に設えられていたテーブルには椅子が二脚しかなく、イルマが遠慮したために私たちが座ると、イルマは近くにあった机の椅子を持ってきて腰かける。
私の正面に座った青年が、それを見るなり僅かに目を瞠った。
そんな彼の様子に、ぴんと来るものがあったのだが、それは一先ず置いておくことにする。
とりあえず青年にかけた魔法を解く。自分の顔の前で右の手のひらを相手に向けるように構えて、かけた魔法を払うイメージで手を右にずらす。すると、男から「あ……」と声が発せられた。沈黙の魔法はきちんと解除されたようだ。
「どこか痛いところはない?」
「……首のあたりが少し痛いがあとは問題ない」
「そう。それは私が手刀を叩き込んだ時の痛みね?ごめんなさい。あなたには手を出してもらいたくなかったの」
「わかってる。それで何故あなたは俺をここに連れてきた?何が聞きたい?」
「落ち着いて。尋ねたいことは沢山あるの」
改めて男の体調を聞けば、昏倒させるために放った私の一撃がまだ痛むらしい。首筋を摩りながら答えたので素直に謝罪する。
彼は謝罪を受け入れると、すぐさま用件を聞こうとしてきたので、それを制して落ち着かせてから話を切り出す。
「まず最初に。あなたは本来あの男たちとは何の関わりもなかったんじゃない?あの男たちとの距離が少しあったもの。
私はあの聖堂であなたに会った時、一対一で話がしたかったのよ。だから、あの男たちからあなたを引き離したの」
「成る程。確かに俺は本来あの男たちとは関係がない。出会ったのは隣町の酒場で飲んでいた時だ。彼らに絡まれて、俺も酔っていたもんだからつい魔法を放っちゃってね。そしたら仲間にならないかって誘われたんだ。ずっと仲間になるつもりはなかったから一回だけ雇われて旅費を稼ごうと思って」
「旅費?」
「ああ。俺はここからずっと南の方にあるヒューゲルフェルト地方の葡萄農家の息子……だったんだけど、両親も家族も皆流行り病で死んでしまったんだ。一人じゃ農業を続けることもできず途方に暮れてたんだけど、幸い俺には魔力があってね。昔魔術師の師匠に弟子入りしていたから問題もなく魔法が放てた。だから思い切って農園を売って王都に行こうとしたんだ。その途中であの男たちに会ったってわけさ」
「そうだったの。大変だったわね。そう言えばヒューゲルフェルト地方はワインが有名ね。とても美味しかったのを覚えているわ」
「そう言ってくれるとありがたい。皆知り合いみたいなものだから」
お妃教育で叩き込まれた知識は伊達ではなかった。目の前の青年が嬉しそうに目を細めているのだから。
彼はやけに協力的で、私の質問にすらすらと答えてくれる。しかし、話を聞くに、彼が言っていることはどうやら嘘ではなさそうだ。
貴族の人たちと数多くのやり取りを熟せば、彼が嘘を言っているのかどうかくらいは、多少はわかるというもの。彼はただ雇われていただけで何も知らなかった、と言えばそこまで深く追及されることもないだろう。
更に話を聞こうとして、彼の名前を聞いていなかったことに気付き尋ねる。
「あなたの名前を聞いていなかったわね。差し支えがなければ教えてほしいわ」
「俺はヴェルフ。ヴェルフ・グルリット」
「ヴェルフ、いい名前ね。私は『ルディ』と名乗っているわ」
「なんで男の名前?それにさっき…」
「今はこの格好だけど、本当は男だと言ったら?」
「嘘だね。魔力の流れ方が女性特有のものだろう?あなたは女性だ」
「そんなこともわかるの?あなたやっぱりすごいわ。そうよ、私は女性。でも訳あって男装してるの。だから男装してるときは話を合わせてくれると嬉しいわ」
「わかった」
男はヴェルフと名乗り、あっさりと私の性別まで当ててみせた。魔力の流れで性別がわかるなんて初めて聞いた。やはりにらんだ通り彼はすごい術者だと思う。是非我が公爵家に欲しい逸材だ。
そんなヴェルフを光の下で改めて見る。容貌は端整で、青みを帯びた濡羽色の髪と紫紺の瞳は神秘的で美しい。年齢はイルマと同じくらいだろうか。
「ヴェルフ、あなた今何歳?」
「26だけど」
「あら、意外と年上ね。イルマの3つ上かしら。私とは9つね」
「……17?」
「そうよ。この姿だともう少し下に見えるかしら。
それで、あなた結婚はしてるの?一緒に暮らしたい人とかいる?」
「いや、そんな暇もなかったし結婚はしていない。だから一緒に暮らしたい人もいない」
「それはよかったわ!」
「え?どう……」
「ところであなた、国に忠誠を誓っていないわね?」
彼の言葉を遮るのは少々不躾ではあるが、構わずに一番聞きたいことを尋ねた。
『国に忠誠を誓う』とは、簡単に言ってしまえば国に申請をして、魔術師の認定を受けることだ。
魔術師は極少数と言われており、国からの流出を避けるためにも、魔術師の数を把握して管理する必要がある。それゆえに優遇政策を行い、魔術師申請に価値などを与えて、自ずから願い出るようにしているのだ。そこから『国に忠誠を誓う』と称されるようになったのである。
そして、申請は基本的に魔力を持つ者ならば全員しなければならない。だが、魔法が扱えることを隠す者が少なからず存在する。されども国としても見つけることが難しいために、野放しのままになっているのが実状だ。
また、魔術師に認定された者たちの殆どは、王都にある魔術機関に勤めているので、国に忠誠を誓っていれば普通はこんなところにいるはずがないのである。そのためにヴェルフは国に忠誠を誓っていないのだろうと容易に考えられた。
「そうだよ。王都まで遠くて畑もあったから行けなかったんだ。だからそれらがなくなった今、魔術師の仕事をしようと思って王都に行く途中だった」
「魔術師の認定を受けたら、ここに就職したいとか、やりたいこととか何かあった?」
「いや、何も。向こうに行ってみないとわからなかったから」
「そう、ならヴェルフ。あなた私の家で専属魔術師になるつもりはない?」
「あなたの家…?貴族の邸ってこと?」
私の言葉をちゃんと理解してくれていたようで、ヴェルフは私に欲しい答えを返してくれた。彼の問いに「そうだ」と肯定する代わりにこくりと頷く。
貴族の各家は魔術師を雇い入れることができるのだが、家格によって人数が変わり、公爵家は3人まで迎え入れることが出来る。我が家はお母様を除いて皆魔力が高いので、態々雇い入れたりはしなかったのだが彼は別だ。
無名の魔術師を野放しにさせないためにというのは建前で、私が彼を欲した。正確には彼のセンスを。きっとお兄様と気が合うことだろう。
「私の家はそこそこ名のある家柄よ。お父様に好条件であなたを雇ってもらえるようにお願いするわ。ただ、あなたのことはしっかりと調べさせてもらうけれどね。どうかしら?」
私の言にイルマが物言いたげな表情を浮かべる。何かおかしなことを言っただろうか?
「どのみちあなたの話を受けなければ俺は牢獄行きだ。だったら俺は迷わずあなたの手を取る」
「情状酌量の余地はあるけれどね。頷いてくれてありがとう、これからよろしくね。あ……、ねえ、ヴェルフ。あなた今回人攫いの仕事だって知ってたの?」
「まさか!!人助けだって聞いたから手を貸したんだ。それなのに……」
「もし、私たちが介入せずにここの令嬢が誘拐されていたならば、あなたはどうしていた?」
「多分ご令嬢を逃がして俺も逃げていたと思う」
「それを聞いて安心したわ。ヴェルフ、これからあなたは私の侍女のイルマ……彼女と一緒にうちに行ってもらいたいの。それでその際だけれど……」
気になって聞いてみたがヴェルフが善良な人で良かった。そうでなければ、私はどんなに気に入ったとしても彼を聖騎士団に引き渡しただろう。
とりあえずこれからうちで働いてくれるにあたり、まずは公爵邸に行く必要がある。ゆえに、その手はずなどの詳細を説明し、イルマには予め認めておいたお父様宛ての手紙と、ヴェルフの件についての簡単なメモを添えて託す。2人には明日の朝、この邸を出てもらう予定だ。
それにはまず、ヴェルフが今回の誘拐事件について事前に知らなかったことと、嘘を告げられていたこと、そしてその人柄を必死に訴えて、聖騎士団に引き渡すのを阻止しなければならない。
しかし、村長たちに話す前に先ずはリオンに説明しておくべきだろう。
イルマを帰しヴェルフを連れて部屋を出ると、リオンの部屋の扉を何度か叩く。けれど、眠ってしまったのか何の反応もない。
仕方がない。私は目を眇めて扉を見遣ると、これでもかと言うくらい瞬間的に高めた殺気を放った。
――ダンッ!!!
部屋の中で飛び起きたような音がする。改めてノックをして呼びかけるとすぐに扉が開いた。
(――っ!?)
そこに佇んでいたのは上半身が露わのリオンで、それを見た瞬間思わず悲鳴をあげたくなったが、寸でのところで堪える。悲鳴をあげなかった私を誰でも良いのでどうか褒めてほしい。
(僕は男僕は男僕は男……)
鍛え抜かれた筋肉が嫌でも目について、思わずその場から逃げ出したくなったが、必死で自分は男だと呪文を唱えてその場に止まった。
幸いなことに表情は崩れてはおらず、気にしていない体を装う。さすがお妃教育。……こんなことのために受けてきたわけではないけれど。
「いやあ、寝てたのにごめんね~リオン。ちょっと話があってさ」
「……お前な。殺気で起こすのやめろよ」
「だって呼び掛けても起きなかったからさ。とにかく上に着なよ。いくら僕の声がしたからってその恰好で出るのはどうかと思うし、風邪もひくよ?」
「ああ、悪かったな。いつもの癖でつい……」
「いつもの癖?」
「いや、何でもない。とにかく中に入れ。話があるんだろう?」
リオンに招かれてヴェルフと部屋の中に入る。造りは私が借りている部屋と全く同じだ。
ヴェルフが席を譲ってくれたので、礼を述べつつテーブルの入り口側の椅子に腰をかける。一方ヴェルフは、先程イルマがしたように椅子を持って来ると、私の隣に置いて腰かけた。
それから然程間を置かずに、シャツを着たリオンが私の向かいに座ると、私はヴェルフの事情と聖騎士団引き渡しの件をリオンに話す。
「……てわけで、僕は彼を聖騎士団に引き渡すのはどうかと思う」
「それじゃこいつはどうするんだ?」
「きちんと国に忠誠を誓ってもらって、然るべきところで働いてもらうつもりだよ」
「あー、まあその方が国のためになるだろうしな。あんたはそれでいいのか?」
「かまいません。寧ろこちらからお願いしたい」
「わかった。討伐隊が戻ってきたら一旦呼び出されるだろう。その時に同じ話を村長らにもしてくれ」
「了解。ヴェルフもいいよね?」
「ええ。……ところで討伐隊って?」
そう言えばヴェルフは今まで気を失っていたんだっけ。先程話した時もその話はしなかったから知らなくて当然だ。
「あ、そうか。ヴェルフは知らないよね。南東にある賊たちの塒だと思われる場所に残党がいないか、自警団が捜索しているんだよ」
「残党?全員捕まっているよ?」
「えっ!?そうなの?あちゃ~。とんだ無駄足じゃん!基本、拠点には人を残しておくものだと思ってた」
普通、こういう時には拠点に数人くらい残しておくものだ。しかし、彼らはそうしてはいない。本当に兵士、または騎士なのだろうか?考えれば考えるほどわからなくなってきた……。
「お前、聞くならもう少し早く聞けよ……ってあれか。こいつ気絶してたんだっけ?お前の手刀であっさりと」
「そう。さっき話した時もその話はしなかったね。うっかり」
「うっかりじゃねえだろ。てかお前さ、いつまでその格好なんだ?」
「ん?ああ、これ。着替える時間なくてさ。もう暫くこの格好のままだよ。何か文句でも?」
「えっ?……いや、別に何も。ていうかそれ、なんで拘ったんだ?よくできた作り物だよな。お前の趣味か?」
「ブフッ」
「……」
おおっとリオンがとんでもない発言をしてきました。
やけにしどろもどろだなと思っていたら、私の胸を指して作り物だと宣いやがりましたよ。しかも「趣味か?」ですって?
勿論にっこりと微笑みながら青筋を立てたことは言うまでもない。
隣では私が女だとわかっているヴェルフが、リオンの言葉に噴き出し、慌てて片手で顔を押さえると、私とは反対の方を向いて肩を震わせている。
(ねえ、これ私怒ってもいいよね?どっち?どっち怒る?両方?)
とりあえず私は右手に風を纏い、双方を一発ずつ殴ってその場を鎮静させた。