閉ざされた部屋3
前回までのあらすじ
公爵令嬢マルティナは無事王太子殿下との婚約を解消。
冒険者ギルドの相棒であるリオン――侯爵令息のエリオットと婚約した。
だがようやく幸せを掴んだと思った矢先、マルティナが誘拐されそうになる。
帝国の第三皇子が、マルティナに皇太子の解毒と護衛をさせ、更には皇妃にしようと画策していたのだ。
せっかくエリオットと婚約したのに冗談ではない!
マルティナはエリオットとの幸せな未来のため、メイドとして皇城に潜入した。
迷子のふりをしながら皇城を探索。すると、ある部屋から魔力の流れを感じた。
気になったマルティナは、夜に秘密の通路を通ってその部屋に侵入する。
そこには中途半端な魔法陣と、背後から忍び寄る暗殺者がいた。
なんとか暗殺者を倒したものの、暗殺者に自害されそうになる。
マルティナは、すんでのところで自害を阻止したのだった。
「まあ。そんなに悲観しないでちょうだい。特別にいいことを教えてあげる。死ぬにはね、勢いが必要なのよ」
「……は?」
絶望に満ちた顔から一転。『何を言っているのか』と言わんばかりの顔で、男がこちらを見てきた。
訝しげに見てくる男に答えを告げず、にこりと微笑んで話の続きをする。
「だから『だめだと思ったら、辱めを受ける前に即命を絶ちなさい』と習ったわ。時を逃してしまったら、思いきりが足りなくなるから。一度でも別のことを考えたらもう無理ね。一瞬の迷いが生死を分けるわ」
話が理解できないのか、あるいは脈絡がないと思っているのか。
男は「は?」と再び疑問の声を発して首を傾げている。私の手のひらにうまく乗ってくれたようでなによりだ。
「ふふ。こうして死ぬこと以外に頭を使ってしまったのだもの。あなたはもう死ねないわ。自分でも、生に執着しているのがわかるでしょう?」
微笑んだまま言うと、男ははっと何かに気付いたような顔をした。
それから男は力なく笑う。
時折顔を顰めているのは、体が痛いからだろうか。
「何を望む?」
「いやだわ、情報に決まっているでしょう? まずは『何故私がこの部屋に来ると思ったのか』が知りたいわ」
私が訊くと、男は「簡単さ」と言って話し始めた。
「俺は今日、ずっとレオナルド殿下の側にいた。そこにある人が来て、『開かずの部屋の前で城に上がったばかりのメイドと会った』と報告をしてきた。それで、俺が会ったメイドのことを思い出して、もしかして、と思ったんだ」
一人で行動していた時に会った男性を思い浮かべる。
彼は第二皇子派だったのね。迂闊だったわ……。
「そこまではわかったわ。でも、何故あなたが道を知っているの? 皇族だけが知る道のはずよ。第二皇子に教えてもらったの?」
ここにはフィンに教えられた道を通ってきている。
皇族と一部の者だけが知る道を、『少尉』が知っているなどおかしな話だ。皇族の者に聞いたとしか考えられない。
「正解。あの皇子に、固く閉ざされた部屋にどうやって入るのかと訊いたら、べらべらと話してくれたよ。口が軽いなんてもんじゃないね。大丈夫かな、アレ」
第二皇子と会話した時のことを思い出したのだろう。男はおかしそうにくつくつと笑う。
その態度を見て疑問に思った。
「あなた、第二皇子が雇い主ではないの?」
「冗談。あれが主だったら、早々に逃げ出すね。契約するにしても、うまく立ち回れる人じゃなくちゃダメさ。こっちの命がいくつあっても足りなくなる」
もう取り繕う気がないのか、男はすっかり砕けた口調だ。第二皇子に対する畏敬の念も感じられない。
「そう。だったら雇い主は皇帝でもなさそうね。皇帝ならもっと忠実な人を雇うでしょうし、第二皇子を敬うよう躾けられそうだもの」
「どうかな……」
額に汗を浮かべながら、男が口の両端をわずかに上げる。その視線は何もない虚空に向けられ、微塵も動かない。
このままだと男が気を失ってしまいそうだ。
きょろきょろと辺りを見回し、端に追いやられているぼろぼろの物置台を見つけて側に行く。
風の魔法を纏わせたままの手で思いきり殴れば、木製の物置台は小気味いい音を立ててあっさりと壊れた。
壊れたものの中から、使えそうな板を手にして男の元に戻る。
物置台が壊れた音で少し意識が覚醒したらしい男は、目を丸くして私を見ていた。
「ちょっと痛いけれど、我慢なさいね」
「な、にを……いっ」
持っていた板を男の折れている腕に当て、脱いだエプロンを上から巻きつける。
首元の輪になっている部分は腕に巻かず、男の首にかけてやった。……我ながらうまく固定できたわね。
ちょっとフリフリで可愛らしいが、代わりに腕を動かさずに済むのだ。男も文句は言えないだろう。
「ふふ。似合っているわよ。先程の話だけれど、依頼主は高位貴族ね? 雇い主に忠誠を尽くしているの?」
「知ってどうする? 何もできずに終わるのが関の山さ。世の中は無情で、どうにもならないものだ」
言い終わるや否や、男が目を閉じる。
投げやりで、けれどどこか哲学的な言葉だ。まるで私に何かを訴えかけているかのよう。
彼は私に何を伝えたいのか。真意を知りたくて男をじっと見る。
やがて男の目がゆっくりと開かれた。
先程までの弱々しさは感じられない、信念を宿した力強い目だ。
グレンディア王城の地下牢で会った、ネイフォート兵たちとまったく同じもの。守りたいもののためなら、自分を犠牲にすることも厭わない固い決意。
目の前の男からその思いがひしと伝わってくる。
この男はたぶん――。
「誰かが人質に……いいえ、ご病気かしら? どちらにしても、身内をだしにされてこき使われているのね?」
男の眉がわずかに寄る。だが、一言も発しない。
「沈黙は肯定と受け取るわ。そうなると、きちんとした契約を交わしているか怪しくなるわね。『魔法の契約書』で縛られていたりしない?」
「『魔法の契約書』? そんなものがあるのか?」
「どうやら使用されていないみたいね。よかったわ。あなたの命まで縛られていたら大変だったもの。これで心置きなくあなたと取引ができるわ」
にっこり笑って言えば、男が目をぱちりと瞬かせた。
「……情報が欲しいんじゃないのか?」
「もちろん情報も欲しいわ。でもそれとは別に、あなたにはおつかいを頼まれてほしいの」
情報をもらって、『まあ、ありがとう。では、ごきげんよう』とはいかない。
今は時間がないから使えるものはなんでも使う。たとえそれが敵であったとしても方針は同じだ。
「面白いことを言う。俺がそのまま逃げだすとは思わないのか?」
「関係ないわね。だって、あなたには迷子防止の魔法をかけさせてもらうもの。解除しない限りどこまでもあなたを追跡するわよ」
「は? 今度はあなたが俺を飼い殺しにするつもりか?」
「しないわよ。私を非人道的な行動をとる人間だと思わないでちょうだい。その目もやめて。心配しなくても、すべてが終わったらきちんと解除してあげるわよ」
そう言っているのに、男はいまだ人非人を見るような目でこちらを見てくる。失礼な。
「逃げなくても、手元に残っている針であなたを毒殺できるんだが? そうすれば、取引も何もないよな?」
「毒針に触れても何も起こらないわよ。さっき解毒したもの。試しに奥歯に仕込んでいるものを噛み砕いてみなさいな。時間だけが過ぎていくから」
「…………もう試した。なんの味もしないただの液体だった。ああ、もう。俺はいったい何をすればいい?」
言い負かすのは難しいと判断したのか、男が自棄気味に問うてきた。
あえて答えず、質問で返す。
「それを話す前にあなたに訊きたいのだけれど、私の存在をあなたの雇い主は知っていて?」
「いいや。まだ話していない」
「真偽を見分ける魔法をかけても否と言える?」
この世に真偽を見分ける魔法など存在しない。
あるのは相手の仕草で真偽を判断する方法だけだ。
だが、魔法の知識のない者がそれを知るはずもない。だから鎌をかけてみた。
男はためらう素振りもなく頷く。
「言える。身内も助けてくれるなら俺はあなたたちにつく」
彼に不審な動きは見られない。こちらにつく気がある、ということか。
「即答とは嬉しいわ。念のために『真偽を見分ける魔法』をかけさせてもらうけれど、許してね?」
「ああ」
男の承諾を得て、堂々と迷子防止の魔法をかける。
『真偽を見分ける魔法』と言ったのは、円滑に話を進めるため。
嘘を吐いてもすぐに見抜かれる、と前提を置いておけば、おいそれと嘘を吐けなくなる。心理的な抑止、それが狙いだ。
男には、「一緒に迷子防止の魔法もかけた」と告げておいた。
「さて、改めて話をするわね。あなたにはまず、エルゲラ侯爵のところに行ってもらいたいの。侯爵に一筆書くから、それを持っていってちょうだい」
言いながら、お仕着せのポケットから小さな紙を出す。
キャップ付きの万年筆も取り出し、グレンディア語でさらさらと用件を書く。
書き終えたら紙を二回程たたみ、静かに男に差し出した。
「これを侯爵に渡してちょうだい。侯爵から事情を聴かれるでしょうから、洗いざらい話してね。そのあとは、侯爵の指示であなたの依頼主に会いに行って。もちろん依頼主を捕まえるためにね。対価に、権力を駆使してあなたたちを助けてあげる。約束するわ」
「本当に助けてくれるのか?」
「ええ、約束する。でも心配なら、これをあなたにあげるわ」
先程の手紙とは別の紙を男の前に突きつける。男は不思議そうに紙を受け取った。
「……契約、書?」
「覚書よ。正式なものではないけれどね。私の名前を入れておいたわ」
「何語だ? なんて書いてある?」
矯めつ眇めつ男が紙を見る。
グレンディア語で書いたから読めないのだろう。予想通りの反応だ。
「侯爵に訊きなさい。手紙にそのことも書いておいたわ。もちろん手助けのこともね」
「はあ!? 結局侯爵次第じゃないか。俺が断れないように仕向けたな?」
「ふふ。断ってもいいのよ? その場合ここでしばらく眠ってもらうことになるけれど。あなたの真の願いも叶えられずじまいね?」
男の眉間にぎゅっと皺が寄る。
「わかったよ。やればいいんだろう。その代わり、約束は絶対に守ってくれよ?」
「もちろんよ。あなたの行動次第では色を付けてあげるわ」
「……すぐに行ってくる」
「そんな格好では行けないでしょう? きちんと治療をしてもらってからにしなさいな」
男に言い聞かせながら、万年筆のキャップを嵌める。
その過程で万年筆の絵柄が目に入ってきた。空を思わせる明るい青色に、太陽と雲の絵柄だ。
まるで誰かさんだわ、と思いながら婚約者の顔を脳裏に描く。
……リディは今、何をしているのかしら?
別れてから二時間程経つので、侯爵への連絡は疾うに済んでいるはずだ。
今頃はどこか人目のつかない場所で私が来るのを待っているのかもしれない。
そう思うと、すぐに行かなくては、と心が急いた。
早々に話を終わらせ、私と同じく気持ちが急いている男を見送る。
その際、男には自戒を込めて気を引き締めろと言っておいた。
男が見えなくなると、ゆっくりと魔法陣に目を向ける。
しばらく魔法陣を見続け、それから静かに部屋をあとにしたのだった。