閉ざされた部屋1
宰相の執務室を出て廊下を歩く。
少し離れた場所で足を止め、リディたちに断りを入れて防音の結界を張った。
そのまま雑談しているように表情を取り繕いつつ、先程の話をする。
「まさか、昨日の今日でこんな展開になるなんて思いもしなかったわ。まだ準備も整っていないのに……」
「皇太子殿下の容態が予想以上に悪かったからな。情報も曖昧だったし、こればかりは仕方がないと思うぞ」
「そうなのよね……」
リディの言葉に同意する。
今日見た皇太子殿下――面倒なので以下『殿下』と称する――の容態は、聞いていたよりもはるかに悪いものだった。
それもこれも、皇帝たちがうまく情報を操作していたからだ。
結果、エルゲラ侯爵たちが情報を掴みきれずに後手に回った。
とはいえ、侯爵たちもただ手をこまねいていたわけではなさそうだ。
「侯爵たちも一応は策を講じていたようよ。断定はできないけれど」
「何かわかったのか?」
「ええ。魔力持ちをメイドとして城に上がらせて、皇太子殿下の回復に当たっていたみたい」
殿下の寝室で婚約者のジェセニアと話をしたあと、ミレーラだけが部屋に残された。
何故かと思いながら廊下に出ると、寝室の方からかすかに魔力の流れを感じた。
その状況から、ミレーラが殿下に回復魔法をかけたのではないかと推測している。
ただし確認はできていないから、私の読みが当たっているかはわからないけれども。
「それでも危険な状態なのか」
「ええ、危険よ。私が回復魔法を使えたのならよかったのだけれど」
「そればかりは適性の問題だからな。今は明日のためにできる限りの備えをするしかないだろう。……と、その前に、君はこのあと第二皇子のところに行くんだろ? 大丈夫なのか?」
リディが話を締めたかと思えば、続けてユリアーナに問いかけた。
彼のぎゅっと寄った眉間の皺は、第二皇子に対する不快さの表れだろうか。
「はい。主に動くのはルディ様ですし、私は言われたことをやるだけなので、準備って言われてもすることがないんですよね」
「違うわ、アナ。リディは、第二皇子に絡まれてうまく躱せるのか、と訊いているのよ?」
「ああ、そっちですか。大丈夫ですよ。うまく躱すために、宰相からこれを授かったんですから!」
ユリアーナの見当違いな発言を正すと、彼女はあっけらかんとした顔で手にしていた物を軽く掲げた。
中がうっすらと見える黒い瓶だ。宰相の話によれば、異国のお酒らしい。
極めて珍しいお酒で、『第二皇子もこれなら興味を示すでしょう』と宰相は言っていた。
第二皇子と付き合いが長い宰相が言うのなら、皇子の好むようなお酒ではあるのだろう。飲むかどうかは別として。
ユリアーナは部屋から出る際に、このお酒を宰相から手渡されていた。
同時に、「先にこちらを飲んでおきなさい」と白い錠剤も渡されていた。
怪しすぎる……。
できれば私の見間違いだと思いたかった。けれど、現実は非情だ。
ユリアーナは「水なしでも飲めるそうですよ」と言いながら、錠剤をポケットから取り出し、躊躇いもなく口に放り込んだ。
慌ててユリアーナの手首を掴む。
「ちょっとユリアーナ、何をしているの!? 少しは疑いなさい!」
「ええ? 疑っても仕方なくないですか? 私に何かあれば宰相と子爵たちの仲が悪くなるんですよ? 下手なまねはしないと思います」
ユリアーナにしては凄く真っ当な答えだ。
とはいえ、確実なんてことはない。何事も注意しておくに限る。
それに、余計な手間はできるだけ避けておきたい。
「そうだけれど、あなたに何かあった場合、私がゼイヴィア殿下に、あなたの愚行を説明することになるのよ? 面倒だわ。やめてちょうだい」
「はぁい。わかりましたー。それじゃ、いってきまーす!」
……全然わかっていないわ。
ユリアーナは軽やかな足取りで結界を出ると、振り向き様に力強く手を振った。それから再び向き直り、走っていく。
それを見て、『廊下は走らない!』と注意しようと思ったが、結界を解く程のことでもない。あとで注意すればいいか、と見逃すことにした。
「まったく、子供かしら……。まあ、いいわ。ねえ、リディ。あなたさっき、『何も変わったことはない』って宰相に首を振っていたけれど、本当は気付いたことがあるのでしょう? それを教えて」
隣のリディに視線を移しつつ尋ねると、リディがこちらに顔を向けて頷いた。
「ああ。実はルティナたちと別れたあと、宰相を介して軍の上層部に会ったんだ。だがそこには、『将』と名のつく者がほとんどいなかった」
「どういうこと? 仕事でいなかった、ってこと?」
軍の仕事と言えば演習や災害の応援などが思い浮かぶ。だが、そのような話を聞いた覚えはない。
他国侵攻も頭に浮かんだけれど、第二王子はすでに戻ってきており、皇族はフィン以外全員皇城にいる。指令役もいないまま、大々的な作戦が行なわれるとは考え難い。
そもそも、将たち総出ですることだろうか?
腑に落ちずに首を傾げる。
そんな私の疑問を、リディが解消してくれた。
「いや、皇太子派の兵士の話では、将軍をはじめとする将――中将、少将、准将の大半が捕らえられ、幽閉されているそうだ。捕えられた者は全員皇太子派らしい」
「ああ、そういうことね。なら、どうしましょうか」
リディの話を聞いて考えを巡らせる。さすがに私たちだけでは手が回らない。
おそらく侯爵たちも幽閉の情報は掴んでいるはずだ。将たちのことは侯爵に任せてもいいかもしれない。
「……そうね、エルゲラ侯爵に連絡して、将軍たちと接触を図りましょう」
「明日決行だぞ?」
「ええ。だから交渉するのは侯爵に任せるわ。私は、これからやらなくてはならないことがあるもの」
そう言った瞬間、リディの眉がぴくりと動いた。
「何をする気だ?」
「ちょっと気になった部屋があってね。そこに忍び込もうかと」
「俺も行く」
間髪を容れずリディが申し出てきた。
それをきっぱりと断る。
「ごめんなさい。フィンさんに教わった道を通っていくから、あなたには侯爵に連絡を入れる役目をお願いしたいの。あとで明日の打ち合わせをしましょう」
皇城の秘密の通路を教わったのは私だけだ。いくらリディでも……いえ、グレンディアの聖騎士団に所属しているリディだからこそ、一緒に行けない。
リディもそれをわかっているのだろう。だいぶ間を置いてから頷いてくれた。
「…………はぁ。わかった。くれぐれも気を付けろよ。で、打ち合わせはどこでするんだ?」
「どこか適当な場所を見つけて、そこにいて。フィンさんたちにかけたのと同じ魔法をあなたにかけておくわ。それを目印に私が向かうから」
「それって、『迷子防止』とか言ってなかったか?」
リディの問いに、にっこり笑って返す。
途端にリディの顔が苦虫を噛みつぶしたようなものになった。
「ふふ、そんな顔をしないで。単なる目印よ。必要な時以外には使わないから安心して」
言いながら、リディに魔法をかける。
皇城の結界に反応はなく、すんなりと魔法をかけることができた。
「それじゃ、私は行くわね」
「待て。ルティナ、これを持っていけ」
会話を切り上げて結界を解こうとした矢先、リディに呼び止められた。
どうしたのかとリディを見れば、彼は右腰あたりから何かを取り出し、私に向かって放り投げた。
小さな放物線を描きながら、それが私のもとに落下する。
落とさないように慌てて両手で受け止めると、ずしりとした重みを感じた。
「これは……」
私の手にあるのは、金属でできた細長い物体。いわゆる短剣だ。
家紋はないけれど、由緒あるもののようで、かなり年季が入っている。
長さは二十センチ程で、一般的なものより細身だ。女性でも容易に扱えるだろう。
「何があるかわからないからな。念のためだ」
「あなたは大丈夫なの?」
「俺にはこれがあるからな。問題ない」
短剣がなくて大丈夫かと訊いたら、リディは腰に佩いた剣に軽く手を添えて言った。
兵士として皇城に上がっているため、リディが帯剣していても怪しまれることはない。
それを思い出して気恥ずかしくなったが、すぐに別のことに気付き、周囲に意識を向けた。
「大丈夫だ。人の気配はない」
人が通るような場所で短剣を取り出すなど不審者と言われても仕方がない行為だ。
とはいえ、周囲に人の気配はおろか、視線も感じられなかった。おそらくリディは最初から周囲に気を配っていたのだろう。
ようやく警戒を解き、お仕着せのボタンを一つ外して胸元に短剣を隠す。
動きにくさはあるものの、見つかったら大事になるので、ぐっと我慢だ。
ボタンを留めながらリディを見ると、どこか恥ずかしげに視線を逸らしていた。
首元のボタンを一つ外しただけだから、何も見えていないはずだけれど。いったいどうしたのかしら?
疑問には思ったが、今はとにかく時間が惜しい。触れずに流すことにした。
「今度こそ行くわね」
「ああ。気を付けて。くれぐれも無茶はするなよ?」
リディの言葉に無言で頷くと、結界を解く。
それから、何事もなかったかのようにリディと別れた。
*
皇城の端にある小部屋。
常に出入りができるこの部屋は、盗むものすらない場所だった。
掃除はされているけれど、家具一つ置かれていない。
四面の壁は、長方形に切り揃えられた石が規則正しく敷き詰められているだけ。殺風景どころの騒ぎではない。
その部屋のとある壁の前に立ち、「ここね」と独り言つ。
小声で言ったのに、思いのほか声が部屋に響いて驚いた。
慌てて耳をそばだて、私の声が誰かに聞かれていないか確認する。
どうやら近くに人の気配はなさそうだ。
ほっとしながら再び壁を見る。
なんの変哲もない石壁だ。だが。
「フィンさんの紙には確か、こことここを同時に押せ、と……。あ、開いたわ」
どこの城も似たようなもので、隠し通路に入る際にはコツがいる。
この部屋においては入って右手側の壁。その中央付近にある右上の石と、左下の方にある石を同時に押さなくてはならない。
二つの石は私の腕を目いっぱい広げてぎりぎり届くくらいの距離だ。
おまけに、石はどれも同じように切り揃えられている。フィンの説明がなければ、仕掛けに気付くことはなかっただろう。
皇城にはこのような仕掛けがいくつもある。
ただし、私がフィンから教わったのは数か所のみ。ほかの場所はさすがに秘密だそうだ。
「さて、行きますか」
仕掛けを解いたことで石壁の一部が奥に下がり、横にずれた。
奥には終わりの見えない暗闇が続いている。
今までは窓がある部屋にいたので、月明りだけでも問題はなかった。だが、奥はそうもいかない。
魔法で球状の光を生み出し、頭上に放つ。
光の玉は私の頭上をふよふよと漂い、辺りを照らした。白くて柔らかい光だ。
足元が確かになったので、意を決して中に入る。
中はいくぶん肌寒く、どこからともなく風が流れてくる。
部屋との温度差にぶるりと体を震わせながら、一歩踏み出す……のではなく、後ろを向いた。
入り口脇の壁に向かってしゃがみ込み、故意に空けられた隙間に手を伸ばす。
隙間の隣にある石を横にずらせば、石の扉が音を立てて閉まった。
静寂が辺りを支配する中、ゆっくりと向き直る。
通路は狭く、一人通るのがやっとだ。
今はまだ引き返せる距離だから平気だけれど、この先は何があるかわからない。
少しだけ不安に駆られながら、すぐ側の階段を慎重に下りた。




