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公爵令嬢単独行動をする

バケツを持って皇城の廊下を歩く。


アナとミレーラは汚れたモップを洗いに行っており、ここにいるのは私だけだ。

行動するなら今が好機だろう。


幸いバケツは空だ。掃除場の近くに水を捨てる場所があり、そこに嬉々としてバケツをひっくり返したからだ。

アナのバケツも持っているけれど、行きの時よりも断然軽い。だから手に施した風の魔法も解いている。


魔法を使用していない私は、どこからどう見てもただのメイドだ。

それでも気を抜くことはせず、怪しまれないように気を付けながら周囲を観察する。


見張りの位置や人数、彼らの強さ。一通り必要な情報を次々と頭に叩き込む。

同時に、すれ違うメイドや文官たちの些細な様子も気に留めた。


そうして周りを観察しながら用具置き場に向かっていると、右に別れる道が現れた。

どこも似たような風景だし、丁字路なんていくつも通っている。それなのに、何故だか無性に右の廊下が気になった。


とはいえ、用具置き場へは今いる道をまっすぐ行くだけでいい。曲がる必要などどこにもない。

けれど、どうしても右の道が気になって仕方がなかった。


……この先に何かあるのかしら?


リディ程の高性能ではないものの、私にだってそれなりに勘というものはある。

私が気にかかるのであれば、間違いなく魔力絡みだろう。


ならば余計に行ってみたくなるのが人情というもの。

都合がいいことに、私は今日皇城に上がったばかりの新人だ。

手に持つのは空のバケツで、近くの用具置き場に関わっているのは一目瞭然。

道に迷った振りをして通路を逸れても、弁解の余地は十分にあるはず。


……行きましょう!


状況を判断してからの行動は早かった。

道に迷っている振りをして、正面と右の廊下を交互に見る。

それから少し考える素振りをして、右の廊下に足を向けた。



踏み入った廊下は、人の行き来があまりなかった。

皇族の私的区域とは違って、見張りの姿もまばらだ。

どう考えても、この先に重要なものがあるとは思えない。私の勘が外れてしまったのだろうか?


疑問に思いながらも前に進む。

時折すれ違う人は、皆一様に不思議そうな顔でこちらを見てきた。『何故メイドがここにいるんだ?』とでも言わんばかりだ。

その人たちの視線を受けて、私もわざと不思議そうな顔で首を傾げる。

だが、足を止めることはしない。

足を止めたら、自分が誤った道を歩いていると認めたことになり、戻らざるを得なくなるからだ。


それを防ぐためにも、事前に認識阻害の魔法をかけておきたかった。けれど、あの丁字路は人の目が多すぎた。

そんな中で魔法を強行したらどうなるか……。

リスクを考えると、大勢の前で魔法をかけるのは憚られた。

もし魔法をかけるとしても数人の前。できれば一対一が望ましい。欲を言えば、無難な相手でお願いしたい。例えばあの子とか。


思い浮かぶのはユリアーナ。事前に断りを入れたら看破される恐れがあるから、あとでこっそり試してみましょうか。

でも、『皇城の人目がない場所で、ユリアーナと二人きりになれる機会』なんて訪れるものかしら?


二人きりの情景が想像できず、今までとは反対の方向に首を傾げる。


そうして迷子の演技をしながら先を目指す。

しかし、人とすれ違う回数が更に減り、いよいよ自分の勘が恨めしくなってきた。

横の廊下に逸れた当初は探検しているみたいで楽しかったのに……。


「……あら?」


なおも進んでいると、真正面に壁が見えてきた。

でもよく見れば、直角に曲がっているだけで廊下は続いている。


城の端でもないのに、廊下が直角に曲がる構造なんて初めて見た。少なくともグレンディアの王城にはない。

なんとも珍しい構造だと思ったが、単に私が他国のお城を知らないだけだろうと思い、歩を進めた。


だが少しも行かないうちに、またすぐに行き詰まった。今度は扉だ。

辺りを見回しても先に続く道はない。完全な行き止まりとなっている。


それだけではない。


……ここ、なんだか不思議な感じがするわ。


一見すると普通の扉だが、奥の方から魔力の流れを感じる。

結界特有の張り詰めた魔力ではなく、意図せずに漏れ出てしまった、とでもいうような魔力だ。


一体この扉の向こうに何があるのだろう。


興味はある。

だが扉には鍵がかかっており、鎖まで巻き付いている。


魔法で鍵を壊せば扉を開けられるだろう。

けれど、扉を開けてしまえば言い逃れができなくなる。


「……やだわ。迷子ね」


どうしようかと迷ったのは一瞬。すぐに踵を返す。

私たちは皇太子殿下をお助けするために皇城に上がったのだ。今更だが好奇心を満たすためではない。

それでも中を確かめたいのであれば、下手な行動はしないで別の道から行けばいい。フィンにつぶさに教えてもらったのだから。


ただし、今はだめだ。だって。


「迷子、ですか?」


すぐ側の部屋の前に、眼鏡をかけた若い男性が佇んでいた。

男性は文官の制服を着ており、その手には書類と思われる紙束がある。

誰かの執務室か、仕事場か。とにかく、側の部屋に用があるのだろう。

少なくとも、監視されてはいないはずだ。

というのも、これまでつけられている気配は一度もなかったし、角を曲がるまで後ろを歩く人もいなかったからだ。


そこから導くに、男は角の先にある部屋からここに来たのだと思われる。


さすがに私も離れた部屋の中までは意識できない。

それでも少し悔しく思いながら、更に周囲を窺う。


見える範囲では、ここと突き当りのほかに部屋はなく、中に人の気配もない。周辺にも人がいないようだ。ということは、つまり……。


……『絶好の機会』だわ!!


降って湧いた幸運に、悔しさから一転、心の中で快哉を叫ぶ。


こんなに早く機会に恵まれるとは思わなかった。

最初はユリアーナに試そうと思っていたけれど、ちょうどいい。

迷子の体で話をしながら、その時を待とう。


「はい。昔から道を覚えるのが不得手でして……」


男性の問いに、目線を下げて気恥ずかしげに答える。

すると男性が、『合点がいった』と言わんばかりに頷いた。


「なるほど。方向音痴でしたか。それにしても、初めて見る顔ですね?」

「本日よりこちらに上がっております。ルディと申します」


完璧な礼をとるわけにはいかないので、バケツを持ったまま軽く会釈をする。

簡易的な礼でも男性はあまり気にしていないようだ。


「今日お城に上がったのなら、迷子になるのも仕方がありませんね。この城はかなり複雑ですから。用具置き場に行くつもりだったのですか?」

「はい。指導係の先輩の指示を受けまして……」

「でしたら、このまま道なりに行って、突き当たりの丁字路を右に曲がれば着きますよ」

「ご丁寧にありがとうございます」


今度は深々と頭を下げる。

同時に、幻影の魔法で自分の姿を作り出し、自身には認識阻害の魔法をかけた。

魔法がきちんとかかれば、男性は幻影の私を見るはずだ。


頭を上げて、男性の様子を見る。

幻影の私が動き出すと、男性が目で追い始めた。


どうやら魔法に問題はなさそうだ。

ただ、結界が厳重に張られている場所で正常にかかるかどうか……。


いろいろ試せればそれが一番なのだが、理由もないのに皇族の私的区域に入るわけにもいかない。

とはいえ、一か八かの賭けはしたくないので、確認はしっかりとしておきたい。何かよい方法はないだろうか。


つらつら考えていると、目の前の男性が口を開いた。


「あの器量に所作……どこの貴族の娘でしょうか。明日にでも宰相に確認しておきましょう」


男性の独り言を聞いて、心臓がどきん、と嫌な跳ね方をした。


……この人、宰相と面識があるの? 大変。あとで宰相に話をしておかなくては!


都合が悪いなんてものではない。下手をしたら正体がばれてしまう。

男性が私の話をしても問題がないように、宰相にはうまく話をしておく必要があるだろう。


……でもなんて話せばいいのかしら?


男性が部屋に入るのを横目に、考えを巡らせながら元来た道を戻る。

そうしているうちに丁字路に着いた。


辺りを見回して誰もいないのを確認すると、幻影に重なりながらすべての魔法を解除する。

きちんと解除できたのを確認し、何事もないかのような顔で丁字路を右に曲がった。



元の道に戻ると、まっすぐ用具置き場に行き、バケツを返す。

先程のやりとりで精神的に疲れたので、寄り道をせずに控室に向かった。


控室の前まで来ると、中から複数の笑い声が聞こえてきた。

途端に私の中で警鐘が鳴り響く。


女性だけの空間は戦場だ。

表面上はにこやかでも、内心ではいかにして相手を蹴落とそうかと考えているもの。

お茶会がそうだったので、いつも気を引き締めて臨んでいた。


その経験が骨の髄まで叩き込まれているから、気付けば臨戦態勢に入っていた。

ただし、高揚感はまったくない。単純明快な武技であれば心が躍っていただろうに。


しかしそうはいっても、ここは皇城で私はメイドだ。どんなに望んでも戦闘は始まらない。……陰険な戦いならあるけれど。


「……」


つい余計なことを考えてしまい、ますます部屋に入りたくなくなった。

かといって、部屋の前にずっと突っ立っているわけにもいかない。


引き返したい気持ちを仕方なく振り払い、『ままよ!』と意を決して中に入る。そして――


「……え?」


思いきり拍子抜けした。


「え~、そんなわけないじゃないですかぁ。でも、ありがとうございます!」


ユリアーナがにこやかな顔で、知らないメイドたちと楽しそうに話をしている。

メイドたちの表情も実に楽しそうで、相手を蹴落とそうとする様子は微塵もない。


信じられない光景に、私の中の常識が音を立てて崩れていく。

そのまま入り口に茫然と立ち尽くしていると、私に気付いたミレーラが声をかけてきた。


「あ、ルディ。戻ったのね。ご苦労様」

「すみません遅くなってしまいました。少々道に迷ってしまって……」

「あら、意外ね。まあ、今は休憩中だから気にしなくていいわ。それよりこっちに来て。みんな、ルディよ。アナと一緒に入った子」


ミレーラに呼ばれて彼女のところに行く。すると、ミレーラが控室にいるメイドたちに私を紹介し始めた。

たくさんの視線を浴びて、慌てて姿勢を正す。


誰しも他人にはよく見られたいものだ。もちろん私にもその気持ちはある。

けれど、今は違った。保身よりもできるだけ失敗を避けたいという気持ちの方が大きかった。


何せ、私は既に目をつけられている。

これ以上多くの人に意識されたら、更に動きにくくなるだろう。だからこそ、今回は無難に挨拶を終えておきたい。


うまくやらなければ、と気持ちが急いて顔が強張る。

それに気付いたのか、ミレーラがこちらを見て笑った。


「やあねえ。そんなに気構えなくても大丈夫よ! ほら、みんなを見てみなさい。受け入れてもらえてるのがわかるでしょう?」


言われて周囲を見回すと、メイドたちがにこにことこちらを見ていた。

気負っていただけにほっとして、一つ小さなため息をつく。


直後、あちこちから質問が飛んできた。

「お貴族様?」とか、「婚約者はいるの?」とかよくある質問だ。


最初は気にせず答えていたが、次第に違和感を抱き始めた。

何故だろうと考えるけれど、答えは見つからない。

結局、休憩時間が終わっても違和感の正体を見つけることはできなかった。

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