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皇太子

話が終わったので仕事に戻る。


水場を教わり、バケツに水を汲むと、再びミレーラについて廊下を歩く。

バケツには水がたっぷりと入っており、凄く重たい。このまま持ち続けていたら、握力がなくなってバケツを落としてしまいそうだ。

だが、ユリアーナも同じものを持っているため、交代で持つのは難しい。一旦床に置いて休憩するのも無理だろう。


それなら、私がやることは一つ。


怪しまれない程度に周囲を窺いつつ、魔力をわずかに放出して、皇城の中に張り巡らされている結界を軽く探る。


……攻撃魔法でなければ大丈夫みたいね。


皇城の中でも、この辺りは比較的結界が緩そうだ。

試しに微風を放ってみたけれど、特に結界に反応はなかった。害のある魔法でなければ、使用できるようだ。


となれば、あとは実行するのみ。

ミレーラの目を盗んで、こっそりと手に風の魔法をかける。

途端にバケツが軽くなった。


ものはついでだと、隣を歩くユリアーナにも魔法をかける。

するとユリアーナが、きょとんとした顔でこちらを見てきた。


ミレーラに知られないよう、軽く目くばせをする。

ユリアーナは察してくれたみたいで、今度は呆れたような顔をされた。解せぬ。


なんとも言えない微妙な気分になりながら、ミレーラのあとを歩く。

階段を上り、入り組んだ廊下を歩いていると、前方に見張りの兵士が立っているのが見えた。


見張りは全身を頑丈な甲冑で覆っており、槍を手にして立っている。

なんとも物々しい雰囲気だ。ここから先は、相当重要な場所なのだろう。


一人当たりを付けていると、ミレーラが立ち止まり、こちらを向いた。


「この先は、皇族方の居住区域よ。いわゆる、プライベートエリアね。あなたたちにはそこの廊下を掃除してもらうわ」

「私たちが担当してもよろしいのでしょうか?」

「メイド長の許可はとってあるもの。いざとなったらメイド長に責任を取ってもらいましょう」


新人が皇族の私的区域を掃除するなんてありえない。

だが、先程メイド長が許可を出したのを実際に目にしている。

ならば気を回すだけ無駄だ。こちらに都合がいい展開だと考え、黙って頷いた。


「それじゃ、行きましょうか」


ミレーラが歩を進め、見張りの脇を通り過ぎる。遅れて、私たちも兵士たちの脇を通った。

その瞬間、辺りの空気が一変したのを肌で感じた。


理由はわかっている。結界だ。簡素なものから、複雑なものに切り替わったのだろう。

事実、手にかけた風の威力が弱まっている。

そう気付いた瞬間、目視できるわけでもないのに、つい宙を見てしまった。


「どうかしたの?」


私のちょっとした動きが目に入ったらしい。ユリアーナが、ミレーラに聞こえないくらいの小さな声で話しかけてきた。

訝しげな視線を寄越すユリアーナに、微かに頭を振って返す。


目を向けたのも、首を振ったのも、私たち以外に気付かれてはならない。

結界が強化されているのを私が感知した、と捉えられたら困るからだ。


そんな私の思いが通じたのか、ユリアーナは何事もなかったかのように視線を戻した。その矢先。


「ミレーラじゃないか!」


突如背後から声をかけられて、反射的に振り返った。

視線の先には、見張りの兵士たちと同じように、鎧に身を包む男性がいた。

男性はアーメットを脱いでいて、顔立ちがはっきりと見てとれる。まだ若い男性だ。


「あら。どなたかと思えば、少尉殿ではございませんか。このような場所で身だしなみも整えずにふらふらとしているとは、不敬にも程がございますよ」


後方から聞こえてきたミレーラの声は、かなり低い。どう考えても警戒の色だ。


「なんだよ、急に改まった口調で。所用で殿下の部屋に行く途中だよ。入室前にきちんと身だしなみを整えるさ。君はこれからこの区域の掃除か?」

「ええ。ですので、あなたに構っているいとまはございません。さっさと消えてください」


ミレーラが私たちの隣に並ぶと、手で埃を払うような仕草をする。どこかに行け、という意味だろう。

しかし少尉と呼ばれた男性は、ミレーラの仕草に動じる様子はなく笑顔のままだ。


「そんな冷たいこと言うなよ。俺とお前の仲だろ……って、うわっ! 嘘だろ? すっげぇ美人!」


話の途中で男性と目が合った。

男性はこちらにすたすたとやってきて、上から下まで私を見る。

品定めするような視線の不快さに、一歩後ずさった。


「勝手に見ないでいただけます? この子たちが怯えています。とっとと、離れてくださいな」


ミレーラが毅然とした態度で男性の胸のあたりを押す。だが、男性はびくともしない。


「けちけちすんなよ。見せてくれたっていいだろ? 美しいお嬢さん、お名前は? 今度俺とデートしない?」

「お断りします。あなたのような節操のない男をこの子たちに近づかせるものですか!」

「なんでミレーラが答えるんだよ。君に言ってないだろ? ねえ、美しいお嬢さん、デートがダメなら食事にでも……」


男性の手がこちらに延びてきた。そうかと思えば、バケツを持つ私の手に向かう。

なんだか触れられたくなくて、掴まれそうになった手をさっとずらし、男性の手を躱す。

直後、私の視界に別の手が割り込んできた。


「あら。私は誘ってくれないんですか? 私なら、いつでも大丈夫ですよ?」


男性の手は、華奢な手にしっかりと握られている。

その手を辿っていくと、にこにこ顔のユリアーナに突き当たった。


「へぇ。君、可愛いね。可愛い子も歓迎だよ」


以前のフィンよりも軽い発言だ。フィンは許容範囲内だったが、こっちは違う。

でもおくびには出さず、ユリアーナと男性のやり取りを見守る。


「まあ、嬉しい。なら今日はダメなので明日以降に誘ってくださいね?」

「いつでもいいんじゃないのか?」

「今日は、宰相閣下にお呼ばれしているんです。だからごめんなさい」


ユリアーナが困ったように眉尻を下げて、小動物のようにうるうると男性を見つめる。

男性は心なしデレっとした顔で「なら仕方ないな」と頷いた。

その瞬間、ユリアーナが男性の手を放した。まるで、『言質をとったから用済みだ』と言わんばかりの仕草だ。


男性は名残惜しそうにユリアーナの手を眺めていたが、しまいにはミレーラに追い払われて去っていった。

結局、名乗り合わなかったけれど、いったいどこの誰だったのだろうか?


「……あなた、あれの扱いがうまいわね? 本当に食事に行くつもり?」

「行きませんよ~。ああでも言わないと、いつまでも食い下がって埒が明かないと思ったんです」

「そうね。あれは軽く流すのが一番ね。助かったわ、アナ」


ミレーラはユリアーナに礼を言うなり、くるりと向きを変えて歩きだす。

ミレーラの後ろ姿を見ながら、付かず離れずの距離を保ち、小声でユリアーナに話しかけた。


「ユリアーナ。どういうつもり?」

「……やっぱバレちゃいます? 主の指示です。可能な限りマルティナ嬢をお守りせよ、と仰せつかってます」

「ゼイヴィア殿下が? 何故?」

「ついこの間、グレンディアで事件があったと聞いています。だから主が、『世界が終わらないように絶対にマルティナ嬢の心を守れ』と」

「……」


開いた口が塞がらない。だが、言いたいことはわかった。

それにしては、ユリアーナの言動が矛盾しているような気もするけれど。


「ユリアーナ。あなた、先日リディに言い寄っていたわよね?」

「ええ。私に言い寄られたくらいで(なび)く男なら、遅かれ早かれ揉めますので、早々に見極めておこうかと。ご安心ください。もし私に靡いたら、こっ酷く振る気でいましたから」

「なんてことを言うの。リディが不義理を働くわけがないでしょう?」

「そんなの知りませんよ。でもよかったですね? あの人に愛されてるじゃないですか」


ユリアーナに言われて、一瞬返事に詰まる。

「そうね」と返すのは傲慢な気がするし、かといって謙遜する気もない。

でもすぐに返事をしないと、ユリアーナにからかわれてしまいそうで、それは非常に癪だ。


仕方がないので、多少強引だと思いつつも、話を挿げ替えることにした。


「それより、『世界が終わらないように』ってどういうこと? 私はリディが言い寄られたくらいで魔力を暴走させたりしないし、世界を滅ぼしたりもしないわ」


目を細めてユリアーナをじっと見る。

途端にユリアーナが目を見開いた。どこか焦ったような表情だ。


「わ、私が言ったんじゃないわよ? 主が言ったのよ?」

「ええ、わかっているわ。あとで殿下にお手紙を差し上げなくてはね」


満面に笑みを湛えて言うと、ユリアーナがゆっくりと目を逸らした。


「さ、着いたわ。ここの区画よ」


ユリアーナと話しているうちに、ミレーラとの距離が空いていたようだ。

少し離れた場所からミレーラに声をかけられ、はっとして周囲に目を向けた。


先程兵士に話しかけられた場所から何度か角を曲がり、更に歩いた先の廊下だ。

どこもかしこも似た造りのため、フィンに教わっていなければ迷っていたかもしれない。


「掃除を始める前に、近くに皇太子殿下のお部屋があるから、ご挨拶に伺いましょう。尊き方に警戒されても困るからね」

「約束もせずにお会いできるのですか?」


ミレーラの言葉に目を丸くする。あり得ないなんてものではない。

そのような、がばがばな態勢で皇太子殿下を守れるのか? と不安になるが、ミレーラは自信満々だ。


「ええ。皇太子殿下のお部屋を私が担当しててね。尊き方にはよくしていただいてるの」

「尊き方、ですか?」


ミレーラの口からまた新しい単語が飛び出した。

厄介事のにおいがして、つい身構える。


とはいえ、部屋を訪ねても捕まる心配はなさそうで、そこだけは安心だ。……護衛態勢はいかがなものかと思うけれども。


「会えばわかるわ」


どうやらミレーラは答える気がないらしい。短く返して、目の前の丁字路を曲がった。

私も詮索を諦め、丁字路を曲がる。

すると、廊下の中央辺りに見張りの兵士が立っているのが見えた。


ミレーラが兵士の前に行き、何事かを告げる。

告げられた兵士が扉を叩いて中に用件を伝えると、(しばら)くして、立派な造りの扉が静かに開いた。


「いい? 二人とも粗相のないようにね?」


ミレーラに言われて無言で頷く。

私の返答に、ミレーラがわずかに口角を上げ、部屋の中に入っていった。

私とユリアーナもミレーラに続いて中に入る。


部屋の中は広く、置いてある家具は少ない。

けれど部屋のものはすべて一級品で、部屋の主の品格を如実に物語っていた。


しかしながら、部屋の主の姿が見えない。いるのは護衛と思われる騎士だけだ。

不思議に思い辺りを窺うと、奥の方から高めで可愛らしい女性の声がした。


「こちらの部屋よ。入り口に立つことを許可します」


聞こえてきた声に従い、奥の部屋に足を向ける。構造的に、そこが寝室だろう。

部屋の入り口に行くと、ミレーラが足を止めて頭を下げた。私たちもミレーラに倣う。


「頭を上げなさい」


静かだけれど、人を従わせる力を持った声だ。

言われるがまま頭を上げて、女性を見る。


腰までまっすぐに伸びる亜麻色の髪。力強くこちらを見据える目は、瑞々しい橙の色。

優しげな顔立ちとは裏腹に、女性は大きなベッドを背にして凛と立っていた。


……よく似ているわ。


無意識に、昨日まで行動をともにしていた人物を思い浮かべる。雰囲気まで彼とそっくりだ。

そのせいで、彼女も毒舌なのかしら? と、どうでもいいことまで考えてしまった。


そんな失礼なことを考えていると、女性が再び口を開いた。


「そこの二人が新しく入ったメイドね? 名を告げなさい」

「ルディと申します」

「私はアナです」

「ソレル準男爵家の者と聞きましたが、間違いないですね?」


宰相にはソレルの名を告げている。

彼女がどこまで話を聞いているのかわからないが、否定する必要がないので首を縦に振った。


「そう。わたくしは、ジェセニア・エマ・エルゲラ。皇太子殿下の婚約者です。何かあればわたくしが厳しく対応します。変な気は起こさぬように」


ジェセニアと名乗った女性――ノアの妹はそう言うと、ちらっと後ろを見た。


彼女の後ろには、大きなベッドに横たわる人の姿が見える。

といっても、部屋にはレースのカーテンが引かれており、入り口からベッドまでは距離がある。

そのため、ベッドにいる人の顔立ちまではわからなかった。


だが、ベッドの主は間違いなく皇太子殿下だろう。

いくら護衛がついているとはいえ、令嬢が婚約者以外の男性と二人きりになるはずがないもの。


「もういいわ。顔を覚えたから下がりなさい。ミレーラ、あなたは少しここに残って」

「……失礼いたします」


本当はもう少し皇太子殿下の様子を窺いたかった。ミレーラだけが残るのも非常に気になるし。

けれど、侯爵令嬢であるジェセニアに下がれと言われてしまったら、下がらざるを得ない。


仕方なくジェセニアに礼をし、後ろ髪を引かれながらも皇太子殿下の部屋をあとにしたのだった。

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