クルネール辺境伯領にて
クリストフォルフ殿下と別れて三日。
私たちは漸くクルネール辺境伯邸に着いた。
邸では、一人の使用人が私たちを出迎えてくれた。ほかに人はいない。
どうやら叔父様は戦後の処理で忙しいようだ。
忙しいなら無理に叔父様と会う必要はない。
私たちは使用人に案内されて、客室に入った。
「! お父様、お母様!」
客室にはお父様とお母様がいた。
驚きながらも二人の方に足を向ける。
すると、ソファに座っていたお父様が立ち上がり、両腕を広げた。
「ティナ! 待っていたよ、無事のようでなによりだ」
「はい。お父様もお母様もご無事でほっといたしました」
腕を広げるお父様の前でぴたっと足を止め、話をする。
お父様は大好きだけれど、胸に飛び込むのは気恥ずかしい。
まして、この場にはリディたちがいる。
子供の頃のように、素直にお父様の胸に飛び込む勇気はなかった。
「マティアス様。ティナはもう小さな子供ではないのですよ。余程のことがない限り、周りを気にして飛び込めませんわ」
お母様が困ったような笑みを浮かべ、悲しげな顔をするお父様を宥める。
そのおかげか、お父様は気持ちを立て直したようだ。ごほん、と咳ばらいしてリディたちの方に顔を向けた。
つられて私もリディを見る。
「エリオット君、身を挺して娘を護ってくれたそうだね。ありがとう」
「いえ、逆に彼女を悲しませてしまい申し訳ありませんでした」
「謝罪をするのは私にではないよ。だが、娘には既に謝罪しているのだろう? なら、私からは一つ。次からは気を付けなさい」
お父様の言葉に、リディが「はい」と力強く返事をする。
リディの目は真っ直ぐお父様に向けられていて、逸らす様子は微塵もない。
お父様を仰ぎ見れば、リディの言動に満足したのか、目を細めて笑っていた。
お父様はその表情のまま、リディからフィンたちに顔を向け、話をする。
「さて、久しいですな。第三皇子殿下。侍従の君も相変わらず苦労しているのかい?」
「え?」
予想だにしなかった言葉に驚き、お父様とフィンたちの顔を交互に見る。いったいどういうこと?
「久しぶりの相手に酷い言い草ですね、レーネ公爵。今も昔も、私は彼に無理強いをした覚えはないのですが」
「よく言いますね、殿下。つい最近、レーネ嬢をお連れすると言って聞かなかったのはどこのどなたですか? ……レーネ公爵閣下、大変ご無沙汰しております。その節は、私の主ともども大変お世話になりました」
フィンもノアも動じることなく、お父様に言葉を返している。
どうやら三人は顔見知りのようだ。いつ出会ったのだろう。
「ああ、息災そうでなによりだ。その名にも慣れたようだね、ノア」
「……名前? 何故お父様がそのようなことを?」
黙って聞いていようかとも思ったけれど、意外なことが多すぎて、つい口を挟んでしまった。
やってしまったと焦る私に、ノアが答える。
「私たちの話は以前にしましたよね? グレンディア王に保護された私たちは、こちらでの名前に頭を悩ませておりました。その話を陛下にしましたら、側にいた閣下がご自身の名を私にくださったのです」
「まあ、そのようなことが? お父様と同じ名だとは思っておりましたが、よくある名でしたのでさらりと流しておりました。世間は意外と狭いものですね」
「ええ、本当に」
「そんなことより帝国の話を。レーネ公爵。伯父上に最初に連絡して以降、状況に変化はありますか?」
フィンがもどかしげに私たちの会話に割って入ってきた。
やはり、皇太子殿下のことが気がかりなのだろう。
「ええ。帝国軍は軍事演習と称してこの地に来ていたようです。足りない兵や食料は道すがら寄った村や町で取り立てていたとか」
「軍事演習? 何故そんな嘘を……」
フィンの疑問はもっともだ。
戦争を仕掛けるなら堂々と仕掛ければいい。
何れ民にも知られるのだから、戦争を隠す意味はないはずだ。
それとも、私が思いつかないだけで、何かしらの得が帝国にあったのだろうか?
「わかりません。捕えた兵たちを聴取しましたが、理由を知る者はいませんでした。彼らは情報を与えられないまま戦わされていたようです」
お父様の言葉に、思わず眉を顰める。
軍事演習だと思って気負わずに付き従った民は多いだろう。
兵たちもきっと似たような心境のはずだ。誰一人として戦場で散るとは思わなかったに違いない。
想像したら心苦しくなって、人知れず息を吐く。
そんな中、お父様が再び口を開いた。
「現在、牢に帝国の将官がおります。理由ならその者に訊けばよろしいかと。今からお会いになりますか?」
問われたフィンが、静かに頭を振る。
「私は秘匿された身ゆえ、将官と会ったこともない。会ったところで、向こうが素直に話に応じるか……。何より、私は早く兄上の許に向かいたい」
「殿下、焦りは禁物です」
焦燥に駆られている殿下を、お父様が諫める。
焦りは何も生まない。
それにせっかくの機会を逃すのも悪手だ。
考えを改めてほしくて、私もフィンに進言する。
「フィンさん、会いましょう? もしかしたら皇太子殿下の利となる話があるかもしれません」
「俺も会うことには賛成だ。何も得られなくても、将官とやり取りをした事実は残る。今後のためにも、少しずつ前に出ていった方がいい」
「副団長の言う通りです。殿下、秘匿されたままでいるおつもりですか? 是非決別いたしましょう。今度こそ、私があなたをお護りしますから」
リディもノアも、私の意見に賛成のようだ。
ノアに至っては心底フィンを心配している表情付きだ。
さすがにフィンも、ノアの思いを無下にはできなかったらしい。
伏し目がちだった視線をこちらに向けて、ゆっくりと頷いた。
「……わかった。会おう」
こうして私たちは、捕虜の将官と会うことになった。
*
帝国の将官がいる牢屋は、クルネール領兵団の拠点の中にある。
既に関係者に連絡がいっていたようで、一人の兵士が地下にある牢屋に案内してくれた。
地下牢はよくある石造りで、ちょっとやそっとの攻撃ではびくともしなそうだ。
その代わりに湿気がこもっており、わずかにすえた臭いがする。
だがこまめに清掃されているのか、思った程息苦しさはない。
「こちらです」
先導していた兵士が、とある牢の前に立つ。
鉄格子がはめられた牢の中には、お父様より少し年上と思われる男性がいた。
男性は背筋を伸ばしてベッドに座り、鋭い眼光でこちらを睨んでいる。
「この国には面会室がないのか?」
「今すぐ面会したかったから我々が足を運んだ。ありがたく思え」
男性の嫌みに、フィンが感情のこもらぬ声で答える。
そのフィンの態度が気に食わなかったらしい。男性がすっと目を細めた。
「ふん、小僧が偉そうな口を利きおって」
「実際に偉いからな。少なくてもお前よりは上だ。口の利き方には気を付けろ」
「何を……」
男性は馬鹿にしたような目でフィンを見る。
だがすぐに何かに気付いたようで、唐突に目を見開いた。
「! 馬鹿な……青みがかった銀の髪だと!?」
「ああ、暗くてよくわからなかったか。紛れもなくお前が想像している男の色だ」
フィンは牢を訪れる前に、灰赤色に染めた髪を元に戻していた。
フィンの元の髪色は、青みを帯びた銀色。皇帝と同じ色だ。
「な……だとしたらあなた様は……」
途端に男性が体を震わせる。
しかしフィンは男性の疑問には答えず、ノアの方を向いた。
「セシリオ。この男は中将だったな。パントーハだったか?」
「はい。パントーハ伯爵家の当主と特徴が一致しています」
「なら私とは三つ違いの嫡男がいるはずだが……」
フィンが言い終えるのが早いか。パントーハ伯爵と呼ばれた男性が、物凄い勢いでこちらにやってきた。
伯爵は格子をがしっと掴むなり、激しくゆすってがたがたと音を立てる。
「息子は関係ない!」
「よく言う。最初に仕掛けてきたのはそっちだろう?」
「私は悪くない。命令に従ったまでだ! 息子に何かあったら、たとえあなたでも許さない!」
伯爵は余程息子が大事らしい。目を血走らせながら叫ぶ。
だが、その言動がフィンの神経を逆なでしたようだ。
フィンの眉間にきゅっと皺が寄る。
「寝言は寝て言え。あいつとともにこの国に攻め入っておいて、悪くないわけがないだろう? それ以前に、お前は私の暗殺に加担した。到底許されるものではないな」
「そ、れは、その……妃殿下とレオナルド殿下が……」
伯爵の目が頻りに泳ぐ。懸命に言い分けを探しているのだろう。が、この様子では見つけるのが難しそうだ。
いや、見つける云々の前に、フィンが黙っているはずがない。
案の定、フィンが憎しみのこもったような顔で口を開いた。
「ああ、あいつ本当に忌々しいな。ここにいるのが、お前じゃなくてあいつだったらよかったのに。そうしたらあの男たちも、己の過ちに気付けただろうにな」
「殿下! 異母とはいえ、兄君に向かって『あいつ』とはなんですか! それに、陛下はあなた様のお父上なのですよ!」
しどろもどろから一転、伯爵がフィンを窘める。『言い分けが見つからなかった代わり』と言わんばかりの行動だ。
そのあまりの態度に、これが帝国の将なのかと呆れてしまった。
もっとも、武人たる言動が見られないあたり、おそらく名ばかりの将だとは思うが。
「はっ! 笑わせてくれる。あの男が私に何をしてくれたと言うんだ? 同じ城に住んでいたのにたった数回しか会ったことがないんだぞ?」
「ですが、陛下のおかげであなた様は生きてこられたのです」
「違うな。私は母上とエベラルド兄上、あとは先代……おじい様のおかげで生きてこられた。あの男は、私に刺客しか寄こさなかったよ。そんな男をお前は『父』と呼べるか?」
「……」
きっぱりと言いきったフィンに返す言葉がなかったらしい。伯爵が無言になる。
だがフィンはそんな伯爵を無視して、心情が一切読めない表情で言葉を紡いだ。口調もまた、温かみがない淡々としたものだ。
「まあ、いい。お前はここで終わる。愚か者に加担した報いだな」
「そ、そんなことが許されてなるものか! 人質は丁寧に扱うのが国際上の取り決めだ!」
伯爵が再び暴れ出す。まるで手の付けられない猛獣だ。
その様子を前にしても、フィンの声音は変わらない。
「馬鹿か、お前? 殺人に加担した者を許す国がどこにある? 兄上に微塵も敬意を示さない不忠者を、軍の上部に据えたままにしているつもりもない。お前の一族は、兄上の命を狙ったとして罰を受けることになる」
国際上の取り決めを持ち出し、生に縋る伯爵。
だがフィンにすげなく切り捨てられ、糸の切れた操り人形のようにその場に頽れた。
「あ、あ……」
「何故グレンディアを攻めた? あの男らの過ちを正すのもお前ら軍の役目ではなかったのか? それとも、帝国軍は最強だと高を括っていたか? だとしたら愚かだな」
「! 帝国は最強だ! 国の軍事力をもってすれば、グレンディアなど取るに足らない!」
フィンの言葉のどこに引っかかったのか。伯爵が勢いよく頭を上げた。
その目はぎりぎりまで見開かれ、こぼれんばかりにぎらついている。
「その割にはあっさりと負けたな。兵力も少なめだったし。六千だったか?」
「軍事演習として来たから食料が足りなかっただけだ! 本来の兵力であればこんな国など……」
「お前は脳まで筋肉だったようだな。魔術師に敵うわけがないだろうが。現に、私の側にいるこの少年が本気を出したら、この牢屋どころか近隣の国もろとも地図から消失するぞ? お前らは彼の魔力を暴走させかけた。家族を亡くさずに済んでよかったな?」
フィンの言葉に、伯爵は目を見開いたまま眼球を動かす。そして、私のところでぴたりと止めた。
その瞬間、私は自分の役目を悟った。
「僕、大切な人を助けられないなら、いっそ(魔力なんて)全部なくなってしまえばいい、とあの時本気で思ったんだよね。僕が正気を取り戻さなかったら、こうして話をすることもなかったんじゃないかな。何もなくて本当によかったよね?」
目を細め、口を閉じたまま両端だけをぐいっと上げる。
すると、伯爵がわずかに後退した。
狙い通りに脅しがきいたようだ。ひそかに胸を撫で下ろす。が。
「……ねえ、なんでリオンまで離れるわけ?」
「あ、いや、なんとなく……悪い」
はは、と乾いた笑いをしながらリディが私の隣に戻ってくる。
そんな私たちのやり取りに、何故か伯爵が青ざめた。
「ルディ、脅すのも大概にしておけ」
「僕は過剰に脅していませんよ? 本気で脅すなら魔法の一つや二つは放っています」
「わかっている。だとしてもだ。見ろ、伯爵の顔が青を通り越して白になっているじゃないか」
「ええ……僕の所為? 殿下が先に脅したんじゃないですか」
非常に納得がいかない。
フィンに抗議するけれど、彼は私の抗議を黙殺して伯爵の方を向いた。
「おい。あいつらは逃げ帰ったあと何をするか言っていたか?」
「い、いえ。私はレオナルド殿下がお逃げになる前に捕まってしまいましたので」
今までの態度が嘘であったかのように、伯爵が素直にフィンの問いに答える。いっそ清々しい程の小者ぶりだ。
伯爵の返事を受けて、フィンが軽く顎をつまんで考える素振りをする。
「……プライドの高いあいつのことだ。今頃、負けたことで荒れ狂っているだろうな。周りは宥めるのに精一杯で、再びグレンディアを攻める余裕はないだろう。ひとまず安心か。……伯爵、最後の質問だ。答え次第ではお前の命運が変わる。心して答えろ」
フィンの言葉で、伯爵の背筋がぴん、と伸びた。
顔は青白いままだが、答える気力はありそうだ。
「はい。真実のみをお答えするとお約束いたします、バハルド殿下」
命運が変わると言われて嘘を吐く者などそういない。
いるとすれば、主君に並々ならぬ忠誠を誓っている者だ。
伯爵の忠誠心は、先程の言動でわかるように全くと言っていい程ない。
そんな伯爵をフィンが味方に引き入れるとは到底思えない。
何より、フィンの心は最初から決まっているはずだから。
私の読み通り、フィンの目に鋭さが増した。生かしておくつもりはなさそうだ。
「では問おう。兄上の容態は如何程だ? それ以外にも、知っていることがあればすべて話せ」
フィンの口調は蕩々たるものであり、されど威厳に満ちたものだった。




