スヴェンデラ侯爵2
深く、ゆっくりと息を吐き出し、改めて侯爵を見る。
侯爵に比べたら私は小柄だし、力も体力もない。でも代わりに、身の軽さと魔法がある。
それらを活かし、圧縮した風を手に纏って刀身を殴れば、刃を折ることも可能だ。
けれど、それでは侯爵の心を折ることはできない。
今回の一連の出来事では死者が出ている。直接侯爵が関わったわけではないものの、黙認したのなら同罪だ。
侯爵にはその点をきちんと自覚して、猛省してもらいたい。
そのためには魔法を駆使しつつ、武技でもって侯爵を打ち負かす必要がある。
凝り固まった思想を外から変えるのは至難の業だ。相手が相手なので厳しいと思う。だが、やるしかない。
意を決して床を蹴り、侯爵の懐に入る。足にも風を纏っているので、先程よりも格段に素早い。
少し驚いたような侯爵の顔に溜飲が下がるが、気を緩めずに斬りかかる。
むろん一筋縄ではいかず、最初の一振りは躱された。それでも手を休めずに、右、斜め、突きと何度も攻撃を繰り出す。
それに伴って、ガン、カンと金属同士がぶつかり合う音がする。
いつもならばその音を楽しいと感じるのだが、今ばかりは楽しくない。
「どうした、小娘! この程度か?」
こちらから仕掛けたにもかかわらず、気付いたら侯爵の攻撃に押され、徐々に後退していた。
私の攻撃を軽くあしらってしまう程の剣技。現役を退いたとはいえ、やはり近衛長に上り詰めただけはある。
もっとも、私の実力はこんなものではないけれど。
「ご冗談を。あなたと話をするために力を抑えております。まさかあなたが、このように気性の激しい方だとは存じ上げませんでしたが」
「悟られてはならなかったからな。だが、もう終わりだ。一族の悲願のために、全員消えてもらう!」
言うが早いか、侯爵が剣を振り下ろしてきた。
その攻撃を後ろに跳躍して避け、再び侯爵の懐に入って剣の応酬をする。
「無駄です! たとえ独立に成功したとしても、すぐに帝国に蹂躙されましょう」
「そうなった場合は武力で撃退するだけだ!」
「世迷言を。クルネールが武力だけで帝国の攻撃を退けているとお思いですか?」
お母様の名が抑止力となっていた時でさえ、クルネールは魔術師を雇い入れていた。それがなかったらいくらお母様が強いとはいえ、あっという間に攻め落とされていただろう。侯爵が知らないわけがない。
「だからなんだ? スヴェンデラはクルネールなどとは違う!」
「でしたら、あなたが馬鹿にするクルネールの力をお見せいたしましょう!」
宣言するなり、足に纏う風の性質と量を調整する。
そのまま斬ると見せかけて、素早く侯爵のお腹に蹴りを入れた。
これには侯爵も驚いたようで一瞬ばかり硬直していた。けれど、すぐに侯爵が防御の姿勢をとる。
侯爵が防御に回るのは予想済みだ。気にせず剣術と体術、時にフェイントを交えて攻撃を加えていく。手出しする隙を一切与えない。
「剣術に体術か……」
「ええ。これがクルネールの戦法です。小賢しいと思いますか?」
クルネールは、帝国の脅威を十二分に知っている。だからこそクルネール領兵は、生き残るためになんでもありの戦い方を身に付けた。
その戦い方は私にも受け継がれている。
リディが言うには、『実戦向きの戦い方』なのだそうだ。
私はこの戦い方を誇りに思っている。
一方、王都の貴族たちは型に嵌った戦い方を好み、実戦向きの戦い方を野蛮だと言う。
それゆえ、武を神聖視する侯爵も実戦向きの戦い方を厭うかと思いきや、違ったようだ。
「いや、武技に変わりはない。だが、甘い!」
「!」
私が斜めに振り上げた剣を、侯爵が自身の剣でいとも容易く受け止めた。
剣はその状態のままびくともしない。
けれど問題はない。剣が使えないなら体術と魔法を駆使するまで。
「む?」
瞬間的に強烈な風を生み出し、侯爵にぶつける。
吹き飛びそうな程の風を受けて、侯爵の体がわずかに傾いた。今だ。
侯爵の剣を押し退け、勢いよくしゃがむと足払いをかける。
私の足が侯爵の足に触れる寸前、侯爵が後ろに飛び退いた。私の行動を読まれていたようだ。
でもまだだ。勝敗は決していない。
すぐさま立ち上がると間合いを詰め、侯爵の上半身に回し蹴りをお見舞いする。やや遅れて鈍めの感触が足に伝わってきた。
「甘いと言っている!」
侯爵は私の蹴りを片腕だけで止めたばかりか、足をがっちりと掴んできた。
このまま引っ張られたらただでは済まない。すぐに離れなくては!
普通ならそう考えるだろう。
だが風を纏っている私には無縁の話だし、この状態からでも攻撃はできる。
だって、私はまだ風の魔法しか使用していない。ほかにも使用可能な魔法はたくさんある。それこそが、私の強み。
「いいえ、甘くないわ!」
瞬時に氷の礫を生み出し、侯爵目がけて放つ。
至近距離からの魔法攻撃だ。咄嗟の判断を誤れば、命に直結する。
「小癪な!」
侯爵が私の足を掴んでいた手を放し、再度私から距離を取った。賢明な判断だ。
とはいえ、私の攻撃を完全に避けることはできなかったらしい。いくつかの礫が侯爵の肩や頬を掠めていたようで、血が流れていた。
それを目にしても攻撃の手を止めることはしない。次々と侯爵に礫を放ち、剣を振るう。
私と侯爵の力の差は歴然だ。中途半端な攻撃はかえって命取りになる。
『やるなら徹底的に、確実にやれ』。
クルネールの教えを思い出しながら、干戈を交える。
魔法攻撃が加わったことで、侯爵に分があった戦いはあっという間に覆った。
侯爵がどんどん後ろに下がっていく。
このままいけば、侯爵は壁にぶつかって身動きが取れなくなるだろう。
それでもいいけれど、今すぐ退路を塞いだ方がてっとり早い。
すぐに大量の水を生み出し、私と侯爵の周りを覆って壁を作る。
厚みのある水の壁は宙に留まっており、辺りを濡らすことはない。体当たりしても弾かれるし、剣で斬っても元通りだ。
くぐることもできないので、侯爵の退路は今やどこにもない。
だからといって、気を緩めるのは非常にいただけない。思わぬ反撃に遭い、痛い目を見るはめになる。
こういう時は、更に慎重を期して侯爵を追い詰めるのが得策だ。
剣を握り直し、真っ直ぐ侯爵を見据える。
一つ深呼吸をして気持ちを整えてから侯爵に攻撃を仕掛けた。
侯爵は私の攻撃を一つ一つ躱していく。だが、私の意思一つで動きを変える水の壁が邪魔のようだ。
それだけならまだしも、水の壁から真横に向かって水が飛んでくる。それも至る所から不規則に。
いくら侯爵でも、勢いよく飛んでくる水を避けきるのは難しい。
服は濡れ、次第に動きが鈍ってきた。顔にも焦りの色が窺える。決着をつけるなら今だろう。
いったん侯爵から離れ、左手上に火を生み出す。
その瞬間、侯爵の顔色が変わった。
「殺しはしないわ。あなたには罪を償ってもらわなくてはならないもの」
拳大の火球を作り上げて、侯爵に投げつける。火球は真っ直ぐ飛んでいき、侯爵に当たる直前で弾けた。
そこにすかさず水をかける。
直後ジュッと音を立てて、湯気が生じた。
湯気はむっとする熱気を伴い、一気に辺りを包み込む。
「ぐっ!」
侯爵の不快そうな声が湯気の向こうから聞こえてくる。
声のした方に再び氷の礫を放つと、礫が侯爵の剣に当たった音がした。そこね!
侯爵の声を頼りに剣を振るう。
カーン、と一際高く乾いた音がして、湯気の中から侯爵の剣だけが現れた。
剣は侯爵の斜め後ろへと飛んでいく。
その行方を追うことなく即座に風を操り、湯気を霧散させる。
同時に駆け出し間合いを詰めると、侯爵に向かって剣を繰り出す。そして、侯爵の喉元に触れる寸前で剣を止めた。
最後に、壁となっていた水を移動させる。
水は大蛇のようにうねり、侯爵邸の玄関から外に出てバシャーンと辺りに散らばった。
暫く静寂が続く。
その静寂を破り、侯爵が静かに呟いた。
「……最後は剣か。小娘がいらん気を利かせおって」
発せられたつぶやきは、とても小さなものだった。
それにもかかわらず、側にいた私はもちろん、陛下の耳にもしっかりと届いたようだ。
陛下が一歩前に出る。
「お前が望む、武での決着であろう? 何が不満だ? ……捕らえよ」
陛下の命令で騎士たちが侯爵を取り抑える。それに併せて剣を鞘に収めた。
余程緊張していたのか。剣を腰に佩くなり、ふぅ、と息が漏れる。
「見事な戦いぶりであった。相当手加減したようだな。侯爵を憐れんだか?」
緊張の糸を解いたところで、陛下から声をかけられた。すぐに一礼をする。
「お褒めの言葉を賜り、恐悦至極に存じます。手加減につきましては、おっしゃるようにいたしました。しかしながら、わたくしは決して侯爵を憐れんだわけではございません。本気で魔法を放てばこの邸が崩れてしまいますゆえ、力を抑えていたにすぎません」
「本当に規格外の娘よ。手放したのが悔やまれてならぬわ」
「陛下、ご安心くだされ。彼女は我が家にて大切にいたしますゆえ」
「それが一番腹立たしい!」
私と陛下の会話に、ごくごく自然に将軍が割って入ってきた。
将軍の言葉に、陛下が悔しそうな顔をする。今にも地団駄を踏みそうな勢いだ。
将軍はそんな陛下をものともせず、涼しい顔で陛下に告げた。
「それよりも陛下。侯爵を縛り終えました」
将軍が告げた瞬間、悔しそうだった陛下の顔がすっと真顔になる。それから陛下は、静かに侯爵の方を向いた。
「ルートガー。何か申し開きはあるか?」
「……王都にいる息子はこの件に一切関わっておりません。どうか、あの子にお慈悲をお与えください」
手を縛られた侯爵が床に膝をつき、頭を下げて陛下に嘆願してきた。
侯爵は、事を進めたのは自分だけだと言うけれど、おそらく嘘だ。嫡男が知らないわけがない。
かといって、侯爵の言葉の真偽を精査するのは時間の無駄だ。結末は既に見えているもの。
「やけに素直だな。先程までの勢いはどうした?」
「強者に従うのがスヴェン神の教え。負けたからには、この身がどうなっても構いません。ですが、あの子は……子供たちだけはお目こぼしいただきたく存じます。本当に何も知らないのです」
「お、お待ちください!!」
突如陛下たちの会話が遮られたかと思えば、それを皮切りにあちこちから人がなだれ込んできた。よく見れば、この邸の使用人や兵士たちだ。
彼らは陛下を取り囲み、地面に膝をついて頭を下げる。
「どうかお館様を殺さないでください!」
「何卒お慈悲を!!」
「ならぬ」
使用人たちの懇願に、陛下がきっぱりと否やを告げた。
たちまち使用人たちの顔に絶望や悲痛の色が浮かぶ。陛下に対して憎悪の気持ちを抱いている者も、少なからずいるはずだ。
だが陛下は、彼らの感情をものともせずに話を続ける。
「何も私情で拒否したわけではない。一度例外を認めたら、以後も例外を認めなくてはならなくなる。だが、それでは国が成り立たぬ。そなたたちの子や孫にとって生きづらい国であってはならんのだ。認めよ、とは言わぬ。私を恨んでもよい。しかし忘れるな。罪を犯せばどのような理由であれ必ず罰せられる。その先に待つのは、大切な者たちの嘆きだ」
陛下の言葉で、使用人たちがはっとしたような表情を浮かべる。彼らはそのまま黙り込んだ。
「ルートガー。そなたの願いも聞き届けられぬ。犯した罪が重すぎた。一族連座は免れぬ。夫人や娘ならまだしも、近衛騎士の息子はお前と同じ処遇となろう」
「……」
「息子の助命を嘆願するならば何故このようなことをした。立ち止まればよかったものを。……残念だ」
最後にぽつりと呟いた陛下の声は、とても悲しげなものだった。