スヴェンデラ侯爵1
グラティア伯爵を引き摺って、邸の中央にある階段に向かう。
階段に近づくにつれて、にわかに辺りが騒がしくなった。おそらく、陛下がいるのだろう。
歩調を速めて階段に行く。
階段から音のする方を見れば、予想通り陛下が将軍たちを伴ってエントランスにいた。
陛下の前には、対面するように立つ男性。
後ろ姿のうえに二階から見下ろしているので、男性の顔を見ることはできない。
だが見覚えのある暗い金茶の髪を見て、スヴェンデラ侯爵だと判断した。
陛下と侯爵は話をしているようで、時折頷き、手を動かしている。
ただし距離があるため、会話の内容は元より声すらも聞こえない。
割って入ってもよいものかと一瞬迷う。
けれど、いつまでも突っ立っているわけにはいかない。二人の口の動きが止まったのを機に声をかけた。
「陛下、捕らえてまいりました」
グラティア伯爵を引き摺って目の前の階段を下りていく。併せて、ダン、ドン、と床から音が出た。
伯爵に風の魔法をかけているので、体は保護されている。それなのに何故か音がする。以前も思ったが不思議でならない。
とはいえ、細かいことを気にしていても仕方がない。素知らぬ顔で階段を下りた。
伯爵を引き摺り、侯爵の脇を通って陛下の前で足を止める。
伯爵をぐいっと引っ張って私と陛下の間に置いた。
直後、陛下が噴き出す。
「そなた、見かけによらず随分と豪胆だな」
「これが今のわたくしでございます。印象を損ねてしまわれましたか?」
「いいや。頼もしい限りだと思うてな。おぬしもそう思わぬか? ルートガー」
陛下が私の後方にいる侯爵に呼びかける。
視線の邪魔となっていたため、少し脇にずれながら後ろを向いた。
私と目が合うなり、侯爵がわずかに目を見開く。
「……見た顔だな。だが、色が違う。レーネの色合いか」
「以前は琥珀色でお会いいたしました。レーネ公爵が一女、マルティナでございます」
「フン。また出しゃばってきたか。どこまでも賢しい娘だ」
「お褒めに与り光栄です」
悪意を微塵も隠さない侯爵の嫌み。それをまるまる無視して、笑顔でお礼を述べる。
すると侯爵が視線を逸らして「フン」と再び鼻を鳴らした。
どうやら『何を言っても意に介さない』という私の意図を正確に酌みとってくれたようだ。
前回のような胃痛は避けたかったから、正直ほっとした。
といっても、今回は陛下たちが一緒なのでいくらか気持ちが楽だけれど……。
「ほぅ、あっさりと認めたな」
少しばかり逸れた考えをしていると、普段よりも低い陛下の声がした。
すぐさま思考の海から浮上して、陛下たちを見る。
「……なんのことでございましょう? 私はただ、公爵令嬢が事件の度に頭を突っ込む、と指摘しただけです」
侯爵が涼しい顔で答える。いつもこうだ。言及するとのらりくらりと躱してくる。なかなか主導権を握らせてもらえないので、何度歯痒い思いをしたことか。
「素直に認めた方がよいこともあるぞ? こちらはすべて知っているのだからな」
陛下の言葉に侯爵の眉がぴくりと動く。
しかし、次の瞬間にはまた元の表情に戻っていた。
「身に覚えがございませんな。伯爵をこちらで匿っていたことに対するお咎めでしょうか? であれば、私は先程まで何も存じ上げませんでした」
「それもあるが、いろいろとやらかしているだろう? 城の地下にいる者たちから話を聴いているぞ。証拠も、今騎士たちが集めている。そのうちのいくつかは私のもとにあるがな」
決定打とも言える陛下の言葉。
賊……いや、アーウィンと言ったか。
ネイフォートの騎士から聞き出したのは、ネイフォート王の行ないだけではない。スヴェンデラ侯爵の名もあった。
むろん、誰しもが驚いた。
何しろ侯爵は、陛下に厚い忠誠を誓っていたから。
だからこそ、余計に謎が深まるばかり。
ネイフォート王に加担するだけの何かが起きたのか。はたまた、最初から背くつもりがあったのか。
侯爵の顔をじっと見るが、何を思っているのか侯爵は先程から無表情だ。すべてが明らかとなっているというのに、焦る様子すら見られない。だが。
「…………さっさと始末しておけばよかったか」
少し間を置いたあと、侯爵がぼそっと口にした。心底忌々しそうな声音だ。
にもかかわらず、侯爵の瞳はなんの感情も帯びていない。真っ直ぐ陛下に向けられているだけだ。
陛下も侯爵の異変には気付いているだろう。だが気にした様子もなく、淡々と侯爵に尋ねる。
「何故あのようなことをした? この国が嫌か?」
「嫌という一言では言い表せませんな。ただ、これだけは言わせていただきたい。我々スヴェンデラの者にとっては、このスヴェンデラこそが祖国でございます」
ああ、そういうことか。
アーウィンも知らなかった侯爵の動機が漸くわかった。
「独立を望む、か」
「ええ。周囲に怯えることなく、堂々とスヴェン神を祀っていると公言できる。それこそが一族の悲願。そのためにいろいろと策を講じてまいりました。ですが、いつも何かしら邪魔が入る。目の上のたんこぶであるイストゥールをおとなしくさせようと画策すれば、息子一人の死だけでスタンピードを食い止められる。ならばとネイフォートに加勢しようとすれば、そこの娘に進路を阻まれる。なかなか独立には至らない」
先程とは打って変わり、『実に腹立たしい』と言わんばかりの表情で侯爵が私を睨んできた。
講じた策を悉くだめにされたのだ。元凶である私を恨みたくもなるだろう。
中でも一番恨みを買ったと思われるのが今回の侵攻だ。
侯爵はスヴェン山からネイフォート兵を引き入れて、国に救援要請を行なっていた。
おそらくグレンディア国軍の戦力を分散させて、士気を下げようとしたのだろう。
この国が隣国に敗れれば、混乱に乗じて独立しやすくなるからね。
更に侯爵は、ネイフォートの挟撃部隊と結託して、前線に立ったリディたちを挟み撃ちにしようとした。
でも私がネイフォートの挟撃部隊を屈服させて、合流しようとした侯爵たちの進路を爆撃魔法で断った。侯爵の苛立ちは凄まじかったに違いない。
侯爵の鋭い視線を受けながら、わずかの間思い巡らせる。
直後、陛下が侯爵に問いかけた。
「すんなり事が運ぶわけがなかろう。自国を守らぬ王がどこにいる? それは領主とて同じこと。違うか?」
「何が自国だ。女神の結界がここを覆っているというだけで、我が領……いや、我が国はグレンディアに取り込まれた! 先祖たちが何度独立を求めたことか……」
初耳だ。殿下の元婚約者である私が知らないとなると、国の記録に残っているかさえ怪しい。
というのも、独立は国に損失を与える行為。場合によっては『謀反』とみなされて、一族全員処罰される。
だが、スヴェンデラ侯爵家は存続している。何度も独立を求めたのであれば、既に侯爵家の名がなくなっていてもおかしくないのに。
そこから考えるに、当時の国王たちは独立話を聞かなかったことにしたのだろう。
まあ、「国から離脱したいです」と言われて「はいわかりました」と頷く王はどこにもいないだろうが。
「愚かな。国教はヴェーデと定めていても強制はしておらぬし、教会も他宗教を認めている。独立の話をされたからこそ、歴代の国王たちは民の意識を変えてきたと聞いておるぞ」
「それでも肩身が狭かったわ! だから我々は考えたのだ。許可が得られぬのなら国を落としてしまえ、と。そのために何代にもわたり恭順を装った。裏で着々と準備を進めてな。だが、独立の成功率を上げるために送り込んだ娘は、本気で王太子に惚れこみおった! 挙句の果てにはそこの娘に婚約者の座を奪われる始末。なんと情けない」
いつも厳格な侯爵が感情をあらわにしている姿は珍しい。というか異様だ。今まで抱いていた侯爵の印象が、一瞬にして崩れ去った気分だ。
意外な光景に動揺していると、陛下が静かに口を開いた。
「スヴェンデラ嬢は選ばれなんだよ。最初からレーネ嬢に決まっていたのだからな」
「なんと卑怯な!!」
「それをお前が言うのか? 息のかかった者を議会に置いていたのは知っているのだぞ? こちらは別に不正を冒したわけではない。息子には、レーネ嬢の魔法が必要だっただけだ。だが、ほかの貴族の面子もある。ゆえにあちこちの派閥から一人ずつ選んだ。それだけだ。……もう叶わなくなったがな」
途中までは凛としていた陛下が、最後の言葉で寂しそうに笑う。
片や侯爵は、歯ぎしりが聞こえてきそうな程悔しげな顔をしていた。
その態度はさながら子供の癇癪だ。
ただし、規模はまるきり違うが。
それを裏付けるかのように、侯爵の目つきが一瞬にして剣呑なものに変わった。何かをする気だ。
「陛下!!」
即座に剣を鞘から引き抜く。
だが私が剣を構えるよりも先に、陛下の側に控えていた将軍が動いた。
金属同士が交わり、特有の音が響く。陛下を斬ろうとする侯爵を、将軍が阻んだ音だ。
「魔法? そんなもの必要ない。武こそがすべて!! そうは思わないか、ホルガー」
「思わないな。確かに武を極めれば、ある程度は魔法とやり合える。しかしだからといって、魔法を卑下していいことにはならない。そんな性根では武を極めることなど夢のまた夢だ」
「お前まで向こう側に回るのか!? 裏切り者!!」
将軍と侯爵、どちらも引かずに剣の応酬をする。
少しでも近づけば巻き添えを食うくらい激しい剣戟だ。
とはいえ、陛下は後ろに下がっているし側には私がいる。伯爵は随分前に騎士に連れ出された。
将軍と侯爵の周りは十分に空いているので、心配はそれ程ない。
「裏切り者? 違うな。武と魔法は相反するものではない。レーネ嬢がそれを示してくれている。だろう? レーネ嬢」
突如、将軍がこちらに話を振ってきた。驚きながらも素直に頷く。私にとっても大事な話だ。
「はい。一時は魔法を捨てかけましたけれど、やはりわたくしには魔法が必要です。ですが、剣もなくてはならないものです。片方だけではわたくしとは言えませんもの」
自分の胸に手を添えて答える。
リディが負傷した際、大事な時に魔法が使えないのなら魔力なんていらない、と思った。なくなっても構わない、と。
でもリディは、疎ましく思っていた魔力も含めて私自身なのだと教えてくれた。
以前は、魔法は使えるから使う、改めて意識するものではないと考えていた。
けれど、リディのおかげで考え方ががらりと変わった。
魔法は呼吸と同じ。私を形作るものであり、なくてはならないもの。
同時に、剣技も私には必要だ。お母様の教えは私の中にしっかりと息づいている。どちらが欠けても私たり得ない。
「……だそうだ、ルートガー」
「なんと傲慢な。しょせん令嬢のお遊びというに」
こちらを見もせず、侯爵が言い放つ。
私には事実だが、侯爵にとっては嫌みに聞こえるらしい。
しかし、それはお互い様だ。侯爵だって今、失礼な発言をしているもの。
もっとも、失礼な発言は、瑣末な事であれば笑って受け流すのが貴族としての正しい在り方。それはきちんと理解している。
でも何故か、侯爵に対して猫を被る必要性を微塵も見出せない。
第一、笑って受け流すなど私らしくもない。言いたいことは言わせてもらってこその私だ。
「わたくしが誰の娘かご存じでしょうに、聞き捨てなりませんわね。確かに母の剣技には劣ります。ですが、老兵の攻撃を往なせない程、弱くもございませんのよ?」
「そこまで言うのなら小娘、我と剣を交えよ。その鼻っ柱をへし折ってくれるわ!」
言うが早いか、侯爵が無理矢理将軍を押し退けてこちらに斬りかかってきた。
抜いたままだった剣をさっと構え直して、攻撃に備える。
直後、侯爵の剣が振り下ろされ、受け止めた刃にガツンと強い衝撃が走った。
「……さすが元近衛長ですわね」
侯爵の力は凄まじく、私の力では到底受け止めきれない。だが、それは元からわかりきっている。
刀身の角度を少しずつ変えていき、ぐいぐいと押してくる侯爵の剣を受け流す。
剣の軌道が逸れたのを確認し、斜め後ろに飛んで一旦距離を取る。そこから睨み合いだ。
……さて、どう出ましょうか。
侯爵を黙らせるには一騎打ち、それも武技のみで負かすのが一番だ。けれど、それでは先の発言と矛盾してしまう。
やはりここは魔法と剣技の両方で打ち込むのがいいだろう。
そうと決まれば早速行動。体内の魔力を操って、手足に風を纏わせる。
下手に手出しをすると、双方ともに怪我をするとわかっているからか。敵味方関係なく、周囲に動く様子は見られない。完全なる一騎打ちの構図だ。
これで何にも囚われず、目の前の相手に集中できる。




