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侯爵令嬢の涙

壊れた窓から、正円に近い月が見える。とても綺麗な月だ。

けれど室内が明るいので、外を見ようとしない限りその美しさに気付くことはない。

何より、この部屋の者たちは重要な話をしている。月見に興じる余裕は微塵もなかった。


「なるほど、伯父上から聞いたのか。うまく逃げられたと思ったんだがな……。まあ、将軍に見られてたのなら言い逃れはできないか」


自分を納得させようとしているのか、殿下――フィンが誰ともなしに言う。

それからフィンはすぐにノアを下げ、真剣な眼差しをこちらに向けた。


「もう知っているだろうが、私がガルイアの第三皇子だ。兄上が毒に倒れたと聞いてなんとしても兄上の許に魔術師を連れていきたかった。そこで目を付けたのがご令嬢、あなただ。魔力の高いあなたなら兄上を癒してくれると思ってな。ついでに添い遂げてほしいと……私を咎めるか?」

「いや、お前らが素性を隠していたことについては陛下が認めておられるんだ。とやかく言うつもりはない。だが、何故ルティナなんだ? 皇太子殿下は毒で臥せっているんだろう? それなのに、回復魔法が使えないルティナを連れていってなんになる? ついでに添い遂げてほしい? ふざけるな。ルティナは物じゃない!」


私に向けられたフィンの言葉に、リディが捲し立てるように返す。

リディがこんな話し方をするのは相当腹に据えかねている時だ。

重い話をしているから素直に喜べないのが残念だけれど、私のことでこんなに怒ってくれるのは正直嬉しい。


「回復魔法なら私が使える。彼女の役目は別だ」


……え?


「お待ちください! ならば殿下は、リディの怪我を治療なさることができたのですか?」


フィンの言葉に引っかかりを覚えて思わず口を挟む。

フィンが回復魔法を扱えるとわかっていたら、私は絶望せずに済んだかもしれない。ましてや、魔力暴走を起こすこともなかったはず。そう思ってしまった。

もっとも、魔力暴走は私の心の弱さが引き起こしたもの。フィンを責めるのはお門違いだ。それでも、私はフィンに訊いてみたかった。


「無理だ。あそこまでの傷は治せない。だから名乗り出なかった」


フィンの言葉に少しだけほっとする。もし首を縦に振られていたら、いろいろと葛藤したに違いない。


「そうでしたか。では、私の役目とは一体なんでしょうか?」

「あなたの役目は、皇太子殿下の体内に残る毒を完全に取り除き、心身ともにお守りすること。それから、あの方の伴侶になってほしい。というものだったが……副団長が怒るのは当然だな。あなたはティナ嬢なんだろう?」


私が頷くよりも先に、リディが答える。


「そうだ。だからこそお前を許せない。だがな、お前らを叱るのは俺じゃない」


リディは一旦言葉を区切り、ちらりと後方に視線を向ける。

その視線を追うようにフィンが顔を向け、瞬く間に青ざめた。


「隊、長……」

「何故ここに……」


声を発したのは、フィンだけでなくノアもだった。

だが、『何故』と口にした割には、ノアに答えを求める様子はない。元からいらなかったのだろう。

そこをあえて答える。


「私が呼んでおきました。あなた方には、彼女からの説教が一番効くと思いましたので」


リディのベッドの更に奥。死角となっている場所から、一人の女性が歩いてきた。

彼女は一つに結ったブリュネットの髪をさらりと揺らしながら、フィンの前に立つ。

そして静かに一言、「歯を食いしばりなさい」と口にした。直後。


――パァンッ!!


私の時よりも力強い、乾いた音が辺りに響く。

遅れて、横を向いたフィンがすっと頬に手を添えた。


彼女の平手打ちは率直に言って痛い。私も頬を張られたからよくわかる。

けれど、今はフィンを庇うつもりはない。

国交問題に発展しなければいいと思いながらも、彼女――アマーリエたちの様子を黙って見守る。


「何故こんなことをしたの! みんなが悲しむってわかっていたでしょう!? 別の方法を探すくらいの手助けはできるのだから、事を起こす前に私に相談しなさい!!」


先程から一転。アマーリエが強い口調で説教を始める。

途端にフィンが顔を顰めた。


「……隊長、ずるいだろ。泣かれたら何も言えなくなる」

「私が泣いて何も言えなくなるくらいなら、こんな行動を取らなければよかったのよ! 違う!?」


アマーリエが目元の涙を乱暴に拭ったかと思えば、突然フィンの襟を取った。


「うっ、た、隊長……ぐ、ぐるじ……」


フィンが苦しそうにもがくけれど、アマーリエは興奮しているのか手を離さない。

二人の脇ではノアが必死にアマーリエを止めようとしている。だが彼女はフィンの襟を掴んだままだ。


仕方なく声をかける。


「アマリー。殿下を殺めたら大問題よ。怒る気持ちはわかるけれど、そのへんにして差し上げて」

「……」


アマーリエが渋々といった体で手を離す。といっても、気持ちは治まっていないようだ。物言いたげに、ルビー色の瞳をフィンに向けている。

だが先に口を開いたのは、アマーリエではなくフィンだった。


「ゲホッ……隊長はそう言うがな、こっちは綺麗事を言っている場合じゃなかったんだよ! 素直に伯父上に相談してみろ。会議だ、手続きだ、と言って帝国に行くまでに何週間もかかっただろうよ! それならまだいい。下手したら、国交問題に発展するからって何日も待った挙句に断られたかもしれない。兄上の容態が安定していない中、そんな悠長に待っていられるか! それとも何か? 隊長はいい案をくれたのか?」

「開き直るんじゃないわよ! 自分の命を粗末にする策しか思いつかなかったくせにっ!!」


言われたら言われた分だけ言い返す二人。

もはや意地と意地のぶつかり合いだ。


「私の命なんてどうでもいいだろう? 誰も悲しまないし、兄上の命に比べたら安いものだ」

「なんでここにいる男たちは揃いも揃って自分の命を犠牲にしようとするのよ!!」


アマーリエが声を上げるなり、フィンではなくリディが「うっ……」と唸って胸を押さえた。


ああ、ちゃんと自分のことだと理解したのね。

そんなどうでもいいことをぼんやりと思いながら、再びアマーリエに視線を戻す。


アマーリエはフィンの頬に手を延ばしていた。平手で打った方の頬だ。


「……あなたたちの代わりなんていないのに、なんでこんな無茶なことをするの?」


殴ったことを詫びるかのように、アマーリエがフィンの頬を優しく撫でる。その目から、再び涙がこぼれた。


「隊……」

「あなたが死んだら悲しくて、私、ずっと泣き続けるわよ? 私の大切な部下だもの。だからもう、こんな無謀なことはしないで」

「…………悪かった」


かなりの間を置いたあと、フィンがアマーリエに謝った。

けれど、『命を粗末にしない』という確約を得るまでには至らなかった。今後似た状況が訪れた時に、再び同じことをするのかもしれない。


まったく往生際が悪いものだ。内心でため息を吐く。

そこに、ノアが割って入ってきた。


「ご安心ください、隊長。殿下が再び同じようなことをしたら、殴ってでも止めるとお約束します。今回は本当に申し訳ありませんでした」


思うところがあったのだろう。ノアが頭を下げ、自分の役目をしっかり果たすと宣言した。

それが効を奏したのか、アマーリエが満足げに微笑む。その拍子に、彼女の目元に留まっていた涙がほろりとこぼれ落ちた。


「是非そうしてちょうだい。ああ、加減はしなくていいわ。その方が、目が覚めるでしょう」

「隊長ひでぇ……」


アマーリエの返しに、フィンが情けない声を出す。

(ようや)くいつものフィンに戻ったようだ。


「バハルド、落ち着いたようだな」


ほっとしたのも束の間。陛下が将軍を伴い、隣の部屋から姿を現した。

陛下は私たちの前まで来ると、順番に私たちの顔を見る。


「皆、この子を止めてくれて感謝する。一体誰に似たのか、身内の言葉程聞く耳を持たぬ子でな。ほとほと手を焼いていたのだ。強硬手段に出てもよかったが、余計に反発するのは目に見えていたからな。搦手(からめて)を使わせてもらった」

「何を言うんですか、伯父上!」

「本当のことであろう? 前回など『今すぐ兄上の元に戻る!』と言い張って、私とお前の侍従がどれ程苦労したかわかるか?」

「それは……」


フィンが気まずそうに目を逸らす。だが、すぐに陛下に食ってかかった。


「ですが、伯父上に協力を求めたところで、国交問題に発展すると一蹴したでしょう?」

「まあ、そうだな。難しい問題だ。私は一国の王としてお前に肩入れをすることはできない。しかしだからといって、勝手な行動をとっていいわけではない。お前はやり方を間違えた。他国の、しかも公爵家の令嬢を攫おうとしたのだぞ? その所為で二人から散々怒られた。違うか?」

「……大人なんて信用できるか」


正鵠を得た陛下の言葉に、フィンがそっぽを向いて減らず口を叩く。

なんとも子供みたいな真似をするものだとフィンを見ていると、彼の隣にいたノアが「殿下!」とフィンを窘めた。

怒られたフィンは、渋々といった体で陛下の方に向き直る。

直後、陛下が口を開いた。


「だがな。お前のその気持ちはわからないでもない。私もエベラルドを助けたいからな。バハルド、聞きなさい。私からは無理でも冒険者ギルドなら手を貸してくれる。ギルドはどこの国にも属していない。むろん暗殺の依頼はだめだが、その逆ならなんの問題もなく受けてもらえるだろう」


そうだわ、ギルドという手があったわね。

あそこには腕の立つ冒険者が数多く在籍している。フィンの憂えは晴れそうだ。


だが、私の心配事は残る。

フィンたちに義理立てをする気も、お節介を焼くつもりもない。でもフィンたちの方は違う。権力を振りかざし、リディとの間を引き裂いてくる可能性だって十分にある。

ただでさえ、同意もなしに連れていかれそうになったばかりだ。ここは一つ恩を売って、余計な真似ができないようにするのが得策だろう。

瞬時に判断して口を開く。


「でしたら殿下、ギルドでは私とリディをご指名ください」

「『私とリディ』って、副団長は確かリオンと名乗っていたよな? ならティナ嬢は『ティナ』? 『ルティナ』?」

「まあ、殿下。おとぼけになるのがお上手ですこと。私の冒険者名と言ったら『ルディ』に決まっているではないですか」


今は冗談を言う場ではないのですよ、と淑女がするみたいにころころと笑って見せる。

すると、フィンとノアが示し合わせたかのように目を丸くさせた。今にも目が飛び出しそうだ。


「な、な……」

「お前ら、それどころじゃなかったから意識して見てなかったんだろ?」


リディの言葉は図星だったらしく、二人がこくこくと何度も頷く。

周りも見えないくらい皇太子殿下が心配だったのはわかるけれど、視野が狭いにも程がある。


アマーリエも私と同意見だったようで、呆れ気味に二人に言う。


「あなたたち、そんな調子で本当に国に帰るつもりだったの? だから作戦がうまくいかなかったんじゃない? 帰ったら帰ったで迷惑がられていたわよ、きっと」


アマーリエの手厳しい指摘に、さすがの二人も心を抉られたのだろう。大げさなくらいがくりと項垂れていた。

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