小説「華族と家族」あとがき
小説「華族と家族」のあとがきとなります
※注意※
最初に、『終節 月下美人』を振り返る、が始まります
以前と同様、お読みになりたくないという方は、本文中横線まで飛ばしてくださいますようお願い致します
また、今回の本編解説では、本編研究のみとなります
『終節 月下美人』を振り返る
◆本編研究
結城と結衣の二人が屋敷からいなくなったことで、染音は自らを見つめなおすこととなった。だが、最終的に気絶してしまうことで、染音は依然として弱弱しいことを改めて描写するとともに、侍女が抱きしめる行為は立場に囚われない人間らしさを感じさせる。直後の、染音自身の心の表れであり、染音もまた自責の念を持っていることを暗示している。
退院し、屋敷に戻った結城は、染音に抱き付かれ、それまでとは異なり、温もりを感じる。これは、結城が染音は成長したのだと感じていることを明らかにする一方で、染音と同様、結城も自らを見つめなおすとともに、自身は華族の一人であることから華族としての務めも果たさなければならないという責任を感じるきっかとなっている。また、神社へ赴く場面は、自然的表現を取り入れることで、物語の人間的な息苦しさを解消するはたらきをしている。
それまで、染音の心情を感じ取ることができていたのにも関わらず、結城は染音の表情からは分からなくなり、推測を試みる。それに続いて、結城と染音は噛み合わず、ついに喧嘩をしてしまう。結城を押す行為や侍女の手を払う行為から、染音が、大人である結城に甘えることに抵抗を感じ、結衣や結城の姿に憧れを抱いていることを示唆している。
直後の、軍病院からの連絡を受け入れられず、染音が少し意固地になっているように見えるが、最後の
「!・・ぁ・・」という台詞によって、染音は自分が子供であることを強く自覚しているのだと暗示する。
その後の結城の回想では、結衣の死体や死体に触れる結城が生々しく描写され、結城がまだ払拭できていないことを表している。だが、翌日の結衣の埋葬の場面では、土をかけてつく表現や地を固める行為によって、結城は気持ちの整理ができ、払拭したことを示している。一方で、染音の体調不良により、迎えに行くも、直ぐに別れる場面により、まだ染音とはかみ合わないことを再確認させ、直後の侍女との会話により、染音が自身の気持がまとまっていないことがうかがえる。
鷯との見合いの日、染音が薄い桃色の振り袖を着たことは、染音がまだ結城とやり直したいという気持を持っていることを表現している。式の前夜、扉越しに聞いた結城の言葉に、染音は安心するとともに、ここで結城に甘えてしまってはいけないという気持も暗示されている。また、見合いの時の染音の哀し気な目と、式中における、前を向く染音の澄んだ眼が、異なる漢字を用いて、対照的に描かれている。そして、この時に限り結城は染音に対して、美しい、という言葉を用いていることから、染音は既に大人になっているのだと結城が感じたことを強調している。
志布志家の屋敷における描写では、高級な家具や残雪、仕事に専念する侍女の言葉が、結城の屋敷とは異なり、華族の冷酷さを示唆している。更に、鷯の母の嫌味は華族としての義務を暗示している。だが、鷯やその愛犬である樰によって、その冷たい空間の中にも温かさがあることもうかがえる。
だが二人の女学徒、滌堂院と久城によって染音の生活は急変する。そして、染音の両目は失明してしまう。その後、物語は染音の視点で進行する。基本的に、登場人物の描写は性別や名前程度になり、色の描写は一切無くなっている。逆に、音や触感の表現が繰り返し用いられ、染音が感じた事が率直に描かれている。
また、染音の台詞については、それまで他の人物とは異なり、常用的な語のみに漢字が用いられていた。だが、神社で式を終えると、染音の台詞においても他者と同様に用いられるようになっており、染音が一人前の華族の女性となったことを表している。
小見出しの「月下美人」は、白い花のことである。甘く心地の良い、優雅な強い香りを放つことが知られており、花が咲く一晩しか嗅ぐことはできない。夜に咲き、翌朝にはしぼみ、二度と咲くことはない。また、花は同じ日に咲き、一年に一度、新月や満月の日にしか咲かないという俗説もある。そのような儚い花に与えられた花言葉は、「艶やかな美人」「儚い美」「儚い恋」「秘めた情熱」「強い意志」。結衣の覚悟、結城に対する想い、そして、散りゆくその命を、また、結城のもとを離れる染音の気持を、結城が一人になってしまうことを、表現するものとしてふさわしいと思い、小見出しに用いた。
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あとがき
はじめに、本作品をお読みくださり、ありがとうございます。
いかがだったでしょうか。
充分にお楽しみいただけたでしょうか。
それが最も心配です。
さて、本作品の執筆を始めたのは、二年ほど前、2017年の2月頃のことです。
それまで、全く小説を書いていなかったわけではありません。日常生活の中で、ふと思いついたシーンをもとに書き始めることが多々ありました。そのせいで、未完の作品、と言えばまだ響きは良いですが、たった数ページでやめてしまったものがたくさんあります。本作品もその一つに過ぎませんでした。
今回は最後まで書く、と決心し、珍しくノートに手書きで始めました。しかし、それまでと同様、数ページで内容に詰まり、放棄しました。気付けばノートもどこかに行ってしまっていたのです。
ですが、それから半年以上も経った九月のある日、部屋を片付けていると、偶然そのノートを見つけたのです。なんとなく、いつもの衝動的なものだろうと、半ば呆れて読み始めたのですが、数ページを読むとたちまち、何としてもこの作品を完成させたい、と強く思いました。
先に述べたように、衝動的に書き始めることが多々ある中で、本作品を除き、珍しく完成させた作品が二つあります。本格的に書くつもりが無かったということもありますが、この二作はいずれも何となく書き進めていきました。今読み返すと、そんな雰囲気を醸し出し、作品にまとまりが無いように自分でも感じます。
ですが、本作品はノートに残っていた数ページをもとに、一度全体像をとらえ、設定やあらすじを整理したのです(当然の作業だとは思いますが)。その後、続きを書き始めました。それでも、自分の癖で、詳細までは決めずに書いてしまったものですから、何度か矛盾が生まれてしまうことがありました。その都度、設定を見直し、あらすじも何度か変更しました。一度、最後まで書き終えることをまずは目標とし、書き上げました。そこから何度も読み直し、何度も添削を重ね、二年以上の年月をもって、先日漸く完成しました(小説の書き方として間違いだらけかもしれませんが、ご容赦ください)。
さて、本作品の完成までの経緯を話しましたが、本作品の内容について話しましょう。
本作品では、愛をテーマとしました。恋人愛、家族愛つまり親子愛や姉弟愛など、多くを組み込んだつもりです。少々くどかったでしょうか。自分でも、少ししつこいかな、と思いましたが、どうしても入れたいと思いました。
元来、純情ものが好きなんです。思いついたシーンをもとに書き始めるといいましたが、思いつくシーンというのは、恥ずかしながら、たいてい男女関係です。本作品も、華街で男が訳有りの遊女を抱き寄せる、というシーンが原点となりました。
それと、こんな事を言っては、作者なのにおかしいでしょう、と言われるかもしれません。
本作品に登場した彼ら彼女らは、全くの他人に感じるんです。
彼らが考えていることは、作品でも一部描写されていた通り、ある程度なら分かります。しかし、実際の所は作者でありながら、分からないんです。
「それはあなたが馬鹿だからでしょう」とか「構想を練るのが甘い」とか、そのような事を言われては否定できません。執筆をするには、力不足であることは重々承知しています。
それでも、彼らは確かに、生きているんです。鮮やかに、彼らの時間を過ごしていた、とそう思えてなりません。
最後になりますが、改めて、本作品をお読みくださり、ありがとうございました。
まだまだ素人ではありますが、今後とも活動を続けてまいりますので、よろしくお願いいたします。
小説本編だけでなく、あとがきまでお読みくださり、ありがとうございます
今後も、執筆し、投稿しておこうと思います
皆さんが、お気に入りの素敵な作品に巡り合えることを、祈っています