うろこ
ひいばあちゃんは、あまり足が丈夫でなくて、車椅子に乗っていた。しかし、とても長生きで、物知りだった。
特に海に詳しくて、ひいばあちゃんが“荒れる”と言ったときは必ず海がいつもと別物みたいに荒れ狂ったし、“大丈夫”といったときはつなみも何も来なかった。
そのばあちゃんも、去年亡くなった。
最後に会ったとき、やけに悲しそうな顔をしていたのを覚えている。
「業が深くて、ごめんなぁ」
と、彼女は言った。
意味はわからなかった。だが、最近これのことなんじゃあないかと、うっすら思い当たることがある。
「また、増えてる」
スカートからのぞく、足首からふくらはぎにかけて、キラキラと日に当たると輝く丸いものが点々としている。これで四つ目だ。左右どちらにも。これはどう見ても、
「うろこ、だよなぁ」
ひざ下までのストッキングを脱いで、そのキラキラを指で触れる。そこに、にゅっと影が差した。同じく人差し指で私のうろこをなぞっている。
「これ、固くなるのかなぁ?」
問いかけると、彼、天龍滿は「さあな」と言った。
「しかし綺麗なもんだな。俺のとは大違い」
彼は自らのあごをひと撫でする。私は彼の首筋に指を伸ばしあごに触れた。そこには、一枚の鱗がある。
「固いのね」
指を滑らせれば、彼はキュッと目をすぼませた。
「くすぐったいって」
「いいじゃない。おあいこよ」
言えば決まり悪そうに目を背けた。
「まあ、アレだな。俺はうろこ仲間が増えて嬉しいけど」
「人ごとだと思って。このままじゃあ、もうスカートはけないわ。今だってロングでぎりぎりだったのに増えるんですもの」
「いいじゃあないか、誰も見なくなっても、俺は紗江のうろこ見てやるよ」
「ばか」
幼馴染の彼は遠慮がない。彼との関係は恋人というにはちょっと遠く、それ以外というには近すぎる。
「ねえねえ」
「なんだ?」
「さっきのって、プロポーズみたいね」
「なんだって?」
「お前の足を独り占めしたいって言ってるようなもんじゃない」
あーとかうーとか言って、彼は顔を真っ赤にさせた。
「普通そこつつくか?」
「気になるじゃあないの」
してやったりと笑めば、彼はしどろもどろながら言った。
「俺はお前のこと好きだけど?」
これは意外すぎて目ん玉がこぼれんばかりに見開いてしまう。
「何? その顔」
「いやぁ、私も」
「え?」
「私も好きよ」
お互いにちょっと無言になってそれからプッと吹き出した。
それから数日、滿はあごが痒くて仕方ないと言った。そうして、ある日ぼろっと一枚だけ生えていた鱗が取れた。
「うろこ仲間って嘘じゃないの」
むくれてみせると彼はまあまあ、となだめてみせる。
「でも、うろこの跡はしっかり残ってるぜ?」
覗き込めば、確かにうろこ型のあざがあった。彼は外れた鱗をまじまじと見ている。
「こうしてみると、俺のうろこも綺麗なもんだな」
「そうね」
彼のうろこはうっすら紅みを帯びた玉虫色に輝いていた。
「捨てちゃうの?」
ゴミ箱を見ている彼に問いかける。
「だってどうするんだこれ?」
「しばらく持っていてもいい?うろこ仲間の証に」
「まあ、構わないけどよ」
受け取って、ポケットにしまう。物好きめと視線で言われながらも、どうしても捨てられなかった。これを捨ててしまってはいけない気がした。
「で?」
「で? ってなに?」
「お前のうろこは?」
「ああ」
私はズボンの裾をまくって見せた。そこにはびっしりとうろこの文様が浮かび上がっている。
「これ、いずれ足がくっついて尾っぽになったりして」
「それ、笑えないわ」
ちゃかした彼にジト目でつっこむ。悪りぃ悪りぃといいつつ悪びれないのが憎らしい。
そんな当たり前の日々が続くと思っていた。
それは、突然のことだった。残暑の中、大型の台風がやってきた。
夕方、避難警報が出て、お年寄りを誘導しながら順に移動する。しかし、予想外に水が上がるのが早すぎた。
避難所について私はやきもきしていた。滿の姿がないからだ。
その時、ひとりの近所のばあさまが、人に抱えられるようにして入ってきた。
「紗江ちゃん、大変よ。滿くん流されちゃったのよ」
「え?」
ごめんよぉと、そのしわくちゃな顔を歪めて泣く。どうやらばあさまを誘導していたらしい。
ゴロゴロと雷鳴が轟いていた。私は予感がした。止める人を振り切って外の見えるところまでやってくる。
私は見た。真っ暗な闇を稲光が裂いてそこに浮かぶ巨大な龍の姿を。
「呼んでいたの?」
思わず口からつぶやきがこぼれた。玉虫色の龍は上空を旋回し、それから遥か彼方へと昇っていく。
「滿!」
私は思わず叫んでいた。
彼は、死んでしまったのではないか。うろこを持っていた彼は本当は龍で、空に帰ってしまったのではないか。
私の中はそんな思いでぐちゃぐちゃだった。
避難所で一夜を過ごすが眠れない。すでに風の音は弱まり雨は止んでいるようだ。朝日が登って、私はなにげなく外へと踏み出した。
すると燃えるようにひざ下が熱くなる。どろりと溶けてしまいそうなくらいに。足に力が入らず、泡のようにその場にくずおれそうになる。今にも――足がなくなってしまう?
台風はすでになく、雲を龍が持ち去って行ってしまったかのような晴天。
——滿!
冷や汗を背中にびっしょりかき、何かにすがりたかった私は無意識にポケットの中の、彼のうろこに手を伸ばした。指先が触れ、握り込む。
すると、身体を襲っていた謎の熱は去り、私は固形物として残った。
あとで、着替えてびっくりした。私の足にあったうろこは消えていた。ああ、私は本当に人魚だったのかもしれない。滿はきっと龍だったのだ。あれから彼の姿は結局見つからなかった。私の手には彼の残したうろこが一枚。龍は己のつがいにあご下にある逆鱗を贈るという。それはとても希少でお守りになるとも。それが泡か人魚に戻る定めだった私を救ったのだ。彼のおかげで、私は人間になれたのだろう。
私は雨が降るたび滿を思い出して天をあおぐ。あの日見た玉虫色の龍を私は忘れない。滿は水神さんになったのよ。と言って回ると、かわいそうな目で見られるけれども、私は本気でそう信じている。