けだるい鳥かご
翼が欲しい。みゆきはよくそう思う。
その翼は、本当に空を飛ぶものである場合もあるし、ただ優しく温かく包み込んでくれる存在であることもあるし、あるいは天使のような超自然的な力が欲しいというイメージの象徴であったりもする。
しかし、現実には翼が手に入るはずもなく、地面をけって歩いて仕事場へ行くしかない。
みゆきの職場は、動物病院。斉藤院長の主催する斎藤動物病院。なんの捻りもない。そこに獣医師として勤務して5年、仕事のことはだいぶわかってきた。同時に、自分の力の無さも分かってきた。
斉藤動物病院は、院長の斉藤と、みゆきこと沢野美由紀、そしてみゆきより後に入ってきた看護師の宮田和子の3人のスタッフで回す小さな病院だ。ほとんどの日は穏やかに過ぎていく。小さな病気やケガを治し感謝される。難しい病気の場合は、より高度な医療をしている施設に紹介する。動物たちは、病院を怖がるのでそれほど懐いてくれるわけではないけれど、それなりに充実した毎日だ。
でも、とみゆきは思う。これでは私に翼は生えない。
大学を卒業したばかりの頃、やる気に満ち溢れ、どんな病気も対応して治し、緊急患者があればかけつけて見事に治療を成功させる。自身に満ちた説明と、その説明に飼い主は深い信頼を得て、動物の治療を任せてくれる。そんな獣医師像を描いていた。その理想像に近づこうと、頑張った時期もあったけれど、やる気は空回りして、頭でっかちと言われ、難しくないと思っていた病気が意外にこじれ、飼い主は不審な顔をする。親切にしているつもりが、距離感を測れないことにつながり飼い主さんの我儘はどんどんエスカレートしてくし、スタッフからも不満が出て板挟みになる。
そんな日々を過ごすうち、いつしか情熱が冷めていったことは、自分の心がしっかり知っていた。休みの日も、病院の事が気にならない。何かあれば院長が対処してくれるだろう。
治るものは治る、治らないのもは治らない。私が努力してもしなくても。悟りとも逃避ともつかない。気持ちの緩急の無い世界で漂っているのは楽だった。でも翼は飛んでいてしまった。私という体を置いて。穏やかでけだるい日を漂いながら、どうしようもない喪失感も同時にまとわりついてくる。
病院に到着し裏口を開けて入ると、いつもの臭い。朝は、僅かな消毒の臭いと、動物の排泄物の臭いがこもった空気が沈殿している。
入院している動物たちは夜間に排泄している事も多い。斉藤動物病院では夜間の循環看護はしていないから、夜間の排泄物は朝に処理することになる。入院舎に入ると、動物たちが一斉にみゆきの方を向く。軽症の動物は、朝ごはんの時間だと認識して、早くもパンティングをはじめ食事を要求する。
可愛いと思わなくはない。もともと動物が好きで選んだ仕事だ。でも、と思ってしまう。動物病院、は病院だからクリーンな仕事をイメージしていた。院内をさっそうと歩く自分。看護師に指示をだし、てきぱきと症例の処置を行い、見事包帯を巻きつけ、あるいは採血をする自分。その白衣は、光が反射するほどに白い。しかし現実は、動物たちの排泄物を片付け、ときに便を踏んだ足で白衣を汚され、あるいは威嚇してくる動物相手に、入院ケージ内のタオルを取り出すのに一苦労して、そこを拭いている時に猫パンチをくらいミミズばれとなる自分、だ。
卒業時には天にも駆け上がるつもりで飛び出したこの仕事は、やればやるほど地面に這いつくばることになるようだった。
こんなつもりじゃなかった。何よりこんなつもりじゃなかったのは、自分自身の情熱がこんなにも枯れていってしまうということだったかもしれない。
今日の診察も平和で、悪く言えば単調で、真綿で首を絞められるとはこういうことかななどという考えが頭に浮かんで消えた。次の子は、昨日から下痢、でも元気で食欲もある。これは病気ではないと経験が伝える。体調不良、人だって生きていればお腹の痛い日ぐらいある。いつもと違うということ全てに病名が付くわけじゃない。しかし、飼い主さんは心配しているのだし、もしかしたら大きな病気が隠れているかもしれないから話はしっかり聞くようにする。私の心は緩みっぱなし。どんよりとハンモックに揺れるように飼い主の言葉が頭の中で揺れている。
その次の子は咳。これも体調不良、咳ぐらい誰でも出る、現にみゆきも昨年3週間小さな咳が続いた。病名はもしかしたら付いたのかもしれないけれど、なんだか自然に治った。病名のつく病気だからといって、必ず病院で治さなくてはいけないわけではない。
と思いながらルーチンの動作で聴診をする。みゆきはわずかに眉根を寄せて、じっくり聴診に集中する。心雑音が聴取された。
これは、病気かもしれない。
心雑音があって、咳が出る。これは弱った心臓によって、肺に負担がかかっている可能性がある。急いで、しかし慎重に胸部レントゲンを撮る。肺野は真っ白。
肺水腫だ。肺水腫は、心臓が上手く血液を送り出せなくなったことで、行き場を無くした血が滞り、肺に圧力がかかって肺に水が溜まってしまう現象だ。例えるなら、陸地に居ながら溺れるようなものだ。かなり苦しい。
入院で集中した管理が生死を分ける。早急に酸素ケージを組み立て、利尿剤の注射をする。肺から水を出すためだ。犬は激しくパンティング呼吸をしている。少しでも多く酸素を取り込もうという本能だろ。
ああ、今日は帰れないな。と、いう残念な自身の声が聞こえる。夜間巡回看護をしていないこの病院では、重い症例を引き受けてしまった場合、自身が夜勤となり見守るという慣例になっている。はじめの頃は、全て院長が引き受けてくれたが、5年目ともなるとベテランとみなされるので、みゆきも夜勤を引き受けるようになっていた。それは自分の成長のあかしであるにも関わらず、憂鬱な気持ちになってしまう自分に軽蔑の念を覚える。けれど、あ~あ、なんで当たっちゃったんだろという気持ちを拭い去るほど強いものではない。
夕方の診察も終え、夜勤の時間に入ってくる。こういうことのために仮眠用の布団と、パジャマ用のシャツとパンツが置いてある。犬は、まだ苦しそうに呼吸を続け、身の置き所が無い感じで、ケージの中をうろついている。あまりよくない兆候だ。
誰かに任せてしまえたらいいのにというぐずぐずした気持ちのまま、しかし、義務的な気持ちで夜間の治療管理を続ける。
まずは利尿剤の効果を期待して、しばらく観察を続けていたが、あまり楽になった様子は見られない。しばらくすると、ついに赤い漿液様の液体を吐いた。肺水腫のかなり末期的な症状だ。みゆきの心拍が強く打ちはじめ、いつもぼんやりしている頭に血がめぐり、久しぶりに脳も呼吸をしているようだ。手早く、強心と利尿効果のある薬を調合して、静脈点滴を開始した。午前2時のことだ。
1時間後、2時間後、慎重に観察を続ける。犬は、必死に呼吸を続ける。苦しいのか、楽なのか一挙手一投足を集中して観察する。犬は、ケージ内をウロウロしたり、横になったりしている。それが状態が悪いのかどうかを見極めるのは非常に難しいから、その次のアクションまで観察し続けて判断する必要がある。そんな張りつめた時間が3時間続いた午前5時、ついに犬は座り込んで丸くなって寝始めた。丸くなって眠れることは、危機的な状況をひとまず通り過ぎた証拠だ。
血漿液様の液体を吐いた末期的な肺水腫は、かなりの率で致死的だ。それを自ら選んだ利尿剤や調合した薬、そして酸素ケージで乗り越えさせることができた。もちろん投薬は先人が作ったプロトコールがあり、みゆきが立案したものではない。しかし、それを学び知っていたことはみゆきの努力に他ならない。
冬の早朝はまだ真っ暗にもかかわらず、どこか薄明るい光と、体重がなくなったような浮遊感を感じる。大きな翼がみゆきの背中でゆっくりひらき、微風を起こしながら2回3回と羽ばたく感触をはっきり感じた。
宿直室に戻ると、冷えた空気と冷たくなった宿直用の簡易ベッドが、英雄を迎える王座の代わりに迎えてくれた。そこに体を滑り込ませると、現実の冷たい布団の感触が高揚しているみゆきの心にひんやり気持ちよく、いまだ心の中にあり続ける柔らかな翼はみゆきを包み込んで優しく眠りへいざなってくれた。宿直明けも通常の診察になるから、皆が出勤してくる8時までのわずかなまどろみの時間。
久しぶりに感じる翼。そう、私はこういう翼をもった獣医師になりたかったんだ、と、卒業したばかりの自分を思い出す。翼に包まれるのはこんなに気持ちがいい。私の翼で犬や猫を包み込みたい。そうだ、明日からもやっぱり頑張ろう。気張りすぎずふわりとそう思った。