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第五話 銀色のアイツ

ばたん

後ろ手に自室のドアを閉めた。

電気もつけずにベッドに腰掛ける。

「ふぅ」

考えているのは、さっきのこと。

『なんていうかさ、あの、俺も優子のこと好きだけど、優子には幸せになってほしいって気持ちのほうが強いからさ』

アッキーは私が徹先輩と付き合い始めたと勘違いしていた。

でもね、違うんだよ。

あれはアッキーの勘違い。

アッキーにだけは勘違いされたくなかった。

アッキーは……私の、好きな人だから。

ふと向かいの窓を眺めると、ちょうど電気がついて、カーテンの隙間から光が洩れてきた。

「アッキー…………」

私だって、アッキーと同じ気持ちなんだよ。

私は、アッキーのことが好きで好きで。

もちろん、付き合いたいっていう気持ちはある。

アッキーの彼女になりたいし、アッキーとデートだってしたいし、アッキーと恋人らしいこともしてみたい。

だけど、それ以上に、アッキーには幸せになってもらいたい。

だから……ごめんね。

私、アッキーの気持ちには、応えられない。

応えちゃいけない。

ほかの誰よりも、好きだからこそ。

一番に、幸せになってもらいたいからこそ。

私と恋人同士になったら、不幸になってしまうから。

だって、私は。

私は……

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「おっはよーっ」

「うわあっ!?」

突然の大声に、俺は文字通り飛び起きた。

「ほらほら、遅刻しちゃうから早くしてよねっ」

俺を起こしに来た優子は、そう言ってとびきりの笑顔を浮かべ、元気よく部屋を出て行く。

……なんだあれ?

やたらと機嫌がいい。

昨日の今日で、なぜあんなに明るく振舞えるのだろう。

俺なんかは、朝どんな顔して会えばいいのかわからず、昨夜はなかなか寝付けなかったというのに。

それとも、優子は昨日のことなど何とも思っていないのだろうか。

「……それはなんか悲しすぎるぞ」

とにかく遅刻はまずいので、急いで着替えることにした。

 

「おっはよーっ」

教室に入った途端、優子が声を張り上げて挨拶する。

「……お前、元気だよなぁ」

「何よ、アッキーが元気なさ過ぎるのよ。もう、定年迎えたおじいさんじゃないんだからっ」

バンッ

「いてっ」

思いっきり背中を叩かれた。

……頼むから、手加減してくれ。

「よう、お二人さん」

「おはよ、賢人くん」

「おう、賢人」

「秋彦は相変わらず尻に敷かれてるのか?」

「はいはい、バカはほっときますよー。……あ、おはよー、まりりん、さゆっち!」

優子は、よく一緒にいるクラスメイトのところへ行く。

賢人は呆気に取られたように、ぼーっと優子の背中を眺めていた。

「……なぁ」

「うん?」

「優子ちゃん、何かあったのか?」

「……いや、特に聞いてないけどな。何で?」

告白してしまった、という事件はあったが、あまり言い触らすようなことでもない。

だから俺は、茶を濁しておいた。

「優子ちゃん、妙に明るいっつうか、空元気っぽいっつうか、とにかく変じゃないか?」

「…………」

「ま、いいけどな」

賢人は肩をすくめ、席についた。

 

「ああ、江藤君、ちょっといいかな」

「あっ、徹先輩」

「昨日のことなんだけど……」

「とーおーるっ、帰ろっ♪」

「うわっとと……」

徹先輩に、沙耶先輩が後ろから抱きついた。

「あ……」

そして徹先輩越しに俺と目が合うと、恥ずかしそうに離れた。

「……ええっと」

「昨日、優子から全部聞きました」

「あ、ああ、そうなんだ。それはよかった。……俺たち、付き合うことになったんだ」

「はは、一目瞭然ですけどね」

「はぁ〜、恥ずかしいとこ見られちゃったな〜」

沙耶先輩は顔を赤くしながら、まんざらでもなさそうだ。

「……ところで、優子ちゃん今日変だったけど、どうしたの?何かあった?」

「昨日のことで、ケンカでもしたか?それだったら、俺も謝らないといけないな」

「……やっぱり、変だと思いますか?」

「……?」

二人は不思議そうに顔を見合わせた。

「変っていうか……」

「…………」

俺は、この二人の、というか徹先輩の恋路について知っている。

この二人になら、話してもいいかもしれない。

「あの……俺、昨日、優子に告白しちゃったんです」

「ええっ?」

そしてその返事は……

聞かずに逃げ出したんだ。

「たぶん、それが原因なんじゃないかと……」

「それ、ちょっとおかしくない?」

「え?」

「なんで、告白されて無理矢理明るく振舞う必要があるの?」

「俺もそう思う。優子ちゃんのあれは……苦しんでるのを周りに知られたくないような、そんな態度だって気がする」

「だから、俺の告白が苦痛だったんじゃ……?」

なんだか自分で言ってて悲しくなってきたぞ。

……俺の気持ちが、優子にとっては苦痛だったなんて。

「それはないわ。私の見る限り、優子ちゃんも江藤君のこと、憎からず思ってたように見えたからね」

「んー、俺から見てもそうかな。仮に好きじゃなかったとしても、告白されて苦痛に感じる相手じゃなかっただろうな」

「……つまり、優子は今苦しんでいるのは確かだけど、その原因は俺の告白ではない、ということですか?」

「ああ。加えて、その苦しみは他人に知られたくないもの、かな」

どういうことだろう。

優子が他人に知られたくないこと。

そんなもの、皆目見当もつかなかった。

先輩たちと別れ、一人帰路につく。

昨日の夜、俺が謝ったときには、優子は特に変わった様子はなかった。

そして今日の態度。

それを考えると、やはり俺の告白が関係しているとしか考えられない。

……いや、もしくはあのあと、家で何かあったのかもしれない。

両親が大ゲンカしたとか。

いや、大ゲンカなんかすれば隣のウチまで聞こえてくるはずだし、そもそも優子の両親はすごく仲がよく、滅多なことではケンカなんてしない。

ならば、親に叱られたとか。

しかし、優子が親に叱られたくらいで苦しむだろうか。

それに、そんなことが『知られたくない苦しみ』に当てはまるだろうか。

わからない。

こんなに長い付き合いだというのに、俺は優子のことを何一つわかっていなかったのか。

「うぅ〜ん……」

「相当、悩んでいるみたいだね」

「えっ?」

突然聞こえてきた、涼やかな声。

年長の者が持つ、特有の落ち着きを孕み、そしてなお若々しい生気をも感じさせる、耳に心地よい声だった。

振り返るとそこには……

誰もいなかった。

「あ……あれ?」

幻聴?

「幻聴などではないよ。僕はここだ。足元をごらんよ」

足元にはキツネがいた。

日が沈み、暗い夜道にぼんやりと浮かび上がるその毛並みは、神秘的な銀色。

ぴんと立った耳は、辺りを警戒しているのか、ぴょこぴょこと動く。

ゆらゆらと揺れる毛足の長い尻尾は、月明かりに照らされてきらきらと輝く。

俺を見上げる青玉サファイアを湛えた双眸には、人類を凌駕するほどの英知を思わせる。

「やあ、初めまして。……いや、また会ったね、のほうがいいかな?」

キツネが喋っている。

そんな異常な現象が目の前で起こっているというのに、まったく驚かない自分に驚いていた。

このキツネは、『普通じゃない』ことが自然に思えた。

「ヒトの言葉で話をするのは今日が初めてだけど、僕たちはすでに会っているよ。……二回、ね」

二回も?

「あっ……!」

「思い出したかい?」

いつかの商店街で。いつかの教室で。

「ああ、あのときの」

「……一応言っておくけど、僕は油揚げをくすねたりはしてないからね」

根に持っていたらしい。

「それより……悩んでいたのかい?優子さんのことで」

「……よく、わかったな」

「…………」

キツネは黙り込んだ。

「優子はさ、何か苦しんでるみたいなんだ」

「…………」

「俺は、何とかしてやりたい」

「……何とか……?」

「ああ、俺が何とかしてやらなきゃいけないんだ」

その言葉は、キツネに向かってではなく、自分に言い聞かせるように。

諦めかけていた自分を、奮い立たせるために。

「……君に、何がわかるんだい?」

「えっ?」

「君は何も知らない。彼女の真意も、苦しみも」

口調も、声も、表情も、視線さえも。

キツネの物腰は、依然として柔らかいままだ。

にもかかわらず、その言葉は、非友好的なもの、敵意とさえ呼べるものを纏っていた。

「……まるで、自分は何かを知っているかのような言い草だな」

「知っているよ。彼女が苦しんでいる理由も、なぜそうしなければならなかったのかも……」

「そ、それって、何なんだ?」

「それを君に教えるつもりはないよ」

「なっ!?ど、どうしてっ?」

「…………」

だんまりを決め込むキツネに、腹が立ってきた。

「おいっ、答えろよっ」

「……君は、彼女の気持ちを考えたことはあるかい?」

「……優子の、気持ち……?」

「彼女は優しい人間だ。とても、ね」

「……どういう意味だ?」

「そのままの意味さ。……そして、それゆえに、苦しんでいるんだよ」

「…………」

優子が優しい?

それゆえに苦しんでいる?

……確かに、優子が優しいのはわかる。

素直じゃないことはあっても、意地を張ってしまうところはあっても、常に周りのことを気にかけている。

でも、それがなぜ苦しむことに繋がるのだろう。

「彼女が苦しんでいる理由を知れば、君はそれを解決しようとする。そして……それが、さらに彼女を苦しめる結果となる」

「何で、それが優子を苦しめるんだよっ」

「お互いを大切に思うがゆえに、隠しておきたいことっていうのも、あるんだよ。君が危険に晒されることになるのを、彼女は恐れている」

「……だから教えない、か」

優子は、俺に相談してこない。

俺を危険に晒す可能性があるから。

だから、一人で抱え込もうとしているんだ。

だけど、俺だってこのまま見て見ぬふりをしているつもりはない。

優子に話を聞いてみよう。

まずはそれからだ。

「……いい顔をするじゃないか。何か決心したのかい?」

「ああ、やっぱり優子のことは俺が何とかしてやるんだ」

「そうかい。それなら、僕ともまた会うことがあるかもしれないね。……じゃあまた」

キツネはくるりと踵を返し、夜道を歩いて行った。

携帯を取り出し、時間を確認する。

19:27

「よしっ」

この時間なら、優子は部屋にいるだろう。

俺は、全速力で家に帰った。

 

こんこんっ、こんこんっ

がらっ

「どうしたの?何か用事?」

窓を叩くと、すぐに優子が顔を出した。

「優子、何か悩んでるんだろ」

単刀直入に切り出すと、優子は驚いた顔をした。

「え……?あ、あの、アッキー、えと、どうして?べ、別に悩んでなんか……」

「ああ、そっか。悩んでるんじゃなくて、苦しんでるんだよな」

「…………」

優子が黙って俯く。

それは、何よりも肯定の意味を持っていた。

「それを俺に言えないのは、危険な目に遭わせたくないから、だろ?」

「…………ぅして」

「えっ?」

優子の声は震えて弱々しく、聞き取れなかった。

「……どうして……そう、思うの……?」

「……さっき、キツネに会ったんだ。そいつと話をした」

「…………そっか」

優子は観念したように顔を上げた。

「でも、何もしないで。アッキーを殺さなかったのは、私の意志だから。だから……仕方ないの」

「えっ!?」

今、何て言ったんだ?

俺を……殺さなかった、ってどういう意味だ?

「……どうしてそんなに驚いてるの?」

「そりゃ、お前……」

言いかけて、気付いた。

優子は、俺がキツネからすべて聞いたと思ってるんだ。

それなら、このまましらを切れば知りたいことはすべて聞きだせるだろう。

だけど。

「……俺、キツネからはほとんど何も聞いてないんだ」

「えっ……」

「悪い」

「…………」

「聞かせてくれないか?俺……今の優子を見てるの、辛いんだ」

「…………はぁ〜……わかった。話してあげる」

優子は諦めたように笑った。

でも、その笑顔には、どこか嬉しそうな色が滲んでいる。

「ここで話すってのもなんだから、少し歩かない?」

「ああ、わかった。……じゃあ下で、な」

「……ねえ、アッキー」

「ん?」

「さっき、あのまま適当に話合わせてれば全部聞けたんじゃない?どうして、わざわざ……?」

「……優子を、騙したくなかったんだよ」

「騙す……?」

「優子を助ける立場の俺が優子を騙してちゃ、優子が可哀相だからな」

そう。

優子を助けたいんだ。

優子に、心から信頼されて、『俺が何とかしてやる』って胸を張って言いたい。

そのために、優子には隠し事をしないで、しっかりと向き合いたい。

「……ふぅん」

「……別にいいだろ、何だって。それより、寒くない格好して来いよな。夜はまだ少し冷えるぞ」

「うん、ありがと」

そう言って、俺たちは一度別れた。


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