第一話 出会いの季節
執筆後に気付いたのですが、秀明学園という名前の学校は実在します。が、本作品はフィクションであり、当然何の関係もありませんので御了承ください。
「宇佐美賢人君」
初めて聞く名前が呼ばれ、前の席に座っていた人が教室の前へと歩いていく。
校門から続く満開の桜並木。
伝統ある旧校舎と、最新設備の整った綺麗な新校舎。
小高い丘の上に建つ、第一志望の学校。
今日から俺は、この学校の一員になった。
4月6日、秀明学園高等部入学式。
教室の前に出た宇佐美君という人物は、人気のお笑い芸人の芸風で自己紹介をした。
教室中がどっと沸く。
彼は緊張という言葉とは無縁なのだろう。
俺は、彼が羨ましくなった。
宇佐美君が席に戻る。
次だ……
鼓動が早くなっていく。
たかだか40人程度のクラスメートに自己紹介をするだけなのに、こんなにも緊張してしまう自分が嫌になる。
「江藤秋彦君」
俺の名前が呼ばれた。
俺は緊張を悟られないようにゆっくりした動作で立ち上がり、余裕ある風を装って前へと歩いていく。
「江藤秋彦です。よろしくおねがいします」
それだけを言って席に戻る。
宇佐美君以外の人が言ったのとほぼ同じ内容の自己紹介。
印象に残るはずがない。
俺は、どちらかというと真面目で、人見知りで、目立たないほう。
成績そこそこ、運動神経は人並み、身長は低いほうだし、顔がいいわけでも特技を持っているわけでもない。
つまりは、平凡な一生徒なのだ。
だから、当然高校生活も平凡なものになると思っていた。
が、その予想はあっという間に崩れ去ることになる。
このときの俺にそんなことがわかるはずもなくて。
運命の足音は、すぐそこまで迫って来ていたんだ……
「アッキー」
呼ばれて振り返る。
そこには見知った顔があった。
「……何?」
「あー、なんか冷たい」
森田優子。
家が隣で、物心つく前からの付き合いだ。
人見知りをする俺にとっては気兼ねなく話せる数少ない友人であり、彼女と同じクラスになったことは幸運だったといえるだろう。
「せっかく友達の少ないアッキーがヒマしてるだろーなーって思って、可愛くて優しい優子さんが話しかけてあげたのに」
「ははは、冗談は顔だけにしてくれ」
「ああ、超失礼なこと言ってるし!」
軽口を言って笑い合う。
いつもと変わらない光景だった。
「お、もしかして彼女?」
突然前の席から声がかけられた。
「いやー、お熱いこって。愛のチカラで受験を乗り越えたってやつか?」
「べ、別にそんなんじゃないわよっ!っていうか、人の会話を立ち聞きなんて、いい趣味してるじゃない」
「立ち聞きじゃない、座り聞きだっ!」
確かに、座ってはいるな。席が俺の前だし。
「そ、そういうことじゃなくてっ……」
「まあまあ、カタイコト言いなさんなって。俺、宇佐美賢人、よろしくなっ!」
そう言って右手を差し出す。
やたらと爽やかだ。
「あ、ああ、俺は……」
「秋彦君だっけ?確か」
差し出された右手を握りながら名乗ろうとしたところで、先に言われる。
というか、苗字ならともかく、名前のほうを覚えていたとは。
「覚えてくれたんだ。そう、江藤秋彦」
「席が前後のヤツくらいは覚えるだろ?」
「ふーん、じゃあ私の名前は覚えてないと?」
優子がいたずらっぽく笑いながら言う。
だが、宇佐美君は笑顔で返した。
「優子ちゃんだろ?」
「えっ?」
二人同時に驚く。
「ふっふっふ、俺を甘く見るなよ?このクラスのみならず、学園中の可愛い女の子はすでにチェック済みよ」
学園中って。
入学式が終わって間もないというのに、なんという早業。
呆れると同時に、その行動力が羨ましいとも思ってしまう。
「……コイツが可愛いって?」
「……何か言ったかしら、アッキー?」
「いえ、何も言っておりません」
不穏な睨まれ方をしたので、ごまかしておく。
「あっはっは、面白いやつらだ。とにかくよろしくな。俺のことは、賢人、でいいから」
昼休みを挟んで、午後は部活紹介の時間となった。
何も入学式の日にやらなくてもいいのに。
俺は、特に入りたい部があるわけではなかったので、興味のない暇な時間となってしまっていた。
「我々剣道部は、昨年の地区予選を突破し、そして……」
剣道部部長と思われる人が説明をし、ステージ上では部員が打ち合いをしている。
部長はかなり綺麗な人だ。
「あの人もチェック済みなのか?」
何気なく隣の賢人に尋ねてみる。
「気になるのか?」
賢人は意味ありげに笑う。
「別にそういうわけじゃないけど」
「ふーん?チェック済みというか、あれは俺の姉貴だ。美人だろ?」
「へぇ」
「何だ、つまらない反応だな」
「どう反応してほしかったんだ?」
「そりゃお前、俺もそう思うぜ我が義弟よ、とか」
「あっそ」
「まったく、そんなことじゃ一流の芸人になれないぞ」
「なる気ないし」
賢人はやれやれというように肩をすくめた。
「まあ、俺はあとで剣道部の体験入部に行くから、そのとき紹介してやるよ」
「俺は剣道部に入るつもりはないぞ」
「まあそう言うな。美人部長に手取り足取り教えてもらえば気も変わるって」
「いや、変わらないから」
「いやいや、変わるって」
「いやいや、変わらないって」
「いやいやいや」
「いやいやいやいや」
「いやいやいやいやいや」
「……不毛だ」
「ふっ、勝ったな。やはりお前には剣道部に入ってもらう」
「……もういいよ、何でも」
こうして、強引に押し切られる形となった。
「あーねきっ♪」
「あら、賢人?邪魔しに来たの?」
部長さんが不思議そうな顔をした。
「邪魔って……。体験入部だよ」
賢人が苦笑する。
「女子部部長の宇佐美亜希よ。よろしくね」
「あ、江藤秋彦です」
「私は森田優子です」
俺の横の優子が言う。
というか、なんで優子までついてきたのだろう。
「俺は宇佐美賢人です」
姉弟なら自己紹介はいらないだろう。
脳内でツッコミを入れておく。
「二人とも、よろしくね」
亜希さんは賢人の冗談をスルーした。
「ちょ、ちょっと姉貴……」
「あら、いたの、賢人?」
可愛らしく小首を傾げてとぼけた。
「姉貴、そのやり方で一体何人の男をたぶらかしたんだ?」
「失礼ね、まだ一人もいないわよ」
「まだ、ときましたか」
「そう、まだ、よ」
すました顔で答えた。
「仲いいんですね」
優子が感心したように言う。
「姉離れできなくて困ってるの」
亜希さんは困ったように言うが、実際はまんざらでもなさそうな顔をしている。
「ふっふっふ、俺のシスコンは中学でも有名だったぜ」
「なるほど。お前はシスコンだったのか」
「ふふっ、今でもお風呂一緒に入ってるもんねー?」
「ええっ!?」
俺と優子の声が見事にハモった。
「嘘教えるのはやめてくれ」
賢人は呆れたように言う。
「あら、ホントにしてもいいのに」
冗談だか本気だかわからない顔で亜希さんが言う。
さすが姉だけあって、賢人のあしらい方をよく心得ている。
「んじゃ、俺は着替えてくるよ。キミタチは体験入部を楽しんでいってくれたまえ」
「まるで既に部員であるかのような言い草だな」
「俺は経験者だからな」
納得できるような、そうでもないような理由だ。
どうやら賢人は中学で剣道をやっていたようだ。
言われてみれば、竹刀と思しき細長い布袋を持っていた。
賢人はそのまま更衣室に消えた。
「それじゃ、体験入部ね。今日はそんなに激しいことはしないから、制服のままで大丈夫よ」
そう言って、剣道場の中へと入っていく。
「じゃあ、まずはこれを使って竹刀の振り方から。徹くん、沙耶ちゃん」
亜希さんが二本の竹刀を差し出し、近くの部員を呼んだ。
「新入部員の指導、お願いしていい?」
「あ、はい、わかりました」
「お任せください、部長」
二人は快く引き受けた。
部長は他の部員と練習試合をするようだ。
「美人の部長に教えてもらいたかったかもしれんが、大会が近いんだ。ここは俺たちで我慢してくれ」
「ちょっと、それって私が美人じゃないって言いたいわけ?」
徹くんと呼ばれた人の言葉に、沙耶ちゃんと呼ばれた人が返す。
「ははは、沙耶は面白いことを言うね。どう見てもその通りだろう?」
「一回死ね!」
「ぼげらっ」
沙耶さんが持っていた竹刀を徹さんの脳天に振り下ろす。
徹さんは謎の悲鳴を上げて沈み、動かなくなった。
い、痛そう……
「さて、それじゃあ握り方からね。右手は柄の一番上、鍔につけるように、左手は柄の一番下を握って」
沙耶さんが言いながら実演する。
それを真似て握ってみる。
「それを真正面に構えて、左足を少し引くの。これが基本の構えね」
沙耶さんの構えには、今にも打ち込まれそうな迫力があった。
俺たちも真似てみるが、そんな迫力は出ない。
きっと、これが経験者と初心者の違いというものなのだろう。
ちらりと向こう側を見ると、賢人が着替えから戻ってきたところのようだ。
素振りを始めた賢人の構えには、沙耶さんと同質の迫力があった。
「竹刀を真っ直ぐに振り上げて、真っ直ぐ振り下ろす」
沙耶さんはゆっくりと振っているが、その竹刀には大きな力が込められているように見えた。
これは、やってみると意外と難しい。
ゆっくりでも、振った勢いで体がふらふらしてしまう。
振り下ろしたところでぴたっと止めるには、結構な筋力がいるようだ。
「今日の課題は、これを真っ直ぐ打つこと」
沙耶さんが取り出したのは、ピンポン球だった。
……結局、その日の練習中にピンポン球を真っ直ぐ打つことはできなかった。
「……なんか成り行き任せで剣道部に入部することになっちゃったなぁ」
「俺の美人姉貴に会えたんだからいいだろ?」
帰り道、なんだか不思議な気分だった。
大会の近い剣道部は特別に下校時刻を越えての練習が認められているらしく、上級生たちはまだ練習している。
新入生三人での帰り。
剣道部に入るつもりなんてまるでなかったのに、既に一員として認識されている。
まあ、入りたい部があったわけでもないし、かまわないか。
「それにしてもピンポン球の練習は難しかったなぁ。全然できなかった」
「お前、ニブすぎるんじゃないか?」
「そうよ。私なんかすぐできるようになったんだから」
「運動神経が異常にいいお前と一緒にするなよ。俺はフツーなんだから」
「私が普通じゃないとでも言うのかしら?」
「いえいえ、そんなことはまったくぜんぜんこれっぽっちもありませんです」
ぐっと握られた拳に身の危険を感じ、すぐに否定しておく。
根拠なんてないけど。
なんとなく、今までとは違った学校生活が始まるような気がしていた。
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