4-5
「まったく、キミは本気なのかい? このボクにサルティナが再び国内に潜入してきたと教えれば、どうなるか分かっているのだろう」
主席メイドとかごく一部の限られた人間しか入出することを許されていない七美の寝室。
羽津香は、いつものメイド服を着ていて、七美は室内着と少しばかりラフな格好でいる。
「ええ、七美はきっと騎士団を総動員してでも、サルティナであるプリセマリーを殺しにくるのでしょうね。サルティナの持つ、危険性から、国民の皆様をお救いするために」
「ああ。その通りだ。それが、国王の勤めだからね。分かってくれていて、ボクは嬉しいよ」
二人は、寝室のベランダに立って、寝静まっている城下町を見下ろしている。
まだ日が昇る前だけあって、城下町に灯されている光はごく僅かだけだった。
でも、ここから見下ろす光景には、人々の息吹がいつも感じられる。
善人も、悪人も、動物も、サルティナも、みんなが生きている世界が、羽津香が見ている光景に拡がっているんだよね。
「でも、羽津香はボクの考えに共感してくれないのだろう」
「はい。羽津香は、清風を知ってしまいましたから。七美の封印から、清風が解き放たれたその日、世界中の皆さんが清風を迎え入れてくれる。そんな明日を作っていきたいのです。だから、七美とは考え方が根本的に違っているのですよ」
風が吹いている。
城下町に………この国に………この世界に住む、色々な人たちの想いを乗せて、届けてくれる優しい風が、吹き抜けていく。
気持ちの良い風だった。
でも、風は誰にだって優しいわけじゃない。
時には自然の驚異として吹き荒れ、無差別に人々に襲いかかることだってある。
世界に吹き荒れる風は優しいだけじゃない。
エデンである清風に吹き付けてくる世界の風当たりは、まさに清風という存在を吹き飛ばして、壊してしまうのでは無いかと思うぐらいに激しいものだったよ。
「いつ聞いても、思うことだが、それはとんだ夢物語だね」
「はい。夢だから、叶えるために一所懸命に努力をしているのですよ」
世界を破滅に導くと伝承され、世界中から忌み嫌われているエデン。
そんなエデンである清風を世界中に認めさせるなんて、それこそ歴史を変えてしまうぐらいの出来事なんだと思う。
普通にしていたら、絶対に叶うはずのない夢物語。
みんなは羽津香の話を聞く度に鼻で笑う。
でも、どれだけ、馬鹿にされようとも、羽津香だけは、笑顔で、まっすぐに世界を見つめながら、清風は友達だって、言い続けている。
「………まったく、キミのそう言うポジティブさは、好きなのだけどね」
「羽津香も、サルティナを無差別に殺そうとする所以外は、七美のことが好きですよ」
「ふん。そこだけは、このボクも譲るつもりはないから、ボク達の溝は埋まらず、ボク達が交わることは出来ないのかもしれないね」
「溝があって交われなくても、お互いに手を伸ばし合えば、握り合うことは出来ると、羽津香は思いますよ」
そう言って、躊躇うことなく七美に右手を差し出した。
例え、嫌いでも、許せなくても、羽津香達は手を握りあることが出来る。
七美は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、三秒間は羽津香が差し出してきた手を見つめて………明後日の方を向いてしまった。
月明かりで薄暗いからよく見えないが、顔が朱色に染まっているように見えた。
「七美。手を握りあることが出来ないのなら、それでも良いです。でも、それでも、一つだけ教えて下さい。彼、アクトリスは今どこにいるのです?」
またしても風が吹き抜けていった。
今度のソレは、心までも凍てついてしまいそうなほどに冷たい風だった。
頭の芯から凍えていって、体の奥にまで寂しさが染み渡ってしまいそうな風だった。
「なるほど。ボクの元に戻ってきたのは、それが目的だった訳だね。彼の技術なら確かに、今危篤状態であるらしいイフエティーを救える可能性があるかもしれないね」
七美がこっちを向いてくれたが、差し出している羽津香の手は握り替えしてくれなかった。
「でも、残念だけど、ボクも彼の行方を捜している所だよ。例の研究室の事件の際、研究室崩壊のいざこざに紛れて、彼は行方を眩ましてしまってね。目下の所、騎士団が全力で捜査中という所だよ」
「………そうなのですか……例の事件の後、七美が彼を拘束している事を期待していたのですが………」
「残念ながら、ご期待には添えずだよ。でも、彼について多少は調べてみたが、なかなかのくせ者のようだね。元は王宮施設で、サルティナの研究をしていたみたいだが、その時の研究論文は、見ていると、吐き気が出てきそうだったよ」
まさに汚物を見ているかのように、七美が顔を歪めている。
「何だったのですか、その研究論文というのは?」
「サルティナと人間の融合についてだったよ。それも、キミに語っていたようにサルティナの一部を人間に移植するのではなく、サルティナという人間を超越した存在と人間が完全に融合することによって、新人類を産み出すという、まさに悪魔の如き所行の研究成果だったよ」
人間とサルティナの融合。
もしも、それが実現できたとしたら、まさに七美が言っていたようにその人は、エデンへの孵化の可能性がなくなった新人類として世界に名を残すことになるかもしれない。
「まったく、あのアクトリスという奴は一体なにがしたいと言うのだろうね。ボクには、想像も出来ないよ」
もう一度、七美が肩をすくめた瞬間、それは起きた。
視界の片隅で何かが煌めいたかと思うと、頭の芯がから揺さぶられるほどの音が鳴り響いてきた。
慌てて、音のした方へ向くと、寝静まっていたはずの城下町の一部で炎が大きく揺らめいていた。
「………火事なのでしょうか?」
「結果としてはね。でも、あの音を聞いただろう。あれは何かが爆発した音だ。そして、キミは気づいているかい。今まさに火の手が上がっている場所は、イフエティーが入院している病院の近くだ」
「これは………ただの偶然なのでしょうか?」
「どうだろうね。偶然にすれば、できすぎている気がする。ネズミが我慢しきれずに、ついに動き出したのかもしれないね」
そう言うなり、七美はベランダの手すりに飛び乗った。
「国王陛下自ら、行かれるのですか?」
答えは分かり切っているけど、嫌みを込めて羽津香が聞いてみる。
「今は就寝時間で、国務はないからね。国王としてではなく、ボク個人として行動させてもらうよ」
言うなり、足の裏に風の力を生み出した七美は、ベランダを一蹴り。
風の力にさらに加速された国王陛下は、一瞬で姿が見えなくなってしまった。
「って、羽津香も行きますから、置いていかないで下さいよ~~」
慌てて羽津香もベランダを乗り越えていく。
腕に風の力をためて、七美同様に一気に体を加速させて、向かうは、イフエティー達が待っているはずの病院だ。




