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02-1

 腹の底にやりきれなさをたたえながら、レミンは足早に大広間へ向かう。

 一歩を踏み出すたびに、アーニキの話が胸にこみ上げてくる。

 二年前、辺縁の姫君がフィザーンに来て数日後のこと。あらためて貴族へのお披露目があった。このとき既に、彼女は打ちのめされたように暗い表情をしていたという。

『だってほら、陛下は容赦のない御方だから』

 王は、ままならない女性に平気で手を上げると聞く。辺縁の姫君が王に激しい抵抗をしただろうことは、深く訊かなくとも明らかだ。

 王は辺縁の姫君を自慢し、どこへ行くにもそばに置き、毎晩のように部屋を訪れた。

 その訪いが重なるにつれ、逆に彼女からは表情が消え、時に殴られたのか痣や怪我を作ることがあった。

(『容赦のない御方』で片付けられるとでも? それで納得していたと?)

 部屋に集う人々はきらびやかに自らを飾りたて、それぞれの話に夢中で先を急ぐレミンのことなど構いもしない。

 辺縁の姫君が来てしばらくして、彼女に月の訪れがあったという。

 女性の誰にも月に訪れるものはある。血潮がいずこかより現れ、いずこかへと流れ去る、波のようなものが。

 ただ、それだけのはず。

 けれど。

『ひどく下腹部が痛むらしくて、あまりの痛みに気を失ってしまわれることもあるそうよ。月の半分近く寝込まれることもあるみたい。まぁ、わたくしにもよく判らないから、レミンにはもっと理解不能でしょうけど』

 月の痛みに伏せる公爵は、軟弱であると受け取られたらしい。

『最初こそ陛下も気遣っていらっしゃったようだけど、次第に……ね』

 ただでさえ、辺縁の姫君は王に対して反抗的だった。

 リュシアン公爵として皆からもてはやされながらも、彼女は周囲を拒絶し続けた。身分を問わず誰に対しても「ここから帰して」とすがり、「あのひとから逃がして」と泣きついてくる。

 あのひと、とは王のことに他ならない。

『誰がそんなこと聞き入れられる? 言われたほうも、困るだけでしょう?』

(それでも……!)

 なにかはできたはずだ。

 レミンは人々の間を泳ぐようにして、大広間へと戻った。

 大広間ではダンスが始まっていた。踊る男女を取り巻くようにして、和やかな談笑に人々は興じていた。

 辺縁の姫君は、すぐに見つかった。

 どこに行くでもなく、ただぼんやりと先程と同じ場所に立っている。

 たった独りきりで。

『陛下だけじゃなく、まわりも自然に公爵から離れていったわ』

 周囲が関心を無くしていく日々を重ねるうち、辺縁の姫君の生気はなくなっていった。口数も減り、自分の内に閉じこもるようになっていったという。

 そんなときに、事件は起きた。

 レミンと辺縁の姫君との間には、多くの貴族たちが笑いさざめいている。明らかに、彼女は孤立している。

 壁際に独りたたずむ彼女は、どれほどの辛さを抱えてきたのだろう。

 あんなにも小さな身体で。触れれば壊れてしまいそうなほど、線も細いのに。

『ヒルボネン侯爵の園遊会で、陛下は公爵に対してひどくご立腹なさったのよ』

 ヒルボネン侯爵とは王弟ミカの腹心のひとりであり、あまり王とはそりが合わない貴族である。相容れない関係だからこそ、政治上、王は園遊会を断れなかった。

 王がヒルボネン侯爵の邸に到着し、会場となる中庭への数段の階段を降りていたときだった。

 後ろについていた辺縁の姫君が突然身体をくの字に折り、しゃがみ込んだのだ。そのときバランスを崩し、咄嗟に近くにいた王に手を伸ばした。

『月の痛みのせいだったらしいんだけど、そんなの言われなくちゃ判らないでしょう?』

 近臣と言葉を交わしていた王は、いきなり背後から強い力で腕を摑まれたため、本能的に振り払ってしまった。

 そのまま階下へと転げ落ちる辺縁の姫君。

 僅か数段の階段とはいえ、人々の目が集まる中の出来事である。王は烈火のごとく怒った。

『事故といえば事故だけど、ヒルボネン侯爵邸っていう場所がね。恥をかかせたのだと、公爵を激しく叱責なさったみたい』

 紳士たるべき国の(おさ)が、皆の前で神の姫宮を払い落としてしまったのだ。政敵の真っ只中にいたが故の出来事でもあり、だからこその失態でもあった。

 結局その事件がきっかけとなって、王は彼女を遠ざけるようになった。

 彼の移り気は有名だったが、この件ばかりは、軽く流すことは貴族たちもできなかった。

 王の怒りを買った存在への迎合は、自身の身をも滅ぼしかねない。

 辺縁の姫君は、それ以降国の大事(だいじ)に関わる式典以外は姿を見せなくなった。

 王太子をなすという予見者の言葉すら、王自身が迷惑がるようになった。

 そうして。

 打ち捨てられた彼女の異変に気付いたのは、誰だったか。

 日がな一日ぼんやり呆けている彼女を診た典医は、言葉を喪失していると、そう診断を下した。周囲の者たちがかける言葉にはなんとか反応できるものの、自身に言葉があるということを忘れてしまっている、と。

 この診断が決定的だった。

 王が辺縁の姫君に言葉をかけることは一切なくなり、彼女が式典に出席しても、ないものとして関心を示さなくなった。

『細かい真偽は判らないわ。でも、大体のところはそんな感じよ』

 教会側はずっと抗議をしているという。公爵を放っておくのは、神への冒瀆(ぼうとく)であると。

『でも、そういうことを気にする御方じゃないでしょう? 御自分の快楽をただ求めていくだけの御方だもの』

 そう声をひそめたアーニキ。

 故郷からも誰からも切り離され、たったひとりでこの世界に降りたった少女。

 祝宴に華やぐ人々の中、身動きもとれず、いまにも潰れそうだ。

 二年前、彼女はレミンを『魔術師』ではなく、『魔法使い』と優しい言葉で表してくれた。彼女は知らないだろう。それがどれほど魔術師にとって心癒されるかが。

 帰りたいと必死に訴えていた。

 あのとき、別れ際の自分を呼ぶ声が、いまだに耳から離れなかった。

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