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01

 フィザーンの東を滔々(とうとう)と流れる大河、ホス河。

 このホス河を国境としたフィザーンの東に、ルドルクという国がある。

 ルドルクは内陸の国。大草原と峻険な山脈、豊かな鉱山を擁してはいたが、世界への玄関となる不凍港を持っていなかった。

 そのため遥かな昔から、西南を海にしたフィザーンは、幾度も侵略を仕掛けられてきた。

 侵略を許したこともあれば、撃退し、逆にホス河の東にまで領土を広げたこともある。


 春の浅い頃、歴史的に関わりの浅からぬそのルドルクから、高貴な客人がやって来た。

 国王バスティアーノである。

 フィザーン国王ライコの末の妹、トゥーラとの結婚のためだった。

 見目麗しいバスティアーノは、花嫁トゥーラのみならず、フィザーンの女性たちをも魅了した。

 結婚式の行われたオルボ大聖堂から祝宴会場となる王宮までの道々では、結婚を祝い花を散らす女性市民たちの目を引き、王宮では、殿方との恋愛遊戯を楽しむ御夫人方から社交界に顔を出したばかりの令嬢たちにまで、胸のときめきを与えてしまっていた。

 会場の大広間は、だから祝宴以上の盛り上がりを密かに見せていた。

 そのせいだろうか、二年前にやって来た辺縁の姫君の様子は、燭が落とす影のように、あまりにも浮いていた。

 しかし周囲はなにも思わないのか、当たり前のように彼女を放っている。


「……」

 二年ぶりに王宮にやって来たハイカイネン伯爵レミンは、その光景に困惑せずにはいられなかった。

 彼女のまわりだけ、ぽかりと空気が違っていた。

 華やかで艶やかな熱気もそこだけはすり抜けて、薄暗く重たい静寂をわだかまらせている。

 やせ細った彼女は壁際にただ表情もなくたたずみ、顔色は青白く、虚ろな目はなにも映していない。

 まるで置物だった。

 王妃ではない女性が王の隣で艶やかに微笑んでいた。見覚えはないが、王の現在の恋人なのだろう。

 辺縁の姫君がいまだ国王ライコの子をなしていないことは、所領で過ごしていたレミンにも伝わっていた。王が新しい恋人を見つけたということも。

 王の隣に辺縁の姫君がいない光景は、レミンの気持ちを倦ませていく。

 打ちひしがれた様子の彼女。

 あんな娘ではなかった。もっと、芯に強さがあったはず。

 体調が優れないのでは? ひどく、顔色が悪い。

 なのに、どうして誰も声をかけようとしない?

 同じ壇上には王妃や王弟ミカたちがおり、一地方貴族が気軽に立ち寄れる雰囲気ではなかった。挨拶は、せめてもう少し酒が振舞われるまで待つしかない。

 ―――しかし、どれだけ時間が過ぎても、彼女は相変わらず魂を手放したように沈黙したままだった。時折ふと目を上げたり、薄く開いた唇を閉じたりはしているが、それがなければ本当に置物と信じてしまいそうだ。

 近くにいた顔見知りの男爵に辺縁の姫君の様子を尋ねると、「いつもあんなご様子だ」と返された。逆に、何故そんなことを訊く? と不思議がられさえした。

 他の貴族たちに訊いても、同じような答えが返るばかりだった。

(どういうことだ?)

 辺縁の姫君と接触したのは二年前のほんの僅かな一瞬だけだったが、ひと違いなのではと思いたくなるほど、あまりにも印象が違いすぎる。

 彼女を王宮に導いた人間として、皆のように他人事として見過ごすことがレミンにはできなかった。

 わけが判らない。

 もどかしさが募りだしたとき、人々の間に姉の姿を見つけた。

 レミンの姉アーニキは、十八の年にサーリネン伯爵のもとに嫁ぎ、社交界デビューを控える娘を筆頭に、四人の子供がいる。

「あら。どうしたの? そんな小難しい顔をして」

 談笑するひと波をかきわけてやって来た弟伯爵に、アーニキは驚きながらも懐かしげに微笑む。姉弟が顔を合わせるのは、三年ぶりだった。

「リュシアン公爵のことだが」

「ええ」

「いつからあんなふうに?」

 奏音に眼差しを向けるレミン。アーニキも同じように目を遣ったが、返る答えは歯痒いものだった。

「あんなふう?」

「心ここにあらず、といったご様子だ」

「そうかしら?」

 レミンの落ち着かない様子に、アーニキは少し意地悪な顔をする。

「―――気になるの?」

「おれが知ってる公爵は、あんなふうじゃないから」

「……声が大きいわよ。ほら、こっち」

 アーニキは有無を言わさず、隣の部屋を示した。

 部屋を出るところで、アーニキは給仕係から果実酒のグラスを受け取った。勧められたがレミンは断り、姉に向き直る。

「公爵はあんな虚ろな方じゃない。誰もおかしいとは思わないのか?」

「むきにならないの」

「姉上」

 焦りすら窺わせるレミンに、アーニキは小さく息をつく。

「わたくしたちは、公爵がおかしいとは思ってはいないわ。あなたほどにはね」

「まさか」

「わたくしたちが知る公爵は、正直申し上げて暗い方だもの。まあ、あんなにも無関心ではなかったような気はするけど」

 思いもよらない言葉だった。

 二年前のあのとき、辺縁の姫君は強い緊張に(さら)されてはいたが、暗いとは思わなかった。そんな印象は微塵もなかった。

「こちらにおいでになったばかりの頃は、もっと表情も豊かでいらしたけど。陛下もいろんな場所にお連れしたり、宴も頻繁に開かれたりしていて。でも……」

「でも?」

「確かなことは判らないわ」

 アーニキは、言いにくそうに声をひそめた。神妙な顔になる。

「公爵は、わたくしたちとは違っていらっしゃるのよ」

「……」

 その表情の奥底にあるのは憐憫の情にも見えて、レミンは不安を禁じえなくなった。

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