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久遠の夜 千夜の果て  ―――辺縁の姫君  作者: トグサマリ
【第一章 辺縁の姫君】
6/44

03

 光のカーテンは、すぐにすとんと床に落ちた。

 目の中で、光の残滓(ざんし)が踊っている。

 何度か瞬きをし、視界が戻ったそこは、暗い地下室ではなかった。

 白い壁にたくさんの燭の光が反射している。

 窓はないが、明るい部屋だ。地下室と同じような円形の模様が、自分の足元、床に描かれている。

 身体は重たさを感じていた。何度かこの感覚はあった。自由を奪う魔術が解けているのかもしれない。指先を動かしてみると、思うとおりに軽く握る形に動いてくれた。

 首をめぐらしてみると、薄い金の髪を波打たせた玲瓏とした女性が、すぐそこからこちらを見ていた。

 背中から、ハイカイネン伯爵の声がした。

「予見者のイルマイラ殿です。イルマイラ殿、こちらは」

「判っています」

 ハイカイネン伯爵の紹介を、予見者イルマイラはひとことで切って捨てた。

 冷たい印象の彼女だったが、ハイカイネン伯爵は「そうですよね」と、平然としている。

「こちらへおいでなさいませ、公爵」

 イルマイラはなんの表情もないまま奏音に言う。

「我々は辺縁の姫君のことを、親しみをこめて、リュシアン公爵とお呼び申し上げております」

 知らない呼び名に困惑をした奏音に、ハイカイネン伯爵はそう教えてくれた。

「さあ。お行きなさいませ」

「あの。レミンさんは?」

「わたしはここまでです。あとはイルマイラ殿にお聞きください」

「え」

「早くこちらに」

 イルマイラの声に、苛立ちのようなものが混じっていた。

「どこに、行くんですか?」

「陛下がお待ちです」

 王太子を産むと言ったハイカイネン伯爵の声が、脳裏によみがえる。ふるふると奏音は首を振る。

「―――いやだ。行かない」

「おいでなさいませ」

 焦れてこちらに踏み出すイルマイラ。それを避けて後ずさる奏音の背に、ハイカイネン伯爵の胸が当たる。

「公爵」

「いや!」

 奏音はイルマイラに腕を摑まれ、床の模様からぐいと引っ張り出された。

 たまらず、後ろを振り返った。

「レミンさん!」

 腕を摑むイルマイラの手に力がこもった。

「お静かになさいませ」

「イルマイラ殿」

 困惑したように、ハイカイネン伯爵が予見者の名を呼んだ。

「公爵はまだ、状況を受け入れきれてはいらっしゃらない。あまり強引なことは、やめてはもらえないだろうか?」

「―――レミン」

 イルマイラは奏音を引っ張る足を止め、ハイカイネン伯爵に視線を返す。

「これは国の大事(だいじ)です。陛下ももうずっと待っておいでなんです。公爵がおいでくださった、それで充分」

 はっきりとした物言いに、ハイカイネン伯爵は口を閉ざす。数瞬、ふたりは物言いたげに眼差しを絡み合わせる。

「……そうかもしれないが、彼女はまだ」

「同情は無用です」

「イルマイラ殿」

 レミンの呼びかけを無視し、苛々とイルマイラは奏音の腕を強く引いた。

「やだ! 行きたくないんだってば。ちょっ……、いやだ、助けてレミンさんッ!!」

 引きずられるように部屋を出る奏音は、扉が閉まる直前、ハイカイネン伯爵の姿を捉える。

 彼はじっと模様の上でたたずみ、こちらを悲しげに見遣っていた。



 扉を出ると、幾つか小部屋が続いた。

 ハイカイネン伯爵は、この女性を予見者だと言っていた。奏音が王太子を産むというふざけた証言をした予見者本人なのかもしれない。

(予見って、なによ?)

 そもそも奏音には、『予見』自体が判らなかったが、イルマイラに訊くことはためらわれた。美しいばかりで他者を寄せつけようとしない冷たい印象の女性。疑問に答えてくれそうにもない。

(レミンさんに訊いておけばよかったかも)

 訊いても、状況が変わるわけではないけれど。

 幾つ目かの扉の前でイルマイラは足を止め、奏音を摑んでいた手を離した。その豪華な扉は、派手な恰好の近衛兵に恭しく守られていた。彼らは奏音を認めると、その脇を固めた。

 ややあって、扉は向こう側から開かれた。

 部屋の中から名を呼ばれたイルマイラに続き、近衛兵に囲まれた格好の奏音は逃げようにも入室せざるをえない。


 そこは、これまで足を踏み入れたどこよりも明るく、豪華だった。

「待ちわびたぞ」

 張りのある太い声が響き渡る。正面の壇上からだ。

 尊大な態度で黄金の椅子に座る男性が、そこにはいた。

 この部屋で一番豪勢な衣装をまとい、一番高いところにいる。そして誰よりも華々しい空気を強く放っていた。

(あのひと、が……?)

 王なのだろうか。

 年老いた人物を思い描いていた。精悍な顔立ちをした彼は、思ったよりも若く、自分の父親ほどかもしれない。

(このひとと……?)

 この男の子供を、求められているのか?

(冗談だよね? なんか、勘違いかなんかだよね?)

「若いな。まだ子供ではないのか?」

 イルマイラが奏音を紹介するよりも早く、彼は玉座から身を乗りだした。

「公爵。年を聞きたい。幾つなのだ」

「……」

 嘘をつけば、見逃してくれるだろうか。そんな思いに答えをためらっていると、男性―――王はにやりと笑んだ。

「まあ、そんなことはどうでもよい。名はなんと申す」

 王の視線は、イルマイラに移った。彼女は一瞬動きを止め、密かに奏音を見た。ここに来るまでに教えることになっていたのだろうか。

 隠そうとはしているものの、イルマイラの眼差しには容赦がなかった。美しいからこそよけいに凄絶で迫力がある。名前を言わなかっただけで、どうして睨まれなければならないのかが判らない。

(そっちが訊かなかっただけじゃない……)

 ハイカイネン伯爵は、真実の名は明かしてはいけないと言っていた。痺れに襲われるのも、このイルマイラや王に教えてなにかあるのもごめんだった。

 部屋には国王以外にもきらびやかに着飾った人々が集っている。彼らの好奇の視線は、不躾に奏音に注がれていて気持ちが悪い。

「カナデ……」

 緊張に声が震えた。小声すぎて、イルマイラにしか届かなかったらしい。国王は顔をしかめ、苛立たしげに再度イルマイラに問う。

「カナデさまにございます。リュシアン公爵カナデさまです」

「ほう……。どこかフィザーン風の名前だな」

 イルマイラへの詰問調もどこへやら、国王は感嘆した。

「銀杖を陛下に」

 イルマイラは奏音に指示をする。

 たったそれだけの言葉に、心臓は止まる。力なく、けれど全身で首を振った。

「公爵」

 イルマイラの眼光が鋭くなる。

「よい。余が行こう」

「陛下……」

 その場の者たちがざわついた。国王が自ら動くのは、予想外の展開なのだろう。

 ハイカイネン伯爵ほどではなかったが、国王も背が高かった。長い足で、部屋の反対側にいる奏音の前までやって来た。

 薄い緑色の瞳が爛々(らんらん)と輝いている。獲物を見つけた猛獣のようだ。

「よく来た公爵。そなたが来るのを、ずっと待っていた」

 言って、国王はむんずと銀杖を摑み上げた。

 向かい合っているだけで、威圧感に押し潰されそうになる。

 上からの視線はただひたすらに怖ろしく、逃亡どころか身動きひとつできない。

「!」

 突然ざくりと下腹部に痛みが走り、息が止まった。

 あと一週間ほどで生理が来るはず。こんなところで生理痛に苦しめられたくない。

「余の子を産むのだ、カナデ」

 帰してください。奏音が口を開くよりも先に、国王は朗々とそう命じた。

「王太子を、産むのだ!」

 あたしを、帰して。

 奏音の思いは、喝采によって消されていった。



 そして。

 この瞬間から奏音は、女としての地獄の日々に突き落とされた。

 誰かを好きでいるという想いも、これまでの自分の価値観も、自分が意思ある人間であるということすらも、すべてが奪われ、踏みにじられていく―――。

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