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久遠の夜 千夜の果て  ―――辺縁の姫君  作者: トグサマリ
【第一章 辺縁の姫君】
5/44

02

 沈黙のまま、馬車での時間は過ぎる。

 そうして馬車は静かに下降を始め、背の高い建物の前に降り立った。大聖堂に行くと言っていたから、ここがそうなのだろう。

 扉が開き、涼しい空気が流れ込んできた。

 月の光に、青白く庭が浮かび上がっている。整然と手入れされたそこに、わらわらと慌ただしく人々が集まってきていた。

「伯爵。転移魔術は」

「申し訳ない。チョークを落とした」

 非難の眼差しで抗議をしてきた男性を、ハイカイネン伯爵はそう言って黙らせる。

 集まってきた者たちはみな差し迫った表情をたたえていて、奏音を逃がしてくれそうな雰囲気ではなかった。

 ここに味方は、いない。

 知らない光景、知らないひとたち、知らない恰好、知らない空気のにおい。

 流されるように、諦めが奏音の思いを鈍らせる。

 伯爵の魔術に操られる奏音は、中で待っていた女性たちに引き渡された。

 一室に案内され、ほとんど無理やり襟の高い白いドレスに着替えさせられる。女性のひとりとともに、今度は本堂へと向かわされた。


 堂内は煌々と燭で照らされ、両側の長椅子は、人々で埋めつくされていた。

 彼らのほとんどは背の高い帽子をかぶり、ゆったりとしたガウンをまとっていた。内陣に近付くにつれそれは黒色、赤から青、白へと色が変わっていた。

 ここにいるのはおそらく聖職者だろう。キリスト教会内の雰囲気と似ている気がする。

 堂内の荘厳さに、息を呑まずにはいられなかった。他人事であればうっとりしていただろうが、いまの奏音には逆に空恐ろしい。ハイカイネン伯爵の言うとおりなら、ここで誰かと―――王と結婚させられるのか?

 祭壇前に、ひとりの人物がいた。ひときわ豪奢な格好をした老人だ。彼が、フィザーンの王なのだろうか。

 奏音の隣は白いガウンの聖職者に代わっていた。彼によって祭壇前の人物のもとへと導かれる。

 歩むたび、周囲からの抑えきれない好奇の視線が、絡みついてくる。

 身体の自由はいつの間にか戻っていたが、この視線と厳粛な空気に抗うことができず、不安と恐怖で逃げだす勇気が出ない。

 しんと冷えた広い聖堂内。しわぶきひとつない沈黙の中、ドレスの裾が絨毯をすべる音だけが、いやに大きく耳についた。

 腰が引けた格好のまま、天使や聖人の彫刻に囲まれた絢爛豪華な内陣へと奏音は足を踏み入れた。

 老人は、一段高いところから深い眼差しで奏音を見つめ下ろしている。そうして、感慨深く視線を注ぎ、神妙に頭を垂らした。

「ようこそおいでくださいました。どうぞこの国に、(しゅ)の恩寵を」

 彼は背後の台座から細い銀色の杖を取り、なにかを唱えながら恭しく掲げ、こちらに差し出してきた。

(ど。どうしろっていうの……)

「……お受け取りください」

 突っ立ったままでいると、隣の聖職者がそっと(ささや)く。

 言われるまま銀の杖を受け取る。見た目以上にずっしりと重い。結婚指輪のような結婚の証なのかと思うと、ぞっとする。

 儀式めいたやりとりは、その後も続く。

 背中に突き刺さる聖職者たちの視線。逃げだそうにも逃げだせず、ただただ奏音は、隣の男性の指示のまま動くことしかできなかった。


 どれくらいの時間が過ぎたのか。

 どうやら老人が王ではないとは判ったが、儀式の流れから、このあとに本物の王との対面があるのだと知れた。

 地下へと導かれる奏音。

 慣れないドレスで地下への階段を蜿々(えんえん)と降り、長い階段の底に着く。そこに現れたただひとつの扉が、控えていた男性によって一礼のあと、開かれた。

 扉の向こう、暗い部屋の入口で、ひとりの背の高い男性が(こうべ)を垂れていた。扉が開ききると、彼は頭を上げる。

「! レミン、さん」

 奏音は部屋の中にいた人物に息を呑む。

 ここで再びハイカイネン伯爵に会えるとは思わなかった。彼から小さな会釈があって、なんとなく奏音も軽く会釈を返す。

 奏音と案内役の入室を待って、扉は閉じられた。

 重々しいその音に、一瞬ほころんだ緊張がぐんと高まっていく。

 すがるように奏音はハイカイネン伯爵を見上げた。

 よそよそしい表情だった彼は、そんな奏音にそっと目を和ませる。

「似合っておいでだ」

 静かな深い声が、奏音の耳に届く。奏音を挟んで反対側に並ぶ案内役がなんの反応も見せなかったから、きっと聞こえたのは奏音だけだ。緊張に凝り固まる奏音を和まそうとしてくれたのかもしれない。

 彼も、服を着替えていた。色が深みを帯びた以外、違いらしい違いは判らなかったが、どちらかといえば、よりフォーマルな印象だ。

 地下室は体育館ほども広く、天井も見えないほど高いところにある。壁龕(へきがん)(しょく)は灯されてはいたが炎は小さく、かえって心細い。部屋の四方に、青いガウンの聖職者がふたりずつ立っていた。床の半分ほどに、幾重にも重なり合う円の模様が描かれていて、不思議と青白く光を放っている。地下室はその青白い光によって照らされていた。

 ―――その時が、やってくる。

 漠然と、この先に待ち受ける運命の訪れを奏音は感じ取った。

「あの。やめませんか?」

 ハイカイネン伯爵に救いを求めた。

「あたし、もう帰らなきゃ。お母さん心配してるし、宿題も残ってるし。だから帰してください、お願いします」

「我々こそが、あなたさまに助けを求めているんです」

「あたし関係ない。ほんとなにかの間違いだから」

「国王陛下、教皇猊下、そして辺縁の姫君以外、その銀杖(ぎんじょう)を持つことはできません。もしもカナデさまがおひと違いであるのなら、あまりの重さに持ち上げることもかなわないはずです」

「!?」

 たまらず、銀杖から手を離した。

 ごつ、と細身の姿からは想像もつかない重たい音をたてて、床に激突する銀杖。

 あまりのことにハイカイネン伯爵は絶句する。

 案内してきた聖職者は思わず声をあげ、壁際の聖職者たちも身を乗り出し、あ然と目を剥いた。

「帰してください。あたしを帰して」

「どうすることも、できないのです」

「それでもよ。あたし、帰る。さっきの場所に行けば、帰れるかもしれないじゃな」

(! ―――どうして!?)

 喉が急に詰まった。

 声は出なくなり、勝手に膝が折れ、床に転がる銀杖を両の手が拾い上げる。重たくはあるが、持てないほどではない。

(いや……)

 持ちたくなどないのに。

 ハイカイネン伯爵の仕業だ。

 涙が溢れてきた。身体や声の自由を奪うくらいなら、涙も止めてくれればいいのに。

(帰して。帰して。レミンさん!)

 声も封じられ、唇は虚しく言葉の形をとるばかり。

 銀杖を拾い上げた奏音の足は、光を帯びる床の模様へと進む。隣を歩くハイカイネン伯爵は、奏音がどれだけ懸命に訴えても、なにも言わなければなんの反応も見せてくれない。

 ふたりは、模様の中心で止まった。

 模様の周囲を、壁際にいた聖職者たちが取り囲む。

 ハイカイネン伯爵が口の中でなにかを唱えると、ほのかに光っていた模様が眩しく輝きだした。

 青白い光の噴水が、噴き上がる。

 透明な光の壁が、奏音の視界を奪っていった。

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