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久遠の夜 千夜の果て  ―――辺縁の姫君  作者: トグサマリ
【第一章 辺縁の姫君】
4/44

01-3

「あなたがやってるの!?」

 男性は答えず、馬車の扉に手をかざした。触れてもいないのに――辿り着いてすらいないのに――扉が開く。

(……、嘘。やめてよ……)

 先程とは違う恐怖が、背筋を凍らせる。

 優しいひとかと思ったのに。助けてくれたのに、こんなひどい仕打ちをしてくるだなんて。

「たす助けて、誰か……」

 掠れた悲鳴も、男性には通じない。

「……だれか。だれか助けて。助けて。助けてッ! ―――……火事!」

 防犯講習で受けたことを思い出す。助けてという悲鳴よりも、火事だと叫んだほうが有効だと。恐怖に縮こまる腹の底を奮い立たせ、懸命に叫ぶ。

 さすがにこれには、男性もぎょっと身を硬くした。

「火事よ火事! か」

(!?)

 喉の奥で、いきなり空気が固まった。唇は動かせても、肝心の音が、声が出てこない。

 腕も声も、首から上を動かせなくなる。

(嘘……なに、やだッ! やだ、なによこれッ!)

 喉の奥で固まってしまった自分の声。出せるはずなのに、腹に力を込めても息がかすかすとこぼれるばかりで、歩くことしかできない。

 自分の身体なのに、なにひとつ自由にならない。操り人形のように、ただ馬車へと向かっていくばかり。

「申し訳ないが、静かにしていただきたい」

 男性は感情を押し殺した声で言う。

 眼差しだけで男性を見上げた。

 首も固められていて、だから捉えられるのは顎の先だけで、睨むこともできない。

(催眠術? 超能力? なんで? 嘘。もうなんなのよこれ)

 奏音は操られるまま馬車の扉をくぐる。男性が乗り込んで正面の席に着くと、軽い音をたてて扉が閉まった。男性は背中の壁を数度叩く。

 ややして身体が沈み、膝の裏がくすぐったくなるような感覚があった。浮遊感だ。馬車が動きだしたのだ。

 奏音の目から、ほろりと涙がこぼれた。

(覚めてよ……)

 一刻も早く、こんな夢、覚めて欲しかった。

 けれど夢であって欲しいと悲鳴のように願うものの、そう言い聞かせるのは、これが現実だと判っているからだと、理性は残酷な分析をする。

 喉の奥が熱く震えた。

(お願い)

「殺さないで」

 思いもかけず、声が出た。

「殺さないで」

「あなたさまに手をかけるなど」

「人体実験して、切り刻んで、殺すんでしょう?」

「人体、実験?」

 奏音の言に、彼はきょとんとした。

 信じる信じないはこの際、どうでもいい。

 自分は、宇宙人に誘拐されたのだ。彼らは人間に見えるが宇宙人に違いない。人間にただ化けているだけ。

 これは馬車型のUFOで、このあと人体実験をされるのだ。『われわれは待っていた』というのも、獲物となる地球人を待っていたという意味。言葉が理解できたり勝手に足が動いたのも声が出なくなったのも、実験の一環とすれば納得できる。

 不審者によって暴行の果てに殺されるのと、宇宙人に誘拐されて人体実験後に殺されるのと、どっちが苦しまずに済むのだろう?

 どちらも、殺されることに変わりはないけれど。

(いやだ……)

 どうしてこんなことになったのかが判らなかった。なにを間違って、なにを踏み違えたのか。

(どうしてあたしが……!)

 どこにでもいるただの高校生だ。生徒会役員にもなったこともないし、派手な生活態度でもない。教師から目をつけられたこともなければ、異性にもてたこともない。

 両親の希望でもある安定職、公務員を一応目指して大学受験に苦しんでいるだけの、ただの高校生なのに。

 どうしてこんなふうに狙われたのか、獲物になってしまったのか。

 生きて帰れるのだろうか。

 生きて、帰りたい。

(やだよ……)

 涙を拭っても、あとからあとからこみ上げてきて止まらない。

「死にたくない……」

「―――どうやら、思い違いをしておられる」

 泣いて身体を震わせる奏音に、それも当然かと男性はひとりごちる。

 彼は軽く息をつき、居ずまいを正した。

「あなたさまのお命が脅かされることはございません。怯えさせるつもりはなかったのですが、事情が事情ゆえ、魔術を使用いたしました。手荒な真似になりましたこと、どうかお許しください」

 そう言って深々と頭を下げた。

(魔、術……)

 お伽話の世界でしか聞かない単語に、夢と現実とを見失いそうになる。

「わたしはハイカイネン伯爵レミン・ヴァリスと申します。ここはフィザーン王国首都、オルボリンナ。我々はいま、オルボ大聖堂に向かっております」

 フィザーンという国の名は、聞いたことがない。夢であれなんであれ、ここは地球ではないどこか別の星なのだ。

 自分は、宇宙人に誘拐されたのだ。

(伯爵……)

「あなたさまは、フィザーンに国益をもたらしてくださる、辺縁(へんえん)姫君(ひめぎみ )でいらっしゃいます」

 宇宙人にも爵位があるのかと気持ちの隅で変に感心してしまう奏音をよそに、意味不明なことを男性は言う。

 不安に怯える気持ちを少しでも和らげようとしてくれているのか、彼は穏やかにゆっくりと言葉を紡ぐ。内容は、許容範囲を超えすぎてはいたが。

 どう反応すればいいのか。いつもなら、「アタマおかしいんじゃないの?」と取りあわないのだが、右も左も判らないこの不可解な状況ではそうもいかない。

 なにがどうなっているのか、彼がなにを言おうとしているのか、すべてがまったく判らない。理解ができない。

 そんな表情の奏音に、ハイカイネン伯爵は説明を続ける。

「我々は、あなたさまの故国のことを辺縁とお呼びしております」

「故国……辺縁?」

 辺縁という単語は、初めて聞いた。

 日本は『ジャパン』以外に呼び名を持っていたのか? それとも、地球のことをこの星ではそう呼ぶのだろうか?

「はい。こちらでは、辺縁は、天の外側を取り巻くようにして広がっております。―――ご覧になりますか?」

 ハイカイネン伯爵は窓の向こうを指し示す。ためらうものの外に目を向ける奏音だったが。

「!?」

 思わず身がすくんだ。

 浮遊感があったのは当然だ。

 眼下にあるのは月光を受けて輝く屋根の波。町の上空を馬車は走っていた。

 ひとの自由を奪ったり、馬車に空を走らせたり。

 魔術を使ったと言っていた。

 彼は魔法使いなのか?

 宇宙人は、魔法を使うのだろうか? 未知の科学技術ではなく?

「あちらの地平線付近ををご覧ください。白い流れのようなものがありますでしょう? あれが、辺縁です」

 言われるまま恐るおそる視線を動かすと、町の向こう、地平のすぐ上あたりに白い(もや)のようなものが横たわっていた。天の川よりも濃く、かといって、星の集まりのようにも見えない。

「あの辺縁から、あなたさまはフィザーンにおいでくださったのです」

 奏音はハイカイネン伯爵を振り返り、もう一度辺縁とやらに目を戻した。

 白く淡い帯状の連なりは、『地球』とはあまりにもかけ離れた姿をしていた。もちろん、『日本』の形とも違う。

(宇宙、人……?)

 では、ないのかもしれない。

 もっと根本的に、なにかが違っている気がしてきた。

 例えば、映画で観たことのあるファンタジーの世界。

 現代文明とはまったく違う、異世界。

 いったいなにが起きて、こんなわけの判らない世界に紛れ込んでしまったのだろう?

 いずれにしても、

(よけい、家に帰れない……)

 突然突きつけられたたった独りという現実に、胸は張り裂けそうに痛み、止まっていた涙がこぼれ落ちた。

「あんなの知らない。帰してよ。ちゃんと勉強するから帰して。ひと違いだから。絶対あたしじゃないから」

「ひと違いではございません。ひと違いならば、わたしたちはお互いの言葉を、理解できないはずです」

 奏音は、はっと息を呑む。瞠目する奏音に、ハイカイネン伯爵は頷いて答えた。

 彼らの言葉が判ることに、意味があったなど。

 言葉が通じないふりをすれば、見逃してくれたのだろうか。いまさらもう遅い仮定だけれど。

「ハイカイネンさん」

「レミンと。レミンとお呼びください」

「……レミン、さん」

「御名を伺っても?」

 丁寧ながらも事務的に、ハイカイネン伯爵は訊ねる。

清水(しみず)……清水奏音(しみず かのん)

「清水奏音さま」

 一音一音を優しく辿るように、ハイカイネン伯爵は教えられた名を声に表した。

 瞬間、奏音の身体を、鋭い痛みを伴う強い痺れが駆け抜けた。

 身体を硬直させた彼女に、ハイカイネン伯爵ははっと腰を浮かせ顔色を変えた。

「もしや、真実の御名だったんですか!?」

 痺れは一瞬だったが、雷撃に打たれたかと思った。それほどに強く激しい痺れ。痛みの名残りが、じんわりと身の内側で鈍くくすぶっている。

 いきなりのことに目を(みは)ったまま、頭の中は真っ白になっていた。

「なんてこと。本当に申し訳ございません。こちらでは、真実の名は秘めておくべきものなのです」

 真実の名とは本名のことだろうか。気軽に名を訊く前に、そのことを言って欲しかった。

 恨みがましくハイカイネン伯爵を睨む奏音。

 彼は非難の眼差しを甘んじて受けていたが、すぐに表情を引き締め、声を幾らか落とした。

「今後、その御名は誰にも明かさないようになさいませ。フィザーンは魔術師の集う国。意思を絡めとられ、利用されてしまうやもしれません」

「レミンさん、聞いちゃったじゃないですか」

「聞かなかったことにいたします」

 しごく大真面目に返された。

「他の呼び名は持っていらっしゃらないのですか? ないのであれば、こちらでなにか考えねばなりませんが……」

 ハイカイネン伯爵は宙に視線を留め、聞き慣れない音の並びを幾つか口にした。

「―――あの。『カナデ』っていうのなら、ありますけど」

 おかしな名前になりそうだったので、ネットでの名前を教えた。ハイカイネン伯爵はその名を慎重に口にしたが、今度はなにも起こらなかった。

「その。あたしが国益をもたらすって、なにをもたらすんですか? なにかをして、そうしたら帰してもらえるんですか?」

 ごく当たり前の質問だったが、気まずい一瞬の間をハイカイネン伯爵は置いた。

「予見者の言によれば、王太子殿下をお産みくださるのだと」

「?」

「陛下には、いまだ王子、王女ともいらっしゃらない。王太子殿下の誕生は、フィザーンの悲願です。そうしてついに、辺縁の姫君が本日王都へと遣わされ、待望の王太子殿下をお産みくださるという予見があったのです」

「……」

 現実感のない単語ばかりで、他人事のようにしか思えない。

「辺縁の姫君がこの時期フィザーンにおいでになる。たとえ予見がなくとも、あなたさまのもたらす国益がなんなのか、我々が期待するところはひとつです」

 言われた内容を頭の中で噛み砕いていく奏音の表情が、次第に凍りつく。

 ハイカイネン伯爵は、真面目な顔を崩さない。

「それって、……あたし、のこと、ですか?」

「はい」

 当たり前だとばかり、即答だった。ふるふると奏音は頭を振る。

「やだ、なにそれ。予見とか、わけ判んない。王太子って、……なに言ってるか判ってるんですか!? そんな、冗談でしょ、バカ言わないでよ、そんな勝手な!」

「冗談ではございません。国の将来に関わる真剣な話です。このような遅い時間においでになるとは判らず、まあ、少しかなりばたばたしてもおりますが」

「―――見逃して」

「はい?」

「レミンさん、魔法使いなんでしょう? 帰して欲しいの、逃がして。お願い」

「……そういうわけにはまいりません。フィザーンの未来は、すべてカナデさまにかかっているのですから」

 明らかに年上なのに、いやに丁寧な言葉遣いをしてくると思ってはいた。

 こんな理由のせいだったのか。

「あたし好きなひとがいるの。ずっと好きだったの」

 ハイカイネン伯爵は、眼差しで頷く。

「ここの未来より、自分の未来のほうが大切なの。判るでしょ?」

「……」

「あたしにはあたしの毎日があるの。そりゃ受験勉強ばっかで鬱陶しくてうんざりだけど、仕方ないじゃない受験生だもん。そっちの事情はそっちで解決してよ」

 ハイカイネン伯爵は難しい顔を返すが、逃がす素振りはちらりとも見せない。

「ねえってば」

 返るのは、硬い表情と沈黙ばかり。

(こうなったら)

 奏音は扉の取っ手に手を伸ばした。ぎょっとハイカイネン伯爵は目を剥いた。

「なにをなさるおつもりです」

「帰るのよ」

「おやめなさい!」

 ハイカイネン伯爵の叱咤が飛ぶ。取っ手を摑んだ手が、急に固まった。

「!」

「こんなこと、わたしもしたくはないのです」

 再び自由を奪われ、奏音は見えない手によって座席に押し戻される。

「ひどい……卑怯だわ」

「承知しております。ですがフィザーンは、あなたさまを失うわけにはいかないのです」

「フィザーンなんて知らない。あたしは日本人! この国の人間じゃないの!」

「承知しております」

 魔術で奏音を拘束しながらも、ハイカイネン伯爵は当たり前のように答える。けれどその顔に、なにか暗いものが見え隠れしている。―――ような、気がする。

「ねえ、レミンさん、お願いだから……お願い」

 ハイカイネン伯爵の顔の(かげ)りに望みを繋ぎ、何度も何度も懇願する奏音。

 しかし、彼がそれを聞くことはなかった。

 彼が訴えを退けるようにまぶたを閉じたとき、彼女の下腹部が、ねじれるような痛みを訴えた。

(うそ。やば。こんなときに―――)

 顔が、痛みに歪む。

 生理前の痛みだった。

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