01-2
ぎくりと男たちの動きが止まる。
彼らの視線の先に、ひとつのひと影があった。暗い道の向こうから、それは明かりとともに駆けて来る。
「手を離しなさい!」
現れたのは、肩に白いフクロウのような鳥を乗せた男性だった。自身の持つ角燈に照らされたその顔は、思わず目を瞠るほど精悍で整ったものだった。
背は高く、年齢は二十代後半あたりか。
彼も男たち同様、おかしな格好をしていた。
違っているのは、結婚式場から抜け出した花婿のような、多少は見慣れた格好であることだ。剣も下げていない。
それでも――たとえここがヨーロッパのどこかの町だとしても――こんな格好が普通だとは思えなかった。
映画だかドラマだかで見た、まるで昔のヨーロッパの恰好だ。
(夢……だよね……?)
突然放り出された知らない町。意味が判る外国語。奇妙な格好の男たち。
夢以外に、どんな説明ができる?
現れた男性は、硬直する男たちに鋭い眼差しを放つ。高い背もあって圧倒的な存在感があった。たったひとりなのに、そこにいるというただそれだけで、男たちを委縮させている。
「離しなさいと言っている」
「はッ、はいッ!」
命じられ、男たちは先程とはうって変わって、慇懃に奏音から手を離した。
「行きなさい」
その言葉は奏音に向けられたものではなかった。奏音を残し、男たちは「ひぃぃ」と情けない声をあげ、逃げるように駆けだしていった。
「お怪我はございませんか?」
いたわる声がした。彼は上着を脱ぐと、奏音に羽織らせる。体温を残した上着のあたたかさに包まれ、不覚にも身体はほっとした。
この男性の話す言葉も外国語だったが、やはり、意味が判る。
彼は、頭ふたつぶんほども高い背をかがめ、気遣わしげな眼をしていた。
「大丈夫です……。あの。ありがとう……ございます」
あからさまに硬い声の奏音。
警戒されていると判るだろうに、彼は奏音の礼に表情を和ませた。奏音の言葉はもちろん日本語だったが、彼にも通じているようだった。
どうしてなのかが判らない。彼はなんの疑問も抱いていないようだけれど。
探るように男性を窺う奏音の前で、彼はほっと表情を和ませる。
「ご無事で、ようございました」
整った顔立ちから厳しさが抜けると、ひと好きのする優しい雰囲気になった。
「遅くなりまして申し訳ございませんでした。―――さあ、あちらに。参りましょう」
(え?)
男性は、自分が来た道の先を手で示した。月に照らされた一両の馬車が、辻に停まっていた。
当然のように、男性は奏音が足を踏み出すのを待っている。
奏音は、しかし動けない。
(あちらに参りましょうって……、どういう……)
状況が呑み込めなかった。
このひとも、なにか勘違いをしている。
助けてくれたとはいえ、言うことを聞くのは危険だと、固まりそうな思考が強く警告をする。
彼はたんに助けてくれただけではなく、奏音とどこかへ行くことを前提に話を進めている。あの男たちとは違う目的なのかもしれないが、連れ去ろうとしていることに―――危険だということに違いはない。
「さあ」
「あの……よく判らないんですけど、たぶんひと違い、だと、思うんですけど」
「いいえ。ひと違いではございません」
「だってあたし、あなたのこと知らないし、ここのひとでも、ないし。こんなとこ、知らないし……」
少しずつ闇が覆いだした町を、奏音はちらりと見遣る。一瞬でも隙を見せたら、なにをされるか判らない。
彼は消え入るような奏音の言葉そのままを受け入れるように、頷いた。
「存じております」
「え」
意外な返答に、奏音は目を瞬かせる。
(ぞん、存じてるって、なにを?)
どこか安心させる笑みをほんのりと口元にたたえ、頷く男性。
奏音の反応など最初から判っているというその態度に、頭がくらりとする。
(どういう、こと?)
見た目だけで言えば、恰好の違いで自分が部外者だと語ってはいるけれど。
奏音は、部外者である自分がどうしてこんなところにいるのかが、まったく理解できない。なのにこの男性は、最初からすべてを理解しているらしい。奏音がここにいる理由も、何故周囲が一瞬にして別世界になってしまったのか、きっとそのわけも。
このひとは、誰。
どうして、知っているのか。
気味の悪い不安が胸を侵蝕していく。
これは、現実? それとも、限りなく現実味のある夢?
「皆さまがお待ちです。さあ、参りましょう」
咄嗟に奏音は首を振った。
ついて行ってはいけない。
頭の中で本能が叫ぶ。ついて行ってはならない。危険すぎる、絶対にダメだ、と。
「いいです、あたし。ここに、います」
足をぎゅっと踏みしめる奏音。
「そういうわけにはまいりません」
「あ、上着、ありがとう、ございます。その、返しますから。ホントに、ありがとうございました」
奏音は羽織らせてくれた上着をいそいそと脱ぎ、男性に無理やり押しつけた。
「いえ、これはお召しになっていてくださいませ。わたしの着たものではお嫌でしょうが、―――っと!」
「んぎゃああッ!!」
いきなり腕を摑まれ、悲鳴をあげる奏音。上着を押しつけ逃げようとした奏音だったが、それを阻む彼の伸ばした腕のほうが早かったのだ。
「もッ、申し訳ございません」
青くなってわめいた奏音に、彼は反射的にか手を離した。
下心があってのことではなさそうだが、意思を変える気はなさそうだった。その証拠に、もう一度逃げ出そうとした奏音の腕を、彼は「失礼をお許しください」と再び拘束をする。
「離して!」
「どうか、おいでくださいませ。お願いにございます」
「嫌ッ」
「我々はあなたさまをずっとお待ちしておりました。フィザーンにはあなたさまが必要なんです」
「なにそれ。わけ判んないし」
「どうか、お願いですから」
「……」
それはひどく胸に迫る声だった。
彼の丁寧な態度と真摯な眼差しに、この手を振り払い、無下に逃げだすことはなんとなくためらわれてしまう。
かといって、はいそうですかと、ついていくことはできない。
どんなに断られても、彼は何度も何度も一緒に来るよう頼んでくる。
彼がしつこく道の先へと促すごと、その必死さに、次第に奏音の中の疑念がうず高く募っていく。
そこまで一心に誘う理由が、どうしても判らない。
あまりにも、怪しすぎる。
「どこにも行かないんだってば、帰してくださいッ」
どんな懇願にも首を縦に振ることはせず頑なに拒み続けると、彼は諦めるような吐息をついた。
「―――こちらへ」
言って、摑んでいた手を離し、そのまま奏音の背へと遣る。
(え?)
彼の手が背中に触れた瞬間、その一瞬で、動けなくなった。
(なに)
身体の表面に沿って、硬い殻に覆われたような。
突き返したばかりの上着に、再び包まれる奏音。戸惑ううち、足が勝手に動きだした。
歩くつもりなどまったくなかったのに、左右の足は意に反し、上半身を連れて交互に前へ前へと差し出されていく。
押しとどめようにも、言うことを聞いてくれない。
「え、なに、やだ、ちょっと、なにこれ……!?」
「ヴァリスです。公爵を保護。魔法陣ではなく中庭に馬車を向かわせます」
混乱する奏音の横で、彼は肩に乗せた白い鳥に話しかけた。鳥は鳴くこともなく、静かに夜闇へと飛び立った。
「止まってって……ええ!? やだ、嘘やだ、やだってばッ」
足は止まらない。ひょこひょこと勝手に馬車に向かって歩いている。
行きたくない。この先には行きたくないのに。
「やだ気持ち悪いって! やめてってば! いやだッ!」
「お静かに願います」
恐慌状態の奏音に、彼は淡々と告げた。
ぞっとした。
この男性のせいなのか?
信じられないが、まるでそんな口ぶりだ。