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久遠の夜 千夜の果て  ―――辺縁の姫君  作者: トグサマリ
【第一章 辺縁の姫君】
2/44

01-1

 夏―――。

 しゃがれた声のセミは昼夜を問わずうるさく鳴き続け、ただでさえ倦んだ気持ちを更に鬱陶しくさせる。

 梅雨が明けて一週間ほどが経っていた。

 高校の補講後の塾を終え、奏音(かのん)は疲れた足取りで道に出た。むせかえるような熱気に、知らず顔をしかめてしまう。

 辺りは既に暗い。

 朝から晩までうんざりするほどの勉強三昧。受験生だから仕方がないのだが―――早く解放されたい。

 重たく吐息をついたとき、携帯が鳴った。同じ部活動だった祐美(ゆみ)からだ。

「どした?」

 祐美は電話よりもメール派だ。よほどの用件でない限り、電話をよこさない。

『奏音~、あたし、もうだめだぁ~』

「? どうしたの? なにかあった?」

 なんだかぼろぼろに泣いている。

(れん)くん……、別れようってぇ……』

「え?」

『好きなひとできたって……』

「え……」

 喉の奥で、声が詰まった。まさかとは思いながらも、内心ひやりとした。

 誰にも打ち明けてはいないが、祐美の彼氏である齋藤蓮(さいとうれん)は片思いの相手だった。高校の三年間同じクラスでなければ、親友の彼氏というただそれだけの間柄だったかもしれないが。

『やだよ、なんで急に? 誰なんだよ、好きなひとって!』

「ん……、判んないけど……」

『なんか思い当たることない? 教室で誰か合図を送ってたとかそういうの』

「好きなひとがいるって他に、なにか言ってなかったの?」

『聞いたけど! 答えてくれないんだもん、それしか言わ』

 ぷつ。と、耳元で音がした。

「え?」

(あれ? 切れた?)

 この辺りは普通に携帯は使えるはず。祐美が電波の弱い所にいるのだろうか?

 かけ直そう思って携帯を見ると、『圏外』の文字が表示されていた。

(? ―――へ?)

 画面に映り込む光が揺らいだ。何気なく顔を上げた目が、点になる。

 夜の九時を過ぎようとしているのに、まわりが、空が、明るい。

 ありえない明るさ。

 そうして、目の前に広がるありえない光景。

 周囲の変化に、目を疑わずにはいられない。

「……」

 駅へと向かう商店街が、一瞬にして知らない―――現実とは思えない町並みに変わっていた。

 色褪せた看板が灯っていた時代遅れのビルは、身を寄せ合うようにして通りに並ぶ、とんがり屋根の家々になっていた。そして足裏に返ってくる感触に足元を見ると、踏みしめているのは、アスファルトではなく古びた石畳。

(えっ……と……?)

 いつかテレビで観たヨーロッパの古い町並みに似た場所に、奏音は立っていた。

 振り返った道の先も異国の風景が続いていて、まるで朝を迎えたばかりのように――それとも薄暮のように――静かに薄闇に沈んでいる。

 奏音を取り巻いていたはずのいつもの喧騒、いつもの風景が、どこにもなかった。

 静寂。ただそれだけ。車もひとも、町もなにもかもが、消えてしまっていた。

 夏の制服にさらりとした冷気が沁み込んできて、鳥肌が立った。

(なんで?)

 どうしてこんなにも寒いのか。いまのいままで夏の熱気に蒸されていたのに。

 口をぽかんと開いたまま、身動きが取れない。

(―――えと。気の、せい?)

 ここしばらく補講やら塾、通信教育も重なって、ストレスが溜まっていたのは確かだ。

 夢を見ているのだろうか。

 手にした携帯を見下ろす。

 圏外、のままだ。

 眠ったつもりはなかったが、いつの間に寝たのだろう?

 塾の講義中かもしれない。この前、居眠りで講師に怒られたばかりだった。急いで起きなければ。

 奏音は頭を振り、頬を叩いた。

 だが―――再び目を開けてもそこは教室ではなく、見知らぬ町が広がるばかり。目をこすっても強く覚醒を念じても、それは変わらなかった。

「なんなのよ……」

 夢は、こんなにもはっきりとしたものだろうか? こんなにも強い現実味を突きつけてくるだろうか?

 目の前の光景のどこにも、夢にありがちな不可思議な(ひず)みやほころびが見当たらない。

(どういうこと)

 明らかに現実だという強い確信が、じわじわと不安を呼び起こす。

(……)

 どうすればいいのだろう。

 動くべきだろうか? けれど動いた途端なにかが崩れていくような気がして、一歩が踏み出せなかった。

 闇が濃くなりだしていた。寒さも、無視できないくらいになっている。

 わけが判らない。

「―――どうしたの?」

 混乱する奏音の背後から男の声がかかってきて、情けなくもすごい勢いで肩がはねた。

 恐るおそる振り返ってみると、数歩の距離をおいたところから、三人の男たちが興味深げに――まるで獲物を見つけたかのように――こちらを眺めていた。

 外国人だった、が。

「……」

 ありえない格好をしている。

 襟が高く、肩幅を広くとってあるロングコート姿。地の厚いコートは派手に装飾されていて、同じ生地らしいズボンの裾は、膝までのブーツに入れてある。

 なにより、腰に差しているのは―――剣?

(コスプレ、さん……?)

 アニメなどの登場人物の格好をしたがるひとたちのことは、知っている。彼らのような欧米人にも、そういう趣味のひとたちがいるということも。

「変わった格好だけど、どこの店の娘かな?」

(―――え……?)

 にやにやしながら近付く男たちの不思議に、奏音の怪訝な表情がいっそう深くなる。

 聞こえたのは外国語だった。英語とも違う。

 だが、―――意味が判る。

 耳が拾ったのは初めて聞く言語。なのに、どうしてだか頭の中で、音が意味を構築していた。こんな経験は初めてだった。

 呆然とただ見つめ返すだけの奏音になにを思ったのか、男たちは小声で素早く話し合う。

「見かけない顔立ちだな」

「外国人だぜ」

「言葉判るのか?」

「関係ねぇよ」

「こんな格好だ、商売女にゃ間違いねぇって」

(ちょッ)

 膝の上まで剥き出しな足に注がれる視線、声をひそめて(ささや)き合うその内容から、制服姿の奏音を勘違いしていると知れた。

 一歩、後ずさる奏音。しかし逃げようとする肩を、素早く背後から摑まれた。

「や!」

 弾くように身体をひねったが、男の手は外れない。

「怖がんなって」

 酒臭い息が生々しく頬を掠めた。背筋を悪寒が駆け上がる。

(なんなの、これ……!? 冗談!!)

「やめてください……!」

 喉からは、裏返った声しか出ない。

「喋れるんじゃねぇか」

「こんな時間ひとりでどうしたんだァ? 旦那に逃げられでもしたのか?」

「そりゃぁ大変だ。いまからおれたちが(あるじ)にとりなしてやるよ」

「違うっ、あたしは……!」

 高校生です、未成年です。その言葉が声にならない。続いてくれない。

 男たちは奏音を取り囲み追い詰める。目はぎらぎらと血走り、明らかに言葉とは別の目的を持っていた。

 帰宅途中の女性が乱暴され殺された事件が、記憶のごく新しいところにあった。つい最近隣の市で起きたばかりで、高校でも注意を喚起されていた。

(やだ)

 恐怖に喉が押し潰される。

 悲鳴をあげたいのに肺に息が届かない。

 このまま殺されてしまうのか。

 足はすくんで、根が生えたように一歩も動けなかった。

(やだ! 誰か! 嘘だって言って!)

 どうして夢から覚めてくれない!?

(誰か助けて!)

 早く覚めて!

 早く!

「―――なにをしている!」

 男たちの禍々しい手が奏音へと伸びたとき、厳しい詰問の声が遠くから割って入ってきた。

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