五章 憧憬の空
暗闇を抜けると、そこは広いシャボン玉の中の公園だった。色とりどりの積み木の散らかった砂場、樹の枝を使ったブランコ、それに数羽の白い鳩。後足りないのは利用する人だけだ。
「リーズ……?来たよ、どこに居るの?」
辺りを見回すも返事は無い。仕方なく公園を横切り、丸太と蔓製のブランコに座った。子供達が遊ぶように揺らしてみる。足が地面に着かない程大きく振れると軽く恐怖を感じた。
「怖い?この程度で?」
樹上であの人が悠々と座ってこちらを見下ろしている。瞳は血のように赤く、何故か左側の肩甲骨からだけ真っ黒な翼が生えていた。私と同じ顔とは思えない程、あの人の笑みはどこか意地悪気で。
「どうやらここは俺も実体化出来る空間らしいな。よっと」
「わっ!」
私の両側に足を乗せ、蔓を持って力強くブランコを振る。身体が地面と水平になり、怖くて手をブルブルさせていると、あの人は面白がって更に上昇しようとする。
「止めて!落ちてしまいます!」
「これぐらいで落ちるもんか。しっかり掴まってさえいりゃあな」
飛んで行ったらどうなるんだろう。着地の拍子に骨折ぐらいしそうだ。
「お止めなさい影よ」
制止の声と共にブランコの速度がガクン、と落ちた。その後二、三回揺れてピタリと停止する。
砂場の向こうから空間を裂いて現れたリーズに、私は頭を下げた。「リーズ、ありがとう」
「どういたしまして。だけど誠君、今はエミルって呼んでもらえる?」
「?背が高くなったから?服も全然雰囲気違うし、杖だっていつものより繊細なデザインだ。あ、そもそも顔付きが違うね。一緒なのは氣だけ、かな?」正確にはそれも少し違うけれど。
あの人がブランコの後ろへ飛び降り、衝撃で丸太が大きく揺れた。
「いいよリー、じゃなくてエミル。あなたもそうして下さいね」
「そいつは構わないがどう言えばいい?エミルオバサン?それとも婆さんか?」
「普通に呼び捨てで結構です!ウィルさんといいあなたといい、年の事で人をからかわないで下さい!」杖をブン!と振る。「私はまだ三十代です!」
「ご、ごめんなさいリーズ。悪気は無いんだけど、この人少し口が悪くて。エルと話す時もこうで……ごめんなさい」
彼女は少し顎に指先を当てた後、クスリと笑った。大人っぽくなっても、この笑顔は確かに友人だ。
「しょうがないなあ。今日は誠君に免じて赦してあげる。但し今度言ったら制裁措置を取りますよ、いいですね?」
「はいはい、好きになさいなお嬢さん」
杖を一振り。放たれた光が砂場の上の積み木を見た事のある建物、正確にはそのミニチュアに変える。アイゼンハーク家、さっきまで私達のいた煉瓦屋敷だ。でも、夜なのに窓の明かりは無い。模型だから?
「まず使用人部屋」
リーズの人差し指が屋敷一階の奥の窓に触れる。すると、その区域が蒼い光に包まれて、跡形も無く消えてしまった。二階の数部屋が重力に反し完全に浮いた状態だ。
「リーズ、今のは何?どうして落ちて来ないの?」
「エミルだってば」
「あ、ごめんリ、エミル、さん」
ケラケラ。大きくなっても笑い方は同じだ。
「やっぱりいつも通りでいいよ、誠君だけは。無理言ってごめんね」
今度は二階の浮いていない角部屋を消す。
「これは、こうやって現の夢の弱い所を切り離して少しずつ現実に返しているの。これだけ範囲が広いと、最後全部戻した時に影響が出ちゃうから。私の力で特異点を消滅出来るぐらい狭くしておかないと」
「特異点?」
「ピンポイントに夢が残っちゃうの。もし広範囲だと、夢同士が干渉し合ってまた新しい問題を引き起こすわ。持ち主のない夢を消すのは夢使いと言えど凄く疲れるの。この作業はそのための予防措置」
「蟻が這い出てくる春の前に、片っ端から巣穴に殺虫剤突っ込むようなもんか」
「悪くない比喩です。実際特異点はしばしば異臭や怪音、幻影を引き起こします。蟲のイメージは悪夢の中でもスタンダードな物。私も散々見てきました」ブルッ。「思い出しちゃった、うう……やだぁ」
「どれぐらいまで小さくすればいいの?」
リーズが両手で作った四角は、ミニチュアの面積の大体四分の一。
「そんなに?」
「今回はそんなに難しくないよ。原因が分かっているから」
私はブランコを降り、精巧なミニチュアに近付く。中から微かに皆の氣を感じる。……?これは……それに、この不穏な氣……。
「ベリドだよ。屋敷にいた時は感覚が鈍ってたから感じ取れなかったはず」
強い憎悪の氣が肌をひしひし刺激する。それを上回るは、悲嘆だ。
「誠君離れて」ぐい、リーズの大きくなった手が私の肩を掴み、再びブランコへ座らせた。
「ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。……大丈夫そうだね、良かった。これだけ強い悪夢だと、感受性の高い人は近付いただけで精神的ダメージを受けてしまう事があるの。誠君みたいに敏感なら尚更」心配そうに覗き込み「何か聞こえた?」
「――泣き声」
「そう……」
誰にも愛されず、彼は怒りに震えながら酷く悲しんでいる。私の腕を掴んだ小さな手の感触を思い出す。不慣れな親切に緊張し、強張っていた肩。
「ケルフと、シャーゼさんも閉じ込められているの?」
政府員の彼はともかく、アパートで作曲しているはずの友人がどうしてアイゼンハーク家に?彼もエルの派遣してくれた応援?
「お兄ちゃん達は抜け道を使って入って来たの。誠君達を助けるために」
「え?出口があるの!?」
吃驚して立ち上がりかけた私を、彼女は手で諌めた。
「――うん、例の地下室のベッドの下にね。でも今は操られたあいつがいるからとても危険。それに……」数秒の沈黙。「何れにしても悪夢はもうすぐ終わり。逃げる必要は無いよ」
専門家の言葉に、私は信じて頷くしかなかった。
夢と現実の切り離し作業が再開され、屋敷は中央部分を残して大分小さくなった。これでギリギリ四分の一だ。
「これで限界ね。後はベリドの夢が晴れるのを待つだけ……」掌同士を合わせ、目を閉じる。「ウィルさん達が起こした瞬間からは私の仕事。残った場所全てを現実へ反転させる。大丈夫。今は学生だけど、エミルの頃は歴代最高の夢使いだったのよ。必ず成功するわ」
父親に殴られた時のベリド君の目。精神を病み、現実の暴力に怯える少年は、弟よりも僅かしか大きくなかった。本当に彼一人でこの事態を引き起こしたのだろうか?そう尋ねると、リーズは俯いたまま首を横に振った。
「多分違う……あの子は夢を見れても扱う才能が無いもの。きっと操っているのは別の人。だけどそれが誰なのか、私にも分からないわ。今の時点で出来るのは主、ベリドを起こして夢を終わらせる事だけ。黒幕を突き止めるのは恐らくそれからでも遅くはない……はず」
悲しげな目で小さくなったミニチュアを見、ポツリと漏らす。
「誠君、私ね……あの子を」
殺したの。
「え……?」
言葉の意味が解らない。どうして?彼はまだ生きている。縋り付いた手の感触を、私ははっきり覚えているのに。
「正確にはあの子を攫った幽王様から、残った抜け殻を貰い受けたの。直接手を下した訳じゃないわ。どうやって大図書館を抜け出してきたかは分からない。でも目的は間違い無く私への復讐よ。自分の肉体を奪っていいように使った、ね……」
「あの餓鬼の身体を使っただ?おいおいお嬢さん、ショタコンの気があんのかよ。剥製にしてニヤニヤ撫で回したりとか――ギャー!おまわりさーん!」あの人が巫山戯て叫ぶ。
「勝手に人の性癖を捏造しないで下さい!!」頬を思い切り膨らませて怒るリーズ。「そう言うあなたこそさっきから誠君にベタベタ触って、絶対そっちの気あるでしょう!?」
「俺達は一心同体だ。あの変態野郎と違って気もへったくれもあるかよ。なあ?」
け??二人は何の話をしているの?
「止めて下さい!誠君はあなたと違ってノーマルなんです!変な道に引き摺りこまないで!」
「それこそあいつに言ってやれ。――で、話をはぐらかすなよ。あの餓鬼の身体、剥製じゃなきゃお前何に使ったんだ?俺達みてえに頭からバリバリ喰ったのか、それとも」
ポロッ。
不意に零れ出た涙が落ち、七色の光が砂地に乱反射して弾けた。
「私はそんな野蛮な事しません。……だって、しょうがないじゃない。ああしないとティトゥを……あの子を助けられなかった」
手で涙を拭う。
「でもこれからどうすればいいの?まさか自我が戻っていたなんて。何時から?今の所問題は無さそうだけど……」ブツブツ。「不都合が出ても私には無理。ティトゥを消滅させるなんて……そんな残酷な真似」
ベリド君の事とは別に大きな悩みがあるみたいだ。私が尋ねると、リーズは全身を一度脱力させた後、今はまだ言えない、そう答えた。
「私自身今夜は色々あって頭が混乱しているの。とても正しい判断を下せる状態じゃない。状況を整理して考える時間が欲しいの」
「そう……あの、リーズ。何時でも相談してきていいよ。私じゃなくても白鳩の皆とか……他の夢使いの人は?」
「昔から私は一匹狼なの。頼れる同業者なんていないわ」
彼女は不意に後ろのあの人を指差す。
「誠君はその人が邪魔だと思った事ある?」
「え?う、ううん……一度も。物知りだし、さっきだってこの人がいなかったらエルと話せなかったもの」
「その人があなたに害を及ぼしても?」
「――何が言いたい、お嬢ちゃん?」不機嫌な声。「俺はこいつに何も悪い事はしてないぜ」
「でも良い事も、していないでしょう影よ。夢使いを侮らないで下さい。あなたの正体を今ここで誠君に教えてもいいんですよ?」
「出来もしない事を口走るなオバサン。ハッタリかますならもっと上手くやりな」ハッ!得意気に鼻息を吐く。逆にリーズは微かに握り拳を震わせて怒りに耐えた。
「言えるはずがないさ。それを聞いたお前が次に何をするかぐらい、この小娘だって重々想像出来てんだ。そうだろ?」
「……誠君、その人の名前はリンだよ。燐火の、燐」ニヤリと笑って「“黒の燐光”の燐とも言うね」
「え……?な、何でリーズが知っているの?今日会ったばかりなのに」
「内緒。ね、小晶 燐さん?」
「けっ!そこまで知ってて手前、今度は何が目的だ?凋落した家の再興か?それとも地獄みてえな永遠の時が欲しいのか?」
今度?燐さんは前にもリーズと会った事があるの?
「いいえ。今の私はもうただの女学生、どちらもノーセンキューです。楽しいお喋りの友達目当て、じゃいけません?」
「ショタコン!」
「だから違うって言ってるでしょう、このブラコン!大体誠君はショタの守備範囲外ですよ。寄って来ても別の」
「変態が引く手数多だ。あー、ゾッとしねえ」
燐さんは小さくなった屋敷のミニチュアに無造作に触れた。
「お嬢ちゃん。さっき呼び付けといてしばらく来なかったのは」
「後から入って来た二人に加護を与えていたの。全員に施すと、流石に最後に戻す時の魔力が足りなくなってしまうから」
「あの変態含めて三人でどうにかしろって?無謀にも程がある。餓鬼がとんでもなく強かったらどうする気だ?」
立てた親指を自分に向ける。
「もう俺達がここにいても仕方ないだろ?戻してくれ、勿論その加護付きでな」
「リーズ、私からもお願い。皆がベリド君を起こす間、ずっと待っているなんて耐えられないよ。守ったり怪我を治すぐらいしか出来ないけれど、行かせて」
私の頼みに、友人の栗色の目が躊躇の色を帯びる。
「どうしたの?」
「……誠君、黒幕の真の目的はもしかすると……ううん。きっと私の勘違い。最近変な事件ばかり見てて疑心暗鬼になっているだけ」
自分でそう言い聞かせ、首元からアクアマリンが一粒付いたネックレスを外す。そして私の首の後ろに手を回して、カチャッ。
「アイゼンハーク家のよく効くお守り。誠君にあげるよ」
「え、でも大事な物じゃ」
左手の薬指に嵌った四つ葉を模したエメラルドの指輪を見せ、私にはこれがあるから大丈夫、と自信満々に言った。
目の前のシャボン玉の壁が縦に割れ、不死の目でも見通せない闇が顔を覗かせた。
「気を付けてね!」「リーズもね」
先行する燐さんの背中を追い掛け、私は暗闇に飛び込んだ。
俺達が向かった時、食堂は何故か閉まっていた。扉の前に天宝商店の面々が立ち竦んでいる。中で待っているはずのアイザの母親も、娘の腕に縋り付いて一緒だ。
「あなた、あのベリドって子供はどこ!?」
リュネの剣幕に、しかし彼女はぼんやりした表情で、この中です、とだけ言った。様子が変だ。まるで目の焦点が合っていない。
「ベリドに何かされたのか?」
「分からないよ。アタシ達が来た時にはもうこんな感じになってて……それよりあの子がどうしたの?」
「あいつがこの怪事件の元凶だ。あの餓鬼を捕まえて叩き起こさない限り、俺達はこの屋敷から出られない」
オリオールが金のノブをガチャガチャ回し、俺の方を振り返る。
「やっぱり開かないよ!お兄さん壊して!」
「ああ」
「待った!」
予想してなかった声。振り向いて更に驚いた。
「ケルフ!……と、何でお前がいるんだシャーゼ?」
「お前の弟直々に頼まれた私に対してその言い草は無いだろう。フン、お前等が不甲斐無いせいで苦労するのはこちらだ。精々自覚を持て」
言うだけ言って辺りを見回す。嫌味の一番の聞き役を探しているようだ。
「まーくんなら今エミルに呼ばれているぞ。残念だったな」
「あの女の所だと?何のためにだ?」
こいつ等もリーズに会ったのか。ケルフは気付いたのか?彼女が義妹だと。
「知るか。今俺達がやるべきはこの扉をぶち破って、中にいる餓鬼の目を覚まさせる事だ」
「ベリド……か」
義息の頬は薬でも塗っているのかテカテカで、しかも薬草の臭いがプンとした。拳銃を構え、ノブに照準を合わせる。
バンッ!バンッ!
二発の銃弾が鍵を破壊した。僅かに開いた扉の向こうは暗闇で何も見えない。
「義父さん」
義息は何時になく真剣な目で俺に向かい合った。
「これは俺の問題だ。ベリドは俺が止める。ここにいてくれ」
口より先に手が出ていた。音が出る程頭を殴られて呻く。
「お前まで秘密主義か!俺だってまーくんに頼まれてんだよ。エミルみたいに一人で何でもしようとするな」渡されたブレスレットを示す。「ほら、加護なら俺も持っている。足手纏いにはならないぞ」
「そう言う問題じゃないんだ義父さん。ベリドは俺を恨んでいるはずなんだ。殺したいぐらいに」
「つまり囮になるって事だな?だよな?そうとしか取らないぞ俺は」そう言って義息を扉の中に蹴り入れる体勢を取る。
「ちょ!んな無茶苦茶」
「五月蠅いわよ人間!」ガチャッ!銀の銃口がケルフの額を捉える。「異常事態ばかりで頭がおかしくなりそうなのに騒がないで!どうしてあんな子供のせいで、坊ちゃまや私達が閉じ込められないといけないのよ!?」
「坊ちゃま?小晶の事か?」
「気安く呼ぶな!お前達とは比べ物にならない程貴い御方だ!」
剣幕にシャーゼは十数秒何事か考えた後、いつものせせら笑いを浮かべた。
「ああ、そうか。お前小晶の家のメイドか何かか?主人がああだと大変だな、心底同情するぞ」
「え、ええ……雇用ではないけれど似たような物よ。お前も坊ちゃまの世話を?」
「まあな。そいつ等だけでは快方に向かわないだろうと思ってな、時々声を掛けてやっている」
「本当?」
双方の、特にリュネの誤解が解けないかはらはらしながら見守る。まさか自分も含めて誇大妄想だと思われていると知ったら彼女、本気で雷銃を乱射しかねない。現在の評価は恐らく体質を心配してくれる珍しく親切な六種、って所だろう。この様子だとエルの奴、彼女の素性は一切説明していないらしい。まぁ言ったら最後、父親の仇の事もあるこいつだ。余計な喧嘩を売って戦争の火種を点けかねない。
六種嫌いの不死族は安堵の微笑を浮かべ、礼儀正しく親愛の一礼をした。
「感謝します。坊ちゃまがこの外界で生活なさるには色々不都合があるでしょうから」
「そうだな」
「聖族政府にはあろう事か、第七対策委員なる巫山戯た名前の部署があると言う話。六種など私達の足元にも及ばないけれど、政府館に出入りする坊ちゃまが心配だわ」
「安心しろ」ニヤニヤ。「小晶などマークしても仕方ない」
「確かに。情報を得ようにも、坊ちゃまには記憶が無いものね」
「あった所で有益な情報源になるとも思えんがな」
「……それもそうね」
恐ろしい会話成立光景。こいつ等、とても敵同士とは思えない意気投合ぶりだ。
互いに確信的な笑顔を向け、武器を手にする。
「意外な協力態勢が出来たね」アイザが小声で呟く。「まあ、今は争っている場合じゃないし」
俺は少年の小さな肩をポン、と叩いた。
「オリオール。俺達が中に入っている間、皆を頼む」
コックリ。黙って頷く子供に、逆にこちらが不安を覚える。
「いやに素直だな。拗ねてるのか?」
「だって僕、ここじゃ足手纏いなんでしょ?」
「はっきり言えばな」
むくれるかと思いきや、彼は小さな肩を竦めただけだった。
「いいなぁ……僕もお兄さんみたいに強くなりたい」
「俺は強くなんてないさ。偶々このブレスレットを受け取っただけで、こいつが無かったらお前と同じ無力だ」
「違うよ。僕が言いたいのはもっとフヘンテキな……」
バタンッ!!
扉が勢い良く全開し、中から冷たい突風が吹いてきた。
「どうやら先方は待ち草臥れてるみたいだ。行くぞ」流された髪を直しながら一瞬考え、「三人共」と続けた。
「リュネ。餓鬼にお前の攻撃は通じないが、フォローを頼めるか?」
「分かっているわ」
素直な返答に思わずこちらが目を剥く。
「聖族の分際で命令するな、とか言わないのか?」
「?私は坊ちゃまの御意志でお前達に手を貸すのよ。あの方の意向に異を唱えるなどと言う愚行は犯さないわ。それに」口元に手を当て、少し恥ずかしげに「お前は聖族なのに全然聖族らしくない。不死のために命を張るなんて真似、馬鹿としか思えないわ」
さっきの話をまだ引き摺っているのか。「そうか」
「あれは本気なの?答えて」
「割と。せめて俺ぐらいは信じてやらないと、って感じだ」
何故そんな質問をするんだろう?自分も彼を充分過ぎる程愛し、大事に思っているだろう?そう返すと、彼女は力無く首を横に振って否定した。
「違う……お前は私達よりもずっと……純粋にあの方を」
?悔しさに今にも泣き出しそうな顔。どういう意味だ?
「リュネ様……」
「良い六種に恵まれたわね、坊ちゃまは」
何時までも立ち話していても仕方ない。天宝の人々と少年を残し、俺達は食堂へと踏み入った。
―――ゴウゴウゴウ……。
寒風が更に厳しく肌を刺す。
「夢の世界に吹く絶望の風だ」義息がどこか熱に浮かされた感じで呟く。
「僕が帰って来た」
ベリドはちょっと見ない間に急激な成長を遂げていた。最早少年の背丈ではなく、何より、
「ど、どういう事だこれは……?」第七対策委員が、隣のケルフと瓜二つな姿を見て驚愕の声を上げる。「何故お前がもう一人」
「身体を返して。そして君は今度こそ死ぬべきだよ、ティトゥ」
「嫌だよ、んなの。お前自分が逆の立場だったらって考えてみろ?はいとか絶対無いに決まってる。大体お前の魂じゃ返した所でマトモに扱えない、無駄だよ」
拳銃を分身の頭に構え、引き金に指を掛ける。
「同情はするさ。だがお前も遠縁とは言えアイゼンハークの人間だ。運命だと思って大図書館へ帰れ」
「泥棒!」
話は一向に見えないが、どうやら穏便な解決は難しいようだ。
義息を憎々しげに睨みつつ、ベリドは右手をサッと振った。
「五月蠅い!僕一人でできるもん。皆、死んじゃえばいいんだ!」
叫びと共に暗闇に沈んでいたテーブルや椅子が浮かび上がり、俺達目掛けて勢い良く飛んできた。
ガンッ!ガンッ!
三人で武器を振るい、高そうな家具を片っ端から床に叩き付け破壊する。
「一気に片付けるわよ人間!」リュネがケルフに向かって言い、電流の銃弾を少年だった者へ見舞う。効かない弾だったが、相手は素早く目の前にテーブルを一台召喚してガードする。
バリバリバリバリ!!
「無駄だよ効かな―――ぐぅっ!!」
胸を押さえて蹲った身体が、見る見る内に元のサイズに縮んでいく。
「残念だったわね。子供だから知らなかったのかしら?磁力を持った銃弾の威力は数倍増しになるのよ」
電流の持つ磁力に義息の放った弾が吸い寄せられ、速度と連動して破壊力を増大。硬い盾さえ貫通したって訳か。
「え?そうなのか?」肝心の義息は勿論知る由も無く、頓狂な声を上げた。「てっきり目晦ましだと思ってたぜ」
言いつつ、小さな頭に銃口を向ける。
「お前の負けだベリド。ほら、現の夢が覚め」
ガガガガッッッ!!!
暗闇が晴れると同時に、屋敷全体を激しい揺れが襲う。大理石の壁が崩れ、外から燃え盛る火炎が噴き上がった。
「ど、どうなってるの!現の夢はまだ」
「いや!これは現実の火事だ!皆、早く逃げろ!」
「おい!餓鬼が逃げたぞ!」
少年はよろめきながら奥のドアを開け、中に身を躍らせる。
「待って!」
突然目の前で空間が裂け、出てきた誠が後を追う。
「まーくん戻れ!」「いけません坊ちゃま!」
止めようとした俺達の数十センチ先の天井がガラガラッ!と崩れ落ちる。辛うじて収まった時には、既に彼の姿はドアの向こうに消えてしまっていた。他の天井も亀裂が入り始め、崩れるのは時間の問題だ。迷っている暇は無い。
「ケルフ、シャーゼ。アイザ達を連れて急いで屋敷を出ろ。エミルは」
「彼女は大丈夫。義父さん、無茶すんなよ」
ドアを見つめたまま硬直する政府員に「おい、逃げるぞ」と声を掛けた。
「あ、ああ……」
ドアの前は先程の瓦礫で埋まって通れない。迂回路を探し俺達は進む。途中何度が壁や天井の崩落に遭い、その度剣と銃弾で振り払った。
熱い。炎の勢いは段々と強くなり、皮膚がジリジリ焼ける。
「坊ちゃま!?どうか返事をなさって下さい!!」
玉の汗を流しながら不死族は懸命に叫ぶ。「まーくん!!どこだ!?」俺も負けじと声を張り上げた。
ガラガラガラッ!!!「危ないっ!!」
今までに無い大規模崩落がすぐ頭上で起こった。彼女の咄嗟の体当たりで弾き飛ばされ、俺は前のめりに倒れる。
「リュネ!」
下敷きになった彼女を急いで引っ張り出す。が、助け起こした時、俺は予想外の事態に目を釘付けられてしまった。左腕の肘から先が瓦礫に押し潰され、完全に切断されていたのだ。グチャグチャの傷口から止め処無く血が溢れる。
「平気よ。じきに再生するわ」ポケットから取り出したハンカチで切断部を覆い、右手と歯を使って縛ろうとする。「やっぱり靭みたいに上手く出来ない……な、何をするの!?」
「黙ってろ、ズレる」よし。これで無理に動かさなければ大丈夫だろう。「出来たぞ。無茶はするなよ」
リュネは何故か真っ赤な顔で「せ、聖族の分際で……でも、その……ありがとう……」礼を言った。
「?ああ。早くまーくんと脱出してちゃんと治療しないとな」
痛覚が無くて幸いだった。六種なら失神するか、そのまま出血性ショック死しかねない重傷だ。
「待って!」
ベリド君はもう歩く事さえままならないようだ。床に倒れ込み、小さな胸をゼイゼイ苦しそうに上下させた。
「怪我をしているの?もう大丈夫、すぐ治すから」
今にも消えそうな氣を包み込むように奇跡を使う。胸の傷は……良かった、塞がった。
「白い鳩のお兄さんの手……温かいね……」
光の無い目から一筋涙が零れた。
「僕、もうあんな寒い図書館に戻りたくないよ……でも小母さんもティトゥも、誰も助けてくれなかった……とっくに忘れられて、いらなくなっていたんだ、僕は……」
「そんな事ないよ。ただ二人共、君を助ける方法が分からなくて困っていただけ」
ねえ。私は彼の前髪を梳きながら語り掛ける。
「時間は掛かるかもしれないけれど、リーズは絶対良い方法を探してくれるよ。天才なんだもの。だからそれまで――私の身体を借りて生きてみる?」
「え……?」
燐さんがワンワンと口汚く罵る声を意識的にシャットアウトして言葉を続ける。
「一人増えるぐらい大した負担じゃないと思うし……どう、かな?」ガツンッ!聞いてないとみるや今度は実力行使に訴えてきた。後頭部を思い切り叩かれる。「この人、ちょっと暴力的だけど、アイゼンハーク卿よりはずっと優しい人だよ」
「どうして……?白い鳩のお兄さんは僕と他人なのに、そこまでしてくれようとするの?エミル小母さんでさえ放っておいた問題児の僕を……」
「お人好し、だからかな。困っている人を放っておけなくて」
「この阿呆!天井が崩れるぞ!」
「えっ!?うわっ!」
辛うじて氣の壁を作り直撃を免れる。幸い、瓦礫同士が頭上で重なって丁度二人分の空間が出来た。それでも石壁の隙間から熱気が吹き込んでくる。奇跡で彼を保護しないと。
「鳩のお兄さん……僕」
「大丈夫だよ、すぐにウィル達が迎えに来てくれる。だからこっちに来て」
まだ熱波が来ていない私の背後に彼を移動させる。背中に小さな身体の感触。
そうしてどれだけ時間が流れただろう。荒れ狂う炎は私達の元を去り、焦げ臭さを残して轟々と遠くへ行ってしまったようだ。そして、
ガラガラガラッ。
「坊ちゃま!」「まーくん、無事か!?」
短くなった腕に血染めのハンカチを巻いたリュネさんが手を伸ばしかけて、途中で何故か首を振った。「聖族、坊ちゃまを引き上げて差し上げて」
「ああ。掴まれまーくん」
「ちょっと待って」後ろ手に背中の少年に触る。「ベリド君、起きて……え」
体重が消えた次の瞬間、視界の端に白い物が見えた。
パタパタパタ……。
「は……と……?」
“赤の星”には生息していないはずの、数羽の白い鳩が飛び立っていく。太陽の無い灰色の天井へ真っ直ぐ、その先に広がる宇宙を目指して。
「ありがとうお兄さん」
「ベリド君……」何も飛んで行ってしまう事なかったのに。




