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三章 夢屋敷



 季節に合わせ天井ドームの照明が八分方消えた頃。隣室にいたリュネと合流し、五人揃ってアイゼンハーク家の荘厳な門を潜った。

義息は今夜中にもう一曲締切があるとかで同行せず。とても直前までテレビゲームに熱中していた人間の台詞ではない。主に対戦していたのはオリオールで、俺達はそれぞれ一ゲームずつ触った程度で止めた。特に腹が膨れ、心配の種も無いアイザはうたた寝て途中でコントローラーを持っていられなくなり、そのまま出発の一時間前までぐっすり熟睡。ボタンをガツガツ押してコンボを決める二人を応援したり、青臭い漫画のページを捲ったり、ちゃぶ台に凭れて居眠りする誠を眺めたり、実にのんびりと午後を過ごした。因みにリーズからの連絡は無し。メールを見る暇も無い充実した学校生活を送っているらしい。――そうそう、ケルフに携帯借りて爺にも電話したんだっけ。

『お帰りは明日ですか?』

『多分な』

 今回も危険だとは一切言わず、コンシュ家の時と同じようにエルからパーティーへの出席を頼まれたとだけ伝えた。

『オルテカじゃ有名らしいぜ。爺、知ってるか?』

『いえ、不勉強なもので。お土産楽しみにしていますよ』

『ああ、じゃあな』

 電話を切って安堵の息を吐いた。勿論また上手く嘘がバレなかったお陰だ。

 聖書に描かれているような悪魔のドアノックを叩く。ドアを開けた不気味な若いメイドが、どちら様でしょうか、と酷く棒読みで尋ねた。順に名乗ると、お連れ様方は既にお待ちです、どうぞ、中へ案内された。

 立派なドアを潜った瞬間、「ん?」振り返ると、後ろにいた誠が小首を傾げていた。

「どうしたまーくん?」

「ううん。今一瞬変な感じがしたから……リュネさんは感じませんでしたか?」

「いえ、特には」

「そうですか。じゃあきっと私の気のせいですね。早く入りましょう」

 そんな会話の後、茶色い長毛絨毯の敷かれた玄関ホールを抜け、全面大理石の廊下を右に曲がって部屋に通された。高級な調度品ばかりの食堂中央に設えられた、二十人程が座れる長方形のテーブル。手前には既に天宝商店の三人が座り、上座はアイゼンハーク家の人々……?

「おおお主ら、丁度良い所に来たの。アイゼンハーク卿、彼等が今話していた政府組織の」

 憮然とした髭面の当主、ビル・アイゼンハークは目線を巡らせ、「最近の聖族政府は未成年もこき使うのか?随分人材不足なんだな」鼻で嗤った。

「この子は政府員じゃない、彼の付き添いだ。身体が弱いんでな、特別に許可している」

 俺の説明にも穀潰し野郎は興味は無いようだ。再び視線を宝氏に戻す。

「で、骨董屋。“あれ”はきちんと買い取りしてもらえるのだろうな?」

「先程うちの鑑定士とも相談したが、矢張り実物を見ない事には判断付きかねます。電話で話した通り、この夕食会が終わり次第拝見させて頂きたいのじゃが」

「ああ、儂は“あれ”が処分できれば構わん。この馬鹿息子さえ騒がなくなればな」


 ガタンッ!突然息子達の中で唯一の少年が立ち上がった。「エミル小母さんが言っているよお父さん。あの部屋に入っちゃいけないって!夢が覚めてしまうんだ!」


「黙れベリド!客の前でまでお前と言う奴は!!おいワーズ!」

「は、はい父さん!」

 少年の隣に座っていた十七、八の気弱そうな青年が返事をする。

「早く食事を終わらせて薬を飲ませろ!五月蠅くて敵わん!」

「ドアを開けたら終わるんだよお父さん!!」

 金切り声を上げる少年を兄は宥め、ロールパンを千切って無理矢理口に入れようとする。他の四人の男達は慣れているのか、冷ややかな目で傍観しているだけだ。

 そう。弟は、残った家族は『三人』と言っていた。なのに目の前には当主に似た顔立ちの男がもう四人、席に着いて飯を食っている。ただの親戚でない証拠に、彼等は時々当主を父さんと呼んだ。実は十人兄弟?考えづらい。弟の事前調査で四人も漏れていたなんて。しかしそれ以外、

「あの、お取り込み中済みません。折角御招待頂いたのに私達、皆さんの名前も知らないのです。ビル・アイゼンハークさん、宜しければ皆さんを紹介してもらえませんか?」誠が優雅に一礼してそう頼んだ。

「ほう」当主は眉を動かして彼を注視する。「お前も上流階級の人間だな。マナーを心得ている。どこの星の者だ?」

 口を開こうとしたリュネを片手で制し、見た者が蕩けるような笑顔を浮かべた。

「秘密です。両親の反対を押し切ってこの職業に就いてしまったので、噂になると連れ戻されてしまうのです」

「奇特な坊主だな、良かろう。おいお前達、客人に挨拶をしてやれ」

 長男から順番に名乗られ、俺は頭が真っ白になった。記憶の中の資料で×になっていた四つの名前と完全に一致している。

「皆さん素敵なお名前ですね。あ、申し遅れました。私は小晶 誠、こっちが白鳩調査団代表の」気付いているのかいないのか、素知らぬ顔で後から来た面々を順に紹介していく。「宜しくお願いします」

 誠の雰囲気に和んだのか、当主は末息子への怒りも忘れて俺達に色々質問してくる。貴族って予想通り退屈してるんだな。最近の流行ぐらいテレビや新聞で勉強しろよ髭親父。記憶喪失でも、美人でも、可愛くもなく、素直でもないオッサンがいい年してそんな事も知らんのか!?

 当主は駄目人間だが、夕食は簡略式でない文字通りのフルコースだ。キャビアやソテーしたフォアグラ、サーモンのマリネが一口ずつ盛られた前菜に始まり、旬の菜の花をメインにしたサラダと豆のスープ。パン類はロールパンとブリオッシュが籠一杯に盛られて出てきた。メインの魚料理は白身魚のフライに赤ワインベースのソース掛け。こってり重いビーフシチューとの間にさっぱりした蜂蜜レモンのソルベが供された。

(ん?あれ……?)

 シチューに沈む肉塊を、誠は実に旨そうに口にしている。加熱し尚相当の脂身があるにも関わらず、だ。何時の間に食べられるようになったのだろう?

数種のチーズとカットフルーツを終え、いよいよお待ちかねのデザートとプチフール!今が食べ頃の苺をクリームにもふんだんに使ったミルフィーユ。アイゼンハーク家は甘い物に目が無いらしく、本来ならクッキーなど小さめの菓子で終えるプチフールは、ミルフィーユと同程度の大きさのバナナクレープシュゼットだ。甘さ控えめのバニラアイスの上から粉々にした胡桃、そして芸術的キャラメリゼ。これで美味くないはずがない。満腹も忘れ存分にスイーツを楽しむ。

「これ美味しいね。聖樹さんにも食べさせてあげたいな」

 肉入りシチューは勿論、料理は半分程度しか口を付けなかった誠も、甘味は別腹なのかぱくぱく。隣の少年は人生経験が足りない故、折角サクサクの生地を見事にクリーム塗れでベシャベシャにしてしまっていた。まぁそれもまた一つの楽しみ方ではあるのだが、と一人心の中で苦笑する。

「リュネさんはどうですか?」

 ハッ!モグモグ甘味を噛み締めていた不死族が慌てて振り向く。

「え、ええ!良いシェフを抱えているわね、私達一族程ではないけれど」

 挑発的な発言に、しかしワインの入った当主は上機嫌で「そいつは素晴らしい。是非今度招待して欲しいものだ」却って妙な結果になってしまった。

 反対側に座る天宝の人々、とりわけアイザの母親は始終旨そうに皿を平らげていた。但しナイフの使い方を忘れてしまったらしく、一口で入らない魚や肉を娘に切り分けてもらっている。注意が料理に逸れているので、アイザも比較的リラックスして食事を楽しんでいるようだ。

「美味いかアイザ?」

「勿論。でもまさか貴族の屋敷でこれを食べられるとは思わなかったよ」クレープシュゼットを口に運びながら、嬉しそうに彼女は笑う。「ねえお母さん?」

「ええ。何が出てくるか不安だったけれど、好きな物で良かったわ」残ったシチューをスプーンで掬いながら母親も笑顔で言った。「美味しい」

 食後の紅茶を飲んだ後、「ではそろそろ行こうか」当主が徐に立ち上がったのに合わせ、六人の息子達も席を離れる。だが、付いて来るのは年少の二人だけのようだ。俺達も宝爺さんと四を先頭に食堂を出た。

 玄関ホールを横切り、下への階段を降りる。倉庫らしき地下室には歴代アイゼンハーク家の功績を称える盾を始め、宝石を散りばめた壺や動物の像、鷲やトナカイの剥製、黄金の調度品等々が所狭しと置かれていた。

「素晴らしいコレクションですな」

「そうでしょう!殆どはエミルの亡き父親が集めた物でな。あの人の審美眼は今でも尊敬させられる」

「ほう。お義父上は何か商売をなさっていたのですかな?」

「するはずが無いだろう。何故貴族が下賎の者に混じって働かねばならぬ」

 情報通り、女性達の稼ぎを資金源に代々道楽に耽っている訳か。無収入になり、今度はそいつを生活費に当てようと。けっ、下衆が!

 収集室の一番奥。粗末な木の扉の前に立ち、ポケットの鍵を差し込む。ガチャッ。

「お父さん止めて!!」

 ズボンにしがみ付こうとした息子を蹴飛ばし、倒れた小さな背中を更に踏み付けようとする。白い細腕が遮らなければ、少年は蛙のような声を上げさせられていただろう。

「止めて下さい!!実の息子さんに何て事を……!?」

 顔面蒼白の誠がベリド少年を抱き寄せ、癒しの氣を送りながら立たせる。

「そいつは哀れな子供なのだ。生まれる前に事故で強力な歪みの夢を浴びてな。女ならまだ夢使いになる可能性もあったが、男に生まれた以上ただの精神障害者でしかない。最早いもしない者を見、声を聞くなど、息子ながらその気違い振りには反吐が出るわ」

「エミル小母さんはいるよお父さん!僕に警告したんだ、人形を部屋から出しちゃ駄目だって!」

「いい加減にしろ!あれはただのドールだ!エミルと『あの女』が使っていただけの」

 すっ、と四が右手を上げた。宝爺さんが後を引き継ぐ。

「アイゼンハーク卿、本当に買い取らせて頂いて宜しいのかの?御子息は母親の品を持って行かれたくないようじゃが……」

「こいつらは全員儂の子だ。あの女に子供などおらん」

 フン、背後で鼻を鳴らすリュネの呟きが聞こえてくる。「もう滅亡決定ね。血筋が絶えているなら存在意義は無いわ」辛辣な言葉だ。だが真実でもある。稼ぎ頭が不在な以上、何時までもこの生活レベルを維持できるはずがない。

「骨董屋。まさか今更鑑定を拒否しないだろうな?」

「……儂等はプロじゃ。仕事はきっちりやらせてもらう、のう四?」

 コックリ。

 それから誠の腕にしがみ付く少年に爺さんは微笑んだ。

「坊や。今日の所は部屋の中で人形を見させてもらうぞ。鑑定の間、このドアから一歩も外に出ん。それで構わんか?」

「後ね、人形に触っても駄目なんだよお爺さん……」

「そいつは難しいの。手に持たん事には幾ら優秀な鑑定士でも値の付けようがない」

「こ奴の言う事は無視しろ骨董屋。いつも根拠の無い妄言ばかり吐きおって……入るぞ、付いて来い」


 ガチャッ。


 埃っぽい空気がドアの向こうから流れ込む。開け放たれたドアの中は狭く、家具は一人用ベッドと小さな衣装棚だけだ。何だこの異様な部屋……鍵が掛かっていた事といい、まるで座敷牢じゃないか。一体誰が住んでいたんだ?

 衣装棚の上には明るい茶髪が胸まである人形がちょこんと座り、作り物の蒼目を虚ろに正面へ向けていた。黒いフリルのワンピースを着て、素足を晒して――?

(今一瞬目玉が動いたような……まさか、気のせい気のせい)俺まで少年の脅しにビビってどうする。

「どうだ?放っておいたせいで少々埃っぽいが、中々高価そうな人形だろう?」

「ふむ……製造者の名は入っておりますかな?」

「そんな事は知らぬ。これはエミルがどこかから拾って来た物だ。無いと買取出来んと言う気か?」

「いえ、あった方が値が上がるので。しかし無銘でもこれだけ精巧な物なら高値が付けられるでしょう。のう四?」コクリ。「では拝見させて頂けますかな?」

「分かった」

 当主の手が無造作に人形へと伸びる。


「止めて!!!」


 叫び声の次の瞬間、髭爺の指が人形の頭を掴んだ。



 失敗作の楽譜をグシャグシャに丸め、ポイッと後ろのゴミ箱へ投げ入れたつもりだった。

「ありゃ、残念」数センチ外して床に落ちたのを改めて拾って入れ直す。義父と友人達の手前、即日汚す訳にはいかない。

 眠気覚ましのコーヒーを手にベランダへ出る。照明時間は一応季節に依る変動を取り入れているが、基本的に“赤の星”は一年中気温が変わらない。夜ならTシャツに何か羽織る程度で充分間に合った。

 街路にポツポツ等間隔で点いた街灯の先。アイゼンハーク家は闇に紛れ、中の明かりは一切見えない。それはいつもの事だが、今日に限っては胸騒ぎを覚えた。

「……にしても随分久し振りに聞いたなー、あそこの名前」

 もう一生関わらないだろうと思っていたのに。よりにもよって巷を騒がす“炎の魔女”絡みとは、とんだバッドジョークだ。

 今昔混在する記憶は、しかし日々の経過に依ってほぼ完全に整理されたつもりだった。単に新しい出来事が押しやっているだけかもしれないが。

「しかし、まさか誠があんな事言うなんて……な」

 まだ内面に過ぎない変化も、あの坊やは当たり前に感じ取れるらしい。昨日会った妹さえ気付かなかった変化を、だ。

 コーヒーを啜りながら考える。あれだけ鋭敏な感覚を持ち合わせながら、彼の精神は脆弱だ。夢使いにならずとも、悪意への耐性を付ける訓練は必要かもしれない。

(いや……誠は多分あれでいいんだろう)

 どんな相手でも受け入れ赦す慈悲の心。常に警戒心を解かない彼女とは根本的に違う。勿論それは並大抵の苦労ではないが、それでも。

「何も起きない、はずはないよな……そうだよね、エミル……?」

 偽物の夜へ向け、“私”はそう問いを投げた。



 人形がゴトリ、と私とベリド君の足元へ落ちた。作り物の蒼い目と目が合う。

「ひっ………!!」

 立っていたはずのアイゼンハークさんが何故か倒れている。だけど本人の確証は出来ない。人間とは思いたくない程黒く炭化していたせいだ。部屋に火の気が全く無いにも関わらず。

「な……どうなっておるんじゃ……?」

 一番最初に動いたウィルはベリド君と私達兄弟、それにアイザと彼女のお母さんに食堂へ戻るよう言った。それからアイゼンハーク家の五男に向き直る。

「確かワーズワムルだったな?ワーズ、お前にはこの死体が本物に父親か確認して欲しい。辛い仕事だとは思うが……」

「いえ、大丈夫です……ただ突然過ぎて現実なのかどうか……」

「ああ、皆そうだ。ついさっきまで目の前で生きていた人間が焼死しているなんて、誰だって頭がついていく訳がない。爺さん、本気で死んでるのか?」

 頸動脈らしき場所を探っていた宝お爺さんが首を横に振り、その後奇妙な困惑を浮かべた。

「生身の人間が死んでいるのは間違い無いの。じゃがこいつは……」

 うつ伏せの死体を四さんと二人掛かりで仰向けにした。お爺さんと前に立つウィルの陰で、肝心の顔は私達には見えなかった。

「うっ………」ワーズさんが口元を押さえながら見、「駄目です……分かりません」

「無理もない。真皮層どころか骨にまで火が通っておるようじゃ」

「一時間近く焼いたステーキから元の肉片を想像するようなもんだ」あの人が呟く。今はエルがいないから、聞き役は私だけだ。勿論返事が出来ない事も分かっているはず。

「不思議だと思わないか?あの爺さん、出来たてほやほやの焼死体を素手で検死しているぞ?」

「え?」流石に声が出てしまった。オリオールやアイザ、遺体の傍のウィルまでが一斉にこちらを見る。

「どうしたまーくん?」

「あ、えっと……宝さん、その遺体……熱くないんですか?」

 私の指摘に彼は慌てて手を離した。

「!!?あ、あぁ……そう言えば、氷のように冷たい。死亡してかなりの時間が経っておる。今さっきまで生存していたのにの」

「ワーズ。親父さんに双子の兄弟は?」

「いません。十歳以上離れた兄、僕等にとっての伯父は若い頃に鬼籍へ入っています」

「入れ替え説は無しか。いや、この死体は赤の他人で、本人がどこかに隠れている可能性は」

「凄まじい瞬間移動能力だねそれ。しかもアタシ達全員の目を欺いて?かなり難しくない?」

 出来ない事は無いわ。それまで最後尾で口を閉ざしていたリュネさんが言った。

「本当か?」

「空間転位の魔術さえ使えれば、両者の位置を一瞬にして入れ替えるなど容易い。ただ……転移には最低でも魔方陣の描かれた道具が必要。その類は何も身に付けていないようだけど?」

 慌てて三人が遺体を探りアクセサリー、指輪と腕時計を一つずつ外した。どちらも食事の時アイゼンハークさんが身に付けていた物だ。今は煤で汚れているけれど、指輪が銀色にピカピカ輝いていたのを覚えている。私が言うと、四さんがハンカチで磨いて皆に見せてくれた。

「変な模様は無いみたいだな。かと言って服は全部炭化してるし。死体の下にも何も無かったよな?」

「ええ」

 調べ終わった後、アクセサリーは持ち主の手に戻された。

「じゃあ仕方ない……ワーズ、警察署に電話を頼む。あとまーくん、電話を借りてエルに説明、出来るか?」

「た、多分……大丈夫、だと思う」

「ちょっと聖族、坊ちゃまに何て事を」

「リュネ、分からなさそうなら助言を頼む。俺達は警察が来るまで引き続きここで現場検証と死体の番だ。構わないか爺さん達?」

「勿論」

「じゃあ決まりだ」

 宝さんと四さん、ウィルの三人を残して私達は地下から出た。片付けられた食堂に戻り、部屋の隅にある金色の壁掛け電話、その受話器をワーズさんが取る。

「お母さん、少しここにいて」母親を椅子に座らせながらアイザは弟の方を向く。「オリオール、他の四人に知らせてこよ。ワーズ君、お兄さん達は皆自分の部屋?」

「はい、部屋は二階です」

「分かった。行こうお姉さん」

 パタパタ……食堂を出た二人の氣が次第に遠ざかる。

「?ベリド君、その人形……持って来たの?」

 夢見る少年は、両手で黒いワンピースから伸びた白い腕をカクカク動かして遊んでいた。

「あれ、でもさっき宝お爺さんには触るのも持ち出すのも駄目だって……」

「………この子はいいの」

「え?」

 くすくすくす……ベリド君は無邪気に笑い、番号のボタンを押すワーズさんに視線を向ける。

「どうしたのかな?さっきから全然喋らないよ?電話してないのかな?それとももう夢から覚めちゃった?」

「な、何を言っているのこの子供……?」リュネさんが後ずさり、電話の傍のワーズさんに声を掛ける。「どうかしたの人間!?警察には繋がったの?」

 沈黙。彼は振り返りさえしない。

「ちょっと、聞いている―――!!!?」

 彼女が肩を掴んだ瞬間、青年はその場に崩れ落ちた。


「きゃあああっっっっ!!!!!」


 甲高い悲鳴。

 彼は一瞬にして白骨化していた。服もボロボロで、シャツの残骸から折れた肋骨が覗く。けれど着ている服は紛れも無く……。

 半狂乱で叫ぶリュネさんの手を私は掴んだ。

「落ち着いて下さいリュネさん!」

「あ、あ……坊ちゃま、私は何もやっていません。ただ触っただけで、こんな」

「分かっています」手を繋いで氣を送る。

 幾ら魔術機械が凄くても、瞬く間に生物を骨に変えるなんて無理だろう。まして彼女の銃はずっと鞄の中だ。

 落ち着いた彼女は食堂のテーブルに手を付き、済みません坊ちゃま、深く頭を下げた。

「いいですよこれぐらい。そうだ、電話は」外れたままの受話器を取り、耳に当てる。プー、プー……どうやら向こうが既に切った後のようだ。一度受話器を戻し、白鳩の手帳にある番号を確かめて押す。オルテカの警察署の番号は分からないし、取り合えず友人の所へ掛けよう。


 プルルルルル、プルルルルル―――ガチャッ。


『はい、こちらは聖族政府です』

 電話越しでも凛とした女性の声。良かった、間違わずに掛けられたみたいだ。

「美希さん。あの、エルいますか?アイゼンハーク家の人達が二人も立て続けに死んでしまって」

『……もしもし?聞こえていますか?こちらは聖族政府です』

「??美希さん?私ですよ、小晶 誠です!」

『あ、エル様。今電話が入っているのですが、ずっと無言で……悪戯電話、でしょうか?あ、はいどうぞ』

『もしもし?』

「エル私だよ!聞こえてないの!?」

 電話を代わった友人の耳にも私の声は届いていないらしい。但し、少し唸った彼は美希さんとは違う反応を見せた。

『この番号を教えているのは白鳩調査団だけだ。つまり相手は兄上、若しくは誠。ひょっとしたらケルフやリーズかもしれないな。――イエスなら受話器を置かないでくれ』

「どうやら全然聞こえてないみたいだな。おい斑顔、俺の声は届くか?」

『………何だ君か。と言う事は、電話しているのは誠なんだな?』

「お、通じるのか」

『大分小声だけどどうにかね。この不可思議なジャミングも“泥崩”の能力まではカバーし切れないらしい。ああ、ジャミングって言うのは通信妨害の事だよ誠。君が今持っている電話、どうやら何者かに因って外部への通信が遮断されているらしい。一応確認するけど、僕の声は聞こえてる?』

「ああ、五月蠅いぐらいにな」

『なら遮られているのはそっちからこっちへの音だな。電話を掛けてきたって事は、アイゼンハーク家で何かあったのかい?』

 あの人が今までに起きた信じ難い事態を、信じられない程軽口混じりに説明する。

 エルは最後の相槌を打ち終わり『ふぅん……状況は分かった、すぐに応援を派遣する。ただ……妙な事件だね。人間が一瞬で死体になるなんて』尤もな疑問を口にした。

「うん」「ああ」流石に無言ではリュネさんが怪しむので、友人には聞こえないけど私も合わせて適当に喋っている。勿論あの人の入れ知恵だ。

『誠や君、更にリュネがその場にいて異変を感じなかったって事は……惑わされているのかもね、エミル・アイゼンハークの亡霊に』

「ああ?お前まで後ろの餓鬼と同意見かよ。そのオバハンの生死なんてどうでもいい。地元警察を呼べ。到着次第俺達はここを出る。“魔女”とこの屋敷は無関係だってお前も分かっただろ?」

『ちょっと待って』友人が受話器を机に置く音。しばらくの沈黙の後、『良いニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?』やや溜息混じりに問うた。

「お前巫山戯てんのか?」ずっと私の左肩に置いていた頭を右肩に乗せ直して「どっちか選ばしてやる、早く決めろ」

「じゃあ……良い方から」

「OK。おい、とびきりのグッドニュースを一つ頼む」

『さっき君が言った通り、そこは“炎の魔女”と何の関係も無かったようだ。たった今連絡が入ったよ、奴の新しい犯行だ。ただ、今回燃やされたのはビル一棟のみ。場所はオルテカのスラム街、犠牲者は廃ビルに住みつくホームレス十数人。犯行時間的にアイゼンハーク家への移動は無理と考えられる。君とリュネの望んだ通り、取り合えず別件と証明されたよ』

 同じ街に“魔女”が……被害者が少ないなんて何の慰めにもならない。彼等の受けた苦しみを考えると、私まで身を焦がされる気分だ。

「――バッドニュースからって言った覚えはないぞ斑顔?」あの人がやや立腹気味に言う。「長生きし過ぎてボケが来てんじゃねえか、あぁ?」

『痴呆でプロポーズができるか。今からが正真正銘本物のバッドニュースさ』

「“魔女”が出た以上の悪いニュースなんてある訳が」

『警察は来ないよ』

「え?」「はぁっ!?何の根拠が」

『正確に言うと中には入れない。……聞こえないのかい?外で鳴るパトカーのサイレン。とっくに到着しているんだよ、玄関前に』

「何時連絡したの?」彼はずっと私達と電話越しに話していたのに。

『僕じゃない、美希の仕業さ。君等が屋敷にいると分かった時点で、オルテカの政府駐在所に緊急の出動要請をしたんだ。全く、新人とは思えない程良く出来た秘書だよ』

「ノロケはいい。政府員共は本気で入ってこれないのか?」

『ああ。押しても引いても駄目だ。マシンガンで撃ったドアに穴一つ開かないらしい。………追加連絡、窓は防弾硝子以上の強度だそうだ。レンチを叩きつけて罅すら入らない。もう何らかの力が働いているのは疑いようが無いね』

 耳をどれだけ澄ましても、聞えるのは食堂にいる三人の物音だけだ。救援の知らせは全く聞こえない。

「じゃあまず内側から開けられるか調べないと」

 言った直後、私の声は伝わらない事を思い出した。でも流石エル、上手く意思を汲み取ってくれる。

『ああ、出られる可能性はお世辞にも……高くないだろうけどね、何事も確認は必要だ。駐在員は念のため外で待機させておく。誠、今回は厭な氣を感じないのかい?』

「う、うん……全然。でも……入った時からずっと変な感じがする」「違和感があるみたいだ」

『違和感だって?』

「普段は分かる氣の感覚が屋敷のドアを潜った瞬間、靄が掛かったみたいに鈍くなったの。現にいつもなら一階分ぐらい離れていても判るオリオール達の氣が掴めないし……」

「大分鈍くなってるぞこいつの感知能力。元凶を探るのは無理だ」

『そんなに酷いのか?』

「うん。癒すだけならさっきベリド君にできたけど……」「直接行使以外は駄目っぽい」

 唸る友人の声。

『僕も様々な事件を見てきたが、こんなケースは初めてだ。対処法が全然思い付かない――リュネは一緒なんだよね?彼女に特殊な魔力を感じないか訊いてみてくれ』

「うん、分かった」

 受話器を耳から外し、椅子に座ってこちらを酷く心配そうに見ている彼女に質問をぶつける。結果は予想通り。

「坊ちゃま、相手はエルシェンカなのでしょう?代わって下さい、言いたい事が山とあります」

 電話を引っ手繰ろうとする腕を避ける。

「えっと、それが……普通にはこちらの言葉が通じないみたいなんです。私も氣を使って辛うじて通信していて、その……変な魔力は感じないんですよね?他に何か気付いた事はありませんか?」

 何時の間にかワーズさんの遺体が電話際から少し離れた壁沿いに移動していた。どうやらリュネさんが邪魔にならないよう動かしたようだ。

「気付くと言えば……あの二人、随分遅いですね」

「え、あ!そう言えばもう二十分近く」

 屋敷が広くて道に迷ったのだろうか?でもオリオールは一角獣、匂いに敏感でどんな場所でも迷わないと自慢していたのに?

「私が坊ちゃまの警護をしているからいいものを。どこで油を売っているのやら」

「二人はそんな人ではありません!何かあったのかも……」こうしてはいられない。私は再び電話の体勢に入る。

「ごめんエル。一旦切るよ」「餓鬼共を探してくる。後、やっぱ魔力は感じないそうだ」

『そうか、分かった。何かあったらまた電話して。今夜はずっとこの執務室にいるから』

「うん、ありがとう」ガチャッ。「リュネさん、二人を探しに行きましょう!それから外に出られるかどうかも調べないと」

「坊ちゃま!?まさか、出入口が封鎖されていると……?わ、分かりました!」

 私は床の白骨をぼんやり眺めるアイザのお母さんに、「お二人はここで待っていて下さい」と頼み、人形をテーブルで歩かせて遊ぶベリド君にも一応言う。

「駄目だよお兄ちゃん。外と繋がったから夢が覚めちゃった」くすくす。「僕に無理矢理薬を捻じ込んだ罰が下ったんだよ。いい気味」

 廊下に出てまずは一番近い玄関ドアへ。エルの情報通り、内鍵は掛かっていないのに扉は一ミリも動かなかった。

「どう言う事よ!壊れているの!?」リュネさんは鞄から銀の銃を取り出して構える。「坊ちゃま!お下がり下さい!破壊します!」


 ガガガガッッ!!!


 銀の銃弾が鍵穴に接触した瞬間、辺りに凄まじい雷の嵐が巻き起こる。手足がビリビリして吃驚!慌てて氣の防護壁を張った。

 雷電がふかふかだった絨毯を円形に焦がし、毛の焼ける臭いが漂う。逆に肝心の扉は……リュネさんが地団駄を踏む。

「どうして無傷なのよ!数万ボルトの電流に普通の扉が耐え切れるはずが」

 私が外の政府員の話をすると、彼女の目の色が変わった。

「窓もですか?しかし魔力は働いていません。原因は何なのでしょう?」

 米神を押さえ、リュネさんが目を閉じる。

「待って下さい。この状況に似た話を聞いた事があるような……」

「本当ですか!?」

 暫しの沈黙の後、「……思い出しました。夢使いの手記です。『現の夢』……その状態の空間では一切の出入りが遮断され、内部の人間は睡眠時に近い状態になるとか。それに伴って知覚機能も低下するそうです」

「じゃあ私が氣を上手く感じ取れなくなったのも」

「恐らくは。そうなると私の魔力感知もあてに出来ません。いえ、五感さえ全幅の信頼を置くには……」

 視覚聴覚も完璧ではない?まさか……アイゼンハークさんやワーズさんがいきなり死んだように見えたのもそのせい?

「脱出する方法はあるんですか?」

「屋敷のどこかにこの夢を見ている者がいるはずです。そいつを見つけ出し目を覚まさせれば或いは……」


―――あの人形のある部屋に入っちゃいけないよ!夢が覚めてしまうんだ!


「ベリド君、何か知っているのでは」

「私も同意見です坊ちゃま。あの子供、最初から様子がおかしかったです。戻って尋問を」


きゃあああっっっ!!





「今私書箱に放りこんだよプロデューサー。明日出社したら確認してくれ」


 ピーポーピーポー……。

 カンカンカンカンカン……。


 留守電にそう吹き込んで携帯を切る。

「仕事も終わったし、次はあんたへのお礼だな」

 ベランダで曲のフレーズをひたすら悶々と考えまくっていた時、ふと目が街灯の下で舞う赤毛の妖精を発見。その華麗なステップに合わせ、あれ程尽きていたメロディが頭の中を駆け巡った。急いで楽譜の前に戻り、五線譜に音符を並べ、メロディが途切れるとまたベランダへ。三回目で面倒になり、踊る美女を見ながら直接作曲に移った。

『終わった!』

 ペンを楽譜に叩き付けた瞬間、白いドレスを翻して美女がこちらを見上げた。

『あなた画家さん?さっきからずっと私を見ていたでしょう。どう、上手く描けた?』

『残念。アーティストはアーティストでも俺はロック専門だ。あんたのステップで一曲書けたよ、ありがとう。感謝の印にカフェで一杯どうだい?』

『まぁ素敵。丁度疲れて咽喉が渇いていた所』

『じゃあ少し待っててくれ。今日中に楽譜をレコード会社に持って行かなきゃいけないんだ』

『なら一緒に付いて行くわ。手間が省けるでしょ?』

 ルビーのように赤いウェーブした長髪と瞳。余程好きなのか口紅や爪のマニキュアも同じ色だ。ドレスはこんな大気が化学汚染された街で着るには不釣り合いな純白。金銀宝石、アクセサリーも一目で俺には一生縁が無いと判断出来る高級品ばかり。極めつけは真紅のハイヒール。

 緋色の美女は歩き方も優雅そのもので、時折すれ違うサラリーマンのオッサン達が皆振り返る程だ。

「ねえ、この店がいいわ」

 美女が指差したのは、俺が週に一度は使うファーストフード店だった。そう言えば晩飯まだ食ってなかった……ってか冷蔵庫空なの忘れてた。明日朝一でスーパー行かないと。

「いいのか?向こうに行けば小奇麗なカフェテリアあるけど」

「ハンバーガー屋さんでも紅茶ぐらいあるでしょ?一度入ってみたかったの、こういうお店。ね、お願い」

「分かったよ」

 変わったマダムを連れてドアを開ける。客は手前のボックス席に女子大生が三人だけか。時計を見ると早十時半。そりゃ空いてるわな。

「いらっしゃいませ。御注文は?」

 いつもの営業スマイルの店員は、俺の隣の美女に一瞬だけ興味を引かれたようだ。勿論あれこれ訊きはしないが。

「私はホットレモンティーがいいわ」

「ああ。じゃあそれ一つとダブルバーガーセット。ドリンクは――ウーロン茶で」

 硬貨で代金を支払い、商品の乗ったトレーを受け取って奥のボックス席へ。美女にレモンティーを渡し、自分はウーロン茶のカップを手に取る。

「締切に間に合った事と、あんたとの出会いに乾杯」

「ええ、乾杯」

 紙カップ同士を当ててると軽い音が出た。苦い茶を一口啜ってからMサイズのフライドポテトを食う。ダブルバーガーの包みも開けて、ガブリ!美味い、生きてて良かった!

「あんたもポテト食えよ」

「遠慮しておくわ。酸化油は美容の大敵なの。夜中のカロリー摂取もね」言いつつ一本取って、ぱく。「やっぱり脂っこい。お兄さん、若いからってこう言う物ばかり食べちゃ駄目。今に身体を壊すわよ」そう言いながらナプキンで指に付いた油を丁寧に拭き取る。

「うちの妹と同じ事言うんだな」

 ふふふっ。笑ってレモンティーを啜る美女。髪から柔らかな薔薇の香り、そんじょそこらの店では嗅いだ事のない香水だ。蟲惑的な魅力の女は頬杖を突く姿も、ファッション雑誌の一流モデルのように絵になっていた。

「ねえ、男の子はやっぱりそう言う食べ物が好きなのかしら?身体に悪いと分かっていても食べたくなる?」

「まぁ……俺は子供の頃から口に入れてたし、しばらく御無沙汰だと無性に食べたくなるかな」典型的ジャンクフード中毒だ。

 美女はマニキュアの具合を確かめた後、「成程」吐息混じりにそう言った。

「でも坊やに食べさせるなら色々工夫しないと駄目ね。まずそのハンバーグを別の何かに変えないと。他に入っているのは、チーズとレタスとパン?ソースは?」

「ケチャップとマスタード。もう食っちまったけどピクルスも入っているぜ。……息子いるのお姉さん?ちょっと意外」結婚しててもおかしくはない年齢だが。

「ええ。とても病弱な坊やでね……好き嫌いは無いけれど、お肉に関してはかなり気を付けないといけないの。脂身は出来る限り取り除いて、調理法も少しでも脂臭い物はいけないわ。焼いたり揚げたりは勿論、シチューも細切れのササミ以外は駄目。普通にお店で買える物であの子が食べられるのはローストビーフぐらいかしら?」

「へー、俺の友達もそうだよ。ローな肉しか食えない」

「まぁ!てっきり坊やだけかと思っていたわ。他にもいるのね、そんな偏食の子」

 義父さん達、大丈夫かな……?ここを出たら屋敷の前まで行ってみるか。


 ピーポーピーポー……。

 カンカンカンカンカン……。


「さっきからずっとだな、救急車と消防車」スラムの方か?“白い羊”、じゃねえよなまさか。「実家が焼けてないかだけ確認していいか?」

「ええ」

 携帯を開ける。リーズから了解の返事が来ていた。恐らく今夜見る暇は無いだろうが、兄として労いの言葉を打って送信した。次いで電話帳を開き、孤児院を選択する。プルルル、ガチャッ。

『リーズ?』

 郷愁で本名を呼びかけ、危うく飲み込んだ。

「いやババア、俺」

『何だ、ケルフかい。どうしたんだいこんな時間に?』

「さっきからスラムに一杯救急車と消防車走っているだろ?てっきり餓鬼共が火遊びで焼いたのかと」

『うちは皆良い子だよ、お前じゃあるまいし。焼けたのは浮浪者の雑居ビルだよ。一時期お前達がかくれんぼに使ってたあの辺りさ』

「ああ、あそこか」

 廃ビルの立ち並ぶあの一帯は隠れ場所に困らないので、初等部へ入学するまでは毎日遊び場として使っていた。縄張りさえ守ればホームレス達と友好的協定を結べたし、危険なギャング共がうろつく区域はもっと奥だ。

『放火でね、中にいたホームレスの何人かが焼け死んだって話だ。犯人は……今宇宙中が躍起で探している“炎の魔女”、さっき来た警官が言っていたよ』

「“魔女”だって!?」

『心配はいらないよ。今夜のスラムは警察で一杯だ。“魔女”はどうやら街の外に逃げたらしいし』

 “魔女”は街ごと滅ぼすんじゃなかったのか?どうして今回に限ってボロいビルだけなんだ?いや、勿論オルテカ全体が焼かれてたら、今頃俺はここで目の保養しながらハンバーガー食っていられないんだけどさ。

「そうか……リーズはまだ戻ってないのか?」既知の質問をしてみる。

『課外授業で今夜は戻らないそうだ、夕方連絡があったよ』

「大変だな学生は。今度会ったら御褒美に何か買ってやるよ。じゃあな、お休み」

『お前も偶には規則正しい生活をしな。こんな夜中にファーストフードなんて食ってるんじゃないよ』

「ぐっ……」何故バレ……あ、店内放送か。携帯切ってから気付いた。

 カップを唇に付けたまま、美女はぼんやりと窓の外を見ている。

「悪かったな。お姉さんみたいな美人を待たせちまって」氷の解けかけたウーロン茶を一気に三分の一飲む。腹の中が冷たい水でたぷたぷだ。ホットドリンクの方が良かったかも。

「物騒な話だよ。とうとうこの街にも“炎の魔女”が出たんだってさ。実家近くのビルが被害に遭ったらしい」

「――炎は美しいわ」

 美女は街灯に照らされた夜の街に視線を合わせたまま呟く。

「あの赤は世界の全ての穢れを浄化してくれるの。美しい物だけを残して……」

 陶然とした瞳は、こちらに向くと同時に先程までの悪戯っぽい物に戻る。

「あら、どうしたのお兄さん?幽霊でも見たような顔して」

「お姉さん、実はアブない人?さっき凄えヤバい目してた」

「私は綺麗な物を愛しているだけよ。ふふ、でも変な物を焼くのは嫌い。折角の美しい炎が汚れてしまうもの」

 整えられた細い眉がピク、と動く。

「だから純度の高いキャンドルがあったら教えて欲しいわ。アロマもいいわね。男の子は興味無いかしら?」

「生憎と部屋に消臭剤すら置いてない健全な男子なんで」リーズなら知ってそうだな。学校帰りによく雑貨屋行っているし。エミルも……よく良い匂いさせていたっけ。

「でしょうね」

 冷たくなった最後のフライドポテトを摘まむ。塩利き過ぎ。

「そろそろ出ないか?お姉さんも家で息子さんが待っているんだろ?早く帰らないと」

 瞬間、微笑みが凍り付いたように見えた。左手の拳がぎゅっ、と握られた後、硬直が解け、再び真っ赤な蕾が綻ぶ。

「今日はもう少しデートを楽しみたい気分だわ。お兄さん、付き合ってくれない?」

 前髪を掻き上げ白い額を見せた表情もセクシーだ。普通の男ならコロッと参ってしまうだろう。

「いいの?」

「女に二言は無いわ。でもラブホテルは嫌よ?身持ちは固い方なの」

「気が合うね。実は俺も彼女がいるんだ」

 恋人であり、永遠を誓った伴侶でもある彼女。柔らかい肌、しっとりした指を思い出して胸が苦しくなる。


―――愛しているわ、エミル。


 トレーをレジに戻して店を出た。時刻は十一時を回った所。流石にもう人通りは途絶えている。

「お姉さん、どこ行きたい?」

「そうね、折角オルテカにいるのだし……カラオケボックスに案内してもらえる?」

「ミセス・キャンドルの仰せのままに」おどけて礼をしてみせた。ウケはまあまあ。

 美女のハイヒールの音をBGMに馴染みのカラオケ店までの道を進む。もう三つ交差点を行けば到着と言う所で、左側の道端にパトカーが停まっているのを見つけた。その先に煉瓦造りの豪邸。

「あ、お姉さん悪い。ちょっと寄り道していい?」

「ええ」

 アイゼンハークの屋敷前は騒然としていた。立派な玄関ドアの前に二人の警官。手には、マシンガンかあれ?


 ガガガガガガッッッ!!


 二丁の銃が火を噴いて放った無数のバレッドは、だが一発も扉を撃ち抜かず直前で弾かれた。カチッカチッ!片方が舌打ちをする。

「矢張り駄目か……」

(予想以上の厄介事になったみたいだな……)

 屋敷の中には当然まだ義父さん達がいるはずだ。しかし『現の夢』が発生しているとなると、そう簡単には脱出出来ないだろう。


―――大丈夫よ。晩御飯までには戻って来るわ。


 心配無い。エミルはプロフェッショナル、どんな難しい仕事も解決してきたじゃないか。誠達もきっとすぐ出てこられるさ。

「そっちはどうだ!?」帽子を被った方が建物の側面、窓に鈍器を振るう三人目の警官に尋ねる。

「駄目です!幾ら叩き付けても硝子に傷一つ付きません!どうします?」

「お前等は一旦休憩していろ。俺は本部へ報告する」

「「ラジャー」」

 一人を入口に残し、携帯を開いたリーダーと部下がパトカーの方へ歩いて行く。当然俺達と鉢合わせ。

「カップルか?“魔女”もまだ捕まっていないんだ、夜遊びは程々にしておきなさい」

「はーい。ところでおまわりさん、そこの屋敷何かあったの?」

「ああ。殺人の通報があったんだが、どう言う訳か入れなくてな。銃も通用しないなんて、全くどうなっているんだ……?突然殺人犯が飛び出してくるかもしれん。くれぐれも近寄らないように」

「了解です、おまわりさん」

 後ろ姿を見送りつつ、俺は若干焦りを感じていた。この中で殺人?一体誰が死んだ?義父さん達は無事なのか?

(落ち着け……!現の夢に入れるのはエミルだけだ。俺が幾ら取り乱しても何の役にも)

「お兄さん」

 美女が意味ありげに屋敷へ目配せする。

「ん、どうした?」

「今見張りは一人だけよ。裏口を調べるチャンスだわ」

「え?な、何を」

「この中に知り合いがいるんでしょう?ならやれるだけの事はやるべきよ。どこから回ればいいの?」

 この人、何者だ?ただの金持ちの貴婦人とは思えない意志の強さを感じる。

「……こっちだ。多分路地を一本外せば裏に通じているはず」

 読み通り。塀の通用口の鍵は開いていた。表の奴に気を付けながら、足音を立てないように裏口のドアの前へ。


 ガチャガチャ!


「やっぱ駄目だな。鍵は掛かってないがうつ……別の力が働いているみたいだ、びくともしない」

「表の様子を見る限り、壊そうとするだけ無駄そうね。どこかに開いている出入口は」


―――エミル、またそんな所から出て行くの?

―――だって階上にはあいつがいるもの。


「地下道……」

「え?」

「地下室の床下に緊急脱出用の道があるんだ。何代か前の当主が屋敷を建てる時一緒に造らせたらしい。床石さえ外れていれば入れるかも」

「どうしてそんな事をあなたが?」


―――ただいま。

―――吃驚した!エミル、帰って来たなら一言声掛けてよ。


 最後の瞬間、床石は半分開けたはずだ。元に戻されてさえいなければ……。

「偶々噂話を小耳に挟んだだけさ。地下道の出口は確か……」


「お前等、そこで何をやっている!!?」





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