二章 空無き星
太陽に近い“赤の星”を覆う遮熱金属のドームに開いた隙間を抜け、二隻の宇宙船は並んで首都オルテカに着陸した。定期船の改札と違い事前連絡は勿論、到着してから全員のパスポート確認と申請書類の提出、ついでにそれなりの使用料が必要だ。意外だったのは船長であるリュネのパスにははっきり不死族と印字されていた事。
「私は一族の代表なのよ、当然でしょう?だけど、これはあくまで呼び出された時専用。このパスで動くと聖族政府に記録が残るの」
「と言う事は、偽造パスポートも持っているんですか?」
「はい、勿論です。坊ちゃま、そちらに座って少々お待ち下さい」
そう言って全員分のパスを手に受付カウンターへ行き、必要書類数枚に記入を始める。
再会を約束した仲間を探して辺りを見回して、いた。前より少し生気の戻った母親の肩を抱いて歩いて来る。
「アイザ!」
名前を呼び駆け寄る誠を認めて、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「三人共偶然だね!今日はどうしたの?エルがまた無茶押し付けたの?」
手短に要点を話し終えると、「その屋敷ならアタシ達今日行くよ」意外な返事。
「アイゼンハーク家にか?どうして」
「鑑定。何かさ、曰くつきの人形があるんだって。勿論他にも色々処分したい物はあるらしいんだけど」リュネの隣で書類にサインする老人を見「宝爺は結構呪具のお祓い得意だから、噂を聞いて時々依頼があるの」
「髪の毛の伸びる人形とか?」
「詳しくは知らないよ。手紙には確か、子供の霊がどうのこうのって……ね、四?」
いつの間にか彼女の隣にいた大男は深く頷いた。そして寄り掛かる初老の女性の肩を代わって支えようと掴む。
「四さん……済みません、いつもいつも御迷惑を……」
言いつつも怯えたな表情を浮かべ、娘から離れようとしない。
「お母さん……」
当惑したアイザの顔には疲労の色が見えた。どうやらこの一週間、最愛の母とは言え苦労しているようだ。
「お母さん、前より随分元気になりましたね。私も嬉しいです。えっと……最近はぐっすり眠れていますか?」
娘の命の恩人の言葉に、彼女は僅かに頬を綻ばせ緊張を解いた。
「ええ」
「夢はどうです?私は殆ど見られなくて。オリオールはよく御馳走を一杯食べる夢を見るそうなんですが」
昨日は別の夢だったよ!と少年が主張するのを他所に、母親は不思議そうに誠の瞳を覗いた後、ぽつりと言った。「かえして」
「え?」
「部屋の外から誰かが入ってくるんです。彼等は恐ろしい形相で私を指差して、返して!……って怒鳴るの。それだけじゃない。鋭い刃物を持っていて、大事な物を掴んだ手を無理矢理開かせようと突き刺すの。何度も何度も……ああ、怖いわアイザ。どうしてあんな夢を何度も見るのかしら……?」
「大丈夫だよお母さん。監禁されて精神的に参っているだけ。しばらくすれば楽しい夢ばっかりになるよ」
しがみ付く母を抱き締め、娘は精一杯の笑顔を向けた。見ているのが辛い、自分だって相当無理しているだろうに。
「そうよね……私は幸せになったのよね?もう誰にも邪魔されない……」虚ろな目でブツブツ呟く。
これは良くない。さっき宝爺さんが言いかけていたのは多分この事だ。
「――なあアイザ。俺達これから政府の駐在所に行くんだが、誰もこの街の地理に詳しくないんだ。もし良かったら案内してくれないか?」
俺の出した提案に、彼女は「え?でもアタシだってそんなに……」と戸惑う。
「鑑定は今すぐ行くのか?」
「ううん。夜六時の夕食に招待されているの。人数は言ってないからあんた達も来なよ。ご飯も食べられて一石二鳥でしょ?」
「ああ。で、どうする?準備があるのか?」
「ううん、アタシは特に何も……」横の母親に視線を向ける。
「じゃあ頼む。この街にはスラムもあって犯罪が横行している。俺一人で子供と病人、あと気難しい不死の女の面倒を見ながら移動するのは骨が折れるんだ」小声で「彼女は隙あらば二人を連れ帰る魂胆だし、困ったものさ」と続けた。
俺の一言に顔色が変わる。「本当に?」
「嘘言ってもしょうがないでしょお姉さん。僕達連れ戻されたら裁判に掛けられて挽肉ハンバーグにされちゃうよ!助けると思って一緒に来て!」
弟の大袈裟な身振り手振りに、誠は小首を傾げながらも言葉を繋ぐ。
「まだ“燐光”を見つけてない私達が帰る訳にはいかないの。リュネさんが納得してくれるにはまだ話し合いが必要だけど、きっと分かってもらえると思う。それにその、ちゃんと外界の友達としてアイザを紹介したいんだ。まだ、怒ってる?」
「少しはね。でも」首を小さく横に振った。「二人の仲間だもん、悪い奴じゃないって信じるよ。だけど……」
心配そうに母を見たのと、繋いだ腕に後ろから逞しい掌が割り込んできたのはほぼ同時だった。代わりに初老の女の手を握った四は、アイコンタクトで行けと言った。
「ごめんねお母さん。六時にはちゃんと合流するから、それまで四や宝爺と一緒にいて」
「……分かったわ。気を付けてね……」
先に申請し終わった宝爺さんに挨拶し、出口へ向かう背中を見送った。
「誰が気難しいですって?」
「わっ!!」
仁王立ちした不死族は誠の前でいきなり屈み込んだ。
「坊ちゃま。長くお待たせしてしまい、大変申し訳ありませんでした」
「?」
「どうも不死の中ではちょっと別格らしいんだよ、まーくん」吃驚仰天し疑問符を浮かべるアイザに説明する。
「ふーん」
「リュネさん、顔を上げて下さい。話しづらいです」
立ち上がった彼女はキッ!と射抜く程俺を睨んだ。
「私がいない間に何故一人増えているの?答えなさい、この下賎共」
「さっき通信で話していたアイザだ。白鳩の一員が同行するのは当然だろ?」
口を開きかけた瞬間、素早く誠が「悪口はいけません」と命じた。
「ですが坊ちゃま……」
「アイザはお母さんの看病で疲れているんです。どうか意地悪を言わないであげて下さい」
「……坊ちゃまがそう仰られるなら」
街への出口に向かう。リュネは街を歩く際の注意を隣の兄弟にあれこれ言い、俺達二人は自然前を歩く格好になった。
「さっきはありがとね」
「お袋さん、まだ良くないみたいだな」
「うん……」俯いて小声で答える。「ずっとあんな感じだよ。宝爺の知り合いの精神科に連れて行こうともしたんだけど、凄く嫌がって……。まだアタシ達以外の人に会うのも怖いらしくて、今日はリハビリを兼ねて無理言って付いて来たの」
そう言う彼女の頬は一週間前よりこけている気がする。「少しやつれたか?」
「かもしれない。ここ二、三日鏡を見てないんだ。アタシの姿が見えないとお母さん、不安がって探し回るから……」
しかしあれでは初めて家の外に出る幼子か、錯乱した精神病患者だ。アルカツォネの分腕力も強く、同族とは言えとても彼女一人の手に負える物ではない。率直にそう言うと、アイザは「うん……そうだね」服の袖を捲る。腕のそこここに強く掴まれた傷が、まるで歯型のように赤く残っていた。治りかけのかさぶたも結構ある。
「後でまーくんに治してもらおう。反対側もだろ?他には」
「脇の下辺り……正面から縋り付く時、お母さんいつもここに手をやるの。万力みたいにぎゅうって……」痛みを思い出して唇を噛む。
俺は思わず見上げた先の頭に手を伸ばし、いつも兄弟にやるように撫でた。「頑張ったな。けど、どうか無理はしないでくれ。もっと四や爺さんに頼るんだ、いいな?」
今は元気だが、一週間前は腹を刺されて危うく命を落とす所だったのだ。治療したとは言え、まだ身体は消耗しているはず。過度のストレスに耐えられる状態では到底ない。
「ウィル達には情けない所ばかり見せてる気がするよ。……ありがと。あんた、段々団長らしくなってきたね」
「まさか」
団員の問題一つ解決出来ない俺なんて、まだまだ半人前だ。
「でも誠に見せて大丈夫かな……?こんなの見たらあの子泣いちゃいそう」
「私がどうしたの?」
「わっ!!?」
後ろにいた三人が、何時の間にか俺達のすぐ横を歩いていた。特に首を出してきた誠に驚いて心臓がバクバク鳴る。
「あ、後で言う。まずは駐在所に行こう」
「?うん」
オルテカの政府駐在所は他の街と違い、警察署の部署の一つになっていた。犯罪率の高い地方では警察の権限も大きく、情報共有の利点もあってこのような形式を取る事がままあるそうだ。俺達を出迎えてくれた中年女性政府員は、既にラキスがアイゼンハーク家を監視しているアパートの地図を用意してくれていた。
警察署を出て徒歩十分。地図と目の前のボロアパートの名前を確認する。
「ここだな」
錆びた階段を昇り三階へ。目的の部屋は三〇六号室だ。
紙屑と化した新聞やチラシが端に溜まる通路を歩き、インターホンを押そうと指を伸ばした。
ジャジャーン!!
ギターを掻き鳴らす音が通路全体に響き渡る。どうやら隣、三〇五号室の住人が犯人らしい。日常茶飯事なのか、他の住民が注意しに飛び出してくる気配は無い。気を取り直して、ピンポーンっと。
「新聞と宗教と訪問販売ならお断りだよ」中から聞き慣れた声が言った。
「ラキス、白鳩調査団だ。見張りの引き継ぎにきた、開けてくれ」
ガチャッ。片眼鏡の男が顔を出し、俺達を眺めた。
「エルから連絡は受けているよ。ただ今はその、だな……とても上げられる状況じゃ」
「おいモヤシ!ビールとつまみ買いに行くぞ……って、あ」
部屋の奥から出てきた大男が俺の背後を見てぽかん、と口を開ける。見覚えがあると思ったらこいつ、怪我したアイザを担いで運んでくれた傭兵だ。前は礼を言う間も無くどこかへ消えてしまったが、まさかこんな所で再会するとは。
「リュネ……お、おいとうとうお前まで知っちまったのか……?」
「隠していたと認めるのね靭!」
背後からリュネが叫ぶ。
「何事です騒々しい。――おや、これは珍しいお客様ですね」
二人の間を神父様はさっとすり抜け、いつも通り優雅に一礼した。
「お目通り願えて光栄です坊ちゃま。このような廃墟まで御足労頂き、感謝の言葉も御座いません。船着場を降りる前に御連絡を頂いていればお迎えにあがったものを」
「ジュリト!あなたまで関わっていたなんて……最低だわ!!」
不死族代表は鞄の中の銃を掴む。
「止めろリュネ!そんな物騒なモン振り回して、坊ちゃんやそいつ等に当たったらどうする!?」
「関係無い!後で始末する手間が省けるでしょ!?」
「阿呆言うな!おいモヤシ手伝え!」
「ちょっと!何するのよ!?」
二人の男が強引にリュネを羽交い締めにして部屋の中へ引き摺り込む。ギャアギャア騒ぐ女を隠すように神父が再び礼。
「申し訳ありません。お見苦しい場面を。彼女は私共と少し話し合いが必要なようです。終わり次第再度遣わせますのでご容赦下さいませ」
「え、ええ……靭さんが前に言っていたリュネさんって、彼女の事だったんですね。?でもどうしてジュリトさん達が不死族の人とお知り合いなんですか?」
尤もな疑問に、神父は鉄壁の笑みで答えた。
「私共には色々人脈があるので御座います。あの政府員の彼はまだ日が浅いので、リュネの顔を知らなかったようですね。後で説明しておきます」
「仲間、と言う事ですか?私達みたいな」
「さあ、どうでしょう」意味ありげに言葉を切り、後ろを振り返った。「少なくとも私にとっては単なる協力関係ですよ。坊ちゃまと比べる事もおこがましい」
「冷たい神父様だな」
俺が口を出して、奴の眉が僅かに上がる。
「友人は大切、仲間は何より貴い、素晴らしい思想です。感動で胸が熱くなってしまいますよ、ふふ」冷笑。「ウィルさん、以前私が尋ねた事を覚えていますか?あの返答に何か変化は?」
「……無い」
一瞬の迷いを見逃さず、神父は「どうしました?」更に突っ込んできた。「宇宙より一人を選ぶのでしょう?まさか怖じ気付きましたか?」
「違う!!」
この二週間、俺は引き籠っていた頃とは桁違いの経験をした。仲間を始め様々な人間に出会い、話し、守ろうと懸命に努力した。俺にとって大切な者は、天使によって絆を結び付けられてあの時より確実に増えている。もう他全てを切り捨てる選択など到底出来ない。
「俺は……一人だけじゃなく、この手の限界ギリギリまで大事な人達を救うと言っているんだ」
もし一人を選んでしまったら、彼は酷く悲しむだろう。失われた者達全てのために――。俺にできるのはその嘆きを少しでも小さくし、繋がった縁を一本でも多く守ってやる事だけだ。
神父は呆れたように首を横に振った。「欲の深い方ですね。失望しました」
「そうかよ。何と言われようとこれが俺の答えだ。――皆、行こう」彼等が居坐っている以上、この部屋に用は無い。
「お邪魔しました」ペコッ、兄弟が揃って頭を下げた。
ガチャン。
「これからどうするつもり?」
「尾行の素人が街路で張り込むのは無理だ。ガキもいるしな。無茶せず夕食会まで時間を潰して」
ウィルが言い掛けた時、ふと隣室のドアの隙間から覗く濃い茶目に気付いた。さっきのギターを鳴らしていた人?あれ?
「ケルフ?」
「何だ、やっぱ誠達か!」ガタンッ!ドアを全開にしてスリッパを履いた友人が出てきた。鼠色のトレーナーと黒のジャージ、襟が伸びてゆったりダボダボ。黒髪もまだ梳いていないのか、いつもと違って不規則なぐちゃぐちゃ。寝起きのオリオールみたいにあちこち跳ねている。
「よう、一週間振り」
「ここお前の部屋か。にしても如何にも起きたばっかって感じだな」
「いや、今日は九時に起きてからずっと作曲に専念しててさ。やっと一曲出来てさあ昼飯にしようと思ったら、義父さん達らしい話し声が」
玄関を覗いたアイザがギャッ!と叫ぶ。「ちょっとあんた、いらない靴は仕舞うか捨てなさいよ!それに何なのよ靴箱の上の段ボールの山!?」
好奇心に釣られて私達も首を伸ばす。隣室と構造は一緒だけど、玄関から部屋へ入る通路は人一人がギリギリ歩ける程度。片側にゴミの詰まった袋、もう片側は様々な大きさの箱が人の背丈を越えて積み上げられている。本来散らかった靴を片付けるはずの靴箱の前にも弟が丸くなれば入れそうな箱。靴は一、二……五足、結構持っているんだ。日替わりで履くのかな?
「まあ上がっていってくれよ。話の感じ暇なんだろ?」
「上がれ!?あんたどの口で言ってる訳!!」
「まーくんをこんな汚え部屋に入れれるかボケ!」
何故か二人共凄い剣幕でケルフに怒鳴った。
「あー、いや……スマン。ここしばらくリーズが来てないから油断してた。昼飯ついでに皆で掃除手伝ってくれないか?」
素直に頭を下げる彼に、二人もしょうがないなぁと言った表情で頷き合う。
「じゃあ上がらせてもらうぞ」
「どうぞどうぞ」
散らかる靴を端に積み上げ、空いたスペースに私達の靴を置くよう言われた。大人用三足+子供用一足で一杯だ。
両側を崩さないよう気にしながら部屋の中へ進む。ガラガラガラ。「ああもう知るか!」後ろでウィルが落ちてきた箱を蹴飛ばす音が聞こえた。と思ったら前にいたオリオールが通路に落ちていたバスタオルに足を滑らせかける。「きゃぁぅ!」
リビングも勿論かなり物が多くて、それぞれ何とか座る場所を確保する。私は弟と長方形をした白黒のクッションに腰掛け、ウィルとアイザは緑色の座布団。ケルフは敷きっ放しの蒲団の上に胡坐を掻く。真ん中にはペットボトルとクッキーの箱に占拠されたちゃぶ台。
部屋はこのリビング、奥にはキッチン。手前の通路にあったドアはバスとトイレだそうだ。唯一物が散乱していない書き物机には書きかけの楽譜、横にはギターが立て掛けられている。
「で、まずどっから手を着けりゃいいんだ?前後左右上下ガラクタにしか見えないんだが」
「ほい、ゴミ袋。取り合えずはいらない物ばっかのはずだ。服とCD、それと漫画が埋まっているはずだから、出てきたら机の上に置いといてくれ。その間に俺はキッチンの洗い物してくるわ。あ、明日燃えるゴミの日なんだ。下の収集ボックスまでついでに持って行っといてくれよ」
「全力でこき使う気か!?」
「頼んだぞ皆」
そう言って奥へ消えていく。四人で半ば呆れながらゴミを袋に詰め始めた。
「あー、お腹空いた。アタシ今日は朝から何も食べてないのに、何で人の家のゴミ片付けてるんだろ……?」
「だ、大丈夫?私達に任せて横になった方がいいんじゃ」
「こんな万年床じゃとても寝られないよ。平気平気、人手が多い方が早く綺麗になるし、頑張ろ」
「そう?うん、私も頑張る」
ポテトチップスの袋……ぽい。本屋さんの包み紙……ぽい。使用済み割り箸……ぽい。――あれ、三人共二袋目?私はまだ半分も入れていないのに。皆、殆どゴミを確認せずにパッパッと袋に押し込んでいく。私みたいに考える時間が無い。
「兄様はゆっくりでいいよ」手を止めて考えていた私に弟が言ってくちゅん!小さなくしゃみをした。「埃っぽいー!ティッシュティッシュ」
家事で慣れているのか、アイザはどんどん満杯のゴミ袋を増やして玄関へ持って行く。十個程になった所でウィルを呼び、ゴミ捨て場に運ぶよう頼む。「これ以上積んだら密室になっちゃうから、お願い」「分かった。そっちが終わったら空箱も潰して降ろそう。紙紐は机の下に転がっている」「了解」
それからしばらく三人でゴミを片付ける。一通り終わると、私は戻ってきたケルフに教えられて生まれて初めての掃除機を掛け、弟は雑巾で拭き掃除。二人は段ボールを折り畳んで縛る作業に移る。
「よし、まあこんなもんだろ」掃除機をクローゼットに片付けながらケルフが言った。
「はぁー疲れた!お兄さん人使い荒過ぎだよ!」
「まぁまぁ怒るなって。腹一杯飯食わせてやるか……」急に思案顔になった。「あれ、今冷蔵庫何かあったっけ……?」
「おいおい本気で言ってんのか?」
「ちょっと見て来る」
バタバタッ。数分後、戻ってきた彼は何故か木箱を持っている。
「悪い皆。貰い物の乾物素麺しかない」
「他に材料は?」
「冷蔵庫に半端物の野菜と魚肉ソーセージが三本、あと卵が一個残ってたかな?」
溜息と共にウィルが立ち上がる。
「しょうがないな。その素麺全部茹でて、残り物適当に刻んでソース掛けりゃ焼き蕎麦っぽくなるだろ。無かったらケチャップでナポリタンもどきでもいいぞ」
「大丈夫だ、ソースは確かこの前お好み焼きする時に買った」
「ホットプレートは発掘してさっきキッチンに持って行ったな。このちゃぶ台の上で作ろう」
バタバタ……。
私は残った友人に視線を向けた。彼女もこちらを見ている。
「あのさ誠……ううん、その」
「僕トイレ!」ピョコン!跳び上がって弟が入口の御手洗いへ走っていった。バタン。
数秒の沈黙の後、彼女らしくないおずおずした様子で「あのさ、怪我の治療……お願いしてもいい?」承諾すると、着ているシャツを脱ぎ始める。下着も含めて上半身に纏っていた物を全て外し、筋肉のしっかり付いた身体を晒す。
爪を立てられたような傷は両腕、それに脇から腰まで続いていた。腕の一本にはまだ血が滲んでいる。船着場でお母さんが掴んでいた所だ。
「誠相手でも少し恥ずかしいな。胸だけ隠してていい?」
「怪我してないなら構わないよ」
「じゃあお言葉に甘えて」両手でシャツを掴み、膨らみを覆って見えなくする。
氣を練り、温かさを帯びた所でまずは右腕にそっと当てた。蚯蚓腫れが光に照らされて少しずつ癒されていく。綺麗に治ったら反対側、更に脇腹へ進む。
(眠れてないのかな……?氣が弱くなってる)精神を安らげる奇跡も使う。
「終わったよ。少し横になる?」
「そうだね……」
服を着てから座布団二枚を敷き、ころりと横たわる。
「ありがと誠」ふーっ、大きく息を吐く。ちょっとは元気になってくれたかな。
戻ってきた弟がただいまを言って私の横に陣取る。
「お姉さん大丈夫?」座布団の上で左右にゆらゆら。宇宙船の中から癖になってるみたい。「看病疲れ?無理しない方がいいよ。ほら、何とかが何とかになるって諺もあるし」
ケタケタ。「木乃伊盗りが木乃伊になる、ね。全然言えてないじゃん。大人ぶって小難しい言葉使おうとするから」
「むぅ、また度忘れしちゃった。どうしたらちゃんと覚えていられるのかな?」
「本を、読めばいいんじゃない?色々知らない事勉強できるよ」
「字が多いの嫌い!漫画でもいい?」
「あ、うん。多分」
言うなり弟は机の上にあった一冊を手に取りページを開く。覗き込んだ感じ、絵の中に台詞が書いてあって、小説で言う地の文は無いようだ。面白そう。
「ちょっと通るぞ」
ウィルが円形の機械をちゃぶ台に置き、伸びたコードを壁に開いた穴に刺してスイッチをオンにした。
「どうした、だるいのか?」両手に野菜と茹でた素麺が一杯乗ったお皿を持ったケルフが尋ねた。「母親が戻ってきて生活リズムが変わったせいか?」
「まぁね。出来たら起きるよ。準備はお願い」
「ああ」
プレートが熱した所で油を敷き、切ったソーセージとキャベツ等を炒め始める。ジューッ、火を使わずに調理するなんてちょっと不思議だ。
「それ面白いか?」ケルフが弟の手の中の漫画を指差す。
「ボウケンカツゲキ?絵は綺麗だけど設定の作り込みが雑じゃない?とにかく主人公がやたらモテてるのが凄く変。毎回悪役にボコボコにされてるのにおかしくない?」
「まあ創作は半分作者の願望だからな。俺も正直それあんまり好きじゃない。この前久し振りにクリーミオの仲間に会って貸してもらったんだが」
「解散したバンドのか?」
「皆やりたい事が出来ちまっただけだよ。喧嘩別れじゃねえし、一応まだ皆同じ街に住んでるからな。漫画の貸し借りぐらいするさ」
仲良しなんだ。羨ましいな。
「でもお兄さん、僕はもっと難しい言葉が沢山出てくる漫画がいいの。これじゃ勉強にならないよ」
「なら辞書でも読んでろ」
野菜がしんなりしてきた頃合いを見計らい、素麺を入れる。一混ぜしたらたっぷりソースを絡ませ、程良く焦げるまで焼き付ける。香ばしい匂いがしてきたら、仕上げに鰹節と青海苔を振り掛けて、完成。
「アイザ、出来たぞ」
「うん……」友人が上半身を起こし、大きく伸び。「少しは回復したかな」
各々プレートの中身をお皿に掬い、フォークで口に運ぶ。熱々で美味しい。
食べながら私達はケルフにこの街へ来た目的、“炎の魔女”捜索の話をする。
「“魔女”がアイゼンハーク家に、か。あそこの五男って確か俺と同級生だ。当然通ってた学校は違うが」
「ワーズワムルって奴だな。他に情報は?」
「あの家、前の当主が行方不明になったんだろ?噂だと夫である今の当主に殺されて、スラムのどっかに埋められたとか……」
「政府に遺体発見の記録は無かったみたいだぞ?エルも言ってなかったしな」
ハフハフ。ソースと青海苔でベタベタになった弟の口の周りをティッシュで拭く。本当に彼は食欲旺盛だ。私はもう入らないのに。
「俺もそれ以上は知らねえよ。幽族繋がりでリーズなら何か知っているかもしれねえけど。あ、でもババアがあいつ最近遅い日があるとか無いとか言ってたな」
「誰だババアって?」
「孤児院のシスター。義父さん会った事あるだろ?」
「ああ、あの婆さんか。まだ息災なんだな」
「殺しても死なねえよ。あの年で病気一つしないしな、妖怪ババアだありゃ」
どうやらシスターさんとは、リーズ達のお母さん代わりの人らしい。
「ねえ、遅いってのは学校の補習?あの子成績良さそうだし、そうそう残される事無いと思うんだけど。それとも部活動とか?」アイザが尋ねる。
「リーズの場合、夢療法士関係の課外授業が毎年何回かあるんだよ。前シャバムに行ったのもそうだし、他にも実地訓練とか偉い先生の公聴会とか参加するんだよ」
「え、まだあの子十四でしょ?なのにもうそんな事してるの?」
「夢使い関係の仕事は子供の時からの感覚が結構大事らしくてさ。年代毎に修得すべきスキルとかあって、大学生になってからいきなり全部取るのはかなり難しい。リーズは初等部の時から夢療法方面に進むって決めてたお陰で、その辺の負担はあんまり無かったな。まあ、大学入って本格的に勉強し始めたらまた違うんだろうけど。医学関係じゃ外科医なんかよりよっぽど難しいぜ。その分地位と収入は高い」
「成程。だから夢使い家系のアイゼンハークは貴族になれたのか」
「逆に力が無くなった時の堕ち方はそりゃあ酷えらしい」
「リュネも言ってたなそんな事。夢使いは基本的に女しかなれないのに、現在のアイゼンハーク家は男所帯で没落寸前とか」
「完全に男がいない訳じゃないんだぜ?少数だが論文書いている先生はいる。学会全体は女性社会らしいけど」
と、ウィルは何故か私の方を見た。
「なあケルフ。夢と氣は近いのか?どっちも精神的な物だろ?」
「さあ……?近い気はするけど、誠に夢使いは無理だぜ。……シャバムでもろ死者の思念に乗っ取られてただろ?どんな悪夢でも揺るがない鉄壁の精神が要求されるんだ、夢使いってのは」
「そうなのか。言われて見れば確かにリーズは年の割に冷静だな。成程、小さい頃から精神を鍛えているって訳か」
「凄いなあ。でもどうして、リーズはそこまでして夢療法士になりたいの?」そう言えばまだ聞いた事が無い。
何故かケルフは私の問いに「あ、ああ……」一瞬口籠った。
「?」
「――医者に掛かれないぐらい貧しい奴を助けるためだよ。孤児院もスラムの近くだしさ、昔から……病人は見慣れてるんだ、あいつ」
何だろう……いつものケルフと違う氣だ。もっと落ち着いた感じの……混じってる?
「どうした誠?俺の顔に何か付いてるか?」
「口の端に付いているのは青海苔だけど……ケルフ、少し会わない間に氣が変わったね」
驚愕。
「そ、そうか……?どんな風に?」
私がたどたどしく説明すると、ますます吃驚した。
「でもアイザみたいに弱くなってはないよ。ただ、まだちょっと離れてる……かな?」
「へ、へぇ……」
「何か心当たりあるのケルフ?」
「いや……別に」
否定。その後ポケットから携帯を取り出して開き、ボタンを押してしばらく耳に当てて、閉めた。
「駄目だ、やっぱこの時間は授業中らしい」
「今日平日だもんね。学生さんは学校行ってるのが普通」
「そうなの?どんな所?」
話には聞いていたけれど、学校は勉強する所、なんだよね?“黒の都”にもあるんだろうか?通ったら私ももっと外界や同族の事学べるのかな。
「ベランダから見えるぜ。来いよ誠」「うん」
リビングの奥の窓を出て、コンクリートに敷かれた焦げ茶色のマットの上を歩いて手摺りへ。右斜め前、平屋の家数軒の先にある白い大きな建物を指差す。
「ほら、あれがリーズの通っているオルテカ中央学校。初中高、大学までの一貫校、この街で唯一の学校なんだぜ」
建物の前には“赤の星”では珍しい鮮やかな緑色が広がっている。私があれは?と訊くと、多分運動場の芝生だな、ウィルが先に答えた。スポーツの授業の時はあそこに出てやるんだよ、体育の団体競技なら野球やサッカーが主か。
「??」
「そうか、まーくんはまだ見た事無かったか。どっちもボールを使うスポーツで、投げたり蹴ったりして点数を競うゲームだ。まーくんには体力的に少しキツいかもしれないな」
確かに走ればすぐ息が切れるし、身体能力は子供のオリオールの方が余程上だ。あ、そう言えば以前走る練習をしたいって話をしたような。すっかり忘れてた。
ケルフが反対側、こちらも周りに比べてずっと敷地が広い三階建ての屋敷を指す。「で、あれが誠達が今夜行くアイゼンハーク家。あんだけ広くて男三人と使用人しかいねえって、もったいねえよな本気で。年間の維持費幾ら掛かんだ一体?」
手摺りからちょっとだけ身を乗り出し、赤茶けた煉瓦の建物を覗き込んだ。しかし中の人が見えるはずもなく、諦めて柵の内側へ戻った。