魔法という兵器
新月の夜だ。
よく隅々まで管理が行き届いている館の二階。その一室には友人がいる。さっさと二階に登って、ピシャッと窓を開けた。
「……ベティ?」
戸惑う友人にお構い無しに、バッと、手を差し出した。
「レニー、遊びに行こう。早く手をとって。」
「全く、阿呆にも程があるだろ。」
理知的な彼は友人を咎めながら、深層心理は嬉しくないわけがなかった。手を繋いだ二人は、二階の窓から飛び降りた。
ビシャビシャと鳴る雨上がりの土砂の床。使い古された靴と、綺麗な革靴が泥にまみれる。
「ベティ、夜の森に行くだなんて、バレてしまえばどれだけ怒られると思っているんだ。」
「大丈夫だって、今日はお月様が居ないんだよ。真っ暗なうちに戻ったら、誰も気づきやしないさ。」
ベティは髪をたなびかせ、されるがままの友を引っ張った。ベティの髪は微かな光も反射して、どんな時でも白く、美しかった。
「お前も知っているだろう?私の父さんは実に恐ろしいのだ。……ああ、明日私はどんな仕打ちを受けるやら、お前も例外じゃないんだからな。」
「なんだレニー、僕と一緒に森に行くのが嫌なのかな?」
「別に嫌だなんて言っていないだろう。行くぞ。」
レニーもとい、レイノルドは白髪の少年を追い抜かして走った。綺麗な絹の洋服が草や木に当たって汚れても、誰も気にしない。
「ま、待ってよ!」
「ハハッ、お前じゃ私には追いつけないか。」
「なっ、バカにしたね。今はまだ追いつけないけど、明日にはキミの二倍のスピードで走ってみせるよ。」
「無理だね、そんなこと。」
さっきまで疲れ果てて、ベッドな横になって、ああ全く動きたくないな、だなんて思っていたのが嘘みたい。心の底から力が湧き出て、どこまで走っても走っても果てしなく疲れなかった。
「ベティ、どこまで行くんだ?」
「お花の洞窟、そこに見たいものがあるんだ。」
「へぇ。」
レイノルドはほとんど外出を許されていなかった。だが、彼らはこの森に詳しい。こっそり抜け出しては森に行き……で、怒られる。
「ずっとつぼみばかりのお花はさ、図鑑で見たのだけど夜に咲くんだって。」
「ベティも図鑑だなんて小難しいもの読むんだな。いっつもどこかを駆け回ってばかりじゃないかね。」
「失礼だな〜。雨の日は家でじっとしてるっての。」
少し遅れて走る友人。金持ちの家の子などお構い無しに連れて行ってしまう、そんな恐れ知らずなど彼しかいないのだ。
「……ベアテル、ありがとうな。」
「レニー?なんだよ、珍しい。」
「フフ、嘘だよ。もっと理知的な友人が欲しかったね。」
「なっ、キミって奴は……。」
「うそだよ」
ベアテルはムッとして、全速力でレイノルドを追い抜かした。
「私が悪かった、からかってしまってごめんな。だからお前、そんなにスピードを上げるとすぐバテてしまうよ。」
「ふーい。」
二人は段々とスピードを落として、やがては歩き始めた。相手の顔を見てみたら、ピッタリ目が合ってしまって、
「あっはは!なんでお前もこっち見るんだよ、」
「……ははっ、あははっ!」
そして、ただ笑った。
小川の綺麗な方向に逆らって歩く。でこぼことした岩場を、水の光が当たる草道を、夜にこっそり歩いている。全てが綺麗。
「ね、ほら、あのお花だよ。」
ベアテルの指した方向に、目をやった。
「……うん、確かに綺麗な花だな。」
春の爽やかな夜風が前を横切る。水の匂いと、肌を滑る冷風の痛み、露の反射と目の煌めきがこの世界の灯りだ。それに照らされ、その花はいっそう、よりいっそう輝くのだ。
「この花にまつわるおとぎ話があるんだ。レニー聞きたい?」
「聞かせてくれ。」
「花のお医者さん。とある貧しい農家の娘が病気になってしまって、その時に青年の医者が訪れるんだよ。その医者は花のしぼり汁を娘にかけて治してやったって話。」
再び花を指さした。反対側が見えるほど透き通った花弁と、花を際立てるがく片、上品な甘い香り。全てが魅力的な花だ。
「きっとお医者さんの人が使ったのは、あの花のしぼり汁だ。夜にだけ咲く、青く甘い匂いの花。」
「ふーん。」
「信じてないでしょ、本当かもしれないよ?あ、あと医者は最後に、自分が魔法を使ったことを話すのだけど、「私は魔法を使いました。」ていう文で、中途半端に終わってるんだ。」
ベアテルは家にあった別の出版の、二冊の「花のお医者さん」を読んでいた。そのどちらも、最後は同じで 「私は魔法を使いました。 というセリフで終わっている。
「じゃあ私が考えてやろう。魔法が暴走して、父と娘は化け物に変わりましたとさ。めでたしめでたし。」
「それなんもめでたくないよ!もっとこうさ、魔法は兵器ではなく、優しいものでしたみたいな。」
「おお、純粋でお優しい考えだ。」
ベアテルはムスッとした。
「また僕のこと馬鹿にした〜、絶交してやろうかっての。」
「ごめんって。私が悪かったからさ、許して。」
「しょうがないなぁ。ベアテル君が優しくて良かったね、レイノルド。」
「そうだな。」
ベアテルの頭を撫でてやった。
何分、何時間か……どれくらい居たか分からない。彼らはずっとここに居た。ただぼーっと花を見たり、他愛のない会話を続けたりした。それだけで良かった。
「ベティ、」
「ねぇ、レニー。毎日こんな感じならいいのにね。レニーはいつもお家で勉強とか大変そう。」
レイノルドがその問いになにか言うことはなかった。
「……ベティ、このまま逃げ出そう。」
ベアテルはレイノルドの顔をじっと見た。レイノルドは決してベアテルに顔を合わせることなく、ただ一点、花を見つめている。
「いいね。」
微笑む彼を見た、レイノルドは顔を手でおおった。
「お前ならそういうだろうと思ったさ。……帰ろうか、ベティ。」
「ん、わかった。」
身震いするほど冷たい風が吹いた。
うつくむレイノルドの右手を取って、歩き出した。繋ぎあった手は、いつもみたいに降らない。ただの静寂が続いた。
帰りたくなんてない、この道が永遠に続けばいいとさえ思っていた。帰り道は来た道より何倍も早かった、さっきみたいに走っていなかったのに。あっという間にいつもの道、名残惜しさが心臓の壁にこびり付いた。この道を真っ直ぐ行けば、またいつもの日常に……
「……レニー、なんか変じゃない。」
「ああ。」
焼けた匂いがする、集落の方向が明るい。
「ボヤか!?」
二人は集落の方へ走った。さっきと違って、レイノルドは手加減をしてやらなかった。
ベアテルは小さくなる友人の背を一生懸命に走った。持ち前の負けず嫌いもそうなのだろうが、一人にして欲しくなかったのだろう。すると、レイノルドは突然止まった。
「……ダメだベティ。ボヤどころじゃない。」
ベアテルはレイノルドが立っている場所に歩いて向かった。恐る恐る、同じ視点で見た。
「どうやったら、こんなに……。」
目の前の集落は真っ赤だった。
「全部だ、」
「レニーの家はレンガのはずだよ、なんで石も地面も燃えてるの。」
「……それが、魔法なのか。」
「これが、魔法……。」
「選ばれた者だけが扱える、殺人兵器だ。」
パチ、パチと、音が鳴る。星々の涙が落ちてきた、地面は涙を吸い込んで、葉っぱは涙をはじいた。月が怒っている、ゴロゴロと低く唸っている。どんなに水がかかろうとも、炎は消えなかった。
――花のお医者さん
戦場で魔法が蔓延る時代のことです。ある人ある人みなが、魔法を恐れていました。そんな時に、とある農家の娘が、病に倒れてしまいました。お父さんは懸命に看病しましたが、娘の様子は悪くなるばかりでした。その家の扉が、こん、コンコン、となりました。尋ねてきたのは、なんと、どこにでも居そうな青年でした。お父さんが「こんな苦しい時に何の用だ。」と、怒鳴りました。尋ねた青年は落ち着いた容貌で「怒られなさるな。私はただの医者です、娘さんのお話は隣の人からお聞きしました。」と、言いました。などと言われても、お父さんはそう簡単には信じません。「私の目の腫れを治してみせたら、信じよう。」と、言いました。青年は臆することなくお父さんに近づき、珍しい青い花のしぼり汁をお父さんの頭からかけました。その花は夜にだけ咲く、青く甘い匂いの花なのです。するとみるみるうちに、目の痛みが治まっていくじゃないですか。感動したお父さんは青年に頭を下げました。「頭を上げていただきたい。ええ私は医者です、頼まれなくても医者です。」と、言いました。青年は娘に同じしぼり汁をかけてやりました。またしても、ずんずん容態が良くなっていきます。お父さんと娘は何度もお礼を言いました。少年は去る時一言こう言いました「私は魔法を使いました。




