6 そのスパイは要注意人物です
「────ス……パイ……って、なんで、そんな特殊な職業の方がこんなところにいらっしゃるのでしょうか……?」
できるだけ冷静を装って少し声のトーンを落としながら小声で聞けば「さて、どうしてでしょう?」と意地悪そうに、にんまりと笑われてしまいます。その怪しい笑顔が余計にこちらに威圧を与えて来ているような気がしました。私の声が少し震えてしまっているのを気付かれていないといいのですけれど。
落ち着いているようには装いましたが、内心は“まさか隣国のスパイなんてとんでもなくヤバイ人がやって来るなんて……!”と、かなり慌ててしまいます。
だって国家のスパイと言ったら、国家機密的な存在なんですから!
しかも本当に隣国のスパイなのだとしたら、この後で無事だったとしてもお父様に報告すら出来ません。スパイとは各国に存在していると言われていますが、本当に極秘扱いのはずなのです。特に他国のスパイについての情報なんて欠片でも知っているなんてバレたら、それこそ命を狙われるでしょう。“隣国のスパイは銀髪で灰色の瞳をした若い男でした”なんて口にすれば私の人生はそこで終わりですね。というか、自分がスパイだってバラすのも大罪じゃなかったでしたっけ?!
と、かなりパニックになった事だけはお伝えしたいと思います。
え?結局どうしたのかって?
そりゃ追い返しましたよ、もちろん。問答無用で急所を狙って火かき棒を振り回したら「えっ?うそだろっ、ちょっまっ!?ここは普通、話を聞くとこなんじゃ?!」と叫んでましたが聞く耳など持つ義理はありません。
「だから、どこの普通と比べてるのかは知りませんけど!とにかく不法侵入は犯罪です!!」
とりあえず、泥棒や痴漢ではなさそうなので一旦お帰り願うことにしました。(強制的に)
火かき棒が銀髪男の顔の右横をかすると「あぶね!」と言いながら窓から逃げて行ったのでした。
男が消えたのを確認し急いで窓を閉めます。カーテンを引いて外が見えなくなると、やっと体の力が抜け座り込んでしまいました。
「こ、怖かった……」
なんなんでしょうか、あの人。おかげで足がガクガクして立てないじゃないですか。
このあと、なにやら騒がしいからと心配して駆け付けてくれた老執事と侍女を誤魔化すのがどれだけ大変だったかあの不審者を訴えたいくらいです。いえ、それよりも何をしに来たのかはわかりませんが出来ればもう二度と会いたくないですね……。
と、思っていたのですが。
「そこの店員さん、ビールおかわり~」
なぜ、あの不審者は私の目の前で楽しそうにビールを飲んでいるのでしょうか?
しかも銀髪も灰色の瞳も隠そうともせず堂々としているし、スパイってもっと隠密行動的な感じで姿形を変えて生活していると思っていたのですがスパイのイメージがガラリと変わってしまいました。まぁ、この領地で彼の瞳の色をいじる人間はいないと思いますが(領主の娘が不吉な桃毛なので)……いや、それでも少しは隠そうとしてくださいよ!そうしてくれれば気付かないフリもできたのに!
あ、右頬に手当ての跡があります。もしかしてあの時に怪我をさせてしまったのかもしれません。いえ、あれは正当防衛なので罪悪感を持つわけでは無いですが、やっぱりやり過ぎたかしら……。
「お待たせいたしました」
私は出来るだけ目を合わさないようにして新しいビールを出しました。
本音としてはすぐにでもこの場から追い出したい衝動にかられるとはいえ、今の私はこの酒場のバーテンダーのロイです。この桃色の髪さえ隠せば大抵の人には私だとバレません。一応は婚約者のはずのエドガーにもバレなかったのですから、赤の他人のこの人にもバレるはずがありませんね。
もしかしたら私の口を封じるために見張りに来たのかと一瞬疑いましたが、いらぬ心配だったようです。いくらスパイとはいえ、私の変装は見抜けなかったのでしょう。そう考えれば少しだけ肩の力が抜けました。
「どーも。ところで君、ロイ君だっけ?たまにしか店にいないって聞いたけど」
「はい、時々お手伝いさせてもらっていま「なんでそんな下手な変装してるの?」えぇっ?!」
油断しているところにそんなことを言われ、思わず狼狽えてしまうと、銀髪の男はまたもやにんまりと意地悪そうな笑顔を見せたのでした。
「やっぱり、ロティーナ嬢だ。ひと目見てそうだと思ったんだ」
……なんてことでしょう。どうやら彼には店に入った時から私だとバレていたようです。
「……ここでは“ロイ”です」
なんだかこの姿を見られているのが恥ずかしくなってきました。複雑な気持ちでそっぽを向いてそう呟くとさらにニマニマとこちらを見てきます。そのにんまり顔やめてくれませんかね。やたらとムカつきます。とにかく、侮れない人物だと言うことでしょう。
「ではロイ君、おすすめのおつまみ追加で~」
「畏まりました」
ここではあくまでも店員のバーテンダーとお客ですからね。冷静に対応しますよ。決してなんか馬鹿にされた気がして悔しいだなんて思っていません。今日のおすすめはピリッとしたスパイスの効いたフライドポテトですが……。
「このポテト辛すぎない?口がヒリヒリするんだけど」
「そうですか?」
ちなみに辛さ3倍です。別になんだか悔しいからってポテトが真っ赤になるまでスパイスを一心不乱に振りかけたりしていません。
しかし、私がもし口にしたら確実に火を吹く自信がある辛さなのに「めちゃくちゃ辛いんだけど~」と言いながらも平然と美味しそうにパクパクと食べているじゃないですか。なんだか負けた気分です……もっと辛くすれば良かったかしら。
「それで、わざわざこんなところまでくるなんて何かご用ですか?」
あくまでもバーテンダーとして仕事をしながら世間話をしている風を装います。こんな時にわざと小声になったりソワソワしたりする人がいますがそれでは“人に聞かれては困る”と公言しているようなものです。堂々としていればこんな騒がしい酒場では誰も私達のことなど気にしませんから。
「用事と言えば用事かな。……と言うか、忠告?」
「忠告って……」
グラスを拭く手を止めて銀髪男に視線を向ければ先ほどまでのにんまり顔ではなく、やたらと鋭い目つきで私を見てきました。
「今、君が調べている事から手を引いた方がいい。この案件は君が思っている程お手軽なことじゃないよ。それと……婚約破棄も今はオススメしないかな」と。
「……っ!」
それはどういう意味なのか。そう聞こうと思いましたが、彼の眼光がその質問は許さない。と圧をかけてきます。
私が黙ったままでいると、再びにんまりとした顔に戻り「ビール、おかわりちょうだい?」と空になったグラスを差し出されたのでした。




