58 一つの願いと誓い(ジル視点)
国王が立て籠っている部屋の前にたどり着き、オレは早まる鼓動を落ち着かせるために息を吐いた。
ほとんど顔も合わせず、母上を辛い目に遭わせて来た憎いだけの父親。いや、まともに父だと思った時などなかった。
今日こそオレはお前の呪縛から母上を解放してみせる。 神が本当に存在するならば、どうか今だけでもオレに力を授けて欲しいと願うほどに。
そんな事を想いながら手に力を込め、勢いよく扉を開いた。
「…………!」
扉が開いた瞬間、むせかえるような血の臭いが部屋に充満していることに気づく。
そして部屋の中央に転がる赤く染まった人影に言葉を失ってしまったのだ……。
「こ、れは……」
血溜まりの中心に浮かぶ死相に、ごくりと息を飲む音がやたらと耳に響いた。そこには、目を見開き苦痛に悶えた顔のまま死んでいる国王の姿があったのだ。
「…………死んでる」
体中にある無数の噛み跡と食い千切られた肉片。それを見ただけで死因の察しはついたが、それでも息が止まる思いだった。
「……ジーンルディ……?」
「……母上!」
部屋の片隅から姿を現した母上は壁に身を預けながら弱々しい足取りでオレの元へと歩いてきた。
「母上ご無事ですか?一体、何があったのです?……もしかして……」
「……えぇ、ジーンルディの考えている通りよ。国王が……《《あの毒》》を飲んだの」
あの毒。とは、オレがあの悪女にも飲ませた劇薬の事だとすぐに理解した。あの毒の副作用はとにかく恐ろしいものだとわかっていたからこそあの女に飲ませたのだから。
「……国王は、今度こそわたしを魅了して見せると言って目の前であの毒を飲んだわ。でも……魅了されたのは王妃と側室たちだったのよ……」
それだけ聞けばどんな惨状だったのかは予想がついた。あの毒は効果に個人差があるのだが、毒を飲んだ人物にどんな感情を持っていたかによってもかなり違うという。
「では、国王は……」
「王妃と側室たちに食い千切られて……死んだわ。あの人たちは、どんな意味であれ国王を愛していたのよ。だから毒の効果が最大に現れたようね……。やはりあれは、とんでもない毒だわ」
母上は自身の腹にそっと手を当ててため息混じりにそう呟いた。もしかしたら母上にもあの毒の影響があったのではと不安がよぎる。
「母上は何ともないのですか?」
「…………ジーンルディには申し訳ないけれど、わたしはあの男を愛したことなどないの。あなたの実の父親だと言うのに、ごめんなさいね」
申し訳なさそうに頭を垂れる母上の姿に心が痛む。そんなことを言い出せばオレだってあの男を父親だと慕ったことなどない。オレとしてはあんな男の生存など、どうでもいい事だ。
「いえ、母上が無事なら良かっ……」
しかし安堵した瞬間。母上の体は支えるオレの手をすり抜けるように崩れ落ちていったのだ。
「うっ……ゴホッ!」
「母上!?」
何度も咳を繰り返し出す母上。口を押さえる指の隙間からは赤いものが滴る。
「……母上!母上っ!!い、いつもの薬は?!飲んだのでしょう?!」
「……よく聞きなさい、ジーンルディ。わたしの体は長くはもたないわ。あの薬だって決してわたしの体を治すものではなく、ギリギリ維持させる為のものでしかなかったのよ……。国王は愛する事を拒んだわたしから薬を取り上げ破棄してからあの毒を飲んだの。
そうね、ひとつ影響があったとすれば……、わたしの体を蝕む毒の効果が悪化したことかしら……。ふふ、1度薬を飲まなかっただけでこんなになるなんて……どのみち、すぐにこうなる運命だったんだわ……」
そう言って母上は服の裾を捲り、腹部を露にした。そこは酷く爛れて……いや、もう腐りかけていたのだ。
「……は、母上。いつからこんな……、誰に……。なぜ!オレに教えてくれなかったんですか!」
「……あらあら、そんな泣きそうな顔をして……。ジーンルディは、いつまでたっても心配性なんだから……。あなたはもう、わたしを守らなくてもいいのよ……これからは、聖女様をしっかりとお守りしてあげてちょうだい……」
「母上!」
いつもの優しい手つきでオレの頭を撫でてくれる母上の瞳から光が失われていく。
「────あぁ……もう1度、空の下で……躍りたかった……」
力を失くしたその手をそっと母上の胸の上に重ねた。
この目で見たことは無かったが、流れ者の集団の中で躍っていた母上はきっと自由だったに違いない。その母上から自由を奪った男は死んだ。母上は、今度こそ本当に自由になったのだ。
溢れそうになる涙を堪え、母上の体に近くにあったシーツをかける。その顔は穏やかに微笑んでいた。
泣いている場合じゃない。
ラスドレード国の悲しい歴史を終わらせ、もう2度と流れ者たちが悲しい思いをしなくてすむ国にすると母上に誓ったのだった。




