4 桃色の足枷が重くのしかかります
指輪を外して帰宅した翌日。朝から嫌な予感がして、カーテンをそっとめくり窓の外を覗き見ました。
私の部屋の位置は屋敷の門から少し離れているので遠目にはなりますが、カーテンの隙間から覗くと、確かにエドガーが伯爵家の鉄門を足で蹴りつけていました。ましてや唾まで吐いている現場を目撃してしまったのです。貴族として、ましてや紳士としての常識を疑いますね。そう、エドガーの事を“非常識な人種”なのだと感じてしまいました。たとえこの伯爵家に入婿する予定の人間だとしても許される行為ではないでしょう。
そもそも、そんなことをするなんて人として問題外です。もはや人外です。もしかして誰も屋敷から出てこないから、見られていないなら大丈夫だとでも思ったのでしょうか?そうだとしたらとんだ愚か者ですね。例えその場に誰もいなくても人の目なんてどこにあるのか分からないでしょうに。
「……やっぱり、ああいう人だったのね」
確信めいた深いため息が出たと同時に、ものすごく疲れを感じてしまいました。
確かに婚約者に対して門前払いはやり過ぎだったかもしれませんが、これまでが寛大過ぎたのでしょう。こちらの予定などはまるで無視して突然やってきては偉そうな態度で使用人たちの仕事の邪魔をしては謎の説教を始めるし、それを諫めるとあからさまに不機嫌になるのですもの。最初の頃はもっと謙虚な態度だったのに、月日を重ねるごとに少しづつ横柄な態度へと変化してしまったのです。
「……学園でエスコートしてくれていた時とはまるで別人ね」
これまで自分がどれだけ節穴だったのかを思い知りました。男を見る目がないとはまさに私のことですね。エドガーの笑顔の仮面の下を見破る事が出来なかったんですもの。
落胆してため息と共にカーテンを戻すと、部屋の扉がノックされ侍女が姿を現しました。
「お嬢様、お加減は大丈夫ですか?あのクソ野郎は執事長様が追い返してくれましたよ!」
そう言って明るい笑顔を見せてくれたのは侍女であるアニーでした。彼女は私の乳母でもある侍女頭のサニアのひとり娘です。アニーは私の桃色の髪を嫌がる事なくいつも綺麗に手入れしてくれる私の大切な乳姉妹でもあります。興奮すると少しだけ口が悪くなってしまうのが玉に瑕ですが。
昨夜、ウィッグを酒でびしょびしょにして帰ってきた私の指にいつもの指輪がないことを知った老執事のトーマスとこのアニーは、私が何も語らなくても全てを察してしまうほど有能なのです。
あの日、私の姿を見た途端に出迎えてくれたトーマスとアニーが眉間に皺を寄せました。
「「……そのお姿、その表情、その雰囲気……もしかしなくても、お嬢様のお仕事中にあの男が客としてやってきたのですか?」」
トーマスもだけれど、アニーの目がめちゃくちゃ怖いことになっていて私が恐る恐る頷くと、トーマスとアニーは視線を交わして大きく頷き合いました。この二人はエドガーのことを嫌っていたようで反応が凄まじかったです。
「「そして、もしかしなくてもお嬢様を見てもお嬢様だと気付かずに横柄な態度をされたのですね?あぁ、やっぱりお嬢様に同行しておけばよかった……!酒場に配置されているはずの護衛は何をしていたんですか?!」」
私が男装してまで働いている事を応援してくれている二人ですが、いつも心配ばかりかけていることを深く反省してしまいます。その護衛さんは私がお願いして裏方で仕事をしてもらっていたから対応が遅れてしまっただけなので怒らないであげてください……!
というか、同時に全く同じ事を言うなんてどれだけ息がピッタリなんでしょうか。トーマスとアニーの年齢差は親子どころか祖父と孫くらい離れているはずなのですが、なぜかこの二人は私に関する事には意見が合うようなのです。
「「さらに、もしかしなくてもお嬢様という婚約者がありながらあの男は他の女に現をぬかしたのですね?!」」
やたらと核心を突かれて動揺してしまいました。私だって今回の事はそれなりに衝撃だったのです。すでに婚約破棄を望んでるとはいえ、それを発表するタイミングというものがあるじゃないですか。
「え、えーと……」
とりあえずは時間稼ぎしなければと言葉を濁すと、トーマスが姿勢を正し「わかりました、旦那様と奥様には秘密にいたします。今後は事前の約束のない訪問はお断りしてよろしいですね?」と、にっこりと笑顔を見せてくれました。……その目は全く笑っていませんけれど。
「え、えぇ……それでお願いするわ」
「畏まりました。あとはこのトーマスにお任せください」
そう言ってトーマスが足早に立ち去ると、今度はアニーがにこやかに私の背中を押してきます。
「では、お嬢様はまずはお風呂にいたしましょう!今夜はリラックス効果のあるラベンダーの入浴剤をご用意しておりますよ!ウィッグの染み抜きはお任せ下さい!あとは執事長様にお任せしておけば大丈夫ですから!」
「……うん、ありがとう。アニー」
底抜けに明るいアニーの笑顔に癒やされながらお風呂の中で少し泣いてしまったのは内緒です。
そして私は、これまでの出来事を思い出していました。
全ての始まりの出来事を……。
***
私は昔から自分の桃色の髪に劣等感を抱いていました。
我がアレクサンドルト伯爵家では代々赤毛は吉兆だと言われています。はるか昔から、赤毛の当主が誕生すると幸運をもたらすと言い伝えられていたそうですわ。願掛けのようなものではありますが、それでも赤毛の子供が生まれると親戚一同でとても喜ぶのだそうです。
両親はふたりとも見事な赤毛と赤い瞳をしていました。父は若い頃に「赤き獅子」と呼ばれる美丈夫だったようですし(今では頭部に見る影もありませんが)、さらに母は「紅い宝石」と呼ばれていたほどに美しい赤毛なのです。そんなふたりが結婚して子宝に恵まれたと聞いた親戚一同は、子供が産まれたらそれは素晴らしい赤毛と赤い瞳になるだろうと心待ちにしていたようです。
ですが、そんな願いに反して産まれた私の髪は淡い桃色だったのです。瞳に至っては透き通るような桃色で、目を開けた瞬間にみんながとても驚いたそうです。もちろん、悪い方の意味で。
お医者様の話では遺伝子の変異で体の色素が薄くなってしまったのだろうと言うことでした。髪や瞳の色以外は健康にも特に問題は無く顔だって母に瓜二つなくらいそっくりですが、私の“色”を見た親戚たちはあからさまにガッカリと落胆して無事に産まれたことに対するお祝いの言葉はひと言も無かったのだとか。たまにですが、未だに顔を見ると嫌味を言ってくるくらいです。
父と母は「髪の色など関係ない」「瞳なんてまるでピンクダイヤモンドのように美しいじゃないか」と私を可愛がってくれましたが、私以外に子供が出来なかった為に「あんな薄気味悪い桃毛が次期当主か」と陰口を叩かれていました。しかしそれでも肩身を狭くすることもなく堂々と振る舞う両親の姿に怖気付いたのか親戚たちも表立ってはあまり言わなくなりましたけどね。まぁ、影では色々と言っているとは思いますが。
両親がもう子供を作らなかったのは私の為でしょう。もし赤毛の子供が産まれれば私はさらに蔑まれる事になるでしょうし、また桃色だったならば私と同じくその子までもが蔑まれるのがわかっているからです。
だから私は両親の為にも誰よりも立派な次期当主にならなければいけません。その為に学園ではそれこそ寝る間も惜しんで勉強をしていました。領地経営から領民の生活のこと……不気味な桃毛だからと侮られないために必死だったのです。
それにこんな桃色の髪をした私には恋愛など無縁でしたので、きっと将来はお父様がちょうど良い相手を見繕ってきて政略結婚することになるだろうと思っていたのです。だから色恋沙汰にも無関心でいました。
その頃の私には友達と言える令嬢がいませんでした。だぶんみんなもこんな桃色の髪をした私は気持ち悪いと思っていたのではないでしょうか。それに私も、周りから親戚たちと同じような視線を感じた気がして怖かったのです。なにより勉強ばかりだった私は令嬢たちの輪に入っておしゃれや恋話をするなんてとてもではありませんが出来ませんでしたもの。
そんな私に声をかけてくださったのが、公爵令嬢のレベッカ様だったのです。
レベッカ様は真面目で淑女の鑑のような方だと有名でした。私にとってまさに雲の上の存在です。もしかしたらこの髪色や瞳のことを「はしたない色」だと怒られるのではないだろうかと萎縮していたのですが……。
「あなたの髪と瞳、とても綺麗な色なのね。陽の光に煌めいてまるでピンクダイヤモンドの妖精のようだわ」
両親以外の方にこの色を誉めてもらったのは初めてで、その衝撃はまるで雷に打たれたかのようでした。
それから私とレベッカ様は仲良くなり、いつしか親友と呼べる存在になりました。お互いに本好きだとわかってからはオススメを持ち寄って意見を交換したり……思えばあの頃が1番楽しかったかも知れません。相変わらず他の令嬢たちには嫌厭されていましたが、レベッカ様といるとそんな周りの声も気にならなくなりだんだんと前向きになれました。
レベッカ様は隣国の王子の婚約者です。その王子には絶対にレベッカ様を幸せにして欲しいと願っていました。というか、幸せにしなかったら呪ってやると真剣に思っていました。そのせいで一時期は呪いに関する書物を読み込んだものです。ですが生贄を必要とするものばかりでしたので実行は諦めましたが。
そんな頃、 隣国の王子は時折「視察」と名目してこの国に頻繁にやってきていました。私はそれを王子がレベッカ様に会いに来るための名目だと信じていました。信じていたのに……。
あの頃の私は勉強をしているか、たまにレベッカ様とお茶をするかでしたし、他の令嬢のように婚約者のいる王子に近づいたりはしませんでした。
だから、気付けなかったのです。まさか、あんなことになるなんて……。
そんな頃、レベッカ様がよく男爵令嬢と衝突していると耳にし始めました。レベッカ様は正義感に満ちながらも平等な方です。もしも衝突したとしても、レベッカ様が理不尽な事をするとは思えませんでした。
そして隣国の王子は「やはりもう少しこの国にいることにした」と視察から留学に変えて学園にいますが、なぜかいつもその男爵令嬢が側にいるそうです。なぜ?と疑問符しか浮かびません。小耳に挟んだ噂程度でも、その男爵令嬢がレベッカ様よりも優秀だとは思えませんでしたから。
男爵令嬢は綺麗な黒髪と空のような瞳の色をした可愛らしい令嬢でした。私はいつも遠目から見かけるだけでしたが、彼女の通った跡には毎回うっとりとした目で彼女の後ろ姿を見つめる数人の男子生徒たちがいて、不思議な甘い香りが残されていたと記憶しています。残り香すらもやたら甘ったるくて、どうして男子生徒たちがこの香りを好むのかが不思議でなりませんでしたが。
そして運命のあの日、 隣国の王子がレベッカ様の輝く金髪と海のような濃いブルーをした瞳を「男を誘う下品な色」だと称したと聞いた時は信じられませんでした。自分だって金髪碧眼のくせに、なぜレベッカ様だけがそんな事を言われなくてはいけないのか。どうやらレベッカ様が他の男性に声をかけて篭絡しようとしているらしいと噂があったようですが、まさかそんな根も葉もない噂を信じるなんてと殺意すら湧いたものです。
だって、レベッカ様は婚約者がいるにも関わらずその男爵令嬢に現を抜かす男子生徒たちに注意をしていただけなんですもの。しかしどれほど注意しても、反論されたり逆に「もしかして俺に気があるのか?王子の婚約者なのにお盛んだな。遊びでいいなら……」と誤解された上に口説かれたりして大変だったらしいです。それなのに真実を確かめようともしないで一方的にレベッカ様を悪だと決めつける隣国の王子が一気に嫌いになりました。えぇ、今でもめちゃくちゃ嫌いです!
あまりの事に、私が心配していることを伝えるとレベッカ様は「大丈夫よ」と答えられ、さらに「あなたはちゃんと自分を愛してくれる方を見つけるのよ」と私に言ってくれました。私の心配をしている場合ではないでしょうに……。
そんな頃、私の前にひとりの男子生徒が姿を現しました。それがエドガーです。
エドガーは焦げ茶色の髪と瞳をしていて笑うと白い歯をキラリと見せてくる人でした。毎日のように「君の髪は美しい。君の側にいたい」と交際を申し込まれた日々は私にとって未知の世界でひたすらパニックになったものです。そして、もしやこれが「愛される」ということなのかと錯覚してしまったのです。
今から思えば恋愛経験が無さすぎて免疫がなかったのですわ。あんな表面だけの嘘に踊らされて影では笑い者にされていたんですもの。
その頃のレベッカ様はとても忙しくて私と会う時間を作る暇がありませんでした。色々と相談したかったのですが迷惑をかけてはいけないのでお手紙でエドガーとお付き合いすることになったとだけ伝えました。
そして、あの断罪劇がおこなわれたのです。
「どうして……」
レベッカ様が隣国で断罪され修道院に送られたと聞き、信じられませんでした。
エドガーは私がレベッカ様と親友であることを知りませんが、自国の公爵令嬢が断罪されたことにショックを受けているのだろうとしばらくそっとしていてくれました。その時は気遣ってくれているのだと嬉しく思ったものです。……いえ、今から思うとその間によそに行っていただけなのですわね。
エドガーとはそのまま婚約しました。お父様とお母様は「ロティーナを大切にしてくれるならば大賛成だ」と喜んでくれて親戚たちを説得してくれたのです。もちろん親戚たちは「濃い色が入れば再び赤毛が産まれるかも」と言っていましたが聞こえないフリをしました。でないと、次はもしも将来産まれた子供が桃毛だったらどうしようかと悩む日々が待っているだけなんですもの。私はどこまでも「桃色の髪」と言う足枷に囚われている気がしてしまったからです。
私は両親に大切にされて婚約者にも愛されているのだから、みんなを守れるくらい立派な領主にならなければ……と。今はそれだけを考えていたかったのです。
公爵家の事も知り、おじさまとおばさまにこっそり会いに行ったこともあります。あの男爵令嬢を養女にしたのは驚きましたが、レベッカ様の命には代えられません。そして秘密でレベッカ様の連絡先を貰い、おじさまとおばさまは直接レベッカ様と連絡が取れないので私が代わりにと定期的にお手紙を送っています。
ただ、修道院の規律が厳しく荷物などの類いは送れないし、手紙の内容も随時チェックされてしまうのでありきたりな事しか書けませんでしたが……。
私は未だに何の役にも立てません。親友の窮地に何も出来なかった償いを少しでもしたかったはずなのに、レベッカ様はいつもそんな私の身を案じていて下さっているのです。
学生時代、私と仲良くしていたせいでレベッカ様まで嫌味を言われた事もありました。レベッカ様の事を「偽善者」だと影でこそこそと囁く者も多かったのですが、レベッカ様はそんなことなど気にせず私の事を親友だと言ってくれていましたのに……。
私の髪が燃え上がるような赤色だったならば。いえ、せめて桃色でさえなければ……レベッカ様が誹謗中傷されることもなかったらのではないかと悩んだ時もありました。
でも、レベッカ様は修道院での暮らしは厳しいが私との手紙のやりとりが心の支えになっているとまでおっしゃって下さりました。そして私の幸せを願っていると。だから、そんなレベッカ様を安心させるためにも幸せにならなければと思い……いつも私は大丈夫だと、エドガーと幸せになると、手紙に書いていたのに……全て偽りになってしまいましたね。
そして……エドガーの真実を知ってから1週間。私はエドガーの身辺調査を徹底的にすることにしました。
実は、婚約当時はこんな出来損ないの私に熱烈なアピールをしてくれる男性だからと信じ切っていて碌な調査もしていなかったのです。騙されていたとも知らずに、私も恋に恋していた愚か者だったのですわ。これでは隣国の王子と同じですわね。
しかし、このまま結婚したら私の大切な領地で彼が横暴な振る舞いをする事は先日の態度を見ても明白です。私を信頼してこんな桃色の髪の次期当主を受け入れてくれている領民を不幸にする事だけは許せません。
「なんてことでしょう……」
予想はしていましたが、それでもエドガーはこんなにも碌でもない人間だったんですのね。
しかもアミィ嬢とも結局まだ完全に切れていない様子なのです。フラれたはずですのに、もしもの時は攫いに行くというのは本気なのでしょう。
エドガーはもちろんですが、アミィ嬢だって絶対に許せません。レベッカ様から婚約者を奪いさらに修道院送りにまでしたのに、その奪った王子すらも裏切っているのですから。
本当に罰せられるのはどちらかハッキリさせてやりたい気持ちが溢れてきました。
レベッカ様、次の手紙はもう少し待っていて下さい。もう、決して偽りなど書きませんから……。
今度こそは、本当の幸せな知らせを書いて見せます。




