16 哀れな初恋が終わりを告げる時
「さぁ、ロティーナ!俺に婚約破棄されたくなかったら慰謝料を払って泣いて謝れ!!今ならまだ許してやるぞ!」
エドガーは扉を蹴破って伯爵家に侵入すると楽しそうにそう叫んでいました。まるでそれが当然で自分が絶対の正義であるかのような態度です。そんな彼の暴挙を止めようと使用人たちが必死にエドガーを宥めますが、まるで聞く耳を持ちません。
「おい、ロティーナはどこだ?!隠れていても無駄だぞ!せっかく俺がこんなにも譲歩してやってるというのに、どうしてもお前はそうなんだ!?いつも俺をイライラさせやがって……あ!そこにいたのか、この尻軽女め!!」
そしてエドガーは使用人たちが顔を顰めるような息を吐きながら辺りをキョロキョロと見回すと階段の上にいる私を見つけて唾を撒き散らしながら再び叫んだのでした。
「なんてことかしら……」
私は思わず頭を抱えてしまいます。あれでも一応は子爵令息ですし、まだ私の婚約者ですから使用人たちも手荒な真似をしていいかわからず戸惑っているようです。
「お嬢様、危険ですからここにいちゃダメですよ!あんなもの見たら目が汚れます!」
「今すぐ駆除してまいりますので、お嬢様はお部屋にお戻り下さい」
あ、戸惑わない使用人もいました。アニーとトーマスです。ちょっと待って下さい、トーマス。その手にある鈍器を何に使うつもりですか?
「……ふたりとも、少し落ち着いて?たぶんエドガーは酔っているようだし、とにかく穏便に……ね?エドガーには、私がちゃんと話すわ」
「でも……」
「大丈夫よ。酔っ払いの扱いには慣れているもの」
もしもエドガーが使用人たちが貴族に手を出したとかなんとか言って訴えてきたら大変です。平民が貴族に怪我をさせたらそれだけで重罪ですもの。私はなんとかふたりを宥めて、階段を降りました。
「ふはははは!やっと観念したか、ロティーナ!さぁ、さっさと慰謝料を払え!」
「エドガー……突然なんなんですか?前にも伝えたと思うけれど、約束もしていないのに急に来られても困ります。だいたい、なぜ私があなたに慰謝料を払って泣いて謝らなければいけないのでしょう?」
「うるさい!この俺がそうしろと言っているんだから言う通りにしろと言っているんだろうが!」
明らかに興奮して周りが見えていない様子のエドガーが拳を振り上げました。そして大きな音を立てて壁を殴り、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべたのです。威嚇しているつもりなのでしょうか……。あ、背後からアニーとトーマスの殺気が駄々漏れしてきている感じがします。あぁ、もう。こんな時にジルさんはどこへ行ってしまったのでしょう?一応“聖女”を迎えに来た使者なら、少しはそれらしい態度を取ってほしいものです。
それにしても、いつまでも偉そうな態度のエドガーにも腹が立ちます。ハッキリ言って私がエドガーに謝らなければならないことなんて塵ひと粒分すらもないのですから。
「お断りします。私にはそんなことをする理由がありません」
「なんて生意気な……!お前は自分の立場をわかっているのか?!」
エドガーはさらにバン!と大きな音を立てて再び壁を叩き、ニヤァッと口角を上げました。
「いいか?わからないのなら教えてやる!お前のような薄気味悪い桃毛の女なんて俺が拾ってやらなきゃ誰にも相手にされないんだってことを思い知るがいい!それともどこかの大国だったか?よくわからん国から婚約を申し込まれて調子に乗っているんだろう?!この、金に目が眩んだ尻軽の阿婆擦れめ!
騙されているとなぜ気づかない?不気味な桃毛だからとからかわれてるんだよ!なんせそのどこぞの国の大使とやらはこの国の王女に謁見を求めていたらしいからな!だが俺ならお前をちゃんと愛してやると言っているんだ!俺に捨てられたらお前は終わりだとわかっているだろう?!
そうだな、慰謝料はこの伯爵家と領地で許してやる。土下座して自分の過ちを認め謝れば第二夫人か、せめて愛人くらいにはしてやろう。まさか正妻になれると思うなよ?そんな事を言い出すなど桃毛の分際で図々しいからな!」
……この人は何を言っているのでしょう?まるで自分が神にでもなったかのように振る舞うその姿は滑稽そのものでしかありません。
それにしても、ジルさんが王女様に謁見を求めているですって?一体何を企んでいるのかしら。まぁきっと、よからぬことでしょうけれど。
「さっきから何を言っているのかさっぱりわかりません。それと王族でもあるまいし、この国では貴族に一夫多妻制度なんてありませんわ。伯爵になりたいと言うのならば最低限の勉強をしてから口を開いて下さい」
「なんだと?!まだわからないのか?だからお前はダメなんだ!
いいか?お前のような勉強だけが取り柄の地味で根暗で気味の悪い桃毛の女を好きになってやったんだから、それだけで俺に感謝するべきだと言っているんだ!お前の良いところなんて、伯爵家のひとり娘であることだけなんだからな!」
「……私の事を愛してると、言ってくれていたのでは?」
「あぁ、言ったさ!お前と結婚さえすれば伯爵家は俺の物だからな!だからお前がどんなにつまらない女でも気味悪い桃毛でも好きになってやったんだぞ!嬉しかっただろう?!」
偉そうにふんぞり返るエドガーを見ていると頭の奥がすぅっと冷えた気がしました。もうとっくにわかってはいたけれど、エドガーの“好き”は私の望んでいた“好き”とは全然違うのです。
まぁ、そうですよね。確かに私は勉強ばっかりのつまらない女ですし、気味が悪いと陰口を叩かれるような桃毛です。こんな女を本気で好きになる人なんかいないって、よく考えればわかることですのに。確かに、エドガーの言う通り、私はなんて愚かなんでしょう。
昔の私に言ってやりたいです。「誰かに愛されるなんて期待してはいけない」って。そんな事を願うことが間違っていたんですもの。
「なんだ?!泣けばいいと思っているのか!?これだから浅はかな尻軽は嫌なんだ!《《彼女》》の涙ならばまるで宝石のように美しいのに……お前の涙はなんて醜いんだ!」
エドガーが酒臭い息と共に私に向かってまたもや唾を吐きました。その言葉でやっと私は自分の瞳が濡れていることに気づいたのです。
私ったら、それなりにショックを受けていたようです。 初めて事実に気づいてからずっと冷静を保っていたつもりだったけれど、直接に彼の口からここまで言われて傷付いていたなんて私も滑稽ですね。
騙されていただけの、恋に恋した哀れな気持ちだったけれど……私にとってエドガーはある意味初恋だったなんて……。なんて情けないのでしょうか。
「……そうですか。あなたの気持ちはよくわかりました」
「ようやくわかったか!これで今日から伯爵家は俺のも「あぁ、お前の考えはよくわかったぞ。エドガー」なっ……」
私が涙を拭いながら言葉を絞り出すと、部屋の奥からエドガーの父親であるエルサーレ子爵とその兄で次期子爵であるレルーク様が姿を現したのです。エドガーを厳しい目で睨み付けていますが、なぜおふたりがここに?
「ち、父上?!……兄上も!なぜここに?!」
突然の対面にあわてふためくエドガーを尻目にエルサーレ子爵が私に頭を下げてきました。
「この度は息子が申し訳ない……!なんと詫びたらよいか……」
「えっ、いえ、そんな……!頭をあげてください……」
慌てているのは私も同じで、なぜこの場にこのふたりがいるのかわかりませんでした。するとどこからともなくジルさんがひょっこりと現れ、いつものにんまりとした腹黒い笑顔を見せてこう言ったのです。
「それじゃあ、断罪劇でも始めようか?」と。
ちょっと待ってください!まさかこれって、ジルさんが仕組んだことだなんて言いませんよね?!




