4・北の砦
北の砦にシエルはいた。
神器を持たない新兵に出来る事は限られている。
補給物資を受け取って采配を振るい分配をしたり、砦の外に出て負傷者を回収したりと、派手な戦闘を避ける配置についていた。
しかし最前線であることに変わりなく、魔物と遭遇することも当たり前で、剣を手放せない緊張感と共に忙しく過ごしていた。
今日は負傷者を、砦に連れ帰る役目だった。
前線で負傷して戦線離脱した者は激戦地から運び出され、平原の砦近くに貼られた医療テントに預けられている。そこから砦へと輸送するのがシエルの役割だ。
自分で動けない重傷者は担架に乗せるが、歩けるものは肩を貸して砦へと向かう。
周囲を神器持ちの騎士に囲まれていても、魔物の徘徊する危険な平原を砦までの数キロを歩くのはかなりの緊張を強いられた。
だからと言って、仲間を見捨てるという選択肢はない。
溶けだした雪で足場は悪く、グジュグジュとぬかるんでいるために、砦の外の平原に出ると跳ね返りで腰まで泥だらけになる。
濡れて身体にまとわりつく冷たさに凍えそうだと思いながら、負傷者を肩に担いでシエルは砦を目指す。
利き腕と片足を負傷した年配の騎士の荒い息遣いは熱く、足取りもおぼつかないので傷から熱が出始めているのかもしれない。
前だけを見て、周囲を警戒しながら、ひたすら足を進める。
ふと、エマを思い出した。
自分の神器を預けたばかりの頃は、本当に他人の手に預けて良かったのか悩んでいた。
寛容な質のシエルでも、卵を手放すのは身を切られるように辛かった。
でも、エマと話し、卵を囲みながら過ごすうちに、預けたのが彼女で良かったと思った。
温かで柔らかな眼差しや、卵を愛でる言葉を紡ぐその性質を、愛しいと思うようになった。
今もそうだ。
神器のない心許なさは消えないが、エマに持っていて欲しいと思うのだ。
遠く離れていても、シエルの代わりに卵がエマを護ってくれる。
卵のままでは何の能力もないかもしれないが、あれには神の力が宿っている。
卵とともにあれば、彼女の身に災いは訪れない。
そう思える幸福に、シエルは胸の奥が温まるのだ。
春になれば、エマに会える。
それまで生き延びる。
春まで生きれば……そう思ったところで、白いものがチラチラと空から降ってくるのが見えた。
名残雪だろうか? と空を見上げ、シエルは驚いた。
キラキラと虹色の光の粉を振りまきながら、大きな飛竜が空を飛んでいたのだ。
魔物ではないと、直感する。
そして、自身の神器から生まれた生き物だとも。
羽ばたくたびに翼から散り落ちる七色の光が、軽やかに風で舞い踊る。
その舞い落ちたひとひらが頬に触れ、手に取って花びらだと気付いた。
降り注ぐ花びらに触れ、周囲の騎士たちはどよめいた。
花びらが触れたところから、血は止まり傷が癒えていくのだ。
騎士たちが指差し見守る中で、前線まで飛んだ飛竜がルルルルルーと高らかに鳴いた。
敵対する魔物たちへと向けて口から吐いたブレスからは、色彩豊かな数多の花びらであふれた。
シエルは目頭が熱くなるのを止められなかった。
飛竜が自分の神器であることもジワリと身に沁みてきたが、エマの存在も強く感じていた。
つい先ほどまで、死の棘のような冬の空気が皮膚を貫いてきたのに、今ではほんのりと温かい風が身を包む。
美しい花吹雪が舞う中。
今まで絶え間なく襲ってきた魔物たちも、浄化されるように消えていった。
そして、花びらが積もった場所の雪が解け、ぬかるんでいた土壌が乾き始める。
瞬きで、涙を散らす。
シエルは込み上がってくる感情で胸が詰まり、エマに会いたくて仕方なかった。
花が好きなのはエマで、シエルではない。
天馬よりも竜騎士のほうがシエルらしいねと笑ったのも、シエルは前線で暴れるより全体を見て仲間を助けに走る人だと言ったのもエマだ。
そんな、たいそうな人間ではないと言いかけて、それでもエマからの信頼の眼差しに出会うと、いつも口をつぐんでしまう。
シエルの知らない「エマから見た自分の姿」は心地よくて、エマの望む姿に卵が育てばいいとずっと思っていた。
けれど、花で春を呼ぶ飛竜などまさに奇跡だ。
魔物をすべて滅し、舞い降りてきた飛竜の鼻面を、シエルはなでてやった。
神に感謝と祈りを捧げながら、近く王都に帰還できる喜びをかみしめ、エマを想う。
そして歓びに湧く討伐隊に囲まれながら、飛竜は春の訪れを高らかに歌うのだった。
【 おわり 】