5.新生活への第一歩
「…今日からここがお前が過ごす空間だ。勝手に外に出るなよ…。後は……奴隷共に聞け、以上だ。」
697番にとって見慣れない部屋に着いて間も無く、不健康そうな男はそれだけ言い残して部屋の奥に進んで行く。まだ年若く背の小さな少年の方に顔を一切向ける事もなく、加えて歩みすら止めずに行ってしまった。
勿論697番は困惑し、どうすれば良いのか分からない様子で、歩みを早めた男の後は何となく追う事無くただそこに佇む。
情報が少な過ぎて何も分からない状態にも関わらず、何もしないという状態を取った事について、頭では愚策であると己の声が囁いてあるのだが、男が言い残した後に踏み出そうとした少年に向けた一瞬の、不快感とも思える雰囲気を感じて進むのを止めて正解だったと思う事にした。
果たして、その行為は強ち間違えでは無かったようで、暫くその場に待機していると生気が薄く幸薄そうな表情をしており、貧相なボロ切れを纏った青年がとぼとぼと歩いて来るのが確認出来た。
697番の近くまで歩いて来た青年は、少年の前に立ち止まると一拍置いてから事務的に話始める。
「君は、697番で合ってる?」
生気が抜けたような青年に対して言葉は介さずに、ただ頭を縦に振ることで肯定の意を伝える。
すると青年は、目の前の小さな子供に興味があるのかどうか分からない表情で只管淡々と言葉を発する。
「じゃあ、ここを案内するから着いて来て。後は分からない事があったらその都度聞いて。それから、白衣を来た人達にこれから沢山会うだろうけど絶対話しかけないで。」
言いたい事が終わったのか、白衣を着た大人達に触れる時だけ恐れでも感じたのか、それとも健康とは言えなそうな貧相な身体で話し過ぎたのか声を少しだけ振るわせながらそうやって一気に言い切ると後ろに翻り、少年の是非など関係無いとばかりに進んで行く。
一応は少年が着いて来てるのか、或いは言葉の意味を理解出来たのか心配だったからか、少し歩んだ青年は一度軽く後ろを確認して、視線を一瞬だけ少年に向けて着いて来てるのを視認すると、その後はただ前を向いて辿々しい歩行ではあるが、されども迷い無く進んで行く。
今までの部屋や廊下と同じく一面が白い建物の中を少し歩くと右手側に部屋があり、そこに青年は入って行く。
そこは鍛錬場よりも少し小さいくらいの部屋であろうが、物が散乱し過ぎてどこか窮屈な印象を与えて来る、そんな場所だった。
「ここは、倉庫。魔術具とか色んな道具を置いてある場所だよ。手前のエリアはポーションとか有効期限が短めの消耗品、奥に行くと使い捨ての魔術具なんかが置いてあるよ。」
少年にそう言いながら青年は、奥に進んで行く。
歩きながら697番が左右に目を遣ると、大小様々なガラスが透明度が高いガラス容器内に入った暖色系・寒色系、鮮明な色・暗い色から不気味に発光している液体と中身が全く分からないものが何だか沢山ある。
もちろん、それらを作るために少年されるであろう素材と思しき草や、石ころ、何かが入ってる木箱なども並んでおり、ズラリと並んで居る棚に適当な感じで置かれているのだが、途中で棚と棚の間に青年の足で3歩程の感覚が空き、次に見えて来る棚に並ぶのは何らかの機械のような、武器と思しきものや謎の紐、ローブやマント・その他の衣服が並び、奥に行くほど大掛かりな装置などが置いてあった。
彼方此方に視線を彷徨わせながら歩いていると、青年と少年は部屋の最奥に着いた。
しかし、どうやら何かの金属で出来た頑丈そうな扉の向こう側にも続いているようであったが、青年はここで立ち止まって少年の方を向く。
「この扉の先は、僕たちが入る事は出来ないからここまでだね。扉に触ると殺されるみたいだから注意してね。」
(…触れるだけで死か、これまた物騒な所だな)
697番は表情には出さなかったが、当たり前のように死が近い環境にそんな事を思いながら、1人心の中で静かにぼやいた。
物騒な扉のある倉庫と呼ばれた部屋から出ると、次に青年が向かったのは、またしても右の部屋だった。
その部屋に入るとまず見えたのは、長机が6個ほど等間隔に設置され、部屋の両サイドにはガラス張りの棚の中に瓶が整然と並べてられ、その瓶の中身には粉や色とりどりの液体、よく分からない生物の標本や何かの臓器と思われるモノなどが入ってあり、さらに部屋の奥の方では、先ほどと同様の縦長部屋では無いのか見通しはそこまで悪く無く、気持ち横に長い構造で奥の方にガラクタのようで部品チックな物が入っているのを箱からはみ出て居る様から察せられる金属製の棚。
そこには、倉庫と違い無人では無いようで、チラホラと青年から壮年の男性、少女や老齢の女性など数人が等しく生気の無い表情で何かしらの作業をしている。
(見た感じ手前は化学室、後ろは技術室のようなものだろうか?)
さらにもっと奥には、不気味に光る大規模な装置と人型をしているようにも見えるナニカが浮いて居る水槽のようなガラスで出来たカプセルのような装置も見える。
その前には白衣を着た見知らぬ大人達が居て何事かを紙に書いたり、複数人で話し合ったりしているのが見える。
(あの透明度の高い緑色の液体が入ったカプセル、何が浮いてるのかは知らないが、パッと見で碌なものではないと分かってしまうのが何とも言えないな…)
「この部屋は実験室ってみんな呼んでるよ。君はこれからここで、さっき倉庫に置いてあったポーションや魔術具を造って貰う。幾つかの造り方は後で僕が教えるけど、その後は自分でこれから連れて行く図書室で調べて造ってね。それからさっきも言ったけど、向こう側に見える白衣の人達には絶対に話掛けないで。何かあったら手前側の人達に聞いて。後は…ここまでで聞きたい事ある?」
白衣の大人達に再度念押しした青年は、697番が特に質問も何か言いたい事もなさそうな様子を見ると、次の部屋へと足を進める。
少し2人が進んだ先、3部屋にして初めて左側にある部屋に入ると、少年の鼻腔へ古本の独特な匂いが入って来る。
その部屋は、入って左側の方に大きく広がる空間を有し、木製・金属製の本棚には様々な装丁をした書籍がズラリと並んでいる。
「ここが図書室。手前側に魔術具と薬品について僕達が知らなければならない本が置いてあるよ。それと、奥にはなるべく行かないようにね。」
そして、それだけ言うと青年は踵を返して図書室から出ると、
「あっ、この図書室よりも向こう側に近づかないでね。」
そう言って、先程少年に案内した実験室へ戻る。
「それじゃあこれから、ポーションや基本的な魔術具の造り方を教えるから覚えてね。」
こうして青年の短い部屋紹介は終わり、697番の新たな日常が始まる。