4.独房5年目の転機
冷たい独房に響く複数の足音、もはや習慣となったそれに少年の意識は覚醒する。
(?…足音が違う)
地球の暦的に697番の体感では5年程。
その間に若干のメンバー変更はあれど、何故か独房に起こしに来る人員の人数は大体決まっており、4〜5人と言ったところだ。
1人は白衣を着用した一番偉そうなおかっぱ頭で、この男は皆勤賞。残りの3〜4人は統一されたデザインの制服を着ており、加えてそれぞれ雑多な武器を携帯しているという共通の特徴を持った男達。ひょろひょろとした体格の白衣の狂人と比すれば、背丈こそバラバラなものの体格はがっしりとしている。
男達はローテーションか1〜2年で入れ替わるため、少年が覚えているほどの存在感は無い。見た目はイカつく強靭そうな肉体を持つ他人、といったところだ。白衣を着たイカれた大人がいなければ、印象に残るような面々ではあったはずではあるのだが……。
ともかく、そんな濃い面々の足音をなんとなく把握している少年は、聞き覚えのない足音とその数に訝しむ。
しかし、不審に思っていたところで自ら何かを出来るわけでもないちっぽけな存在は、いつも通り静かに部屋の隅に佇むことしかやる事はない。
暫くすると、大人達はやはり少年がいる独房を目指していたようで、697番が居る檻の前で立ち止まる。
「わざわざコイツではなくても良いのではないか?」
おかっぱ頭にそう問われた疑問に返答するのは、目の下の隈が酷く前傾姿勢の不健康そうな男だった。
「仕方ないだろう…組織は先の襲撃で今、人手不足が深刻化しているのは貴様も知っているだろう?」
「しかし、こんな薄汚いガキに道具を造らせるのか?」
「はあ…奴隷で造ろうが、実験動物で造ろうが同じ事だ。…それに、どうせ新しい奴隷の調達も遅れるだろうし、そこらの生物よりは頑丈で且つ対照実験に利用されるだけの失敗作を有効活用するんだ。報告によるとどうやら他の主実験体よりは頭がマシで、エイプ並の思考は出来るみたいだし…丁度良いだろう?」
「ううむ……しかし、15を数えるまでは基準としての戦闘データを得て起きたかったんだがな…」
「…それについては、既に当てがあるだろう?今は我々の研究が滞らないようにする方が優先という結論も既に出ているはずだ。」
「そんな事は分かっている。私とてその結論については理解を示してはいるのだ。だが、せっかく直ぐに手に入るデータを数年先送りにするのは悔やまれるのは貴様とて理解しているはずだぞ?」
「…分かりはするが、これは決定事項だ。人手が圧倒的に足りて無い現状において、何を優先するべきかは明らかなはずだ。既にある程度手に入っており、かつある程度先行研究があってある程度の目処がたっている、それもそこまで重要とされていない研究だった筈だぞ、あれは…」
「確かにそうだ。しかし、ある程度正確な予想が立てられるが故にそれを確たるデータとして残したいというのもあるのだ。」
「…俺にはそれが理解し難いがな…ある程度研究が進んでいる分野にそこまで時間を投じる必要性を感じんな。それなら未だに分かっていない未知に踏み出すべきではないか?それに…あの忌々しい出来事で、暫くはあの装置が使えんからな。あれは、直ぐにまた造れるものでもない。なんせ我々でも素材の調達が難しかったのだから。」
「あの件は、本当に腹立たしい出来事ではあった。しかし、人員の追加の必要性があるとはいえ、こんなガキ一匹追加して何が変わると言うんだ?それならば、まだ予測し易い事を詳らかにした方が有意ではないのか?
「…はぁ〜……じゃあ、お前が造るか?別にそれでも良いんだぞ俺は?消耗品が造れるものなら何でも。むしろお前が造るんなら大量に造れて人手不足がマシになることだろうよ。」
「っ!? 冗談では無いぞ!誰がそんな下賤な単純作業などするか!!私は高尚で貴い実験を行うために組織に居るのだ!断じて、断じて能無し供が生み出すような低俗なモノを造る為ではない!!!」
「はぁ……そうだ、我々は素晴らしい研究を行うためにここに居るんだ。分かったなら、さっさと権利の移譲を済ませてくれ。俺とて時間が惜しい……。」
「フンっ!分かった。697番の管理権限を魔術具製造部部長の[サバト]に移譲する。」
結局話の方向性は決まったようで、おかっぱ頭がそう言って不健康そうな男に手を翳すと黒い何かが放出されて、それはやがておかっぱ頭の手の翳す先にやる気なく立ってた不健康そうな男の右手へと収束して浸透して行く。
そして、何事もなかったように黒いモノが消え去った手元を見ながら不健康そうな男が何事かを数秒の間確認し、確かめ終わったのか一度頷き、
「…確かに。[サバト]が固体識別番号697番の管理権限を生命創造部より頂戴した。」
と一言言って、おかっぱの方を向いていた状態から少年の方に向き直る。
一方で、おかっぱ頭も終わったと認識したのか、こちらも少年の方、正確には檻の扉に向かって何かを唱えて最後に「開錠」と小さく言う。
檻がいつも通りに開いて行く様を見ながら少年も今日はいつもより大所帯な男達の方を見る。
すると、いつもとは違いおかっぱ頭は何も言わずにその場から去って行く。
少年は、いつも通りおかっぱ頭について行くべきか迷うが、取り敢えずはその場に残ったままの不健康そうな男の様子を伺う。
男も時間が本当に時間が惜しかったのか、すぐに口を開き、
「…697番、お前は今から俺の管轄内に入る。もうここに戻って来ることは無い…荷物もないんだったな。時間を無駄にしたか…はぁ……じゃあ、着いてこい。」
そういうと、隈の濃い男はそれ以上少年に構う事無く歩き出し、それに少年はついていく。
こうして、独房に放り込まれて生活すること体感5年。
697番は独房と別れ、次なる場所へと移される。
男の後を追う少年が少しだけ振り返って見た最後の独房は、まるで少年に何の感情も向けない男達のように、いつもどおり無機質に冷たく、男の指示がなくとも檻の扉が勝手に閉じて行く。
初めて見た時に、自動ドアを連想させた檻の戸が完全に閉まるのを視界に収めた少年は、もうそれ以上檻に視線を送ることはなかった。