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18.嫌な記憶



 燻んだ白色が続く壁を視線に入れながら、白衣の大人達の後ろを追う。


 この世に生まれ出て5つ数える程度の頃、つまり今日まで所属していた実験室での生活が始まる前までと比べると、自らの身長と身体能力が著しく上昇した事により、大人達との身長差や歩く速度や歩幅にそう大差をつけられずに、比較的リラックスして歩いていく。


 (奴が居たから、てっきり前居た退屈な牢屋みたいな所にぶち込まれるのかと思ったが、こっちの道はまだ通った事がない。ということは、)


 697番の思考の先を促すように、彼がこれまでの数年で見た事のない巨大な空間を有する部屋へと入っていく。


 それは、さながら闘技場といった風情で、中心に広く開放的で良く手入れされているなだらかな地面が展開され、そこから一段上がった所には観客席のような腰掛けらしき物がある簡素なオブジェクトが、見せ物を上から見下ろすように大きな楕円を描いている。

 

 長半径と短半径の両端に、それぞれ謎の大きな石が嵌った杯状の置物が設置してあったり、天井は開放されておらず、壁と同様に灰白色に近い壁面に覆われていたりと、ローマに建てられたあの有名な闘技場とはまた雰囲気が違うが、それでもどこか厳かな空気感が漂っていた。


 (幾つか魔術具が使用されているな?魔石は恐らく天然で、相当高脅威度な魔物の魔石を使用しているように感じる。それも4つある)


 少なくとも数年前よりは余裕のある少年は、考える。


 (見た限り、高度な技術力を了利用していあらゆる力の象徴みたいだ。魔石を賄うための財力或いは戦闘力または軍事能力。最も、そんな立派なものを振り翳してやっていたのは碌でもないない事だったらしい事は、嫌でも分かるな、これは。)


 周囲を漂う嫌な気配を醸すドロドロで醜悪な霊がこびり付いているのを視界の端に追いやるようにしながら、少年はそう思う。

 基本的には、()()()だけの少年が、鼻を顰めたくなるほど五感をついて来るような光景が、そんな場所にずけずけと踏み入る白衣達の後を追って歩く事で、少年の全身を覆って行く。


 しかし、そんな気分が悪くなるような空間に連れて来られた自分がこれからやらされる事について考えると、ただ見ているだけの現状以上に頭がどうにかなりそうで、ひどく憂鬱な気分が身体にのし掛かるような幻覚を覚える。


「そこに立て」


 闘技場内のステージとも呼ぶべき平された地面から一段上がっている観客席の最前列の端まで着くと、顎で前に出るように促される。


 何事かを話し合う白衣達の間を静かに通り抜けて、ステージと観客席を隔てる低い壁の方を向いて立ち尽くす。

 そして、それ以降は何も言われる事なく只管に白衣達の話し声を聞きながら、無言で言葉を掛けられるのをただ只管に待ち続ける。


 それから数十分程度経過した後、白衣の内一人が697番に向けて歩き始める音が聞こえる。

 当然、命令が降るのだと昔の癖でほぼ反射的に人物の方へと向かい合おうと少年は動き始めたが、その動きは最後まで続く事はなかった。


「《衝風撃》」


 横向きになった体の腹部を薙ぐようにして風の塊が食い込んで、注意を全く払っていない無防備な少年は、足の踏ん張りが効かずに倒れ込むようにして吹き飛ばされる。

 なお、場所が場所だったために倒れるのは一段下だった。

 すなわち、ステージへと叩きつけられるように背面から落下する。


「かはッ!」


 突然のこと、それに加え武術を習った経験すらない少年は、受け身も取れずに背中を地面に強打して、呼吸が止まってしまう程内臓を思い切り押し付けるような感覚をほんの一瞬感じた後、肺にある空気を堪らずに外気へと発する。

 呼吸が戻ると同時に痛みが背中から身体中に広がる。


 生物としての本能により、痛みを与えて来た「敵」の方へと顔を向け、その男の歪んだ顔面を視界に収める。


「今からお前には、成長過程における身体能力の影響についての実験を行って貰う。速やかにあそこに居る実験体695番との戦闘を命ずる。」


 (最悪だ…久しぶりの命令かよ……)


 痛む背中を考慮せずに動き出した身体に目を落とし、独房に居た頃には見えなかった粘着質で黒っぽいエネルギーに意識を向ける。


「遅ぇ!落ちこぼれの癖に俺を待たせるんじゃねぇよ!」


 (ああ、嫌な相手の顔だ…懐かしさすら感じるな)


 散々嬲られた記憶からなのか、それとも突き落とされた時に生じた背中痛みからなのか、697番の全身に痛みが広がって行く。


「それでは、実験体695番と697番の戦闘性能実験を開始する!始めっ!」


 697番が定位置に着くことすら待たずに、そう言葉を発した次の瞬間には、地面を凹ませる程の踏み込みを行った695番が697番の眼前に迫っていた。


 (前より速くなってる!っ《身体強化》!)


 左頬を殴られると同時に右斜め後ろに顔を逸らしてダメージを減らしながら、殴打と共に生じた衝撃を受けて697番は足を踏ん張ることなく自ら吹き飛んだ。


 そして、過去数年で培った逃げの技術が、ブランクから己の身体を起こしつつ動かして行く。

 

 まず、697番が初動で行ったのは、理不尽に殴って来る無法者へと反撃の拳を握る事…なんて言う「闘争」などではなく、無様にその場から居なくなろうとする「逃避」であった。

 しかし、その「逃避」にはこの数年が重なる。

 その証明をするように、歩数を重ねる毎に空間へと少年の姿が霞んで行く。


 体を世界に徐々に溶け込ませながら、身体強化の魔術を発動させた事により僅かに上がった肉体強度を生かして足下の土をしっかりと踏み締めて、痛めた背中を695番に向けながら、一目散に逃げる。

 


「チッ!テメェは、本当に変わらねぇな!オッさん!」


「はぁ、全く戦闘能力以前の問題だな、これは。愚かさを垂れ流す697番に命令する!正面から向き合って戦え!」


 以前とは一段と違った逃げ方をしていても、逃避である事には変わらない。


 (クソッ、結局は同じ展開になるのか…)

 

 審判の男に命令され、697番は身体にまたあのエネルギーが巻き付いて身体を縛って行く様を身体能力を強化している事で引き伸ばされる思考時間を利用して注意深く観察しながら、それと並行して自分が必死に離した距離を数歩で詰めて放たれるボディブローが、腹に食い込む光景を幻視する。


 その刹那の事だった。



「愚かなのは貴様らだろう」


 どこからとなく聞こえた小さな呟きに、全身の毛が逆立つ感覚を覚え、それに気を取られた為に幻視していたボディブローよりも何倍も深い一撃を喰らい、闘技場の壁まで吹き飛ばされて壁にめり込む。


 壁に食い込んだ事による痛みを感じながらも、697番を支配していた思考は、別の方にしか向いていなかった。

 

 (気づけなかった!いつからあそこに居た?なぜ、言葉を発するまで気配を全く感じ取れなかったんだ?あれは不味い。どうすれば逃げられる?)


 目の前の存在に対し、もし次があったらどうしてくれようかと考え行動して来た案を、全て飛ばしてしまうくらいには、ステージを見下ろす位置に居る一人の男から受けた衝撃は甚大で、その存在から少年は目を離せなかった。


 しかし、忘れてはいけない事に現在は戦闘の真っ最中であり、立ち上がったは良いものの無防備に考え事なんかをしている存在は、良い的になってしまう。


 少年の思考を脳を思い切り揺さぶる事で無理矢理遮ったのは、以前に比較して何倍も鋭くなっている695番の右フックだった。


 少年の身体が、ギャグ漫画か何かみたいに面白いくらい回転しながら地面に石を水切りするように跳ねて飛んで行く。


 抵抗できず壁に亀裂を生みながらぶつかった為に悶絶して動けない少年を、それでもなお695番が叩き潰さんと腕を振り上げる。


「そこまで!」


「あ?これから良い所だろうが!というか、テメェ誰だよ!」


 獲物を甚振るのを邪魔された695番は、腕を振り上げた姿勢のままで、自身の行動を遮った男を睨みつける。


 (今までで一番戦闘終了が早いんじゃないか?)


 疑問に思いながら、697番が声のした方を眺めると、白衣の男達と一人の黒い男が、695番の言葉など無視して何事かを言い合っていた。

 

 そして、次の瞬間には全身が黒く、謎の仮面を身につけた男が目の前に立っており、少年が何か行動に移ろうとする前には闘技場の出入り口へ男に担がれるような格好で居た。


「な!まだ話の途中ではないか!そんな横暴が許されると思っているのか!」


 白衣の男か怒鳴るようにして、黒装束の男へと言葉を投げつけるが、


「これ以上は無駄だ。魔術具の開発も最近は奴隷を大量に投入したと聞く。ブランクとして使うにしても、最早その意味すらない程に差が開き過ぎている。ならば、これが減る事になんの支障もない筈だ。」


 そう、静かなのに何故か良く聞こえるという不思議な声でそう言い放った男は、振り返る事なくその場を後にする。……697番を担いだまま。





 ――――これが、697番と呼ばれる少年の新たな日々の始まりとなる。

 

 


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