13.微かな成長
青年が何処かへ行ってしまってから体感2年程度。
否、草や木材から自作した和紙のように粗いメモ用紙に、軽く焼き焦がすようにして文字を描くペンみたいな自作の魔術具でメモをした事、そして文献に記載されてた内容から暦を推測していたから、体感よりも確度はずっと高く約2年の月日が経過したそんな折。
前よりもさらに盛んになっており、加えて最近では人型のようで異形な姿形をしている存在が研究者の間でブームのようになっているキメラ、そしてそのキメラを首輪で引き摺るようにして歩いている白衣達の真横を697番は、己の存在を消すようにして通り過ぎ、いつも通りもはや趣味みたいになりつつある読書をするために図書室へと向かう。
人形の異形とは言え、感覚が人間の五感を大きく逸脱しているはずのキメラにさえ一切悟られる事もなく自然にすれ違い、その動的痕跡はごく僅かであって、この場で誰一人気づくことは無い。
そしてこれまたいつも通り特に何の障害も無く、日頃より使用している本が奥まで整然と並んでいる部屋まで辿り着いた少年は、ポーションや魔術具について書かれている書物群が並ぶ入り口手前側に目もくれずに過ぎて、彼の身分では分不相応とされている白衣の大人達が稀に利用する奥の方、彼の目的の場所まで本棚の間を淀みなく静かに進んで行く。
『解錠』
自作の魔術具を使用して、既に解析済みの一般人なら勿論、そしてそこらの初級魔術具師、それから中途半端な学者等には読み解けない程度には複雑な術式が編み込まれた魔術具で出来た扉を難なく開け、慣れた足取りでそのドアの向こうに広がる、書架に在る書物の装丁が手前側の部屋にあった本棚に立ち並ぶ書物とは一段違った高級感のある素材が使用されているような雰囲気のある部屋に入って行く。
『施錠』
「『照明』 明るさは、このくらいで良いか。」
開けた扉を持って来た二つ目の魔術具によりしっかりと閉め、三つ目の魔術具で部屋に薄らとした目に優しい照明を点けて明るさを微調整した後、本を物色して行く。
普段閉鎖されている事で、開かれた構造の手前側の図書室よりも濃密な古い本特有の匂い漂うその場所に並ぶ研究成果が詰まった物を手に取っては流し読み、気になったものは熟読しながら充実した時間を過ごす。
四つ目の魔術具が警鐘を鳴らすように震える本には触れずに距離を取り、内容以外は安全性の高いものから情報を拾って行く。
少年にとって最近のマイブームは、専ら大衆に「呪術」などと呼ばれている魔術などとは少し系統の異なる特殊な技法について書いてある貴重な書籍の探索であった。
鍵の掛かっている室内は、少年の秘密基地であるのと同時に、白衣の大人達にも奴隷達にも見られたく無い秘事について研究を行う実験場でもあった。
特に、現在彼が執心している「呪術」という技術は秘密にするに向いている代物であったのだから余計に都合が良かった。
もっとも、ニッチ過ぎる技術であるために文献が少なく、研究が遅々として中々に進まない類であるから厄介ではあったが、ある程度の生産能力さえ示せば監視が厳重という訳でもない鬱屈とした生産部屋に篭もるよりも一人静かな部屋であれこれ考え事をする方が彼には合っていたようで、良い息抜きになっていた。
故に、奴隷達が次第に精神の摩耗を起こして行く一方であるのに対して、彼の瞳にはまだ生気が残っていた。
(符を用いた術式の発現はもう出来た。しかし、エネルギーへの昇華と制御、それからそれの使用までのプロセスはまだまだだな。これでは、基礎的な魔術の方がまだマシってところか。はぁ、時間は幾らか確保出来るようになって来たとは言え、これでは時間が掛かり過ぎる。)
心の中で独りぼやきつつも、しっかりと少しずつ出来る事の拡充を目指す。
(無機物系のアンデッド化についての文献は、この一冊。しかもとても体系的ではないし、再現性があるかも分からないと来た。だが、あり得ない訳では無いという所がなんともな……。)
何度も読み直した古い紙と一昔前のインクで構成されている一冊の年代物な古書をペラペラと乾いた音を小さく奏でつつ気になる所を捲りながら考える。
暫くそうしていたが、区切りの良い所で腰に取り付けた懐中時計を眺めると丁度良い時間だった。
(そろそろ戻るか、今日の魔術具は何を組み込もう?何個か類似してる文字はあるが、単純に組み込むよりももう少し迂遠な表現をして表記した方がより実用的なものが出来るか?……この前見た古い文献にあった文字構成を試すには良い機会かも知れないが…そのまま使うには工夫がいるか。
ポーションとかの薬類はいつも通り、今日は中級3本がノルマといった所かな。毒薬は神経に効用があるやつで作りたいから…素材足りるかな?出来るだけ申請はしたくないから、最悪は面倒な抽出作業が必要か?あれは、時間が掛かるからあまりやりたくないな。だが、濃度をある程度上げないと呼吸困難が急激に現れてくれないと発注通りじゃないと文句を言われるからな…。)
『解錠』
『施錠』
使用した事が分かりやすいようにと備え付けられた機能のうち、振るような動作をすると音が鳴るというもの、加えて、淡い鮮やかな赤と明るい緑色の燐光が辺りにパラパラと舞うという機能を、無駄に魔力が減るとして余計な光が漏れないように改造を施した魔術具により、先程まで居た部屋の扉をしっかりと閉め、痕跡が残ってないかを念入りに時間を使って確認してから、気配を殺すようなイメージをして、足音すら立てないように注意して図書室の入り口の方まで歩く。
帰りはその時間帯も関係しているのか、白衣の大人達やキメラ等とは遭遇せずに部屋まで戻り、まるでずっとそこに居たかのような顔をして生産室で今日も自身に課せられた面倒な仕事を淡々と只管に熟して行く。
当初は、長時間作業で体力的にも精神的にも負荷が大きかった日々の生産労働も、慣れてきた今では気づけば過ぎて行くだけな日常の一部へと同化していた。