10.希少な自由時間
この施設で、最近自らに課せられたノルマである魔術具やポーションの製造を熟し、毎日正確且つ定刻に他部門の奴隷によって運ばれてくる、味の殆どしない人間用レーションを、いつも通り自分に割り振られてる程度の量をしっかりと完食するというルーティンを終えた少年は、睡眠を全く必要としないと言う訳ではなかったが、我慢出来る、そこまで必要としない体質だったため、今日も寝ずに図書室に篭る。
個人差もあるが、周りの生産者達が何かを作成し終わって寝る時間帯が一定であるため、そこで自分だけ何かを製造して貴重な睡眠の邪魔をしてしまうのは気が引けたから。
あの青年から「ポーション」と「マジックボム」の製造方法を手取り足取りかは分からないが、少なくとも少年が再現出来るようになるまで教えを受けながら、只管繰り返すことで、最近なんとか青年の助け無しでも造れるようになって来て、ノルマの数が多くなって来ているのを考慮したとしても、製造には大分余裕が出て来た。
そのため、何度かスライムを破裂させた事で、付近を通り掛かるタイミングでやってしまったために嫌そうな顔をしていた同僚達に気遣って、せめて少しでも安らぎの時間を与えられるように、自分のみが眠れない時は図書室で過ごす事をここ数日?で覚え始めた。
図書室はそこそこ広く、取材で取り上げられるような規模の図書館に訪れた事など無い少年でも何となく凄い量であると分かるほど、蔵書数はかなりのものであり、背の高く連なるように並んでいるその全ての棚に、難解な書物がぎっしりと詰まっている様から、少なくとも少年が行ける範囲内の書物や棚に、大いなる力など何も感じないと分かっているのに、どこかこちら側も圧倒されるような印象を受ける。
少年は、今日もいつも通りの古惚けて表紙が掠れてる、擦れたような赤い装丁の本を本棚を攀じ登るようにしてその小さな手に取り、入り口から見えないような棚が作り出す死角へと移動をしてから、床に広げて読み始める。
木材から作られているだろう内部の紙の色は、年数の経過を表すように黄色く変色し、湿度をそれほど高く感じない部屋において、インクが色褪せている様からも経年数を感じられる書物に書いてある内容は、その表紙に書いてある通り、「軍用魔術具の製造法とその考察について」である。
少年が見た中で一番分かり易く書いてある本が、この何とも物騒な表題の逸品であり、恐らく歴代の"生産者達"も同じ事を思ったのか、本内部の後方ページ、著者や出版社が書かれているような奥付け部分に書いてある年代は、比較的新しいものであると推測されるというのに、読まれた人数や読み返し回数が多かったことを証明するように、同年代の他書よりも明らかに消耗が激しかった。
入門書という感じの本というよりも、研究資料とか論文の類である事が、他の研究者が見れば奥付け部分から大方推測可能ではあるのだが、残念ながら少年にはそんな事分からなかった。
しかし、他の研究者や軍人が書く学術誌や論文、それから所謂マル秘の機密文書などと比較すると、魔術具関係の本の、ここにある限られた本達の中ではあるが、トップレベルに平易な文章で良く整理され、専門用語の旋律が少なく、技術辞書で調べなければならない単語の数が少ない。さらに、用語の説明が補足事項として端の方に書かれているなど、初学者にも分かり易く書かれたような丁寧で優しい書であった。
少年は、この施設の中には間違いなく居ないだろう優しいナイスガイをつい想像してしまうほど、当たり前のように未熟な知識しか持たない魔術具の初学者、いや生産者の一員である彼には有り難い書物だった。
そんな、ナイスガイによる解説によると、
量を間違えたり上から多量零してしまった場合に、スライムを何匹か殺してしまうほど爆発し易い液体は、ほぼそのままの名称で「爆破油」、ほんの少量加える結晶性の白色粉末は、「二トリック・ソーダ」、淡黄色〜薄茶色の砂は、「キースルグール」など物質名に加え、「キースルグール」に「爆破油」を加えて混ぜた場合に、爆発しづらく安定化する理由について、「爆破油」の流動性を抑えられる砂が「キースルグール」であり、幾つもの個体との掛け合わせの実験結果から明らかになったとしていて、検証は難しいとしながらも、砂に沢山小さな孔が空いていて、衝撃を散らすような働きがあるのではないかと考察していた。
勿論、難しい内容までは少年には理解出来なかったが、砂が危ない液体の爆発するエネルギーを散らしているのだと仮定すると、なんだか納得出来る気がしたので、697番はこの考え方が好きだった。
また、魔物素材についても「火鼠の魔核」については、生息数や魔物の強さ等の要因により、比較的安価で供給量が多いため大量生産に向く燃焼促進剤であり、「焔蝙蝠の牙」と「焔蝙蝠の声帯筋肉」については、どちらも安価かつ供給量が安定している場合は、大量生産に向く素材であり、それぞれ「爆轟した際の波面圧力の向上」と「衝撃波自体の増幅効果」があり、両方を適量加える事により「爆発した際の威力向上」を見込めると言う。
データとして複数素材の検証をしていたのだが、内容が濃過ぎて、畢竟少年に分かったことは一つだけ。それは、親指サイズくらいの自分が作るマジックボムの爆発殺傷有効範囲、すなわち魔力等のエネルギーによる強化無しの被験体奴隷が100%死ぬ範囲が、魔物素材の使用無しの場合が1mであるのに対して、自分がいつも加えてる魔物素材が入ると、5〜10m程度までその範囲が広がると言う事だ。
この本を読んだせいで、そんな物を自分に作られせてる連中が、出来上がった魔術具を使用して何をしているのか、なんて余計な事を考えてしまったが故に、数日間は胸糞悪くなった少年ではあったが、ここで体感5年程過ごす内に得意になった諦めの感情で、今はもう割り切れている。どうせ、自分に出来る事など現状ありはしないのだと本能が叫んでいたという理由もある。
ただのデータとして処理される為に死んでいった数百人程度の生命に対して、軽く罪悪感のようなものを抱きつつも、ドロドロとして気持ちの悪い液体を飲み干すように、自分の胸の内に何とか納めた。
697番にとっては、この本で知る事になった過去行われていた悍ましい実験の犠牲者を思えばこそ、有効に利用してやろうと何気なしに決めさせた、そんな衝撃的な巡り合わせでもあった。
そしてこれは少年に対して、死者を悼むという行為を歪ませていく、要因の一つにもなって来る書物でもある。
勿論、少年は一生それに気づく事は無い。
なぜなら、その変化は不可逆な程決定的で、697番という人間は、それに適応してしまう生命だからだ。