201 扉開く時
ーー翌日
地獄・サンクタムシティ
この場所には最低でも100万を超える悪魔達が集まっていた。
その悪魔達の向く方向には、数段上がった場所に演壇とその背後に建つ600mはあるであろう黒い城があった。
このサンクタムシティは、かつて封印前のサタンが身を置いていた場所。
信者からしてみれば、ここは聖地として重要視されている場所なのだ。
つまり、ここに集まった100万を超える悪魔たちは全員が熱心なサタン信者であった。信者達は今日ここで、プレズデントが代表に就任し演説をすることを聞きつけて集まって来ていたのだ。
「プレズデント様、演説の準備、完了しました。」
「ご苦労。」
プレズデントはサンクタムシティに3日ほどで部下達に作らせた仮設の豪邸の一室の椅子に座っていた
「衣装、お似合いですよ。」
「ありがとうアンダーソン。褒めてくれると私も気が乗るよ。」
アンダーソンはプレズデントの側近とも言える男の悪魔だ。
背丈は165cm程度と少し小柄でスーツをビシッと着こなす。その容姿は二十歳の青年のような容姿であった。しかし、左目が髪の毛で隠れているために少々根暗な印象を感じる。
アンダーソンのプレズデントに対する忠誠心は本物であり、1日にこなす仕事の量は常人の3倍。それでいて、典型的なワーカーホリックなのだ。そのせいで、2つ程の見合いを仕事を言い訳に破談したことをあるほどだった。
「さてと、演説の前にお手洗いに行かせていただくよ。」
「どうぞ。」
プレズデントは椅子から立ち上がると、部屋から出て行った。
部屋から出たプレズデントはトイレを無視して通り過ぎ、ある一室に入って行った。
「調子はどうかねナールガ君?」
「まぁまぁだ。」
そこには大量の肉を片っ端から食すナールガがいた。
「すごい食欲だ。逆に心配になるよ。」
「ここからは体力を使う。腹を満たしておくには越したことはない。」
「ほどほどに頼むよ…」
プレズデントは空のワイングラスを取り出すと、ナールガの前に置かれた4本のうち、未開封の1本を開けた。プレズデントはそれをグラスに注いで、一息に飲み干した。
「酔ってヘマしたら許さねぇぞ?」
ナールガは肉を頬張りながら、演説前に豪快に酒を飲むプレズデントを睨んだ。
「大丈夫だ。車にガソリンを入れたのと同じだよ。」
プレズデントはもう一杯ワインを飲んだ。
「そろそろ、私は演説に行く。覚悟はいいかい?」
「そっくり返す。オレは問題ない。」
「君は上手く行けばミカエル達に匹敵する力を手にする。その覚悟はできているのかい?」
「あぁ…夢にまで見た力が手に入る。逆に興奮しているぐらいだ。」
「そうかい…ならよかったよ。では、私は行くよ。また後で会おう。」
プレズデントはコートを靡かせて部屋から出て行った。
ナールガは、目で見送ると黙々と肉を頬張った。
「ふぅ…」
プレズデントは、廊下を歩きながら宙に息を吐いた。
「プレズデント様、お時間です。」
「おぉ、アンダーソン。わかったよ。贄の杯の準備は大丈夫かい?」
「はい。できております。」
「では、演説へと臨むとしようか。」
ーーーーー
集まった信者達の壇上に向ける視線は十色であった。
新しい代表に”希望”を向ける者がいたり、はたまた、新しいと言う部分に食い付き”疑心”を抱く者もいた。
ただ、その全てが今から演説するプレズデントという悪魔に注目の目線を向けていることは確かなことであった。
「おい、見ろプレズデントだ。」
「本当か!」
騒然としていた信者達に、前列から後列にかけて波のように情報が流れた。
信者達が演壇を見ると、そこにはプレズデントが立っていたのだ。
「いきなり出ましたね、ネットさん。」
「どうせ…魔術だろうね。上に立つ者として魔術を持っていることを見せて威厳をどうこうとか考えているんだろう…」
その様子を野外の来賓席から座って見る『薬物王・武具王』の両方を冠するケレットとカメラを首からかけて、タイプライターを目の前に置く『情報王・ネット』の2人。
地獄の経済の中でも重鎮である2人はプレズデントからの招待状を受け取り、せっかくならと参加をしていた。
ネットに関しては呼ばれていなくても、新聞のネタになるためにどの道、来る気はあったようだった。
「僕も…魔術を持って生まれたかったよ…そうしたら、もっと早く新聞だの本だのを出版できただろうに。」
「いやいや、ネットさんの情報処理速度は類を見ないですよ。魔術に匹敵していると言っても差し支えないんじゃないですか?」
「そうかな…?僕はどちらかと言うと戦闘系の能力が欲しかったよ。無理くり情報を引き出せそうだし。」
「こればかりは神が与える力ですし、なんとも言えないですね。」
キーーーンッ!!
周囲にいきなり、甲高く、鋭い音が響く。
その音は、演壇に立つプレズデントがマイクに指を近づけたことで鳴った音であり、一瞬で騒然としていた信者達を静まり返らせた。
「皆様…本日はお集まりいただいて感謝いたします。これより、信仰会の幹部の方々より許可をいただき代表に就任いたしましたプレズデントです。以後お見知り置きを…」
プレズデントは深々と頭を下げた。
そして、顔を上げたプレズデントはうっすらと笑みを浮かべるながら、信者達に向けてつらつらと話を始めた。
「長い…」
「ネットさんそんなこと言わないでください、そんな顔もしないでください。来賓の方々にも信者の方はいらっしゃるのですよ。」
あからさまに退屈そうな顔をして、悪態をつき始めそうなネットにケレットはボソッと注意をした。
話を始めて20分ほどが過ぎた。
その間、自分のサタンに対する態度だの、なぜ信仰をしたかを延々と語るプレズデント。ケレットもネットも別にサタン信者でもなんでもなく無信仰者なので、この話を退屈に感じていたのだ。
「ちょっと、席を外すよ…」
「じゃあ、私も。」
まだまだ話は続きそうな気がしたネットは、なんとか時間を潰すためにどこかに行こうとした。
ケレットも1人で聞いているのは辛いと思ったのかネットについていく事にした。
「僕は…あんなものを聞くためにここに来たのか…若干の無駄骨だ。」
「ネットさん!もしかしたらまだ信者の方がいるかもしれないのでもう少し離れたところで。」
「大丈夫だよケレット。そんなに心配性を発動しなくても…お父さんの大胆さとは大違いだな。」
「ハハハ……」
2人は会場から少し離れた森の中で止まった。
ネットはポケットからタバコを取り出し、吸い始めた。
「あれ?ネットさんタバコを吸っていたんですか?」
「いや…投資したタバコ会社が大量に送ってきた。ニコチンが入ってないから害はない新商品だと。勿体無いから吸ってるだけ…」
「そうですか。」
「吸う?」
「え、遠慮します。」
「…そう。」
ここから数秒の何も話さない時間が過ぎた。
「それにしてもプレズデントよくもまぁ、あんな口から出まかせをこんな時間話せるもんだよ。」
「えっ!アレ出まかせなんですか!?」
「気づいてなかったかい?」
「いや、まったく…」
「はぁ…君は本当にお父さんに似ていないね。グガットさんならとっくに気づいているだろうに…」
「かたじけない…」
「素直すぎるといつかぼったくられるから気をつけな…君の場合、部下が優秀だからそんなことは起こりそうもないけど。」
「でも、なんで出まかせってわかるんですか?」
「僕は情報王の名を冠しているんだ…プレズデントがサタン信者なんて大きな情報を僕が見逃すはずはない。それに彼は何かを熱心に信仰するようなタチじゃない…」
ネットはタバコを吸い終わるとそれを手で粉々に握りつぶした。
「統計的に…宗教色が地獄で強くなる時は貧富の差が大きくなった時と相場が決まっている…信仰は人の不幸で空いた穴の代替品として最もなものだ。そんな、隙間が今のプレズデントのどこにあると言うか。彼の根本は失敗と挫折を知らない”天上天下の自己中ビジネスマン”だ。そんな彼が一番に信用するのは彼自身であり、他社にその席を譲ることはない。僕達と同じだ。」
「そう言われてみればそれもそうですね。」
「だから、今のプレズデントの話はつまらない…聞くだけ損。」
「でも、さすがですね”繁栄王”と呼ばれるだけあって、信者達は話を聞き入ってしまっています。」
「饒舌だからね…羨ましいぐらい。」
ーーー「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
すると、突如として演説会場から、雄叫びや称賛の入り混じった歓喜の声が響いていた。
「なんですかね、いきなり。」
「行こう、何かが動くかもしれない。」
2人は急いで元の来客席に向かって足早に帰って行った。
そして、2人が席に戻ると信者達は、泣いたり、笑ったりしながらスタンディングオベーションをしていた。2人はこの奇妙さに信者達の見る方に目を向けると、演壇でプレズデントは悪どく笑い、高らかと『贄の杯』を掲げていた。
「あれは…!!」
「贄の杯か…!!!」
2人が始めて見る実物の”贄の杯”に驚いているや否や、プレズデントは話を始める。
「今こそ忠誠を示す時だ!サタン様の”贄”となり、血となり、肉となる覚悟のある者は手を挙げて欲しい!!サタン様がその光景を見れば、さぞお喜びになるであろう!!!サタン様に尊く尊く犠牲を払える子らよ!今、それを示すのだ!今!!ここで!!!」
信者達は言われるがままに手を挙げて賛同する。ここにいる信者を名乗るものは、もれなく全員が手を挙げた。
その様子を見たプレズデントはニヤリと笑う。
そして、持っていた”贄の杯”を空高く投げた。そのまま素早くしゃがみ、両手を握り、握った手に自分の額をつけ、ボソボソと話を始めた。
「我が願いに応え給え…我が祈りに応え給え…贄はここにあり…」
プレズデントが唱え始めると、贄の杯が紫色に悍ましく発光を開始した。その光は地獄の赤月の光を掻き消し、周囲を紫に染めほどだった。
「なんですかあれ!」
「わからない…もしかすると、”贄の杯”が起動するのか…」
いきなり周囲の色合いの変わった事を認識したネットとケレットは流石に戸惑いを見せた。
「”贄の杯”が起動…どうなるんですか?」
「僕も見たことはないから完全なウワサで話すけど…贄の杯を起動すると…人間界への扉が開く…と聞いたことがある。」
2人の脳内には、これから起こることへの尋常ならざる危機感が溢れ出していた。
「止めますか!」
「あぁ…止め…」
ドックンッ!!
地獄一帯に一回の大きな心臓の鼓動音のようなものが響き渡った。
そして、手を挙げていた信者達が次から次へとバッタバッタとその場に倒れ始めたのだ。
「だ、大丈夫ですか!!」
それは来賓席も例外ではなかった。
ケレットの隣に座り、忠誠を示すべく手を挙げていた悪魔もいきなり倒れたのだ。
ケレットは隣の倒れた悪魔を介抱しようとするが、体を持った瞬間にわかった。これは気を失っているのではなく、死んでいるのだと。
「ネットさん!死んでます!」
「そうか…じゃあ、僕が見ている倒れた信者達ももれなく死んでいるわけだ…」
ネットとケレットはその場で倒れ死んだ信者達の方を見た。
あれ全てが死体の山となっていた。
「なぜ私達は死んでいないのでしょう…?」
「それはきっと僕たちはサタンの生贄になる気がなかったからだ。」
ネットは演壇の方を振り返り、指を指す。
「贄の杯は文字通り”贄”つまり”生贄”を集めて起動する。そして、その”贄”としての契約をさせたのはプレズデントだ。」
「なるほど…先ほど大きく言っていた『生贄になる覚悟のある者は手を挙げて欲しい』という発言こそが信者達の偽りない忠誠心を利用した契約だったと…」
「多分、その証拠にサタン信者でもなんでもない僕たちとプレズデントは生きている。他にも、ちらほら生きている者もいるが、それは全員がサタンに忠誠心が無いからだ…」
「起動は止められますか…」
「本体は今、空中にあるアレ。アレが本体である以上…破壊すれば…」
しかし、2人のそんな予想は容易く引き裂かれる。
2人の目線の先には想像だにしないことが起きようとしていたのだ。
プレズデントは唱えを終えると、立ち上がり、倒れてた信者達の山を見て、ニヤリと笑った。
「ナールガ君…繋がるよ…」
プレズデントの言葉の終わりを汲み取ったように、”贄の杯”から2つの黒い影のような手がが出てくると、乱雑に空を引っ掻き始める。
普通は空を引っ掻いても何も起こらない。しかし、この2つの手が引っ掻いた場所の空はガラスのように割れ、歪な裂け目を作り出した。
ーーーそして、割れた空を通じて地獄と人間界が繋がった。
すると、プレズデントの背後から誰かが勢いよく走って、空に出来た裂け目に飛び上がった。
「感謝するぞプレズデント。」
それはナールガだった。
「Good Luck…良い旅を…」
プレズデントはナールガに気づき、笑って見送った。
ーーーーー
人間界・アドンネイの農村
ここはインドネシアの農村のような場所。
田畑で作業をする父と息子の親子とそれに連れられる水牛。
そんな時、息子の方がふと顔を上げ、空を見る。
そこには空の亀裂とそこに空に立つ灰色の肌の人型が立っていた。ナールガだ。
「父さん、アレなんね?」
息子は|訛った口調で父に聞いてみた。
「た、大変だ大変だ、神様かもしれない、急いで村長のところに行くぞ。」
もれなく訛っている父親は、空に浮かぶナールガを見て、それを神様と勘違いして、急いで道を引き返して村に戻っていた。
ナールガも下を見ると、村に帰って行く人間の姿を見たが、特段興味を示すことはなかった。
(サタンの封印部位はどこだ…)
ナールガは人間界に存在する封印部位”左腕”と”右足”の位置を探した。
その距離は左腕の方が近いことがわかり、まずは左腕のある方向へと猛スピードで飛んで行ったのだった。
ーー終ーー




